かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感2022(13)

2022-10-30 15:21:01 | 日記・エッセイ・コラム
この数日いつもの様に朝6時頃に目が覚めベッドから出ると寒さで震える。室温は15度台だ。家の窓から見える風景は朝霧で真っ白だったが、9時頃には霧が晴れ全く雲のない美しい青空になった。となると私の癖で、突然走りたくなり1時間後には家を飛び出し何時ものコースを走った。

体調はそれ程良いとは感じなかった。が、何故か途中すれ違うおば様たちに何度か声をかけられ励まされた。禿げ頭のジーサンが走る姿を見て仲間と思ってくれたようだ。そして何故か最後まで走り続けることが出来た。時計を見ると12キロを82分、最近ではベストの記録だった。

2カ月前に自転車を買って以来、自転車に乗って走る時間だけ自分の足で歩き走る時間が減ったはずだ。トータルの運動時間はあまり変わってないが、身体の関節や筋肉のどこかが変化したのだと思う。その結果、バドミントンの練習では楽勝だったはずのオバサン達にやられてしまう。衰え以外に何か変化があるはずと思った。なので、今日のジョギングの結果は嬉しかった。

今日に限らずこのところ夕方の散歩時に見る夕焼けは美しい。多分1年で一番夕焼けが美しい時だろう。川面にはカルガモの群れが目立つ、渡り鳥が飛び立つ直前の風景だと思う。カラスやトンビは見かけない。その中でポツンと岸辺に真っ白いサギが一匹、ヤケに目立って印象的だ。

2週間余り後に帰京が迫ってくるなか、散歩途中で日向ぼっこする三婆婆(三人のお婆ちゃん)が日々元気がなくなり顔色が悪くなって行くように感じる。果たして来年帰郷した時三人とも健在なのかとても気になる。その中の一人が所有する畑にある柿が実らず今年は戴けなかった。我が家の柿の木も実ったのはたったの二つ。隣の家の庭には柿が実っているというのに。

我が家の水田の管理と庭の手入れをしてくれる人達の健康も気になる。ここに来て私を含めて身の回りの人達の老化を実感するようになった。彼等は来年になっても大丈夫だろうか、生きて会えるだろうか、という不安だ。庭師の窓口をやってるT氏から、当座は庭師の代わりに彼が対応する旨、先ほど連絡があり了解した。取り敢えず今年はそれで手を打つことにした。■
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突然の電話で突然の連絡

2022-10-28 21:51:35 | 日記・エッセイ・コラム
1週間前と似た題名で似たことが起こった。昨日米国での「ぼっちキャンプの思い出」の投稿の準備をしている時、突然電話のベルが鳴りT氏から連絡があった。帰京前に庭の手入れをお願いしていた庭師が脳溢血で倒れた、「庭師不在でどうしようか、草刈りだけでもやりましょうか」という提案だった。

まだ、病状がどうなのか分からないので様子を見て数日内にどうするか決めよう、ということで一旦電話を切った。T氏は床屋を経営しており副業で京都で修業を積んだという庭師の窓口と助手をやっていた。彼は取り敢えず予定日に庭の草取りだけでもやる提案もした。多分これが最悪ケースだ。

私は回復の見込みが立ったなら私が帰京後でもやって貰いたい、手入れ後の庭の写真を撮ってメールで送ってくれないかと対案を出した。息子に頼めば出来るとの返事、これが考えられるベストケースだろう。何れにしても予定日は11月の最初の週末なので、もう少し様子を見て決める時間の余裕があった。

1週間前に農地の貸与を断る申し出を受けたばかりで、今度は庭の手入れが出来ないという突然の連絡を受けた。二人はどちらも私より一回り若いと思う。しかし、後期高齢者の私より一回り若いと言っても十分老人だ。私と同じ年代や少し若い人達の不幸のニュースを聞くと気分良くない。

それでも他人事だと思っていたのに、私の身の回りでより若い現役の庭師や農夫が体調不良だと聞くと気が沈む。お蔭で昨日の「ぼっちキャンプの思い出」は不出来だったと思う。■
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ぼっちキャンプの思い出(2)

2022-10-27 21:28:57 | 日記・エッセイ・コラム
米国での生活で印象に残っているのは人生初めてキャンプした時のことだ。ワシントン州シアトル郊外から南下しオリンピア市でオリンピック半島東海岸線を延々と北上し、一回りして太平洋側のホー雨林ビジターセンター(VC)で車を停めて歩き始め、レンジャーステーション(RS)からホー(Hoh)川に沿って更に西に歩き、ガードステーション(GS)とエルクレイク(Elk Lake)でキャンプした。

97年に初挑戦して土日では時間不足と分かり、翌98年に金曜の午後仕事を早めに切り上げ薄暮にVCに到着して歩き始めた。真夜中にはGSに到着したが、キャンプ場は誰もいなかった。テントに適した場所を探している間にスーッと動く光点(鹿の目の光だった)を見て驚いた印象がある。だが、危険な印象はなかった。翌日は更に西に向かったがElk Lakeで薄暗くなり又もや時間切れになった。

オリンピック国立公園内のElk Lakeキャンプ場には幾つかの先客がいた。多分、次の日に本格登山する計画だったかも知れない。私は彼等はが挨拶もせずテントを張って携行食を食ベ、翌朝直ぐにテントを畳み帰路に就いた。時間がなかった。登山口のVCまで約16マイル歩き、シアトル郊外まで約500キロ車を走らせ真夜中に自宅に戻った。ガイドブックには夜12時過ぎ着とメモ書きがあった。

まともに料理する時間すらなく、又もや本格的な山登りの前にギブアップした。これが私の生涯で一番タフな「ぼっちキャンプ」だったと思う。楽しさはほぼゼロ。テレビで人気の「ぼっちキャンプ」と目的が違い、調子に乗って昔の思い出を投稿するんじゃないよと言われそうだ。

正直言うとこの記事を書く前に当時使った地図やガイドブックを引っ張り出して調べないと地名や場所すら思い出せなかった。だが、真っ暗な山道を何とか間違わず歩き、鹿の光る目に驚き、真夜中にテントを張ったシーンは今でも鮮明に思い出す。人との出会いはなかった、少なくとも記憶にない。

米国で買った山登りの靴やテント等は帰国時に持ち帰って、日本でも奥多摩や南アルプスなど山歩きの機会に「ぼっちキャンプ」をやった。だが、余り楽しめなかった。南アの甲武信岳の小屋の横にテントを張りラジオを聞いていると、隣のキャンパーにラジオがうるさいと注意を受けた。帰国後は人口密度が高くて自然の中を歩く印象が薄かった。それ以来ぼっちキャンプはやっていない。■
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ぼっちキャンプの思い出(1)

2022-10-26 20:13:10 | 日記・エッセイ・コラム
コロナ以降にテレビ番組等で郊外の川や森に一人で行きキャンプする人が良く紹介されるようになった。若い女性が単独でキャンプする姿を見ると見てて若干不安を感じるが、これだけ人気があるということは多分大声を出せば誰かに情報が伝わる環境にあるのだろう。事故を聞いたことがない。

私は若い頃に友人に誘われ時折2-3泊かけて山登りに行ったが、アルプスや奥多摩など人気の山岳ルートには必ず山小屋があり利用した。だが、90年代半ばに仕事で米国ワシントン州に単身赴任した時は事情が異なった。人気の山でも登山口まで車で行き、山小屋はなくテント泊しか選択はなかった。バドミントン仲間は出来たが、一緒に山歩きする友達は出来なかった。

シアトル郊外の住宅地に住んだ私は、上司をかさにして日本人社員の家庭と付き合うな、現地人と付き合えと赴任前に助言を受けていた。なので現地のバドミントンクラブに加入し週末に練習に参加するか、テントを背負って一人山歩きした。その後ほぼ毎週マッサージを受け米国生活を楽しんだ。

私は90年代頃に米国で「ぼっちキャンプ」をやっていた、偶然にも先進的な「ぼっちキャンパー」だったことになる。最近の「ぼっちキャンプ」とは全く違う。テレビで重点的に紹介されるのは手の込んだ美味しそうな食事作りだが、私は軽くて場所をとらず手間暇かからないサバイバル食事だけだった。

私の山歩きの楽しみはガイドブックに紹介された美しい山々の景色だった。50前後だった私はガイドブックに紹介された3つのルートを纏めて歩いたりしたものだ。ガツガツ歩くのは今の私の「やり過ぎ高齢者」に通じる。気持ちだけは昔と同じだが、今は体力がついて来ない。

ただ一度例外がある。一度だけ日本から家族が揃って来た時、皆でキャンプ2泊の山歩きをした。REIでテントなどの登山用具等をレンタルして、家族全員に重い荷物を背負わせ山登りした。熊対策等の初めての経験もしたが、子供達(大高中の3人)は口を揃えて歩くだけでつまらなかったと後で聞いた。

その時は折角アメリカまで来てくれた家族に対して申し訳ないことをしたと思った。しかし、それが私の生まれつきの性分で後期高齢者になった今も変わりがない。その意味では「ぼっちキャンプ」私の性分に合ってたみたいで、反省することも無くぼっちキャンプを続けた。(続く)■
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衰える高齢者仲間

2022-10-24 20:08:25 | 日記・エッセイ・コラム
今まで自分の事を「やり過ぎの高齢者」などと恰好つけて自称していたが、この3日間で普通に後期高齢者らしく衰えて来たと自覚させられた。山道の急坂を自転車で走ってきたと自慢げに話していたが、3日前に更なる急坂に挑戦して登り切れず途中で引き返す羽目になった。

それどころか今まで登れた坂を登れず、何度か押歩きをした挙句に途中で諦めて下りルートに変更した。新ルートをチャレンジして途中ギブアップの経験は何度かある、その時は何度か挑戦し少しずつ距離を延ばして新ルートを踏破した。だが、短期間に一度走れたルートを走れない経験はい。

最近バドミントンの練習に参加してオバサン達にいい様にやられて、悔しくてフットワークのトレーニングを2日に一度くらいの頻度でやり足に疲労が溜まっていたせいかもしれない。いずれにしても、かつてならその程度で疲労が溜まることはなかった。衰えを感じざるを得なかった。

昨日の夕方いつもの様に川沿いの散歩の途中で珍しく同級生のOに出会った。普段は彼が農機具を使って作業中にしか見かけないのだが、昨日は見かけトボトボと散歩道を歩いている様子に見えた。挨拶したあと同窓会の案内があったが、帰京後で日程的に参加できないと断った。

私は水田の借り手を捜していると伝えると、彼は最近前立腺ガンの治療を受けており手助け出来ないという。彼は以前から何軒かの高齢農家の支援をしてきたが、今は殆どの農家の支援を止めたという。彼は以前ガン治療を受けたと聞いていたが、完治したと思っていたのでショックだった。

私は農業をやっていないが日頃から色んな運動をやっているのを見て、彼は自分が病気の治療を受け難儀をしているのに比べ、私は元気に遊んでいると思っていたようだ。彼からそう見えてもおかしくない。お互いに苦労している、頑張ろうと言って別れた。

今日は今日で散歩返りの夕方に農業委員の家を訪問、奥さんに水田の借り手のK氏からの申し出について説明しご主人に伝えて貰うようお願いした。彼女によると最近腰を痛めて歩くK氏を見かけたという。気付かなかった私は恥ずかしかった。彼女と近辺の農家の高齢化と廃屋や耕作放棄について情報交換し、お互いに悲惨な状況を嘆いた。■
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