かぶれの世界(新)

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矛盾な人

2024-09-28 19:03:38 | 日記・エッセイ・コラム
それは私のことだ。私は「天邪鬼男」と常々自称しているが、加えて私は矛盾した日々を送っている。特にこのところ実感するのは自分の好き嫌いの思いが酷く、結果的に発想や行動が矛盾している事だ。昨日実施された自民党の総裁選で、私は石破氏の風貌や喋り方が好みでないので、総裁選に負けて欲しいと思ってた。根拠のない考え方だ。

マスコミの報じ方に問題があると私は言い訳したいが、少なくとも彼の政策を調べれば分かることだ。必ずしも嫌う程の事はなかったかも知れないと思う。マスコミ報道に偏向している例は沢山あると思うが、振り返ると石破氏については比較的公平な報道をしていたと思う。彼が日本の首相に就任して一体どんな外交を進めるのか私は心配する。

11月には米大統領選があり、昨日の総裁選以上にその結果がどうなるか気にかかる。日本のトップが石破氏に決まったので組み合わせは米国がどうなるかに絞られた。石破氏はかつて日米安保に必ずしも前向きでなかったとの記憶がある。だが、今のところ岸田首相の考えに従うようだ。これまで岸田首相が米国トップと作り上げた日米安保システムを、石破氏がどう維持していくか

私は自分自身も家族や友人からも「やりすぎ男」、「無理するな」と言われても言うことを聞かないでやり過ぎると何度も投稿した。近年まではバドミントン、最近では山歩きにジョギングやサイクリングに熱中している。偽痛風でバドミントンが出来なくなり、一人でやる運動に集中してる。

4日前の水曜日には今月初めに挑戦し途中で諦めた高山サイクリングを再挑戦し、頂上ではないが山腹道を走り切った。そして今日は今年初めにトライし諦めた冨士山を遂に自転車で登り切った。一度トライして失敗すると、私はそのままにしておけない正確なのだ。失敗して放置出来ない、私にはそれを矛盾してるかもと感じ、人はそれをやり過ぎという。

正直言うと私がハードな運動をする動機は、運動をした翌日血圧が下がるからだ。掛かり付け医によると、運動をすると副交感神経が機能して血圧が下がるのだそうだ。経験ではハードな運動でないと翌日の血圧は下がらない。その事情は誰にも話したことなく、他人には単純に私の運動好きの様に見えるはずだ。私の考えを述べる時に私の理屈は矛盾してるように聞こえるはずだ。

毎週通っている歯科医に昨日治療を受けた時、終わった時先生に「今日の治療はちょっと攻めた」と言われた。治療中は我慢できないほど痛くて、何度も顔をしかめて「痛い」と叫びそうになったが、私は必至で笑顔を作って最後にお礼を言った。これが矛盾した行為だとは思いたくないが、又同じことは絶対にしたくないと思った。これでもって私が矛盾な人だとは思いたくない。■
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高山越えたぞ!

2024-09-26 19:57:20 | スポーツ
市内の何処からでも見える標高600m弱の高山に自転車で乗り越えようと挑戦して失敗したと、今月初め投稿した記事「田舎暮らし雑感2024(14)」で報告した。2/3程度の中腹まで行って体力が尽きて悔しかった、11月に東京に戻るまで何度でも再挑戦すると宣言した。

そして昨日の朝に再挑戦して高山を乗り越えた。天気予報で朝方の気温が23度と低いの確認して、朝食後に急いで準備して9時前に出発した。手元に用意したのはエネルギー・ゼリーとスポーツドリンク、万が一の場合のお金を少しだけ。五郎駅から肱川沿いの道を上流に向かった。

登口は先日とは同じ久米だが気温が少し低い分だけ最初は激坂も楽に感じた。だが、前回ギブアップした坂と同じ場所まで来て苦しくなり休みたくなった。丁度その辺が日光の「いろは坂」みたいなUターンが続いたが、そこをクリアしたら坂が緩やかになった。諦めなくてよかった。

その後は急な坂と緩やかな坂の繰り返しで、楽な気分になって無理しないでゆっくり登りながら少しずつ高度をあげて行った。後から分かったことだが、私が上った道は高山の頂上は通らない「櫛生大洲線」で交通量は少ないが県道240号線の一部で何度も運搬車とすれ違った。

頂上の農園に繋がる細い分かれ道を3本通り過ぎると、峠を越え240号線は下り道になった。丁度その時、山腹に結構な数の家々が続く集落が現れた。が、人影は見えなかった。私はこんな山間部の風景が大好きだが、ここで停まる訳にはいかなかった。まだ相当な標高の山の中だった。

それから、かなりの距離の下り坂を走ると出石寺に繋がる248号線と合流した。それから先は普通に農家や寂れた商店・廃校などが道に沿って並んでいた。通りすがりの人に聞くと上須戒(この地の普通の集落だ)だった。そこから先は248号線の緩やかな下り坂を走り八多喜に出て、肱川沿いに上って走り実家に戻った。楽しいサイクリングだった。■
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田舎暮らし雑感2024(16)

2024-09-25 19:53:01 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午前中にショートステイ(短期間施設)に行き、滞在中の義姉に面会した。家内に頼まれ3日前に施設を訪問した時は、地図で調べた位置情報が曖昧で暗闇を歩いて足を挫いてしまった。足の具合が良くなった昨日は問題なく施設に行き無事彼女に会うことが出来た。

事務所の前のソファーで待っていると、聞き覚えのある彼女の声が聞こえて来て久し振りに出会った。84歳になったというが彼女の声は聞いただけで若々しく、容貌も一目見て驚くほどに若かった。後で家内に写真を送って報告したが、義姉は何度か医者の治療を受け不安を感じてたようだ。

私はリハビリ施設から介護施設にいた頃の母の顔を思い出し、その頃の母に比べて義姉は若々しく見え少々安心した。それでも母は90歳まで生きた。ソファーの前で私と義姉の一緒の写真を撮ると私の方がよほど老人のように見えガッカリした。悪い情報を家内に伝えなくて済み助かったが、私の老け顔を見ると微妙な気持ちになった。写真を送付した家族は何も言わなかったが・・・

昨日から翌日にかけて突然の様に気温が下がり、昨夜ベッドに就いた時の夏布団に肌着で震え、深夜に起きて肌着にパジャマを重ね着した。それでも朝方は寒くて震えて毛布を取り出し重ねてやっと眠れた。7時頃に目が覚めると隣の書斎の気温は21.8度まで下がり驚いた。

日曜の朝は27.3度から月曜は23.8度に下がった時も驚いたが、夏布団と窓を閉め切って何とかなった。家内に義姉との面会を報告した時に、合わせて急激な温度低下を説明した。すると、家内によると東京郊外の朝は17度まで下がったそうで対応に大変だったと聞いてびっくりした。

今朝の書斎の室温は23.8度まで戻っていた。それならそれで昨日の寒さに合わせてパジャマや布団の温度調整が私にはピッタリ来なかった。後期高齢者になると周りの温度と体調をピッタリ合わせるのはホントに難しい。今日の午後は夏の暑さが戻って来て驚かされた。

今日の朝食後に気温低下を見込んでサイクリングに出かけると、何時もならシラサギの大群を見かける肱川沿いの林の様子が変だった。濃い緑の木に白い羽のサギが1羽も見かけなかった。彼等も急な寒さで自分たちが渡り鳥だと思い出したのだろうか。先週投稿した記事に反発したのか「渡り鳥が渡った!」■
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水産物は中国に頼るな

2024-09-23 21:13:11 | 社会・経済
中国政府による日本産水産物の禁輸措置を段階的に緩和すると先週土曜日に報じられた。このニュースに対する東北と北海道の地元漁協の反応が微妙に違っていると感じて気になった。日本政府のIAEAの枠組みに基づく処理水を中国が認めなかった為、水産業界が打撃を受けた問題だ。

私は「中国とはそんな国だ、漁協は政府の処理水の海洋放出を風評被害を招くと騒いで補償を求めるより、中国以外の国とのビジネスを増やすべき」と主張した。日本の漁業が中国に依存する関係になってしまうと、中国政府は必ずそれを梃子にして政治的圧力をかけてくる。

中国が現今の国際情勢を判断して輸入再開の札を切ったとしても、国際情勢が変わればまた水産物輸入規制と同じような圧力を掛けてくる。中国がスリランカに投資して返せないと債務の罠にかけた悪質な例がある。漁協はこれを教訓にすべきで、徹底して「脱・中国依存」を追求すべきだと思う。

マスコミ報道は政府に助けてくれという地元漁協の声ばかり報じる。だが、北海道など地域によっては政府の支援でホタテの加工場や輸出拠点を新設し、米加欧など販売開拓を進めて成果を見せ始めているという。中国と喧嘩する必要はない、だが水産物は中国に頼るビジネス構造から抜け出せと言いたい。■
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つまらなく忙しい1日

2024-09-21 21:11:03 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は後期高齢者の大したことないけど私にはとても忙しい日だった。そんなつまらない事を記事にするなと言われれば、全くその通りだが他に思いつかないので。昨日は朝食中からテレビ放送は大谷選手の活躍を報じていた。又か、と思いながらチャネルを切替えてずっと見た。

9時半ばに歯科医に自転車で出掛ける時には「51-51」になり、テレビ放送は何時もより熱がこもっていた。治療が終わってからも私も熱を冷ますため遠回りして11時過ぎに帰宅したがまだ大谷放送一色だった。と言っても、私が大谷報道にチャンネルを合わせただけだが。

昼食後に午前中がルーチンの起床時の気温体温体重に血圧など体調をパソコンに記録し、次に市場動向をチェックした後テレビを見ながら昼寝した。落ち着いてスマホを見ると家内からLINEで、大洲市内のショートステイ施設に義姉が入所したので様子を見てくれと連絡があった。

聞いたことのない施設名だったがパソコンの地図で調べて、夕方5時頃に自転車で家を出た。地図を確認して国道56号線から2本南側の道路沿いを走ったが、田んぼが続き連絡のあった施設が見つからなかった。2階建ての箱型の集合住宅があり2度も歩いて周回したが事務所が見あたらず日が暮れた。義姉の電話も繋がらなかった。夕食を済ませると電話は受け付けないと聞いていた。

住宅の周りにアチコチ段差があり、うろうろ歩いているうちに暗くなって躓き足を捻ってしまった。そこで道端に施設名の看板に気付き事務所に電話をかけて、私が間違った集合住宅にいたことが分かった。施設はもう一本南側の山沿いにある建物で、パソコンの地図とは異なった。

その建物まで行って確認したが電話で話した担当員はもう帰宅の時間だからと言われ、義姉の様子を確認しただけで彼との面会も含め次の機会になった。ガラス越しに見た食堂は誰もいなかった。ということで、想定外にライトの点いてない自転車で真っ暗な畑道を通り恐る恐る実家に戻った。

家に戻って玄関を歩くと捻った踵付近が痛かった。「アレッ」と思った、大したことないと思ったのが間違っていた。板の間を歩くと痛かったが、歩幅を狭くして歩くと少し楽だった。畳の上は殆ど痛みを感じなかった。今朝起きて階段を下りる時も痛みは変わらなかった。今日も大谷君がホームランを打ち順調に活躍してるが、私はついてなかった。今朝は美人のインタビュアーを見たかった。■
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