かぶれの世界(新)

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食欲の秋

2013-09-28 22:19:49 | 食・レシピ

今朝6時過ぎに起きて急ぎ朝食をとり、集落の守り神になっている神社の掃除に向かった。毎年この時期に実施される恒例の行事だ。1時間余りで参道の草刈・掃除と神社本体の掃除、神社に入り祝詞をあげ揃ってお祈りの後お神酒を頂き散会となった。

参道から一般道に出た道の路肩に「いが栗」が転がっていた。実家の山の栗の木から落ちたもので、毎年付近に住む人に迷惑を掛けていた。それではこの機会にと、神社掃除に持参した刃の厚い山刈鎌を使って栗を取り出し持ち帰った。勿論、イガイガを路肩に寄せ片付けも忘れなかった。

今日の午後妹夫婦が母の見舞いに大阪から帰ってくるので、正に取り立ての栗ご飯を食べさせてやろうと思った。栗ご飯は昨年に続き2度目のトライで何とかなるだろうと思った。甘かった。

念の為、失敗しないようレシピをネットで再確認した。今年ももち米はなし、白米3.5合、むいた栗400g、塩小さじ2杯で、炊飯器で普通に炊いた。炊き上がったご飯をジャーに移し、(昔から使ってきたものでそのほうが美味しい)料理酒をたっぷり掛けて蒸らした。

1時間後に食べてみて妹は美味しいといったが、私には少し淡白でパサパサしていた。減塩の為、塩は少なめ(普通の半分)だった。古米なので水分が少なかったはずだ。更に決定的なのは、栗が取立てだったこと。栗は冷温で2-3日寝かさないと美味しくならないのを忘れていた。失敗作だが、一晩ジャーに入れておくとモチモチ感が増すはず、明日それを期待しよう。

栗ご飯はイマイチだったが、数日前にミートソースは満足できる出来栄えだった。といってもインスタントだ。玉ネギのみじん切りとひき肉を炒め、市販ミートソースの素(100円程度だった)を加えただけ。だが、レトルトのソースに比べて材料の旨味がしっかり感じられ美味しかった。

私が普段ろくなもの食ってないから、チョットした差でも美味しく感じたのかも。美味しいというより、みじん切りがいい加減で材料の食感が変わったのが新鮮だったのかも。いずれにしろ少しの手間をかけるだけでこんなに味が変わるのか、料理のど素人の私としては大発見だった。■

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ニューラグジュアリー・リダックス

2013-09-26 22:00:13 | 社会・経済

ベノミクスの究極の目標である「デフレ脱却」を、足元の物価動向を追跡し検証する日本経済新聞の連載コラム「物価考」を注目している。PB(プライベートブランド)が高価格化しているという今日の記事は意外で興味深かった。スーツから食パンまで「多少高くても良いものを求める消費者の需要が増えている」といい、PBがデフレ脱却を主導するという見方を紹介している。私は期待できる兆候であり、「ニューラグジュアリーの復活」だと思った。

一方で同記事は、100円ショップが好調であると伝えた。背景として賃金は上がらないのに物価は上がり家計の購買力が衰えている、日本がデフレという言葉を忘れるにはまだ時間がかかると結んでいる。この手の記事が相反する見方を併記し一体何が言いたいのか分からない、というのは良くあることだ。だが、私はそれだけじゃないだろう、見方が皮相的でもっと突っ込んだ洞察力を日経には期待したいと感じた。

デフレ脱却の兆しはかつて「ニューラグジュアリー」といわれた、こだわりのワンランク上の商品の売り上げが増えるところから始まると私は予想している。自分の関心がある領域の商品についてのみ値段を気にせず購入するが、それ以外はミニマムの機能を果たせばよいと出来るだけ安価なものを買う。その前のバブル時代も「一点豪華主義」という消費スタイルがあった。

ューラグジュアリーの購買層は日本の教育された分厚い中流階級だった。自分の価値観を満足させる、知的でこだわりのストーリーを持った商品を買う。元々日本人消費者の多くがそうだったと思う。普段質素な生活をしていてもブランド商品を身につけ、有名店で並んで食事し、歴史的な名跡に旅行した。私の身の回りにもよく見かけた。

このPB高価格化に代表されるようなニューラグジュアリーが、デフレ脱却の原動力になると予想する。中流階級は何でも買える富裕層とは違い、彼等にとって価値の低いその他の出費は切り詰める。それが彼等を100円ショップに向かわせるのだ。従って、100円ショップと高価なPBの両方が同時に売れるのは、デフレ脱却に向かう自然な現象と考える。100円ショップ好調を脱デフレの真逆の現象と捉える上記の記事は的外れのように思う。

ここからは蛇足、私は若い頃から天邪鬼のへそ曲がりで人と同じことをするのが嫌いだった。私のラグジュアリーは若い頃はバイクだった。何度か危険な目にもあい怪我もした。現在は特定の商品というより分散して住む家族の連帯の為にワンランク上の消費をする。その為に100円ショップ或いはもっと安いものを求め徹底的に節約する。高齢者になった私自身の為のラグジュアリーは残された時間だ。その時間を何か精神的にワンランク上に出来たら十分と思っている。

ところでリダックス(redux)は復活の意味でラテン語(reducere)が語源らしい。調べると70年代にアップダイクが使い始めた少し気取った言葉のようだ。バブル・リダックスという題名の米経済評論家のレポートを見たことがある。そんなもんでニューラグジュアリーだったら良いかなと思った訳です。■

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激走しまなみエピローグ

2013-09-25 11:53:52 | スポーツ

排尿時の痛みは予想通り和らいだ。サイクリング中に全く小便が出ず、水分は全て汗になって出たはずだ。大量に汗をかいたので膀胱に溜まった尿が濃くなり、長時間サドルの圧迫を受けた尿道を傷めた、それが排尿時の痛みの原因、というのが私の推測だ。

折り返しした因島大橋の手前の公園で休んだ時、顔の汗を舐めるといつもより塩辛かった。若干手遅れながらその直前から熱中症の危険を感じて積極的に水分補給(約1リットル)した。だが、サイクリングの間ずっと排尿がなかった。水分補給に加えて、帰宅後もアルコールを口にしなかった。これで、膀胱や尿道を酷く傷つけず早めに回復したと思う。

もう一つ気になっていたのが右膝の裏側の筋だ。折り返し後、右足が時々痙攣した。糖分不足があったかも。一夜明けた昨日は階段の上りには違和感があったが、普通の歩行には影響なかった。昨日夕方、バドミントンのフットワーク練習をやってみると、痛みで力が入らず直ぐにやめた。しかし、いつもの約5kmの散歩は無理なく出来た。自転車は膝に体重がかからないのでダメージが小さいようだ。

昨日母を見舞いその後会った友人は、真っ黒に日焼けした私を見て痩せたという印象を持ったようだが、実際にはサイクリング前より体重が増えていた。上記のようにその後も水分補給を続けて「水ぶとり」したと思う。びろうな話で申し訳ないが、尿道への影響のせいか小便が真っ直ぐ飛ばなくなっていた。友人は大笑いして私をからかったが、今朝は真っ直ぐ飛んだ!激走の後遺症は大したことなさそうだ。■

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激走しまなみ海道

2013-09-23 22:32:27 | スポーツ

はよれよれのサイクリングだった。先日、娘夫婦が母の一時帰宅にあわせて田舎に来てくれた時、空港の案内嬢に勧められたサイクリングに私の方が興味を持ち、好天が続く初秋の今しかない!と思いついて昨日トライした。

前日サイクリングセンターに電話すると、「駐車場スペースは十分ある、自転車は予約できない、連休なので早く来て、好みの自転車がなくなる前に手続きした方がいい」と助言された。昨日いつもより早く起き、7時過ぎに朝食を済ませた。実家を出たのは7時半頃だった。

それでもケチな私は高速道路を利用せず、松山まで国道56号を通りその先から三桁の国道や県道を走った。北条から今治の間を走ったことはないが、併走する汽車の窓から見た景色に記憶があった。小さな入り江が続きそこには必ずといってよいほど漁船が停泊していた。

イクルセンターに到着したのは9時過ぎ、受付のある建物の前の駐車場は既に満杯だったが、第2、第3の広い駐車場は遠く、センター前道路の路肩の空きスペースを見つけて停めた。受付に行くともう長い列があり、最後尾を確認して後ろにつけた。待ってる間に後ろに列が出来た。

20分くらい待って私の順番が来た。一人だけの申し込みだから即終と思った。たった500円で好きな自転車が終日利用可能でも、事故や乗り捨てとかの対応があって保証金返却を含む契約書にそった説明があり、手順に沿ってサインするまでに結構時間がかかった。受付の2人の要領がもう少しよければ時間節約できる余地はありそうだと思ったが余計な口出しはやめた。

橋の通行は有料で半額になるクーポンを2束(500円)買い、表に出て自転車を選んだ。広場に並んでいるのはママチャリからタンデムまで揃っていたが、ドロップハンドルと言うと置いてないという返事。試しに流行りのクロスバイクは売り切れだった。距離を稼ぐロードバイクと聞くと、係員は奥に入ってストレートハンドルの自転車を持ってきて即決した。「尾道まで行って来い」と煽られた。

車に戻りサイクリング用のパンツとシャツに着替え、ビーチサンダルを靴に履き替えた。その時になって帽子もグラサンも忘れてきたのに気が付いた。センターに戻りレストランで朝食をとって出発する頃には10時半になっていた。自転車より朝飯の方が高かった。食べ残したパンを包んで貰いリュックに入れ、500mlの水とミカン5個・バナナ1本にクッキーを持って出発。

島海峡大橋への取り付きは急坂の螺旋形のアプローチだったが、普段乗っている自転車に比べ圧倒的に軽い。タイヤは普段乗っているママチャリに比べ細く、16段ギアのロードバイクはローギアでなくともすいすい坂を上っていった。往復140kmの長丁場を考えれば当然だが、最初からガンガン走ったのが良くなかった。

3連休の中日のせいかママチャリに乗る子供連れの家族や、歩いている人達も多く道は混雑していた。最初の料金所は橋を渡り始めて1kmのところにあり、番台のオバサンの指示でクーポン4枚(200円分)を箱に入れた。その後はずっと無人で50円から100円だった。

橋を渡りきるとサイクリング・コースは高速道路から離れ山あり谷ありの県道を走る。私は初級者ルートを選んだ。若い人達もドンドン追い越して走るのは気分良く、坂も苦にならなかった。擦違う人達に声をかけ手を振って楽しく走った。だが、思ったより日差しが強く汗が止まらなかった。

二つ目三つ目の橋をスイスイと渡り、多々羅橋の手前まで来て疲れを覚えた。受付嬢は私の顔を見て引き返し点と決め付けた所だ。ターミナルで一休み、バナナ1本とミカン1個を食べた。駐車場も露天やレストランも観光客で一杯だったので、早々にサイクリングを再開した。もう少し休みを取るべきだったと後悔した最初の地点だった。

々羅橋を渡ると生口(いくち)島、広島県だ。この頃から暑さでペダルが重くなり、尻に痛みを感じるようになった。まだ汗をかいていたが熱中症になる恐れがあると思った。瀬戸田町のスーパーで野球帽とスポーツ飲料を買った。一口飲んで走り始めたが、右足の膝の裏側の筋が伸びたような軽い異常を感じ、この辺から何時折り返すか考え始めた。

海沿いの道を騙し騙し走ったが、生口橋の取り付きまで来て一休みしもう少し走ることにした。帽子の効果があった。だが、地図を見直すと短い距離なのだが、因島の道がやけに長かった。因島大橋を目前に公園の日陰に入って力尽きた。尾道まであと7-8km、だが走り始めて4時間たっており、直ぐに引き返しても疲れで30分余計にかかるとして7時頃到着になる。

帰りはあと63kmもあると思うと気が重かったが、途中スポーツ飲料を買い足しながら重いペダルを踏んだ。特に辛かったのは橋のアプローチの急坂で、橋の数ほどある。逆にアプローチを下る時はカーブがきついのでブレーキを踏まなければならない。この辺では何度か休憩中の人達を見つけ声を掛けた。頑張ってなんて声を掛けたが、半分は自分に向かって言った言葉だ。中には返事がないと思ったら、台湾から来たアベックだった。こんなところまで来ている。

路は全く気にならなかった島の中の峠越えの道も厳しかった。最後の大島の峠の上り道で遂に我慢できず途中で止まり水分を取った。だが、何とか最後まで走りきったのは思ったより自転車がしっかりしていたことだ。ローギアだともうダメだと思う急坂も何とか乗り切れた。薄暮の瀬戸内海は美しかったが、景色を楽しむ余裕はなかった。薄暗くなって橋の料金所を無視して通り過ぎた若者が目立った。困った奴らだ。

センターに着いた時は6時半頃ですっかり暗くなり、人影がまばらになっていた。受付で保証金1000円返却を受けた。期待してなかったが試しに聞くと、100円でシャワーが使えた。案内されたシャワー室にはシャンプーはあったが、タオルがなく下着で身体を拭いた。それでも汗だらけのままより気持ちが良い。外に出ると真っ暗でリモコン・ボタンを押し反応を見て車を見つけた。

帰リ道は一般道を通る気にはならなかった。今治市街地を通り抜け南東側に走り、高速道路に乗って小松ジャンクションから大洲まで文字通りぶっ飛ばし1時間チョットで実家に戻った。久し振りの夜間の高速運転で最初怖かったが、適度の緊張感で疲れて眠くなることもなく9時前に無事実家に付いた。

つくり置きのカレーを食ってネットやメールを確認して、アルコール抜きで水分を取り寝た。今朝起きると排尿時に痛みを感じた。以前、バドミントン大会の後水分補給せず高知旅行し酒を飲んで膀胱炎になった時と同じ痛みだ。その後ガン疑惑でひどい目にあった。今回は途中からだが、かなり水分をとった。多分大丈夫だ。■

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汚染水問題:失敗の構図

2013-09-18 15:59:15 | ニュース

東電は間抜け?

東京オリンピック2020の決定は、福島第1原子力発電所の汚染水問題について、安倍首相が「状況はコントロールされている。私が保証する。」という演説で安心感を与えた効果が大きかったと評価された。一方で未だに放射能汚染で苦悩している福島の被災者の感情が逆なでされたと怒り、それを政治的な問題として取り上げる動きが報じられた。

どちらに立っても、報じられた内容では東京電力はきちんとした仕事が出来ない、何度も指摘されたのに都合の悪い事は隠蔽している、と思わずにはいられない。しかし、天邪鬼の私は例によって、誰もが「安心して」バッシングするいわば孤立無援の原発関係者について考えてみたい。キーワードは「安心して」非難できる、つまり「反撃される恐れがない」にあると私は思う。こういう時には誰も言わない、もしかしたら言えない背景があるはずと。

多くの東電社員が3.11後必死で事故に取り組んできたと思う。東電は日本を代表する優良会社だったし、沢山の優秀な社員が働いていたはずだ。なのに、何故こんなろくでもない穴だらけの仕事しか出来ないのだろうか。ベスト&ブライテストが必ずしも求められた結果を出す保証は無いが、報じられている通りだとすればやることなすこと全て間抜けに見える。何か原因があるはずだ。

間抜けの理由を推測する

というのが民間会社のサラリーマンだった私の素朴な疑問だ。彼らの立場に立って何でこんな惨めな結果しか出せないのだろうと考えてみた。単純に、成果は興味がない、失敗した時だけ報じる、という「東電憎し」要素もある。当初は1000年に一度の事態に圧倒され我を失い対応の不味さで最悪の原発のメルトダウンを惹き起こした。周到な準備がないと避けられなかったと思う。

問題はその後も適切な措置がとれなかったことだ。起こった事は起こったこととして、どこかで立て直して冷静に事態に対処することが出来たはずなのに、どうもそう感じない。事実上国有化され政府の管理下に入り、トップが交代した時が新規巻き直しの時ではなかっただろうか。他にもターニングポイントにする機会は何度かあったし、何度かやろうとしたのかもしれないと思う。

優秀なスタッフを揃えた東電が必死で取り組んでも何らの成果が出て来てないのは、東電に成果を出させないような強烈な圧力がかかり足を引っ張っている何かがあった、と経験上私は感じる。考えるにそれは我々「日本人そのもの」ではなかっただろうか。そう考える理由を説明する。

足を引っ張った要因

先ず最初に考えられるのは、放射能の安全基準を国際レベルよりはるかに高く設定し、東電が問題解決に当るハードルを高くしたことだ。東電は事故後水を循環させて炉を冷やす仕組みを作り、使った水をタンクに貯め巨大なタンク群に貯蔵してきた。その水の大半は除去装置を通し基準を下回り投棄することを検討したが、福島県や漁協から反発を受けた。東電は止む無く全ての汚染水を保管する羽目になりタンクの漏洩事故が起こった、問題の発端はここにある。

被災者である地元の自治体や漁協が反発すれば、国際基準よりはるかに厳しい基準の設定に追い込まれ、それがその後の除染作業に巨大な時間と費用をかけることになり、結果として復興が大幅に遅れて被災者の苦難が続き、それが政治問題化して当局や東電の幹部や作業責任者に大きな圧力となって萎縮させる。私は汚染水問題がこの悪循環にはまっていると想像する。更には、被災地の除染作業の遅れも全く同じ構図が働いていると推測する。

もう一つの要因として考えられるのは、東電の経営問題だ。事故当時責任者だった海江田氏が話したように、当時は原子炉の冷却と被災者への賠償が最優先だった。東電の破綻はダメだった。東電幹部も破綻回避が最重要で、銀行の融資を受ける為に汚染水処理の費用を表面化させないよう、経営上問題がないよう見せる為細心の注意を払っていた様子が伺える。

しかし、汚染水タンクを常識では考えられない弱い構造にしてまで節約したのは、今となっては素人の酷い判断ミスだった。東電は破綻寸前に追い込まれて正常な判断が出来なかったと思う。当時のテレ朝とかTBSは電気料金の値上げを非難し、新潟県知事は安全性より手続きを問題にして原発再稼動を阻止し、東電を追い詰めた。今、国民はそのツケを払っている。

失敗のツケを払う

他の電力会社はともかく、東電に対しては「金は心配するな、事故収束に全力を尽くせ」と支援すべきだった。だが、マスコミから政治屋に煽られ政府まで東電叩きに熱中した。東電バッシングはメディアにとっても政治家にとっても極めて安全なジェスチャー(自己宣伝)であった。その時にも冷静にデータに基づいて議論しようと立ち上がった識者もいたが、理性は負けた。

これが東電の立場に立ってみたら私はどう考えるか、の答えだ。最も重要な問題を「バカだ、ちょんだ」と言ってやらせ、それで良い仕事が出来るものか、長いサラリーマン人生でそんな例を私は見たことがない。東電失敗の原因は「日本人そのもの」と言ったのは、私も含めて自戒を込めて指摘したいからだ。■

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