かぶれの世界(新)

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雲取山登山の見通し立たず

2023-11-28 18:33:08 | スポーツ
先週金曜日に来春の雲取山登山に備えて脚力強化の第1段階として多摩丘陵を歩いたと投稿した。自宅を出て多摩丘陵を歩き帰宅する迄に、トータルで1.8万歩13キロの距離を歩いた。だが、正直言うと第1段階のトレーニングの結果は、第2段階に進むレベルに至らなかった。

全力で急坂を無理して駆けるように歩くと、すぐに股関節に痛みを感じヘロヘロになった。金曜日は夏日に近い24度まで気温が上昇しその気になって一生懸命に歩いたが、気温の上昇は私の股関節を助けてくれなかった。桜ケ丘から関戸橋を渡る頃は歩くだけで下着が汗だらけになった。

これでは、第2段階の高尾山・陣馬山縦走往復などとてもできない。高齢者になっても何度も高尾陣馬縦走往復した。往復で6万歩30キロの距離だったと記憶している。今回のトレーニング結果では往復は無理、第1.5段階として高尾から陣馬まで歩き下山するのが良いところだろう。

毎日のように大國魂神社や東京競馬場あたりを散歩するのだが、ちっとも足が強くなった気がしない。ケヤキ並木に向かって前方を歩く子連れの若いお母さんや老人に追いつけないのだ。頑張って歩くといつも股関節辺りに痛みが出て、悔しいけどスローダウンしてしまう。

奥多摩辺りのクマ被害についてネットやテレビ等で得た情報では、目撃情報は沢山あるが人的被害はなさそうなのですっかりその気になっていた。冬眠前の食料不足がクマ被害の原因だという。春になればクマ被害は無くなると期待している。それまでに何とか脚力を鍛えたい。■
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東京郊外の生活2023-24(2)

2023-11-27 11:05:07 | 日記・エッセイ・コラム
先週木曜日に散歩を兼ねて繁華街に向かうと、ケヤキ並木はホコ天で車道にはあちこちにテントが張られ凄い人出だった。勤労感謝の日だと思い出したが、普通の休日には見られない騒々しい催し物が道路道一杯に広がり、いつもの様に歩道を歩くしかなかった。

大國魂神社の鳥居前でテレビで見た「ダンス甲子園」のような娘達のダンスが繰り広げられていた。見学中の中年婦人によると地元農高のダンス部の生徒だという。ケヤキ並木の人の流れをテントでせき止めた人だかりのダンス会場みたいだが、勿論誰も文句を言わず見とれてた。

旧甲州街道の交差点を越えるとケヤキ並木は参道に変わる。参道を通ると東京オリンピックの自転車競技のルートだったことを思い出す。だが、この日の参道の両側は出店と人で一杯で身動き取れないくらい人出だった。こんな人出はコロナ前の正月みたいだと思った。

50年以上も住んでいるのにこの日が「11月の酉の日に行われる大鷲神社の祭礼」(ネットの説明)だとは知らなかった。酉の市が出て七五三のお祝いをする日くらいにしか思ってなかった。恥ずかしながらいまだにこの漢字をどう読むのか分からない。

何れにしても久し振りの神社周辺の賑わいは懐かしくもあり気持ち良く感じた。この祭礼はたった1日で終わった様だ。翌日出掛けるとケヤキ並木も参道にも人出が減り、参道の出店も半数くらいになって少々寂しくなった。だが、この賑わいは終わってなかった。

日曜日の昼食前に今度は少し距離を延ばして甲州街道から新小金井街道を南下すると、神社の南側の東京競馬場周りから普段より多い数の警備が見かけられた。最初は普段の競馬が催行されると思ったが、西門に続く陸橋の階段を登ると競馬場に向かう人達の大群にぶつかった。

陸橋は府中本町駅の改札口からそのまま競馬場まで続き、陸橋の窓から見える駅のプラットフォームにはまだ沢山の人が列を作っていた。その頃になって日曜日は海外の馬も参加する重賞レース「ジャパンカップ」で、これまたコロナ後の凄い人出になったのだと分かった。

この時期は人出を避けて競馬場周りを散歩することはなかったのだが、コロナは私の習慣を変えてしまったようだ。私には幼い子連れの若い夫婦とかベビーカーを押す母親の姿が目立った。確かに競馬場内の公園は広く子供を遊ばせるスペースは十分あるが、競馬場に幼子を連れて行くのは気が退ける。

私が若い頃は重賞レースのある休日でも近くにある事務所で仕事をし、賭け事が好きな先輩は競馬場に同僚を行かせ電話連絡しながら馬券を買っていた。そんなことをしながらコンピューターの開発をしていた頃を思い出した。多分、今はそんな仕事の仕方はないだろう。

何故か突然、有馬記念で9歳馬のスピードシンボリが奇跡的な優勝をしたのを思い出した。数万人の競馬ファンの凄い人並を逆方向に歩くのは懐かしくて決して厭ではなかった。旧甲州街道に出ると登り車道のみ長い車列が続いていた。我が町に賑わいが戻って来た。■
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「新し物好き」が「新し物嫌い」に

2023-11-25 20:58:42 | デジタル・インターネット
夏日に近い暖かさにひかれて一昨日の午後、是政橋を渡り南多摩から川崎街道を北上し若葉台を経て桜丘まで多摩丘陵を歩いた。来春に子供や孫達と雲取山登山を提案した。先ず多摩丘陵を歩き次に高尾陣馬縦走して自分の脚力を見極め、最後に雲取山に登って田舎に行く積りだった。

府中街道の是政橋の手前にあるコンビニでスポーツ飲料を買った。支払いをする時に、田舎に長男が顔を見せ買物に全く現金を使わなかったのを思い出した。お店の女の子に聞くと最近は現金払いのお客は殆どいないと聞きショックを受けた。息子が違う国の人のように見えた。

若い頃から「新し物好き」を自称し、仕事に新しい設計手法を取り入れ上司を困らせたりした。退職後もマイナンバー導入より前の住基ネットを使ってディジタル化し確定申告した。マイナンバーの登録も先頭を切って対応したが、医療保険や免許証に一向に利用されないのにイライラした。

ところが、高齢者になった10年前頃からパソコン等を使って生活のディジタル化を進めるのを躊躇うようになった。実際、スマホによる家族間連絡とかSUICAカードを使ったチケットレス化とかは、全て子供達にプレゼントされて利用するようになった。

マイクロソフトのアプリ「MONEY」を使って家計と投資を一括管理し始めて以来、生活のディジタル化に酷く保守的になった。最初の頃MONAYはとても便利だったが、その後マイクロソフトがサポートを止めて無償の民間サービスになり、銀行や金融市場のシステム変更にMONAYを無理やり適用させ今日に至る。

使い続ける理由は20年近く利用して来て蓄積したデータを何とか活用したいからだ。その後新しい多様で便利なアプリがどんどん出て来たが、私は一切利用せずパソコンのアップグレードもしなかった。マイクロソフトOSのアップグレードに対応する為に息子の力を借りて新しいパソコンを買ったのが唯一の大きな変更だった。その間に私は全てに保守的になってしまった。

今回帰京後に某銀行の口座にアクセスすると、本人確認の為にスマホ経由の暗証のやり取りを求められた。何度やっても上手く行かず、ついにHP指定の電話に連絡し操作を誘導して貰う羽目になった。女性の声で優しく教えて貰うと何故か上手く行った。今も何故そうだったのか分からない。

最近、オンラインで騙される詐欺被害が激増している。ITスタッフを抱える大企業でさえ防御システムが破られる被害が多発しているので、銀行が本人確認して顧客を守ろうとするのは理解できる。だが、その為に私のような後期高齢者が操作法に迷う事態も情けないが深刻だと思う。

今も不思議なのは米国にいた時、確定申告や免許証とか年金の処理が難しいと思ったことは一度もなかった。専門家に助けて貰った為か、何故そうなのか日米制度の違いがあるはずだが、私には良く分からない。だが、今でも問題なく年金を受けている。

昨日は7度目のコロナワクチン接種のオンライン申し込みをしようとして上手く行かず、市役所の担当に電話連絡して助けて貰った。結局のところ電話に助けて貰う羽目になった。この程度のオンライン申請すらちゃんとできなかった。我ながら情けない。私の印象では対応してくれた女性の慣れた扱いから、そういう高齢者が沢山いるのではないかと思った。

だと言ってもやはり生活のディジタル化は便利なはずだ。私のような「新し物嫌い」では後期高齢者は若者に迷惑をかけっ放しになってしまう。昔に戻って「新し物好き」になる様高齢者は努めねばと思う。最低限でもディジタル化生活の中で過ごしていく必要がある。■
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東京郊外の生活2023-24(1)

2023-11-22 18:31:49 | 日記・エッセイ・コラム
2日前の月曜日午後のフライトで四国松山から羽田に飛び東京郊外の自宅に戻った。空港は松山羽田ともコロナ以前の賑わいを見せていた。機内の空席は1-2割程度だった。フライトは直前になって機種変更し古い機種になった。多分客数が増えてやり繰りをした結果だと思う。

離陸時間が20分弱遅れたが羽田着は10分足らずの4時過ぎだったので、帰宅時間はほぼ予定通り6時過ぎに戻った。羽田空港と電車乗り換えの川崎駅ではそれ程寒さを感じなかった。電車の隣席に座った婦人がスマホでブラックフライデー割引40%の英文広告を見ていた。東京に戻ったのだなーと実感した。遠慮せず声掛けして「売り」は何か聞いたりして、私の悪い癖が出た。

自宅では家内が丁度夕食の準備中で、荷物を整理すると直ぐに夕食が始まった。サラダ・鮭・肉じゃがというヘンテコな組み合わせだがとても美味しかった。特に肉じゃがが美味しかった。家内はたまさか高級な肉を安価に買えたので美味しかったのではと言う。いつもはグラス1杯のお酒のところを3杯頂き、良い気分になって10時前に就寝した。

実家が農家の造りで室温が外気より5度高い程度と投稿したが、自宅はこの3日間エアコン無しで室温は17‐8度だった。田舎の暮らしに慣れた身体の私には寒さをそれほど感じることなく快適だった。帰宅後の初日は快適で、頻尿の私だが夜中に一度トイレに行っただけだった。

だが、よく眠れたはずなのに帰宅翌日も身体のだるさが続き、東京郊外の生活を楽しんで積極的に準備する気にならなかった。寝室は私のベッドと小型のタンスに子供から譲り受けた机で目一杯だ。一度も捨てなかったサラリーマン時代の衣類から登山やバドミントン等のスポーツ用品に加え子供達がくれた「お下がり」で増えた衣類で一杯、どこに何があるか帰京後の整理が大変だ。

整理をやる気にならず取り敢えず昨日はお気に入りの安売りスーパー「オーケー」まで買い物はせず、散歩を兼ねて往復約5キロを歩いた。気分転換になり体のだるさが少しでも無くす狙いだ。帰宅途中で偶然向かいのおバーさんと息子に出会い声をかけた。

彼女は85歳だというが元気で、平日は息子の働く介護施設に行き一緒に帰宅するところだった。しっかり歩けているようで安心した。母が「歩けなくなると終わり」とよく言ってたのを持ち出し、彼女がしっかり歩けてると褒めた。田舎の同じ年代のお百姓はもっと元気だと内心思ったが。

東京郊外の生活2日目の昨夜はアルコールが足りなかった(?)せいか3度トイレに立った。今朝起床時に気温が低いと感じたが、温度計を見ると初日より気温が高かった。だが、体がどう感じるかは別の話なのか、田舎の生活に戻った感じがする。今日は息子は在宅勤務、明日は休日なので今週はずっと在宅だ。一方、家内は夜勤で今夜はいなくなる。これが私の東京郊外の生活だ。■
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帰京前のドタバタ

2023-11-19 15:11:06 | 日記・エッセイ・コラム
昨日朝ドラを見た後庭に出て空を見上げると青空が垣間見え、急に思いついて洗濯をした。日曜日の帰京を前にして出来るだけ洗濯物を残したくなかった。起きる前に雨音が聞こえ天気予報も芳しくなかったので諦めていたが、青空が見えれば何とかなると楽観的になった。

9時前に洗濯を終えて庭に出ると雲の動きが異常に早く風が強かった。と、間もなく大きな音を立ててアラレが降り始めた。南側の空は青空が見えたが、振り返って北側の裏山には黒い雲がモリモリ噴き出していた。天気予報では北から寒気団が南下し日本海側から瀬戸内は雨の予報だったので驚きはなかったが、やっぱりという気持ちだった。

しかし、天気予報では雨は降っても一時的なもので、雨と晴れマークが交互に続き午後はずっと晴れだった。各地に強風が吹き長浜は風速28mの強風と報じられた。取り敢えず予報を信じて軒下に竿を動かして洗濯物を干した。予報通り9時半頃にはアラレはあがったが強風は午前中続いた。

その後は一々お天気の変化を気にせず帰京の準備をした。持ち帰るものが今迄より少なく、宅急便の代わりにショルダーバッグとリュックだけで済ませることにした。現実は、4月に帰京した時は宅急便で送ったが、よくよく考えると4月の儀痛風以来バドミントンをやれなくなったからだ。

バドミントンを始めハードな運動の為のユニフォームや道具類は東京に持ち帰る必要なくなった。自然と劣化した体力に合ったもののみ箱に入れていたと後から気付いた。少し寂しいが現実に合わせて荷造りをした。するとクローゼットの奥の方に予想しなかったものが出てきた。

最早着ることはないだろう紳士服類は今や置いておくだけで想定内だが、折角買って貰った衣類を大事にしてしまい込んで着ないと非難されそうな性格の衣類が結構あった。想定外はどこにでも収納出来る小物で、未使用のマスクがあちこちから出てきたのと女物の下着が出てきてニヤッとした。

夕方に気分転換でいつものように散歩に出ようとして、郵便の転居届を出してないことに気づいた。最早手遅れだったが、慌てて玄関から2階の書斎に戻りパソコンを開いて手続きをした。毎年のように操作法が微妙に変わり、かつて気にならなかった変更が最近はとても大変だ。

ネット上では手続きに1週間はかかると表記されていたので、その後郵便局に電話して相談した。地域の郵便局は土曜日は閉まっていたが、幸い市の中央郵便局は電話に出てくれ事情を話して対応してくれた。私の名前・新旧住所と連絡先を伝えまとめて転送してくれるという。とても親切に対応してくれ感謝した。

多分これで直前の火の元と戸締りをすれば、帰京の準備は全て終わりだと思うがバタバタが続いたので不安が残る。来年帰郷できるか心配だ。田舎でも実家や農地の管理などやらねばならないことは沢山ある。帰らねばならないのだ。先月長男が顔を見せてくれたのは万が一のことを考えると良かった。仮に来年も帰郷できたとしてもその先は不明だ。■
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