かぶれの世界(新)

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故郷で寺巡り

2020-05-31 10:49:46 | 日記・エッセイ・コラム
私は第二次世界大戦直後に愛媛県大洲市新谷(にいや)で生まれた。いわゆる団塊の世代だ。当時は喜多郡新谷村で人口は高々2千人位だったと思う。クラスは3つあった。遡ると新谷藩は1万石の「小」大名で、廃藩置県で一時「新谷県」になったという笑い話みたいなことが起こった。

話は現代に戻り1週間前に回覧簿の中に銀河鉄道999の作者松本零士氏の「こころの古里」と称する新谷の名所を描いたチラシがあった。それを見て小さな村に7つもお寺があることを知った。古戦場だった矢落川の北岸に小中高学校や商店街があり、八十八か所巡礼の道が通る。そして、かつての新谷藩の陣屋と四つの寺があった。

川の南側にも三つの寺があり、合わせて七つも寺があった。昨日、帰郷後の懸案事項だった実家の修理の日程や手順を打ち合わせて目途が立ったところで、急に思いついて南側の三つの寺巡りをすることにした。いつも午後の4時頃にその日の予定を済ませると何かを思いつく。普通はタダの散歩だ。

矢落川の橋を渡って何時もの散歩道から別れ、くねくねした農道を南の山に向かって歩いた。新谷のシンボルの神南山の山裾に最初の法眼寺があった。チラシによると初代藩主加藤直泰の母(法眼院)のために開基したという。つまり殿様一族の墓で、一般の寺の様に周りに信者の墓石はない。

その真横に総持寺があり参道の途中に信者の墓が林立していた。この二つの寺は山裾の真横にあるのに、参道は別で坂を上り下りしなければならない。当然ながら、同時に二つの寺に参る人のことなど考えた作りではない。私の推測では、こちら殿様のお寺、あちら商人のお寺といった感じだったのではないだろうか。曇天で湿度が高くここまで来て額から汗が吹き出してきた。

最後は山裾を西に向かって起伏のある道を1kmばかり歩き、側道も塀もなく道沿いに直接大きな和風旅館かと見紛う作りの真光寺だった。石柱には浄土真宗本願寺派とあったが、宗教に疎い私にはネットで調べてもどういうものかピンとこなかった。もっとも全ての寺で感じたことだが。

ここまで来てお寺巡りの予定を終え、いつもの散歩道に戻った。6-7kmくらい歩いたと思う。途中で時々見かける黒ずくめが印象的な老年カップル(私は忍者カップルと呼ぶ)に出会った。新谷はどうしてこんなにお寺が多いのか、奥さんにチラシを見せて聞いてみた。

分からないけどと断って、新谷藩があったからかもとの答えだった。チラシによると藩のお寺が二つある。北側にあるもう一つの藩のお寺には、家臣のお墓があるのではと思った。そうかもしれないと思いながら帰宅、歩数計は9500歩だった。■
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子供が消えた

2020-05-30 11:41:13 | 日記・エッセイ・コラム
今週初めから堤防上の散歩道とそれに繋がる市立公園から子供の姿が消えた。1か月前頃から子供と付き添いの若い親の姿が湧いて出てきたように増えた。散歩に出かけると遠くからでも子供達の楽しそうなはしゃぐ声が聞こえて来た。こんな田舎でも子供達がこんなにいるんだと嬉しくなった。ジョギングする若者の姿もちょくちょく見かけた。

子供達の主な遊び道具はスケートボードか自転車だった。私の孫と同じ年代の幼稚園から小学校低学年位の子が上手に自転車に乗りこなす姿に目が行った。すれ違うたびに声をかけると遊びに夢中な子供達から元気な声が戻って来た。私にはそれに続く若いママさんと交わす会話が楽しみだった。若い父親の姿が多いのも今まで見たことのない風景だった。

彼等が一気に消えた理由は分かっている。この地では緊急事態宣言直後は休校から分散登校になった。そして今週から全員が投稿するようになった。両親の仕事がどうなったか分からないが、子供達が学校や幼稚園に通うようになり、親だけで散歩や公園に出掛ける動機が無くなったようだ。

そうなると、散歩で出会うのは殆ど老人だけに戻った。黙々と歩きすれ違う時会釈するだけ。コロナは散歩道と公園に賑わいをもたらした。そんな稀有な風景が突然天然色からセピア色に変わったみたいに寂しく感じた。■
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手の平返しのコロナ報道に思う

2020-05-28 12:01:47 | ニュース
日本のコロナ対策が成功したと評価する海外メディアの報道が大量に流れて来て、連日政府非難の報道をしてきた日本マスコミが遂に手の平返しした。特に繰り返し強めの非難を続けて来たテレ朝とTBSに注目してきたが、今朝のテレ朝の番組を見てそうは言わないものの全面降伏したと受け止めた。

私は早い時期から欧米の絶望的に増えていく死者数に比べ、日本の死者数が極めて少ない事を指摘し何度も調査すべきと指摘した。だが、日本のマスコミは欧米マスコミの日本非難、特に検査数が極端に少ない、を繰り返し取り上げまるでコロナ対策が上手く行ってないように報じた。

お笑い番組で今やタレントの杉村太蔵氏が死者数に注目せよと発言し、他の出演者からスルーされる場面を偶然見た。物事を違った角度から見直す良い指摘だと思ったが、これがマスコミが作りあげた日本の世論だと残念に感じた。一方、マスコミは日本人に危機感を持たせコロナ対応を徹底させたのも事実なのだが。

総合すると私はこの報道の在り方に危機感をもって何度か投稿した。目の前に具体的なデータが豊富にあるにも拘わらず、まともな評価分析をせず国民の目を間違った方向に向けた。視野の低さは日本民族の遺伝的体質だ。私は世論を煽って第2次世界大戦に突入させた戦前の新聞まで持ち出して目を覚ませと指摘した。

しかし、彼等に自から考えを見直して方向付けすることが出来なかった。WHOのコメントと海外メディアの手の平返しの評価が出て初めて報道を変えた。分かり易く言えば、外人に言われて初めて考えを変えた(外人に弱い)。これって、成績は良いけど頭の固い優等生の陥り易いパターンだ(単にバカかもしれないが)。

一旦走り出したら(多分、編集委員長とかの社の方針)中々変えられない、それも日本の特徴の一つかも知れない。しかし、私が戦争まで持ち出したのはこういうやり方が極めて危険だからだ。データに基づき事実の本質は何かを探り国民に知らせる。それがマスコミのあるべき姿、出来ないのなら失格だ。

いつも正しい判断を続けるのは難しい。それを避ける為には事実の報道に徹し、事実の評価については複数のコメンテータ(専門家が必須)意見を交換させることだ。マスコミお抱えのコメンテーターにだけ意見を言わせると、間違えた時の傷は大きい。ましてや芸人や俳優などタレントの素人意見は扱いに注意すべきだ。

最後に、手の平返しの報道もやらないよりはまだマシと思う。知らん顔してスルーされると国民に事実を伝える役目のマスコミが故に無責任だ。コロナ報道で間違いばかり報じた訳では決してなく、沢山の重要な提案もあった。信頼を取り返す為には手の平返しは良いスタートかも知れない。何故そうなったか反省すべき、それがないと「慰安婦問題」みたいに尾を引く体質が残される恐れがある。■
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コロナ対策に成功した日本、内閣不支持に成功したマスコミ

2020-05-26 16:56:09 | 国際・政治
5日前に予想した通り、日本の非常事態宣言解除は海外から驚きをもって受け取られた。

非常事態宣言が全国で解除された。日本特有の緩い緊急事態宣言が効力があるのか半信半疑だったが、僅か1か月半で解除された。当初海外メディアは強制的な都市封鎖でなく検査数も僅かで機能しないと報じた。情けないのは日本マスコミで、目前の出来事を正しく読み取れず、政府のコロナ対策を連日非難し続けた。

偏見を持たず注意深くデータを分析すれば、日本は主要国に比べ圧倒的に死者数が少ないことに気付いたはずだ。だが、死者数を無視した日本マスコミの能力の欠如(?)にはほとほと失望した。そして遂に、海外メディアが手の平返しで日本は成功したと報じ始め、WHOテドロス会長も成功したと述べたという。

海外メディアの多くは日本のコロナ対策が自国と余りに違うので未だに信じられず、日本の報告をスルーするか「奇妙な成功」などと言って理屈よりも文化的な背景に原因を求めている。多分、それは正しい。私は最初から日本人と日本的民主義がきちんと機能するか問われていると指摘した。負けられない戦いとみた。そして海外メディアから「日本の奇跡」と称賛の声まで聞こえるようになった。

私から見ると日本マスコミは初めから政府の対応に否定的で、一貫して個別対応の問題点を取り上げ非難して来た。「医療崩壊を防ぎ死者数を最小化」する目的を果たしたかどうかそっちのけの報道だった。その時使った武器は、コロナ対応に失敗した欧米の否定的報道、政府に助言した専門家チーム外の専門家、会話に説得力のある素人評論家などだった。彼等が何を言ったか後から検証するといい。だが、煽られ不安に陥った国民には響いたようだ。

直近の朝日毎日系の世論調査結果では内閣支持率が安倍首相就任以来最低を記録したという。日本がコロナ対策が奇跡の成功を収めたにも拘らず政府支持率が最低になったのは、これまた日本マスコミの奇跡の大成功だと私は思った。日本に二つの奇跡が同時に起こった。まさかの歴史に残る世紀の奇跡だ。必ずしも日本だけの現象ではない、その評価は後世まで待つ必要があるのだろうか。■
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(邪推)マスコミに正義はあるんか

2020-05-24 21:36:34 | 国際・政治
日頃マスコミに批判的で天邪鬼な私が黒川検事長の賭けマージャンについて、例によって根拠は曖昧だが直感に従い報道する側の問題を追求ししてみる。

黒川検事長が大手新聞の記者と賭けマージャンをしたことが週刊文春に暴露され、法の番人である検察の長が緊急事態宣言下での不注意な行為と認め辞任することになったという。日本経済新聞の社説しか読んでないが、検察の信頼を深く傷つけ、辞任は当然であるという指摘に全く同意する。

だが少し引っ掛かる部分がある。上記社説では、麻雀相手が記者3人だった事実を重く受け止め、節度を保った取材の徹底を改めて肝に銘じたい、と言い訳の様に最後に付け足したと感じた。黒川氏の立場上の責任は当然で非難されるべきだが、4人は法の下の平等で同じ罪を犯した記述がない。

最初にこのニュースを聞いた時、これではマスコミの追及は緩くなりそうだと直感した。黒川氏の麻雀相手が大手新聞記者で、彼等が検察トップと普段から密接な関係を保ち情報入手していた、今回が初めてではない。入手した情報を生かして記事を書き、会社が知っていた可能性もあると。

マスコミ各社はその辺の詳細を知っている可能性があるが、間違いなく表に出すことはないだろう。黒川氏とではないとしても類似した関係を結び情報を入手するルートを堅持したいはずだ。徹底的に調査して我社はそんな記者はいないと宣言したマスコミは一社もない様に感じる。■
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