かぶれの世界(新)

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周回遅れの読書録07冬(続)

2008-02-29 10:25:48 | 本と雑誌

それではこの冬読んだ本について私の評価を紹介します。

(2.5+)100年デフレ 水野和夫 2003 日本経済新聞 現在のデフレは日本経済に固有の問題ではなくグローバリゼーションとIT革命によるもので、500年続いた近代資本主義の危機の魁と説く。中国・東欧が世界経済に組み込まれ巨大な供給過剰が生じ、その解消に100年かかるという。その中で公共投資などケインズ政策よりも構造改革を主張している。

2.0-デフレは終わるのか 安達誠司 2005 東洋経済 現下のデフレは90年代の金融政策によるもので、構造的なものでないと解く。従って先ずデフレを解消し資産価格を上昇させた上で、不良債権問題を解決する手順を踏むべきだったという。私には視点が金融に偏りすぎと感じる。

(2.5)知識資本主義 レスター・サロー 2004 ダイヤモンド グローバリゼーションの全体像を理解する為の書として勧めたい。グローバリゼーションは設計図のないバベルの塔で、国際機関と覇権国(アメリカ)が支配し、本質的に不平等や危機をもたらすが、それ以外に選択が無いと説く。現実的で欧州や日本の消極的姿勢に厳しい。

(1.5+)ゼロ成長の国富論 猪瀬直樹 2005 文藝春秋 二宮金次郎の小田原藩の財政再建に尽くした生涯を辿り、ゼロ成長下の我国の財政再建に生かせるアイデアがあると説いたもの。

(2.0+)リスクマネー・チェンジ 真壁昭夫・平山賢一 2003 東洋経済 インフレ率の上昇・下降・安定期のサイクルに合わせて、必然的にリスク・テイクと回避を繰り返すと説く。現在は安定期で日本に必要なのはリスクマネーが隅々に行渡るスキームというのは説得力がある。ITバブルが弾け3年連続で株価が下がった時期を反映した内容だが、証券化の問題指摘が欠けている。

(1.5)2007団塊破綻 太田晴雄 2005 廣済堂 官僚がやりたい放題の日本に未来はない、団塊世代は海外、特にアクセスの良い近場の香港・シンガポールで自分の資産を守れと説く。

1.5+踊る日本大使館 小池正行 2000 講談社 フィンランド専門家のノンキャリア外交官から見た日本外交の裏側を書いたもの。謂わば日のあたらない二流外交官の、しかし日本外交官に共通する姿が生々しく描かれており、読み物としては中々面白い。

(2.0)官邸決断せず 塩田潮 1991 日本経済新聞 湾岸戦争・ダッカハイジャック・東芝機械ココム違反・日米構造協議・防衛費1%の危機に直面した官邸が、リーダーシップを発揮せず国益を損なった経緯を記し、今も変わらぬ縦割り官僚と日本型リーダーの問題先送り体質を記録。

(1.5)宮澤喜一回顧録 御厨貴・中村隆英 2005 岩波新書 登場人物は実に多彩だが、為政者として歴史のターニングポイントに立ち会った肝心な話が聞けず物足りない。頭脳明晰だが政治決断しなかった宰相らしい内容になっている。何か他人事に聞こえるのは彼らしい。

1.0+小沢一郎・日本改造計画の危険性 木澤二郎 1993 エール出版 小沢氏の国家・権力主義的性格と政治的手続きの不透明性を一貫して非難している。内容は今日の小沢氏のイメージとそう変わらないが、根拠を示さず決め付けている部分があり読みづらい。

1.5+松下政経塾とは何か 出井康博 2004 新潮新書 松下政経塾創設の経緯から現在までの変遷、松下幸之助の意図と挫折、塾生の対立、新党構想、国政への進出などの生々しい裏側が垣間見られる。イデオロギー臭さが無いのが長く続いている原因であり、限界なのだろう。

(2.0+)「わがまま」のすすめ 堺屋太一 2004 東京書籍 週刊誌や新聞等に書いたエッセイの寄せ集めで本としても完成度は低いが、一貫して流れる我国の官僚の問題、国や国民でなく組織への忠誠心が国を誤らせているという視点に共感するところが多い。

1.0+見える化 遠藤功 2005 東洋経済 トヨタ式生産から生まれた生産プロセスの可視化(見える化)を分類整理し、サービス等他の領域への応用例を紹介したもの。新味無し。

(1.5コンサルタントに踊らされるな、日本企業 青木保彦他 2001 ダイヤモンド社 コンサルタント活用の為の実用書。担当者や事務局には役に立ちそうだ。しかし、経営改革成功の為にはトップのコミットメントが必須という視点が抜けている。

(2.0)物は言いよう 斉藤美奈子 2005 平凡社 ウィットに富むセクハラ60連発、仰せの通りです。“三ツ星”(★★★)ランクのセクハラは理解困難なものもあるが、難癖だとは思わない。

(2.0)女ひとり世界に翔ぶ 小野節子 2005 講談社 オノヨーコが姉で安田財閥出のお嬢様というのが読んだ動機。お嬢様が怖いもの知らずで、周囲の評価や成否に拘らず果敢に仕事をするというのは、下種にはない尊敬すべき血の力なのか。志のない官僚の姿がここでも出て来る。 

1.5ノンパラ 山本貴代 2001 マガジンハウス 都内に一人暮らしする30代独身女性107人の生態を調べ、パラサイトと比較したもの。精一杯生きているノンパラへの愛情が感じられる。

(*)「困った子」ほどすばらしい 池田佳世 1998 ハート出版 不登校・引きこもり等の子供から大人になれない大人に対して、親は無条件肯定で受容する「快話」をすることから始めよと説く。

(*)海鳴り(上・下) 藤沢周平 1987 文春文庫 中年の紙問屋の恋愛小説。主人公が武士階級でない藤沢作品を初めて読んだが、私には間延びしているように感じた。主人公は46歳で既に老いを感じているが、現代なら感覚的には10足して56歳の心境といったところか。

(*)漆の実のみのる国 藤沢周平 2002 文藝春秋 藤沢周平全集第24巻に収録されている米沢藩中興の祖、上杉鷹山の物語。最後が尻切れトンボになっているが、童門冬二著が鷹山を称えるだけの印象なのに比べ、より時代背景を見渡した内容で史実に沿った内容らしく感じる。時代は異なるものの今日苦境に陥っている自治体の再建に取り組む人達の参考になるのでは。 

「知識資本主義」の中には印象的な言葉が沢山あったので少しく抄録を紹介する。
‐ グローバル経済に参加しなくても国家は消滅しない、ただ実質的に貧困でいるだけだ。
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 資本主義の成功とその不安定さの理由は、人間の根本的態度、欲・楽観・群集心理だ。
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 暗い将来を予見する者には報酬は少ない、ITバブル時ドットコム株を買うのを拒んだ少数の(合理的)ファンドマネジャーは全員クビになり、再雇用されることは無かった。
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 アメリカの消費者は他の選択肢がある限り消費することを止めない。
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 日本は何をしていけないかという教科書である。技術的には日本は何をやるべきか理解している。だが、長期的な経済成長のために短期的な調整を実施して、その痛みに耐える覚悟は無い。
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 日本では改革についての議論が盛んである。しかし、何も起こらない。・・・経済の停滞の原因は経済の中にあるのではない。それらは解決されないで放置されている政治的な危機にある。
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 日本は自ら関係のある地域以外には殆ど関心が無い。
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 アメリカ文化は他人に教える特別な価値というものが無い。それは売るものを提供しようとする文化なのである。
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 第二次大戦でフランス軍はドイツ軍に敗れたのではない、フランス社会が自ら分裂したのである。■

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周回遅れの読書録07冬

2008-02-28 22:57:28 | 本と雑誌

市立図書館新装開店

昨年末に市立中央図書館が大国魂神社の参道から桜通に引っ越した。今月初めて行って期待以上に良くなっているのを見て嬉しくなった。3階と4階の広大なフロアに書架が並び、蔵書も増えた感じだ。書架は背丈程度で圧迫感が無く閲覧スペースもふんだんにあり素晴らしい。

蔵書は全てICチップが取り付けられ、自宅のパソコンから予約すると通知のメールが来る。図書館に行き、予約貸し出しの部屋に入り図書カードを機械に入れると、予約した本がある棚の位置のランプがピンポイントで点滅し、本を取り出し機械にかざすと手続きが終る。

予約した本は指定すると市内に10箇所程度ある地域図書館で受け取り、何処にでも返却できる便利なシステムだ。最寄の地域図書館は駅に行く途中にあり、私の家から歩いて5分もかからない。気が向いた時に行き、ネットでは読めない雑誌等の気になるニュースや記事をチェックできる。

生まれ育った田舎での暮しも悪くないが、ご多聞に漏れずこの自治体も酷い財政難、こういう文化的な香りが期待できない町に住むのは寂しい。実際のところ田舎の図書館はこの街の地域図書館ほどの規模も蔵書も無い。酷いことを言うようだがそういう需要もそれほど無いようだ。

今回のテーマはデフレ

さて、恒例の拙い書評に入ろう。前回読み始めたデフレ関連の本を5-6冊古本屋で見つけた。構造論、政策論、生活論と切り口は夫々だが、私の好みは構造論的アプローチだ。

100年デフレ」が現在のデフレは数百年のサイクルで考えるべき構造的なものと捉え対応策を示している。一方、「リスクマネー・チェンジ」はインフレのサイクルの中で現状を理解し対策を提案している。どちらの主張にも見るべきものがあり読み比べられることを勧めたい。馴染みの少ない読者の方には専門用語で展開されるコンセプトが難解かもしれない。

「知識資本主義」と「「わがまま」のすすめ」はグローバリゼーション下の政治と経済の関わりを、角度を変えて適切に解説しており、一般向けにお勧めの書だ。ともに日本の問題を的確に指摘しており、厳しい内容だ。ある意味「漆の実のなる国」の上杉鷹山と同じ苦労を今も続けている。

上記レスター・サロー、堺屋太一両氏の書もあわせ日本政治と官僚の評価は誠に厳しいが、「官邸決断せず」と「女ひとり世界に翔ぶ」はそれを具体例で証明している。最後に「物は言いよう」のセクハラ60連発は既に紹介したが自虐的に笑える。長くなったので個別書評は次回に。(続)

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人生の扉

2008-02-26 12:01:38 | 音楽

最近、テーマが政治経済に片寄っていた気がするので、好きなスポーツや音楽、旅行、料理等についても書いてみたい。今回は‘最新流行歌’について、この昔懐かしい言い回しが私には何故か違和感の無い曲について。

このところ竹内マリヤの「人生の扉」にはまっている。テレビから流れてくるコマーシャルのBGMを何気なく聞いた時、他の曲と違う心地よさを感じた。その後何度か聴いているうちに歌詞が耳に入るようになり、詞が又素晴らしいことに気が付いた。

ネットで調べると、昨年五十路になった彼女がその心境を歌った曲だそうだ。聞いているうちに「老いを恐れる心」を穏やかに静めてくれるように感じた。これってもしかして団塊世代向けじゃないだろうか、と思った。(このマーケットは大きいですよ、業界の皆さん!)

私が20代の頃は、彼女はまだ10代の子供であり、全く別の世代と思っていた。が、気がつくと齢を重ね彼女の歌が老いを迎える同世代の感覚で聞けるようになったと思うと不思議な感じだ。

曲調が良き時代の素朴なカントリー風で声質も違和感がなく、中ほどでしっかりした発音の英語の歌詞が混じっているので、50代半ばの米国人メル友にこの曲のYouTubeURLを送ると、彼女もとても気に入ったと返事が来た。

http://www.youtube.com/watch?v=Xp49gYV_kvg&feature=related 

元々ノスタルジーを感じ艶のある彼女の声質がこのスローバラードにマッチしている。出足の落着いた歌いだしで一気に引き付けられ、ところどころ裏声に微妙にひっくり返る所で私にはキュンとなり、英語の歌詞の部分で哲学を感じる。最後まで飽きずに聞ける。

日本語の歌詞もいいが、英語の歌詞がまた年輪を重ねたものでないと出てこない良さを感じる。何でも勝手な予測をするのが私の悪い癖だが、かなり高い確率でこの曲はロングヒットになり日本に留まらず世界で聞かれ愛唱される予感がする。■

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東アジア選手権を終えて

2008-02-25 11:06:21 | スポーツ

東アジア選手権を終えて岡田ジャパンの最初の評価をしてみたい。結論的に言うなら初戦のペルー戦が全てを語っている。ペルーは若手主体の1軍半のチームで戦略らしい戦略を持たなかったが、詰めが早くて球際に強く日本チームに余裕を与えず観客にはつまらない試合だったと思う。

次の試合は相手が緩く日本チームは余裕を持って球回し、チャンスを多くつくり楽勝した。監督も評論家も少しは「日本の形」が作れたと評価したが、私はペルー戦と合わせ2試合ともにジャパンの真の姿が出た、次の東アジア選手権で更にはっきりするだろうと予想した。

結果は負傷者続出で海外組もいない中ではまずまずで、優勝は出来なかったものの岡田監督の発言を聞くと「どんな状況でも何とかやれる」という自信が監督に出てきたように感じる。もしそれが本当なら、それは勘違いではないかと私は思う。

岡田ジャパンになってトータルで守備力が向上した。負けないサッカーは成功する確率が高いのは証明されている。しかし、中田や中村などが世界舞台で活躍してもディフェンス・プレイヤーが活躍するまでには到達してない。世界一流の守備陣にするには時間がかかるだろう。

一方、オシム時代の頭を使った素早い球回しは相手が格上であっても脅威と映っていたはずだ。一瞬の判断力の速さが相手チームのそれを超えると慌てさせ得点のチャンスを生む。今の岡田ジャパンにはそれがなくなった。得たもの、失ったものを総合すると、アジアでしか通用しないチームに戻ったような感じを受ける。

気になるのが全試合を通じて詰めが甘い。90分間体力を使って走りまくれという意味ではなく、判断の速度を上げて相手の球に詰める早さが足りないということだ。ペルー戦で見えた球際の弱さはその後全試合を通じて表れ、世界で戦う上で致命的な弱点のように私には見えた。

その典型的な例は、個人名を出して申し訳ないがゲームメークをした遠藤だ。余裕を持ったときの彼の球捌きと意表をついたパスは掛け値なしにすばらしいが、相手の詰が早いと彼のプレイはいかにも緩く、不正確なパスどころか球を奪われ一気にピンチにならないかとはらはらさせられる。

現在の岡田ジャパンでは、遠藤のプレイが通用するかどうかをリトマス試験にして相手チームの力、特に詰の速さを測りその試合の展開を私は予想する。彼が前半の半ばあたりから機能し始めれば勝つチャンスは高まる。後半が始まっても彼がまだ機能していないようだと勝つのは難しい。

相次ぐ選手の負傷があっても、岡田監督は新しい選手を起用し能力を見出しながらそこそこの成績を残したのは十分評価される。中澤や鈴木、中村は期待された通りの力を発揮したし、山瀬や駒野の切れのいい動きも素晴しかった。安田の前に出て行く姿勢も発見だった。

だが、全体として日本サッカーを真のワールドクラスに持っていくための何か、岡田ジャパンにはオシムがもたらした様な世界で通用する、言い換えると相手が怖がるビジョンが何か足りない、物足りなさを感じるのは私だけだろうか。■

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防衛相辞任論は永田町感覚

2008-02-24 23:08:49 | 国際・政治

22日(金)主要紙はイージス艦衝突事故の責任を問い石破防衛相辞任論が広がっていると報じていた。野党は足並みをそろえ辞任要求、与党内にも対応のまずさに突き放した見方が広がり、石破防衛相は窮地に陥っているという。

先の防衛事務次官の汚職問題に端を発した防衛省改革の道半ばで起こった不幸な事故で石破氏が辞任すると、官僚の抵抗を食い止める人材がいなくなり改革が骨抜きにされるという声が一方で紹介されていた。気になって週末の新聞・テレビを見たが、私には防衛相辞任は空騒ぎという印象を受けた。誰もそんなことは望んでいないと私は思う。

この時点での防衛相の辞任が本当に国民にとってベストの解でないことは、ちょっと考えれば誰にでも分かることではないだろうか。どうもメディアも含め永田町界隈の人は何でも政局に結び付けて考え、こんな常識さえ無くしているように私には思える。

最優先でやらねばならないことは人命救助(絶望的だが)、原因解明、責任の明確化と処分である。大臣の頭をすげ替えても何も変らない。寧ろ逆効果だ。かつて不祥事や事故で大臣が辞任した例はあまたあれど、官僚は何ら咎めを受けず問題を起す仕組みが温存されてきた。

もうそろそろ気が付いてもいいはずだ。民主党が政権担当能力を示し有権者の信頼を得るのは、政局狙いの永田町感覚を捨てて、真の再発防止を福田内閣や防衛相に迫り、防衛庁内部の膿を徹底的に洗い出し取り除き消毒することではなかろうか。

国民の声はそういう防衛省にして欲しいということだ。厚生省だろうと国土省だろうと同じだ。官僚の代弁しかしない大臣ならさっさと辞めてほしいが。その為にメディアは官僚の名前を出して責任を追及するところまで踏み込むべきではないだろうか。民主党が政権をとったら果たしてそこまでやれるだろうか、と国民は見ている。■

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