かぶれの世界(新)

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四国カルスト日帰り旅行

2017-07-30 11:26:11 | 旅行記
木曜日から長男の家族が来て実家に滞在中だ。母の一周忌の法要に来れなかったので、「灯始め」の行事に合わせて家族を連れて来てくれた。滅多に四国の田舎まで来ることもないので、この機会に孫達に田舎の生活を経験させればいいと思っていた。一昨日は近くの長浜町に海水浴に行き、昨日は四国カルストに行った。

海水浴場は候補地を二三紹介しただけだが、四国カルストは私も運転手役として同行した。大洲市から鹿野川ダムを通り高知県の梼原まで南下し、その先の日吉からまるで急坂で蛇行する細い山道(それでも国道440なのだそうだ)を登って行った。田舎道には慣れた私にも狭い山道のすれ違いは怖く苦行の30分間だった。しかし、標高約1400m弱の姫鶴平に着くとそこは別世界だった。

残念ながら我々が滞在中は霧で遠くの山々はかすみ、その先の天狗高原から晴れた日には見えるはずの太平洋も見えなかった。それでもキャンパーやハイカーに人気の観光地だけあって、広大なカルスト高原を吹き抜ける涼風の中で食べたソフトクリームは格別美味しかった。カルスト高原には沢山の牛が放し飼いされていたが、ホルスタインは見かけなかった。観光バスは余り見かけず、車とバイクが多かった。

愛媛と高知の県境にあるカルスト高原には大阪・神戸辺りからの車を見かけた。他県ナンバーのバイカーも沢山いた。バイカーを含め中高年のツーリストが圧倒的に多いのは予想通りだが、若者をあまり見かけないのはちょっと失望した。もっと若者が来ていいはずなのだが、ここでも少子高齢化の現れと微妙な気分になった。
 
天狗高原で昼食後に涼風に当たりながら家族は皆展望台でブラブラしていたので、私はスニーカーに履き替え一人近辺の山歩きをした。折角カルスト高原に来たのに山を歩き自然に触れないのはもったいない。大野ヶ原方面に向かう途中左側の山道に入り、急坂を登り始めると雨が降り始めた。通り雨と思い気にせず歩き続けた。

途中であったハイカーは中高年の女性グループばかりが目についた。気楽な山歩きには最高な高原だ。だいぶ前に息子がアレンジした家族旅行で行った白樺湖と車山ハイキングのことを思い出した。そういえばこの時も一人山靴を準備して歩いた。白樺湖対岸のホテルから車山往復はそれなりの腱脚が必要だったこともある。

堺と土浦ナンバーのバイカーに声をかけた。堺ナンバーは250ccのマウンテンバイク、土浦ナンバーは400ccのロードタイプでいずれも若者ではなかった。50代半ばの彼は高知転勤後に30年ぶりにバイクを買った、数年後に退職して故郷に戻ることを考え土浦ナンバーを取ったそうだ。盛んに「大蔵省」を連発し奥さんの許しを得ていると強調した。それにしても皆若い。羨ましい。

帰りはホテルのロビーで教えて貰った広い産業道路を通った。この道はナビに出てこないので何もない砂漠を走るような感覚になった。山を下る途中、夕立のような強い雨に何度か見舞われた。途中停車した梼原の「町の駅」で聞くとこの辺では毎日雨が降るという。山間部と高温の組合せで発生する上昇気流の気象現象なのだろう。

田舎の独居老人としては三世代の日帰り旅行は楽しみでもあるが、70過ぎた身で運転手役をやり家族の世話役をやるのはいささか疲れた。特に悪戯盛りの7才と3歳の孫と付き合うのは私には至難の業だ。夫々の家族にはやり方があるのは分かっているが、私の目には躾が出来ていないように見えた。

彼等と少し離れていないと余計な口出してしまう。私自身が田舎で身勝手に暮らしているのも原因と自制する位の理性は残っている。昨夕は私だけ先に戻り実家で食事をし、小一時間たって外食した息子家族を迎えに行った。その間に洗濯物を取り入れ、母の新盆の灯始めの準備をした。ルーチンワークをすると落ち着く。

今朝は息子が家族を連れて川遊びに行った。息子なりの気遣いをしているのかも。午後は和尚が来てお経をあげて貰い灯始めが始まる。これで一応目的を果たすことになる。なんだかんだ言って昨日の四国カルスト旅行は楽しく記憶に残るものだった。機会があれば他の家族も連れて行ってやりたい。■
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内閣支持率急落を解釈

2017-07-25 21:44:35 | ニュース

安倍内閣支持率急落
このところマスコミ各社は安倍内閣支持率の急落を連日伝えている。内閣が支持率を下げ始めると毎週どこかが世論調査をし、不祥事の原因を推測・追及する野党とマスコミ報道が両輪となって追い詰めていく構図が出来た印象がある。安倍政権の閣僚達の不適切な発言の連発を聞くと私も支持率低下は当然と思う時もある。同時に政策の妥当性を議論せず、政策の決め方の善悪のみ議論する状況に違和感がある。

以前からマスコミの世論調査結果のバラツキが気になっていた。それは統計学的なバラツキでなく、特定のテーマによって会社特有の傾向が出る問題だ。私はバラツキの傾向をマスコミに特有の偏向もしくは操作と感じ、長期的にマスコミが信頼を損なうことになると懸念していた。個人的なことを言うと、判断基準がお金でイデオロギー抜きと思われる日本経済新聞を私が読み始めた理由の一つだ。勿論、私もお金が最優先だが。

異なる世論調査方式
その日経が今日の朝刊で面白い記事を載せていた。内閣支持率がマスコミ各社で何故違うのか分析したものだ。記事によると各社の世論調査結果は四捨五入すると以下の通りである。全体としてバラツキはあるが前回より10%前後急落しており、少なくとも安倍内閣はここに来て大幅に支持を失ったと読み取れる。

メディア   日経  朝日   読売  毎日  NHK  NNN  ANN  産経
支持率(%) 39-52 33-47  36-52 26-56 35-48  32-49 29-55 35-56

その上で私が興味を持ったのは、聞き方次第で数字はかなり変わると世論調査した当の日経が認めていることだ。日経は質問を繰り返すことにより支持・不支持の数字が朝日より大きくなる、毎日は第3の選択肢「関心がない」を加えている、時事通信社は今も面談で調査している、等などで結果に差が出て来るという。面白い。しかし、米大統領選で表面化した予測精度の問題について悩んでいる様子がないのは不思議だ。

今も昔も世界は世論に歪められている
ここまで懇々と能書きを垂れたが、一方でそれが何だという気持ちがある。というのは世論自体が善じゃない場合がある、間違っている場合もある。目先のことに反応した世論が国の重要な舵取りを誤らせ深刻な結果をもたらした歴史がある。今も現実に起こっている。英国ではEU離脱について異なった判断を求め右往左往している。米国ではとんでもない大統領を選び世界に衝撃を与え続けている。

日本でも80年前に軍部が戦争にのめりこんでいったのは国民の強い後押しがあったからだ。現代ではそれに懲りて今度は世界の若者の血を流しても自らは手を汚さない、一国平和主義が強い支持を受けている。政治家たるもの世論の支持がなくとも粘り強く信念を貫き、後世から正しかったと評価されるのは容易ではない。

目先重視世論と選挙重視政治
今回の内閣支持率急落は森友学園や加計学園騒動を反映してのことなのは間違いない。だが、私は北朝鮮核武装などへの安全保障対策、少子高齢化と社会保障、労働生産性改革など我々の子孫のために残す政策を危機感を持って取り組むべき重要な問題が他にあると思う。残念だが何も聞こえてこない。

民主主義の下で選挙制度があり国の舵取り役を選ぶシステムの下では、選挙に勝つか負けるかで政治が歪む恐れはある。しかし、選挙に負けても後世の評価に耐える政治判断をした偉大な政治家がいない訳ではない。支持率に一喜一憂しないという決まり文句はそういう政治家の為の言葉だが、安倍内閣にそのような覚悟があるだろうか。私には選挙しか考えてないように思う。それこそ今回問いかけられた最大の問題だ。■
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お前、たつんか?

2017-07-24 18:53:46 | 社会・経済
3日前の先週金曜日猛暑の中、お寺で「新亡打合せ」に出た。その帰りに出会った隣の集落のY さんが放った衝撃の言葉だ。「新亡打合せ」とはこの1年間に家族の誰かが亡くなった遺族が行う仏事の日程や費用負担等々を確認する打合せのことだ。一回忌の法要は終わったが、8月末まで行事が続く。

Y さんは数年前に畑仕事に出かけその帰りに疲れたと道端に座り込み、そのまま亡くなったという「理想の死に方」をした老農夫の息子で私と同年代で仲良くしている。ざっと数えて今年は新亡(この1年亡くなった方)が倍増した。この集落も同じで老人ばかりで若者は出て行き子供は少なく、10年後が心配だと話合った。

この集落だけでなく遠く離れて住む彼の親戚にも40代から50代の独身が沢山いるのだそうだ。状況は変わらない。新婚旅行中に新婦に手も触れず成田離婚した例を上げて、嫁さん候補を紹介する前に必ず「お前、たつんか?」と彼は聞くことにしたという。

そんな馬鹿なと私は言ったが、実際そんな男が増えていると彼は断言した。男と言ったのは彼等はもう若くないからだ。これで「お前、たつんか?」がどういう意味か分かったと思う。分からないのが、聞かなきゃ分からない程そういう男性が増えているという現実だ。婚活とかいう前にそれ基本でしょう?でもそれ聞きにくい。■
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ゴールディロックな一日

2017-07-22 11:11:17 | 日記
月曜日に実家の火災保険の手続きにJAバンク支店に行った。入り口のスライドドアが開かないのでやっと海の日で休みだと気付いた。暑過ぎてボケてる。昨年母が死んで先週連絡が来るまで忘れていた保険の引き継ぎだ。ついてない一日が始まりそうな気分だった。その足で隣町のメガネ屋さんに行った。

そこは冷房の利いた狭い店舗で中年の店主と老人が3人くつろいでいた。そこに4人目の老人が飛び込んできた訳だ。近年メガネが壊れるとそのままにして買い替える前のメガネを使っていた。それが又壊れると更に遡って古いメガネを使うといった具合で、今では80年代頃使っていた大きいレンズの重いメガネを使っている。

フレームもレンズもかなり重く汗をかくと低い鼻からずり落ちそうになるので、壊れたメガネを全部持って行って修理できるならやってくれと頼んだ。店主は一目見てこの2つは直せると言って早速修理を始めた。近年全国展開しているメガネ専門店製の安価なものは全部だめだった。

一つは90年代に台湾出張時に当時安いと評判出作ったもので、後年この店でレンズだけ取り替えて再調整したものだ。もう一つはそれ以前に東京の自宅の近くの個人ショップで作ったものだ。何れも手作り感のあるもので整理箱の多種の部品から選んで修理してくれた。私はその間老人達と話が弾み小一時間で修理は終わった。

お代を聞くと店主は千円だと言うので、それはないだろうと倍の二千円を出すと黙って受け取った。こんなことあるんだ、田舎だからこその経験だ。これで型は古いけど用途に合わせてメガネが3本出来た。これで猛暑で大汗をかいて激しい運動してもメガネが飛ばない。言い値の倍払ったぞ、と気分良く家に戻った。

夕方少し涼しくなって散歩に出かけた頃もまだ気分が良かった。いつもとルートを変えてかつてこの地の穀倉地帯と言われた畑の広がる旧農道を歩いた。まだ暑かった。農作業をやっている人影がなかったが、肱川沿いの三角畑で苗を植えている農婦を見つけた。

私より一回り年上という感じで、「暑いのによくやるね、熱中症に気をつけなきゃ」と声をかけた。聞くと農作物ではなく花の苗で、庭で種から苗を作り畑に植えているという。こんな暑い時によくやるねと言うと、「綺麗な花も良いが育っていく姿を見るのが好き」とのこと。それを聞いて花が大好きだった母を思い出した。

次に出合ったのが背の低いスイカのビニールハウスの片付けをしている中年農婦だった。100m位ありそうな細長いビニールハウスが5列並んでいて、端のハウスのビニールがはがれてスイカが転がっていた。もう商品にならないので捨てるのだという。今年の梅雨時に大雨が降ったが、その後晴天が続いたのがいけなかったという。

梅雨のしとしと雨が無くてスイカが腐ったという。見かけ食べれそうだと言うと、彼女はその見かけの良いスイカを道路に落として食べてみろと言った。今年初めて食べるスイカだ。断る理由はない。割れ目に手を入れてこじ開けると確かに身が白っぽくてぬるぬるしていた。マズイ。彼女が勧めた中心部の赤っぽい所はまだましだった。

彼女は「今日は手伝いに来た。ビニールを取り外しスイカは全て廃棄し肥料にする、大変なのはスイカの下に敷いたビニール(座布団というらしい)の撤去」という。総て手作業だという。そんな話をしていると軽トラが来て2人の農婦が降りて来た。3人でやるのだそうだ。彼女の母親と妹という年格好だ。

そういえば見かけたのは全て中高年の女性ばかり。炎天下でこんな過酷な農作業が出来るのは女性だけということなのか。それとも彼女達は後家さんか。勿論そんなことは聞かなかった。これでは農家に嫁さんが来てくれるのは中々大変だなと思わずにはいられなかった。それでも彼女達は愛想よく感じが良かった。■
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朝日新聞が「主張ファースト」から「事実ファースト」へ

2017-07-19 15:20:00 | ニュース
所沢市の小学校の教諭が4年の男子児童に「窓から飛び降りなさい」「明日から来るな」と言い放ち、母親が学校に相談して問題が発覚したと報じられた。教諭は謝罪し所沢市教委は「誠に遺憾、再発防止に努める」としたようだ。このニュースを聞いた瞬間私は「信じられない、何て酷い先生」だと思った。

一方で、私は先生は突然悪口雑言を吐いたわけではあるまい、こうなるには児童との間にそれなりのやり取りがあったと推測した。マスコミは教諭や学校の問題に集中し子供の問題は全く触れない。全体像が見えないまま片方の責任を問うのは無責任だ。先生や学校当局だけを非難して本当の対応など出来ないと私は思う。

今迄この手の事件で教育の問題は指摘されても、子供や家庭の問題を深堀されたことはない。それでは同じ問題が今後も続き、むしろ増加する恐れすらある様に憂慮する。報じられないので真実は分からないのだが、もう一方側に問題があっても放置され改善されないまま再発する可能性があるからだ。

現代はマスコミに代わる代替手段がある。子供側にも非があると思う内情を知る人達が週刊誌やネット経由で、経緯を暴露し却って問題を大きくする場合すらある。マスコミが意図的に重要な片側の事実を報じない(或いは疑いのある)ニュースを見た時に、重要なピースが欠け落ちているという違和感が生じるだろう。

マスコミが自己主張したい事件の場合、主張に都合の悪い事実を報じない時がある。私にとって違和感があるのは「リベラル」といわれる朝日新聞や毎日新聞だ。私はマスコミが主張するのは寧ろ好ましいと思う。だが、系列のテレビニュースが自社の主張に矛盾する事実を黙殺する姿勢は強い違和感がある。まともなマスコミを目指すなら、相反する考えの識者を登場させ議論させるCNNとかPBN程度のことはやるべきだ。

最近の流行りの言葉でいうとマスコミ各社はあるテーマになると、特定の力が働いて「主張ファースト」になる。主張ファーストの度が過ぎて「事実つまみ食い捻じ曲げ」報道になっていると感じる時があるのだ。マスコミ報道には絶対にあってはならないことと常々思っていた。

長々と能書きをたれたが、最近の朝日新聞に自社の主張を越えて「事実ファースト」と感じられる記事を見つけ新鮮な驚きを覚えた。小さなことだがそれが朝日新聞の価値を高めたという本記事のテーマだ。

それは都知事選で「安倍やめろ」コールに対して、「こんな人達に負けるわけにはいかない」と感情的に言い返した安倍首相をマスコミ各社は非難し都議選惨敗の一因になったと報じられた件だ。あれっと思ったのは朝日新聞の記事を読んだ訳ではない。登録すればヘッドラインと要約を伝えてくれるメールによると、首相の問題発言を誘発した人達が発した言葉を取り上げて批判したことだ。

テレビは(意図的に)前後を省略して問題発言だけ切り取って報じた。選挙が終わった後でタイムリーではなかったが私はこの見出しを見て、直感的に朝日新聞社内にも主流ではなくともメディアの良心があったと思いホッとした。この手の前後無視報道はしょっちゅう見かけ、主張に沿った専門家の声のみ紹介する。それでは本筋を離れミスリードすると私は思っていたからだ。

いい例が沖縄の基地反対デモに対応した警察官の「土人」発言だ。その前に反対派の人達が聞くに堪えない言葉で挑発したことは大新聞は殆ど報じなかった。公の立場にある警察官の発言が問題視され責任を追及されるのは当然だが、挑発したデモ隊の言葉もまた取り上げられその是非について対で報じられるべきだった。今では新聞に代わりデモ隊の多くが本土から動員された人達の悪口雑言が週刊誌やネットで報じられ暴言のきっかけが分かっている。

子供やデモの不適切な言葉や行動を咎めず放置する風潮は良い事ではないと私は考える。それはそれでキチンと批評されるべきだと思う。放置するといつか社会を壊してしまうことを私は恐れる。私は期待を込めて朝日新聞の小さな見直しに希望を見た。朝日新聞の主張には同意しなくとも、報じるニュースは信頼できるのならお金を払って購読する価値がある。今後も継続してウォッチしていく。■
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