かぶれの世界(新)

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減量したら血圧が急上昇!?

2020-07-30 11:01:18 | 日記・エッセイ・コラム
この数年間減量に努めてきた。そんなハードな努力ではないが、二つの目的があった。運動能力を維持するため太り過ぎないよう、更に明確な根拠はないが血圧が上がらないようすることだ。そして先週頃から体重が減り始め、ついに当面の目標だった64㎏台に昨日到達した。

夕食1時間後の約5千歩の散歩が直接の減量の要因だ。記憶では2年前頃から、同居の息子の食習慣(朝昼は炭水化物を含めがっつり食べ、夕は炭水化物抜きで少量)を取り入れ、夕食後翌日まで約半日絶食するようにした。トータルの食事量は変わらないが体重は増えなくなった。

今回取り入れた夕食後散歩の減量効果は大きかった。蒸し暑いこの時期の食後の散歩とその直後の入浴は発汗が誘発されたせいだと思う。だが、発汗で体の水分が少なくなると就寝中の頻尿がつらかった。尿が濃くなり膀胱を刺激したと思った。少量の排尿の為夜中に3-4回起きた。

だが、ここでNHKの番組「ためしてガッテン」で体の水分の4割はふくらはぎに貯まる、30分足を上げて寝ると水分は上半身に戻り頻尿が改善する、というタイムリーな番組を見た。疑い半分でやってみると即効果が出た。それ以来毎日足上げを実施し、就寝中の排尿は1回に減った。

若い頃の体重まで減り、頻尿が改善した。体にいいことばかりのはずなのに、実は血圧が今までになく上昇したのだ。帰郷する数日前から血圧が上がり始め140-150台が続き、心当たりがなく驚いている。モチロン医者の処方した薬は欠かさず飲んでいる。

掛かり付け医に毎月報告する血圧の推移を記入したグラフを見直してみた。一般に寒くなると血圧が上がると先生が言ったが、私の場合は夏暑くなると血圧が上がる。先生は例外もあるという。それじゃ何でもありじゃないかと懇意の看護婦さんに皮肉っぽく言うと無言の笑いが返ってきた。夏の暑さに体が慣れてくると血圧は低下するが、多分老化とともに調整能力は衰えるはずだ。

記録を見直してみると血圧が上がった単独のイベントは、東京と田舎の旅行前後、歯痛や腰痛・ケガ、家内との口論等悩ましいことだった。季節ファクターはあるが体重の増減で血圧が上下する傾向は見えなかった。血圧に影響するか分析しようとEXCELに記録していたが利用しきれてない。

一方、血圧を下げる単独のイベントは何といっても運動だった。運動と言っても散歩よりハードなバドミントン練習とか長めのジョギング(10-15km程度)じゃないと目に見える効果がない。山歩きも高尾神馬縦走とかガツガツ歩かないと血圧に変化がなかった。

年令による体(血管)の変化もあるだろう。我が家の男どもの父や祖父は早死にしたので、もうすぐ後期高齢者になる私には老後の生活のお手本がない。父は高血圧で心疾患で死んだ。今朝のテレビ番組は愛媛県は全国で心疾患の死亡率が全国一だと報じていた。私も多分そうなるだろう。■
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東京からな人は遠慮してくれ

2020-07-28 21:48:19 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の正午過ぎ羽田から松山に飛び3週間弱の帰京を終えた。心配していたのは天候だったが、幸い幸い長い梅雨の中休みで東京も松山も雨が降りそうで降らなかった。パソコンなどの重い荷物を抱えて雨の中を、空港内外の長い連絡路を歩くのは本当に嫌だった。

松山空港の荷物受け取り場で体温測定用カメラの前を通った時、顔を近づけて変顔をしたが測定器を操る女性はニコリともしなかった。いい年をしたジーサンがやることではないが、ちょっとくらい笑顔を見せても良いんじゃないの、犯罪人じゃないんだから、と思った。だが、彼女だけじゃなかった。

その後は順調でリムジンバスに乗って松山市駅に行き、乗り換えて高速バスで大洲市の実家に戻った。朝食後テレビニュースを見ている間に、思いついてバドミントン練習に参加してみようと思った。緊急事態宣言が解除されたのだからいいだろう、というのが私の理屈というか言い訳だ。

市の総合体育館の駐車場で、リーダーに会い体育館に入る前に待ったがかかった。元校長は私が昨日東京から帰ったと聞くと、困った顔をして1週間遠慮してくれと言った。私には昨日東京から来て、今日直ぐに顔を出すのは非常識ではないか、そんなメッセージのように聞こえた。

こうなることも覚悟していた私は素直に受け入れ、車に戻り1週間分の食料の買い物に向かった。正直言うとダメな時の準備をして練習に参加したいと申し出た。リーダーは断ったという心の傷のようなものが残ったはずで、私から見れば貸しを作ったくらいの軽い気持ちだった。

スポーツウェアのまま買い物から戻り、気分転換にいつもの川沿いの遊歩道を走った。調子が良ければ12㎞走る積りだったが、現実は半分近くは歩いた。それにしても東京からの人は歓迎されないのが現実だと実感した。全国からそういうニュースが聞こえてくる。明日は大阪や愛知も仲間になるだろう。■
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私が東京人になったと感じた時

2020-07-26 18:24:03 | 映画
田舎から東京の大企業に勤めて暫くたった頃、1970年頃だった、映画化されて世界的な評判になったウッドストック・フェスティバルの映画を友達と連れ立って日比谷のみゆき座に行った。四国から東京に出てきたばかりの田舎者が、有名な映画館でウッドストックを見たのだ。

何故こんな話題を突然切り出したかというと、昨夜NHKのバラエティ番組「たけしのその時カメラは回っていた」で紹介したウッドストックをたまたま見たからだ。ウッドストックは音楽というより自由に振る舞うロックファンの姿を鮮明に思い出した。私には特別な映画だった。

私は当時ベトナム戦争の反対運動を掲げたフォークシンガーのジョーン・バエズとかサイモンとガーファンクルやPPMのファンだった。だが映画で印象に残ったのは50万人(私はずっと100万人だと思っていた)の会場を震わせたエレキギターだった記憶がある。

数秒の録画だけで50年前に見た映画のシーンの記憶を思い出した。この頃はつい最近見た映画でも忘れてしまうというのに、音楽よりも大渋滞の中ファンが車を降りて会場に向かって歩いて行くシーンとか、雨で濡れた裸のカップルの姿とか、変な場面がいまだに忘れられない。

銀座で世界最先端のロックフェス「ウッドストック」を見た、田舎者が東京の有名な映画館でロック映画を見たという高揚感が暫く残っていた。会社勤めも板につかない新人が、田舎者から東京人になったという気持ちだったと思う。何を見ても昔を思い出す懐古趣味のジーサンになった。■
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時の流れを感じる(於)最後のパーティ

2020-07-25 21:43:55 | 日記・エッセイ・コラム
帰京して16日目に子供たちの家族が全員集合して誕生パーティをやり、これで今回の帰京の目的を全て果たした。その間東京のコロナ感染が急増し、更に全国に感染が拡がった16日でもあった。そんな状況で子供たちが住む都心に出かけるのを躊躇っていたら、息子が東京郊外の我が家でやろうと決めてくれた。

4月に私が帰郷する直前に末の孫の誕生会をやって以来の全員集合だ。以来4か月余り経過しただけなのに、3人の孫の成長ぶりには毎度驚かされる。一番上は10歳、次の子は小学生になり、末の子は4歳、全て男の子だ。肉体的な成長もさることながら、私が改めて驚いたのは子供たちの食べ物の嗜好だ。

彼らは甘いものが好きじゃないのだ。実は今回初めて聞いた訳ではないのに何度聞いても信じられなかった。私的には子供だったら絶対好きなはずのケーキや饅頭は好きじゃないと言い彼らは食べなかった。バースデーケーキも口に合わず大人が食べても、誕生日を迎える本人がケーキを一口食べただけ。

戦争直後に生まれた私なんぞ、葬式饅頭から大福餅まで甘いものなら何でも大好き、どうにも信じられない。洋物でも90年代に米国に住んだ時、スタバで初めて食べたブラウニーは忘れられない。ガトーショコラもよかった。私はこの数年で大福や饅頭など和菓子大好きジーサンになった。

一方で10歳にも満たない「ガキ」どもが何と渋いテーストを好む。時の流れというか、逆流を感じた。一夜明けて家内が残り物を上手く併せて作った朝食も殆どスルーされた。食料不足の時代に育った私には理解できない、甘いものが嫌いだなんて、彼らは蒸し芋にイリコを食べるだろうか。彼らの親も経験してないおやつだ。■
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日本のコロナ死者数が最小化できた理由(2)

2020-07-23 18:49:43 | ニュース
東京都の昨日のコロナ感染者数がついに大台を突破し、366人になったとニュース速報が入った。東京の感染者数の急増には驚くが、全国的な感染の広がりは心配だ。マスコミが大騒ぎするが重症者及び死者数が非常に少なく、若者を始め多くの人達はそれほど不安に思ってない気がする。

マスコミは何故かコロナ死者数が少ないことに余り触れない。毎日のテレビ放送を見ると、感染者数が増加すると大騒ぎするが、感染者数が減少するとスルーして対策の不手際などに話題を移す。コロナ感染が注目され始めたころから、日本の高齢者の死者数が圧倒的に少ないことを軽視してきた。世界的にも高齢者の感染者は少ないがその中で死者数比率は圧倒的に多いのだ。

専門家が最初から重視し取り組んできた「コロナ死者数を減らす、そのために医療崩壊を防ぐ」という視点からの報道が少なかった。一方で欧米の取り組みより検査データが少なく公表が遅れがちで、海外メディアから批判され、それを引用して日本の対応を非難した。だが、5月後半に日本の死者数が少ないと海外メディアが報じて、日本メディアの風向きが変わった。

日本のコロナ対策が成功していると海外から手のひら返しの評価を受けて、海外の批判を引用して日本の対策を批判する報道は激減した。だが、その後も何故上手く行っているのか突っ込んだ調査報道がない。欧米のコロナ感染死者数が何故多いのか、逆に日本の死者数が何故少ないのか、今迄とは全く反対のアプローチで調査報道する姿勢が今後のコロナ対策に必要だったのだが。

そこまで海外メディアの手助けが必要なのかと思いきや、ついにニューズウィーク日本版7月21日号の記事「知られざる日本のコロナ対策「成功」要因-介護施設」(マルガリータ・エステべス・アベ シラキュース大准教授)の介護施設の調査分析結果が出てきて日本の成功を解説してくれた。

記事は成功要因として、介護施設のコロナ対策の早期取組を厚生省から自治体の介護保険担当まで一致して対応した、欧米の組織に比べて1-2か月早く対応した。170万人もが介護施設にいる世界最大の高齢化社会で、施設内の死者がドイツが0.4%、スウェーデンが2.8%、イギリスが5.3%、スペインが6.1%であるのに対し、日本は0.01%にも満たないというのは驚きだ。

特筆すべきは、日本の介護関連の厚生省から介護現場までの「普段からの地味な取り組み」がこの圧倒的な成果を達成したことだ。マスコミはこのような事実を掘り起こして報じ、第二波、第三波に有効な対策として報じるべきだ。以下に記事をそのまま引用する。

感染症対策がトップダウンというよりも厚労省・各自治体・施設内でルーティン化されていたので、政治の介入抜きでコロナ対策がほぼ自動的に作動した。欧米では医療従事者でさえインフルエンザの季節でもマスクなしで患者に接しており、老人ホームなどではさらに意識は低い。

以上の国際比較を鑑みると、日本の介護・感染症予防行政、そしてマスクさえ足りず、入所者の家族からの寄付などを受けながら頑張った日本の高齢者介護従事者らの苦労と貢献は明白だろう。

マスコミ報道は政府や自治体の取り組みの混乱とか、「夜の街」や若者世代の感染拡大とか、悪く言えば「あら捜し報道」が大好きだ。ましてや叩けば埃が出る厚生省の取組を絶賛するなんて絶対嫌だろう。だが、この第一波コロナ対策に成功した事実は世界が絶賛し学ぶべき教訓であり、海外メディアに褒めてもらわなくとも胸を張って世界に報じるべきだ。■
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