かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感08夏(3)

2008-07-31 23:31:29 | 日記・エッセイ・コラム

真夏日が続く

相変わらず暑い日が続いている。北陸や東日本で集中豪雨や鉄砲水の被害が報じられても、四国は真夏日が続く。実家は山裾の谷間にあるので朝10時過ぎまで日が当たらず涼しい。その間に東屋で朝食をとり、新聞を読む。

だがその後はじりじりと気温が上がり、日中はエアコン無しでは過ごせない日が続く。通り雨すら降らず何処もかしこも焼け付いたように暑い。夕立はこないし、この時期なら珍しくない遠雷すら全く聞こえない。このままなら、8月には西日本のどこかで水不足が報じられるだろう。

本邦初体験!

なるべく車に乗らないようにしていたが、終にガソリンがなくなった。街道沿いを走りながら単価の安いスタンドをチェックしてレギュラー181円のところを見つけた。車を給油機に着けても誰も出てこずセルフだと気が付いた。米国では経験があるが、日本では初めてのことだ。

実家に戻ってチェックすると前回給油は先月の25日だった。距離計をチェックするとリッター14km以上走っていた。東京から四国まで高速道路を走った時12.5km前後だった。このコンパクトカー(デミオ・スポーツ)は高速道路走行より、信号の少ない田舎道を中速走行する方が燃費効率が良いらしい。

薬害(?)に平謝り

先週山沿いの畑に除草剤を散布している時、前の組長さんが道路を挟んで向かい側の田んぼの畔道で私に向かって叫んでいる。他所の畑に除草剤が飛ばされないよう気を付けろと言っているのだろうと思って、手を振って仕事を済まし家に戻り器具の清掃・整理を始めた。

清掃が終らないうちにその前組長さんが原付ですっ飛んで来て、先に撒いた除草剤で彼の田んぼの稲が枯れているから直ぐ見に来いと怒りを抑えた声で私に言った。直ぐに彼の後に付いて行くと、前に除草剤を散布した畑に隣接した田んぼの稲が2箇所黄色くなっていた。私の不注意に違いない。申し訳ない、今後二度と繰り返しませんと平謝りするしかなかった。難しい。

投資は報われた

5年前退職金の半分を使って、昔は養蚕に使われていた実家の2階を改築し、長期滞在できる寝室と書斎や客室にした。1階の居間と台所にはインターネット・カメラを設置した。5月になりカメラで見る母の様子がそれまでと微妙に違う気がして、急遽中古車を買って6月に田舎に行くことにした。

結果は「私的・後期高齢者」に書いたように母はその頃からインシュリン注射を放棄し、血糖値が危険領域に上昇していた。昨年迄のように1ヶ月後の7月に帰郷していたら母がどうなっていたか分からない。この1ヶ月の差が母の寿命を延ばした。今真夏日が続いてもエアコンの聞いた部屋で長期滞在しメールをやり取りしネット検索できる。そう思えば、この投資は報われたと思う。■

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富の移転とパワーシフト(補足)

2008-07-27 11:21:29 | 社会・経済

6月末に本テーマでアップした記事では、マクロで見ると日本はそれほど原油価格高騰のインパクトを受けないという印象を与えたかもしれない。その内容は「原油価格がバレル140ドルのまま推移すると1年間で200兆円の所得移転が起こり、そのうち日本から1割強の24兆円が産油国に向かう」と言うものだった。

この記事は全体像を描いていなかった。今起こっていることは石油だけでなく鉱産物から農産物まで全ての資源価格高騰による富の移転が起こっているという絵を描くべきだった。具体的には16日に英HBSC銀行が発表した原油高に伴う経済損失試算が分かり易い。(日経BP7/16)

それによると、資源価格で最も多額の経済損失を被るのは米国、日本と中国がこれに続くと言う。原材料や食料の輸入比率の大きい国ほど負担が大きい、今後日本は厳しい状況に置かれるだろうと予測している。

原油高の影響は今月10日財務省が発表した「5月の国際収支が前年同月比5.9%減の2.6兆円となり、3ヶ月連続で前年比割れ」という形で現れた。その内訳はやや混み入っている。近年経常黒字は大きく伸びていた。貿易黒字の伸びが頭打ちになる中で、海外に投資した収益が急速に伸び、全体として経常黒字が大きく伸びていたからだ。

実際、我国の経常黒字は02年の13兆円が、07年には25兆円弱にまで急伸した。今回の経常収支3ヶ月連続前年割れは放置できない大きな潮の目となるかもしれない。資源価格高騰が主犯、稼ぎ頭の海外試算収益率の低下が陰に隠れた共犯として、注目していくべきだろう。■

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暴論・ネチズンよ立ち上がれ

2008-07-26 17:30:46 | 社会・経済

今回は日本のネット事情と高齢者問題を結び付けて暴論を吐きます。不愉快に思われる方には最初からお詫びします。

マケインはネット文盲!?

暫く前から共和党大統領候補のマケイン氏がインターネットを使えないことが話題になっていた。まるで化石人間みたいと揶揄された。彼は必要な情報収集ができ、娘のブログを読めるようになりたいと弁解したと報じられた。話題になったのには理由がある。

米国ではインターネットが世論形成の最も影響力あるメインストリーム・メディアとなったからこその話題と思う。今では米国の選挙民が最も参考にする情報源はネットである。日本と違い老人世代も生活に必要な情報をネットから得ていると最近の調査結果が公表されている。ネットは仮想ではなく現実生活で極めて実用的な道具になっている。一方、世界最多のブログを誇る日本はややエキセントリックで、その多くは出会い系などに誘引するサイトだと最近報告された。 

前回の民主党大統領候補予備選で、ダークホースのハワード氏がインターネット世界の圧倒的な支持で序盤戦トップに立ち世界を驚かせた。が、不用意な発言で突如失速したのは記憶に新しい。そして今回、オバマ氏はネットを最早当たり前のものとして徹底的に活用した。組織から個人にターゲットを絞った戦略が功を奏し、従来棄権していた若者を投票所に向かわせ、小額の個人献金だけでヒラリーが頼った組織を大きく超える選挙資金を集めた。

東アジアのネチズン事情

だが、インターネットの影響力は国によって一様ではない。近隣の中国の反日運動や韓国の反政府運動ではインターネットを媒介にして一気に過激化し、その加熱ぶりはむしろ論理的・建設的な議論を妨害するマイナス効果があった。少なくとも東アジアでは概して極端に右側に収束する傾向がある。利用する技術は同じでもネチズンが同じように成熟しているわけではない。

私の印象では日本はその中間というところではないだろうか。暴動の引き金の役割も、ネット議論がメインストリームのオピニオン形成に繋がることもなかった。日本的ともいえる多様化と低エネルギーレベル(無関心)というべきか。何故日本のネチズンがメインストリームに影響を与えられないのだろうか。特有の事情で越えられない壁と、それでも乗り越える熱気が無いように感じる。

ネット文盲が支配する国

この話題になると典型的な例として先の長野県知事選を私は思い出す。事前のインターネット世論調査は圧倒的に田中氏優勢だったが、電話調査では村井氏が有利だった。そして選挙結果は電話調査通りになった。その差はサンプリングが高齢者を含むかどうかの差であった。ネット調査では対象にならなかった老人世代の票が決め手になった。

日本の高齢者は600万人、各選挙区に平等に割り振ると2万票になるという。しかも彼等の投票率は非常に高い。彼等が誰を支持するかで選挙結果が左右される。少なくとも政策決定では高齢者は決して弱者ではない、最強の既得権益者なのだ。日本経済新聞(/22)は「小選挙区になり業界組織票の力が落ち、大きな票田が台頭した。高齢者だ。」と説明している。

「票になる高齢者向け政策が優先されている。」と同じ記事は説いている。年金問題や後期高齢者保険問題で政治はこの状況を徹底して認識させられた。自業自得とはいえ厚生官僚は自信を失いバッシングを恐れ、良くも悪くも全く機能しなくなった。しかも、メディアは大局を見失い弱者としての高齢者の部分のみを増幅し、ポピュリズム政治で右往左往し問題先送りを助けている。

立ち上がれネチズン

米国大統領選で次々と若者がキャンペーンに参加し、彼らがトレンドを作る主役になっているのを見ると誠に羨ましい。日米のデモグラフィーの差を調べれば若者人口比が全く違うから影響力も異なる。だが、細るとはいえ日本の若者世代が明確に意思表示し投票率を上げるだけで結果は全く違ったものになると私は思う。

このまま高齢者向け政策ばかり議論させておいて、自らが老いて特権が転がって来るのを若者は待つ積りか。私は地域職業を超えて自らの未来を考える同世代の連帯が、高齢者に媚びた政治やメディアを打破し変えていくのではないかと思う。頭数で不利な世代はネットで連携するしかない、「立ち上がれ、ネチズン」と言いたい。

ご近所のお年寄りに学ぶ

苦労されている高齢者の方には申し訳ないが、私は一老人として同世代や高齢者の皆さんより息子や娘の将来の方が心配だ。限られた原資しかないなら子孫の為に使うべきだ。最近の報道では緊縮予算が続いても歳入が予想を下回った為、プライマリーバランスの回復を11年に達成するのは難しくなったと言う。何といっても予算の1/3を占める社会保障費が重石になっている。

私の知る昔の高齢者は恥を知っていた。年金のない時代でも収入の範囲で暮らし、多いの少ないのと喚かず何とかやりくりし、その中で教育費を優先してくれた。窮状を抗議する高齢者は明日どころか今しか眼中に無いと思われる。だが、ここはグッと歯を食いしばって子孫の為にどうすべきか考えられないか。若者が立ち上がる前にお年寄りはお手本を見せられないのか。

私の記憶する限り、それがかつて尊敬されたご近所のお年寄りの姿だったはずだ。その中から世代間連携が生まれてこないだろうか。勿論、本当に悲惨な生活をされている方への支援は当然だ。社保庁の無責任は許せないし、厚労省の堕落と無能さは放置できるはずもない。

最後に一言、「高齢者よ誇りを持て、子孫の為に何をすべきかわからないほど耄碌して生きる価値があるのか。」(Rチャンドラー風な言い回しであり、決して高齢者は死ねという意味ではありません。為念)■

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私的・後期高齢者(4)

2008-07-25 16:06:04 | 日記・エッセイ・コラム

介護保険適用の認定おりる

先月まだ母が入院中に市役所に申請した介護保険適用が「要介護1」の認定を受けた。22日に市主催の審査会があり、そこで申請書とともに母の訪問調査(インタビュー)結果とかかりつけ医の意見書に基づき審議され、介護保険適用が妥当と判断されたようだ。

「要介護」になるか「要支援」になるかは経済的には天と地ほどの差がある。前回報告したようにヘルパーの見守りの元で血糖値測定及び服薬が必要と主治医の診察結果が出たので、毎日2回のヘルパーの家庭訪問が必要だが、その費用は安価とはいえない。

ヘルパーの単価は一般に時間1500円が相場のようで、仮に1.5時間/日とすると月に約7万円の費用が見込まれていた。しかし、「要介護」の認定を受けると費用の殆どを介護保険でカバーされることになり、ざっと見積もって1万円以下になる見込みだという。

介護サービス計画

介護保険利用が認定されると、私や母が勝手に介護サービスをお願いする訳ではない。判り易く建設業界に例えると、元請(ゼネコン)が介護サービス計画を作り、下請が具体的なサービスを提供、元請はサービス実行を管理する。受益者()は下請に費用を支払い、自治体が元請の費用を負担する。

元請・下請けは居宅介護支援事業者とよばれ、元請の資格を持ったケアマネージャが介護サービス計画を作る。元請・下請けは同一事業者の場合も、今回のように別の場合もある。ケアマネージャは、幸いにも今まで母の自立支援で相談に乗って頂き、事情を承知されているMさんになって頂くことになった。

昨日、Mさんと下請の有償ボランティアの責任者の方に来て頂き、介護保険認定に基づき見直した介護サービス計画書の説明を受け、契約書に合意し無事サインすることが出来た。今更ながら介護サービスがこんなにシステマチックなプロセスで決まるとは予想もしてなかった。

介護トータルコスト

介護保険の認定を受けたお陰で、初めの見積りより大幅に少ない費用で在宅介護を受けることが出来るようになった。その他に365日食事の配達サービスが大物で合わせて年間約60万円になる見込みだ。最初に見積もった「要支援」の最悪ケースから半分以上節約できた。(但し認定は半年後とに見直される。)

ということで、母の老齢基礎年金と父の遺族年金があれば足りるだろうと思った。しかし、今回実家の家計を調査し、意外と母が燃費の高い生活をしていることがわかった。私から見ると過剰な保険に入り、光熱費や通信費が割高のまま、農地転用した土地の固定資産税が高く、他人に依頼した水利権などの田畑の維持費が馬鹿にならない。年寄り向けの怪しげな健康食品などの出費が相当あった。

結論から言うとこれらの無駄な出費を節約したとしても年金では賄えず、今後更に介護レベルが上がっていくことを考えると、先祖には申し訳ないが我が家の預貯金を取り崩していくしかない。棺桶にお金を持って言ってもしょうがないからと母を説得し、銀行から支払いできるよう手続きすることとした。お付き合いだが摩擦の起こる出費削減は今後徐々にやっていく積りだ。

食事管理と歯の治療

今週母を連れて行ったかかりつけ医から、今月初めの3日間血糖値が300以上になった記録を見て、管理が甘いと指摘を受けた。先生は母が何か食べているはずだという、そうかもしれない。母の食欲は相変わらずだし。夕食についている栄養1単位の果物を食前に食べ血糖値が上がったのだけは白状したが、そのほかに何を食べたか不明。

厳しく言うのを聞いてヘルパーは母を気の毒がっていた。私がいなくなるとどうなるかやや心配。だが4-5人の性格の違うヘルパーが入替わり立ち代り来られるのは母にとっては刺激になってよい、と介護サービス事業者には伝えてある。甘い人も厳しい人もいても良いと。

使えなくなった母の入れ歯を直す為に歯医者に連れて行った。今日で二度目だ。母はどうしても行くのなら昔からの歯医者に行きたいと駄々をこねたが、調べた結果評判が芳しくなかった。かかりつけ医の看護婦さんにこっそり聞いた歯医者に行くことにした。一度行くと母は文句を言わなくなった。私の末の息子が初物を嫌がるのは偶然か、それとも隔世で現れる敵DNAのなせる業か。■

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G8サミット総括(補) 評価のネジレ

2008-07-22 15:43:14 | ニュース

7/20の日本経済新聞のG8サミットにおける福田首相を評価する囲み記事「風見鶏」は、日本の主要メディアの典型を見るようで、私には大変興味深いものだったので敢えて一言補足したい。

その趣旨は洞爺湖首脳会議を議長として仕切った福田首相は、専門家の間では概して良い評価を得ていると紹介する一方で、それで支持率が上がらなかったのは福田首相の肉声が聞こえてこない、支持率を上げるためには首相はメモを見るのではなく思いのたけを自分の言葉で語れというものだった。

極端に言うと、内容はともかく海外トップはメモを見ないで喋るから良いと。ある意味ポイントを付いた指摘であると思う。ということは、記者自身も議長役を果たした福田首相を評価していると理解でき、それなら先ずはもっと素直に評価してやったらどうかと思わずにはいられなかった。

囲み記事は続けて、専門家の間で評判が良い例として「サミット研究の権威であるカナダのトロント大学G8リサーチグループは、福田氏の采配ぶりに「A評価・85点」をつけたと紹介している。しかし、併せて国内の各種世論調査では、1/4しか首相の指導力を認めなかったとも伝えた。

だがそうだとしたら、実態と国民の理解の間のギャップを埋める役割を文字通りメディアが果たしても良かったのではないか、と私は思う。もしくは、メディアは事態をきちんと評価する専門家の眼力を持って報じなかったが後から言直すのも嫌だということか? 時間を置いてでも再評価すべきではないだろうか。

確かに問題は大きく、G8で残された課題は山ほどある。だが、状況を正しく認識しその中で最善を追求する現実感を損なわず、「本質は何か、何がなされて何がなされなかったか、なされなかったのは何故・誰が問題だったか、その評価の判断基準は何か」等々、現実(事実)を伝えるのがメディアの役目ではないのか。その中で専門家の視点を国民に伝えることが民度の向上に貢献することにならないか。

私は今回のテーマで合意を得るのが厳しい情勢という認識と予想通りの成り行きを見て、首脳国宣言が出た時から福田さんは良く頑張ったなという印象を持った。だがメインストリームの報道は、共同宣言は具体的な目標設定に失敗し玉虫色になったという基調に終始しそれが国民の低評価につながった。せめてもう少し幅を持った報道で国民に考えさせることは出来なかったか。

そういう見方からの情報を国民に伝えるメディアがせめて日本に1社でもあればと今回思わずにはいられなかった。誤解しないで欲しいのは、私は就任前からずっと福田首相に批判的であり、ヨイショをするつもりは全く無い。だが時折感じるこのギャップは捨て置けない違和感がある。■

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