かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

女性が決める内閣支持率

2018-03-30 15:33:52 | ニュース
内閣支持率が42%に急落したと26日報じた日本経済新聞は、世論調査データを分析し3日間にわたり結果が示す意味を詳しく説明した解説記事が興味深かった。私の理解を含め要点をまとめると以下のようになる。

(1)内閣支持率と与党支持率の差を「首相プレミアム」と定義し、マイナスになると総裁選に波乱が起きる可能性がある。プレミアムはたったの「2」で、総裁選の行方が怪しくなった。

(2)不支持の最大の理由は「人柄が信頼できない」(46%)だった。「政策」は第4位(23%)で半分だった。その裏返しとして政策の問題ではないので、野党の支持率は上がらなかった。希望の党と共産党では政策が異なることは誰の目にも疑いがない。

(3)内閣支持率を性別に分けると、男(49%)に対し女(32%)と女性の支持が急落した。無党派層でもその傾向は変わらなかった。党派によらない女性全体の傾向だった。では世代別ではどうだったのか。

私はこれを見てピンとくるものがあった。日本経済新聞の分析結果では、内閣支持率は女性が報道を見て得た人柄の印象に大きなな影響を受け支持率急落の大勢が決まった。私の推測では、彼女達が受け取る主な情報源とは、昼間のニュースバラエティ番組である。芸人と政府に批判的な識者が面白おかしく進行する番組だ。

私が仕事を辞め昼間のニュースバラエティ番組を見るようになって10年余り経ち、この手の番組の作り方が家庭の主婦にどんな影響を与えるか何となく理解できるようになったと思う。番組はこの数か月は大相撲か森友問題に集中して根掘り葉掘り報じていた。

こんな番組を毎日見たら普通の人ならバランスの取れた物の見方が難しくなると思っていた。佐川氏の国会での証言の印象を街頭でインタビューを受け、不信感たっぷりの返事をした人達の多くが昼間のニュースバラエティ番組を毎日見ているオバチャン達のように見えたのは勘違いだろうか。

私見だが、バラエティ番組のもう一つのネタだった大相撲の暴力事件では、具体的な主張が見えないのに何故か貴乃花親方を支持する報じ方だった。毎日これを見てオバチャン達は根拠なく貴乃花親方に肩入れし協会を嫌ったのではないだろうか。私の目にはバラエティ番組が主婦や貴乃花親方を勘違いさせ、結果的に弟子の暴行事件が彼を窮地に陥れたのではないかと思う。

話は変わって日本では殆ど報じられなかったが、CNNが実施した直近の世論調査でトランプ大統領が支持率を40%台に盛り返したという驚きの結果が報じられた。トランプ氏は何(十?)人もの女性とのセックススキャンダルが連日報じられ女性の支持が最低と言われながらも、何故支持率をあげたのか興味がある。日米にどんな差があるのだろうか。

貿易赤字の大半を占め知財問題を抱える中国への強硬な貿易制裁、北朝鮮の核開発に対応する強硬派の人事と首脳会談、英国に亡命中の露人スパイ親子を薬殺未遂した疑いに対する対ロ制裁・・・、等とこのところ大統領選時の公約だった強硬策を秋の中間選挙を控え連発しているのが支持回復の原因かもしれない。そう言えば米国人にはそういう外交策を好む所もある。

だとしても、秋の中間選挙でトランプ大統領を嫌がる女性票の反発で共和党は敗れる方に私は賭ける。日米ともに女性が与える影響力が大きくなるのは間違いないと予想する。だが、女性が活躍する場を広げれば何でも良しとするのは少し乱暴だと思う。確かなのはニュースバラエティ番組を何とかした方が良い。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三世代を結ぶ桜

2018-03-29 16:01:29 | 日記
昨日東府中の米軍基地跡に作られた都立府中の森公園に行き、孫を連れて来た娘と家内と私の三世代が落ち合ってお花見をした。桜の木の下の芝生にゴザを布き三世代揃ってお昼を頂いた。娘はハンバーグ、家内はお握り、私はあんこたっぷり団子、孫は子供用のパンやポテトチップ。

日曜日に歩いた桜通りの桜は7分咲き程度だったが、3日後の昨日はほぼ満開で散り始めていた。数日前テレビで満開と報じられた上野公園や目黒川沿いの桜より3日遅れ位の感じだ。桜祭りは3/24~4/9の予定だそうだ。パレードがあるのは最後の2日で、これでは桜は散ってしまいそうだった。

毎年温暖化のせいにしながら散った桜の木の下で桜祭りをする印象がある。平年気温の推移を見ながらそろそろ桜祭りの日程を見直し前倒ししたらどうだろうか。ここだけではない、テレビニュースを見ると関東全域の桜前線はもう満開の勢いだ。

平日にもかかわらず公園は花見客が多かった。彼等の多くは春休みの子供と母親で、意外に老人の姿は少なく平日のためか父親らしき男性も殆ど見かけなかった。公園狭しと駆け回る子供や幼児の姿を見ると心が温かくなった。昨日は3月には異常な暖かさで、私もYシャツ1枚でも十分暖かかった。

我々パーティの中心は満2歳になったばかりの孫だった。滅多に会わない私にも暫くすると慣れて来て嫌がらず抱き着いてきた。家内や娘が言うにはこの孫は老人が好きなのだそうだ。我々大人は孫の姿を見て大袈裟に一喜一憂した。桜には我ら三世代を結びつける力があるようだ。

1週間後の4月初めには今度は長男家族と高尾山をハイキングする予定だ。年齢や体力に応じて複数のコースを考えている。多分、ここより1週間遅れで桜が咲いているのではと期待している。そして、山桜が我々三世代を結び付けて欲しい。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主語を取ったら本質が分かる問題

2018-03-26 13:35:34 | ニュース
減ったとはいえ年間4千人近くの事故死の半数以上に関わり、若者世代が将来の為払った半分以上の保険料を使い、不足している保育所の開設を反対、… と言えば我が国の少子高齢化問題だとピンとくる人が多いと思う。だが、事情を知らない人(例えば外国人)なら重犯罪者と決めつけるだろう。

高齢者という主語を取ったら何と酷いことをする人達と思う。或いはもっと分かり易いのは、主語を個人名から始めれば、その人は立派な犯罪人だ。だが、主語を高齢者から始めるとそれだけで話は違ってくる。高齢者は魔法の言葉、しょうがないと思う人が多いと思うはずだ。

このような高齢者の問題は実は様々なレベルで発生している。例えば、実家のある田舎では有線放送の半分は、行方不明の高齢者の消息を尋ねるものだ。もっと卑近な例として日常生活で当たり前だが、高齢者がその歩く速度に合わせ信号を長くし、道幅一杯にノロノロ歩き人の通行を妨げたりする。

これは言い換えると、社会全体が「思いやりのある、ゆとりある低速社会」に向かっている。更に団塊世代が後期高齢者になる5年後頃にはもっと低速社会になる予感がある。今のままでは高齢者世代が若者世代をもっと事故で殺し、若者世代のお金をもっと使っているだろう。

深刻なのは問題を起こしている本人が、自分達の問題と認識してないように感じることだ。交通事故を起こし若者を殺した高齢者の言訳をニュースで見るたびに怒りが湧く。高齢者にも言い分がある。昨日の朝日新聞の1面に「徘徊と呼ばないで」という高齢者の声を報じる記事があった(別に朝日の問題ではない)。実は私はこの記事を見て自分の考えを投稿しようと思った。

その気持ちはよく分かる。しかし、どれだけ次の世代に迷惑をかけているか分かってないと思うと、複雑で素直に同情できない。多分こう言い方は「血も涙もない、思いやりがない」と顰蹙を買うだろう。だが筆者も70過ぎの高齢者だと言えば少しは許して頂けるだろうか。

戦後直後の日本は現代とは異なり凶悪犯罪が続発した危険な時代だった。皮肉なことに70年後に今度は高齢者が‘意図せずとも’若い世代を殺しお金を盗んでいる時代になった。この私の暴言を受け止めて欲しい高齢者の多くは多分聞く耳を持って判断できない。私は全く自信はないが、我々が正気でいる間にこの「負け戦さ」を戦い正していくしかない。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不都合な真実に蓋をする’先進的’メディア

2018-03-25 18:55:34 | ニュース
東日本大震災による福島第一原発事故を機に、主に欧州で脱原発の動きが活発になった。特にドイツは初期の太陽光発電から現在は風力発電を積極的に採り入れ、脱原発の世界最先端を走っていると言われている。私は一挙に脱原発に行くのは現実的ではないという立場だが、本記事はその是非を問うものではない。

日本でも小泉元首相などが脱原発を主張し、朝日新聞など所謂‘先進的’メディア等が大きく取り上げている。一方政府は当面原発をベースロード電源とする現実的な方針を掲げ、野党の一部や先進的メディアから非難を浴びている。私には不人気な政策でも国民生活を考えた現実的な判断だと思う。

今日の午後、たまたまテレビでBSフジ(Ch.8)が、「再エネ神話の結末~ドイツ・オーストラリアで見た現実~」と題して、再エネルギー先進国ドイツなどの取材結果を報じていたのを見た。番組は割高な再エネ費用を賄うため電力料金が上がり、支払えず電気を止められた貧困層30万人の存在を紹介していた。

又、風力発電が安定して電力供給できない為、バックアップとしてCO2排出の多い火力発電の稼働率が下がらず、再生エネの比率が高まってもCO2は減ってない現実を報じていた。最先端のドイツがこれでは他は推して知るべし、という所だろう。私には無視できない重要な副作用だと思った。

こういう現実を知っているはずだが、小泉首相も‘先進的メディア’も全く口にしないのは無責任だ。彼等の主張にとって「不都合な真実」には蓋をするとは実に困ったものだ。ただ、今に始まったことではない。近年でも朝日新聞には原発事故について意図的に発言を変えた重要な前科がある。

彼等が主張は主張として問題提起するのはいい。寧ろすべきだ。だが、「不都合なことも起こる、それでもこう考える、或いはこう考え直す」という姿勢が必要だ。でないと報道が常に真実を伝えてくれるという信頼をなくすことになる。取り敢えず我が家はまだ朝日を購読している。しかし、目的は反面教師としての役割に変化しつつある。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私はこうしてFacebookから抜けた

2018-03-23 14:48:54 | 日記・エッセイ・コラム
Facebookが不正情報流出で窮地に立たされている。5千万人超のユーザー情報が不正に外部(英データ分析会社ケンブリッジ・アナリティカ)に流出し、2016年の大統領選でトランプ氏に有利に働くよう利用された疑いだ。当初は自社の責任ではないと言訳していたが、批判が相次ぎザッカーバーグCEOは「過ちを犯した」と企業責任を認め謝罪し、議会証言が予定されているという。

私とのかかわりは約10年前に当時メル友だったNY州シラキュース市のベテラン看護婦の紹介で、Facebookの彼女の家族サークルのメンバーになった。便利だったがメールのやり取りが彼女の家族や知人に共有され筒抜けになるのは違和感があった。彼女の子供や友達のやり取りまで入って来るので、まるで他人の家を訪問したようで違和感があった。私自身は家族のやり取りには興味が無かった。

一方でどういうルートからか知らないが、フィリピン政府の女性職員からアプローチがありやり取りするようになった。そのうち、長い間音信不通だった同級生からアプローチがあり、近況を知らせたり趣味の写真を共有するようになった。その後、アラブの春にSNSが大きく貢献したとニュースになり、Facebookが世界の加入者を増やし独占的なビジネスに成長するのを見た。その間に主要機器がパソコンからスマホに変わり、爆発的に加入者が増えて世界の巨大企業になった。

ある時、Facebookとは関係のないはずのサイトに私のブログ記事を投稿した時、引用した記事をFacebookが断りもなくサークルの皆に伝えているのを見つけた。私は監視され誰かが個人情報を覗き見ているようで、とても嫌な気分になった。そんな時に上記の看護婦にボーイフレンドが出来て頻繁にメッセージのやり取りし始めたのを機会に私はFacebookを抜けた。と言っても実際には訪問を止めた。

前後して米国勤務時代の同僚の紹介でLinkedInにも加入した。米国人同僚の消息を知るには便利なツールだった。だが、私自体はもう働くつもりはなかったし、新しく知り合いを作りたいとも思ってなく積極的には関わらなくなった。先週、米国で売買した家の仲介をしてくれその後もハイキングやバドミントンに行くなど懇意にしていた不動産屋Bが私にコンタクトを求めて来て、20年ぶりに見るちょっと老けた面影を見て懐かしくなった。でも、それだけ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする