かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

sinking feeling

2007-12-28 17:46:16 | 社会・経済

26日の「2007年大胆占い、見事に外れる」の本音を吐露する続編です。

去1年、世界の中で日本のプレゼンスがドンドン低下していくのを感じる度に、この言葉を思い出した。目眩で方向感を失い奈落に落ちていく感じだ。自分ではどうしようもない無力感というか文字通り「沈み行く感覚」とでも言うのだろうか。ずっとこの感覚に陥っていた気がする。

名優Jニコルソンがアカデミー特別賞を受賞した時、その年ヒットした映画「タイタニック」をもじって受けたジョークだが、何故かその時私の中で沸き起こった感覚が忘れられずにいた。最近の日本のプレゼンスの低下は私には正に‘sinking feeling’だ。

昨日の報道によると2006年日本のGDPがついに世界の10%を切り9.1%、一人当たりのGDPが何と世界18位に落ち込んだという。2-3ヶ月前にかつての同僚は一人当たりのGDPが英国に抜かれたことをしきりに嘆いていたが、今回はそんなものじゃない。昨年はピーク時の半分で24年前の状態に戻り、OECD加盟国の最下位争いをする位置にあるという。

今日の日本経済新聞は世界の金融機関の株式時価総額ランキング(12/25現在)で、日本の銀行が軒並み後退し終にトップ10に1行もランクされてない事態になったと報じている。サブプライムで大打撃を受けた米銀のランクが低下するのは当然として、大きな損失を出さなかった邦銀の低迷は寂しい。これが何を意味するか極めて明確だ。

ジャパン・パッシング

グローバル・マネーにとって日本市場は投資してもリターンが期待できない、魅力を感じない市場とみなされている。日本企業は業績向上より買収防衛策に熱心で誰も株式を買いたいとは思わなくなった。結局日本を通り越して急成長する国々に資本投下され、それら国々に急成長と繁栄をもたらした。所謂「ジャパン・パッシング」だ。

落ちるところまで落ちたという感じだが、実はまだまだ落ちるだろうと悲観的にならざるを得ない。何故なら、安倍内閣が掲げた改革は停滞し福田内閣になり逆流を続けている。公務員制度改革は骨抜きバラマキ政治に戻ったが、メディアはもとより国民のメンタリティも目が向かず内向きに傾斜している。

メディアと国民の関心は目先の年金などにのみ向き、結果として政治は内向きのポピュリズムに陥った。だが現実は2007年のGDP成長率は1%台の見込みで、1人あたりのGDPは更に低下し20位台に落ちるのは間違いない。そんな国が果たしてかつての一人当たりGDPトップ時代の福祉や生活をする実力があるのか問われているのだ。

苦い選択

<personname></personname>

子供や孫などの次世代から前借して分不相応な生活水準を維持するか、公務民制度を効率の良いシステムに徹底改革し農業などの一次産業とサービス産業の生産性を高め再度成長の道を辿り自らを助けていくのか選択は二つに一つだ。「もの作り」ばかりに焦点をあてるが、それでもって残りの7割のサービス産業を支えることはできない。 

人口減少と高齢化社会が最早避けることの出来ない日本縮小への道であり、それに対して実現可能な施策が存在し得ないのなら、水谷研二氏が長年説いて来た様に節約国家(2001東洋経済)になると覚悟し目先の利益を捨て高度成長前の生活に戻るしかない。

それは繁栄を享受してきた者の責務だ。しかし、多くの人にとってまだその覚悟は出来ていない。「福祉は必要だが税負担は嫌だ」という。税金の無駄遣いを徹底して削り、足りない分は次世代から前借するしかないというのでは無責任で破滅の道だ。

しかし、他にも道はある。日本がバブルに酔いしれていた時、行き詰っているといわれた北欧の高負担高福祉国がその後の規制緩和などの改革で、今日一人当たりGDPランキング高位を独占するまでになった。日本人に出来ないはずがない、まだフンギレナイだけだと思う。

いざとなった時、日本人は柔軟で対応力が極めて高い民族だ。最終的にその方向に向かうが、今はまだその覚悟が出来てないと私は感じる。だが、そう言ってる間にも日本は益々プレゼンスを失う。果たして次の総選挙までに腹をくくることが出来るかどうか、私は出来ないと見る。まだ落ちるところまで落ちてない、もっと酷い目にあってからと思う。■

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし雑感07冬(3)

2007-12-27 23:06:53 | 日記・エッセイ・コラム

2時間待ちの予約

先週松山市にある眼科に母を連れて行った。10時に予約していたらしいが、着いたのは1020分、診察を終ったのが何と1220分だった。予約に遅れていったが、それでも長すぎる。母はそんなもんだと思っている様子、予約時間に間に合わせようという気もなかった。

受付に聞くと3人の先生がいて夫々30分に6人予約をとるという。受付が遅れても成るべく早く終らせようとしたというから、遅れたペナルティという訳でもないらしい。年寄りに2時間も待たせるのは酷いじゃないかと言うと、院長に相談するの一本やりで抗議を何とかやり過ごそうという姿勢が見え見え。

クレームの代償

待合室には30人余がいた。殆どが老人で静かに待っている。2時間待ちは常識、というような感じの無表情で待っている。どうせ時間を持て余している人達、先生に文句を言ったらあとでちゃんと診てもらえない、ということなのか誰も文句を言わないのだろう。やっぱり誰かが非常識だと言わなければ、という思いだった。

母に言って汽車の時刻に合わせて間に合うように次回の予約を入れてもらった。今の予約システムのままだとそれでも待たされそうだ。タクシーに乗り文句たらたら言うと、運転手が話に乗ってきた。彼も同じ経験をして医者と喧嘩した、30分は理解できても1時間は酷い、2時間なんてありえない、と目的地に着くまで悪口を言って鬱憤をはらした。気がつくと手袋を車に忘れていた。

消費者保護・続編

母の生活費のための貯金を下ろしに農協に行った。先日ゆうちょ銀行での預貯金や投資のための代理人の手続きが厳しく時間がかかったことを報告したが、農協銀行はどうなのか尋ねてみた。 預金の入出金などは代理人の名前・連絡先を申し込み用紙に裏書すればOKとのこと。

その理由がいかにも農協らしいと納得するものだった。顧客が狭い農村社会の構成員で、お互いに顔が分かっているという前提で成り立つ手続きだ。知らない顔の場合はどうなのかと尋ねると、身分証明の提示、電話で本人の意思確認をするそうだ。私は知っている顔と聞いて嬉しかった。

元気と憎たらしさ

今月初めまではお正月のお餅を買ってきてくれと言ってた母だが、数日前に気が変わったようで自前で作るからモチ米とモチとり粉を買ってきてくれと言い出した。といっても機械でつく餅だ。しかし、何十年も前に買った初期の餅つき機で前後の作業は、今の母にとっては大変な重労働に変わりはない。

一日中コタツでテレビを見たり寝たりの母がよくそういう気になったと思った。どこかに何でもいいから回復の兆しを見つけ出そうという気持ちから出た勘違いかもしれないが、ほんの少し母の顔がしまってきた印象を受ける。同時に昔の細かいことに口うるさい憎たらしい母が一瞬戻ったと思った。来年になれば本物かどうか分かるだろう。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年大胆占い、見事に外れる

2007-12-26 18:36:46 | 社会・経済

「2007年大胆占い」は冒頭で世界経済の減速を予測し、最後は次の文で締めた。2007年は米国が内側に向かい、困難を抱えながらも経済的にはユーロが第2基軸通貨としての位置を固め、政治的には米国は欧州との連携を求め、相対的に欧州が中国インドの台頭とあいまって多極化する政治経済の世界で久しぶりに存在感を示す年となるであろう。」大局観は間違ってなかった。

しかし、具体的なところで今年の「大胆占い」は見事に外れた。国内外に影響を与えた重要な二つの事件、サブプライム問題に端を発したグローバル金融不安と、年金不信で安倍内閣が崩壊しポピュリズム政治が国内を覆い改革が停滞した。原油高騰は想定範囲内だったが、1年前にはこの二つは予想できず、事態が変化し始めた時も本質が何かを中々飲み込めなかった。

サブプライムの問題の大きさを読めず

サブプライム問題が地球規模で信用不安を引き起こし、経済をスローダウンさせると予想できなかった。米国の低所得者向けローンの焦げ付きは、最初住宅ローン専門会社に問題を限定する見方をし、その後ヘッジファンド、欧州の銀行、米国の大手銀行に問題が波及していくのを追いかけ、いわば「後知恵的解釈」をした。

元々世界経済がスローダウンするとは予想した。しかし、サブプライムの本質を最初から理解して問題の核心に迫り、何処まで影響が広がるか予想できなかった。住宅ローンの証券化がリスクを薄めて拡散し、高利回りを狙うヘッジファンド及び欧州等の銀行に損失が広がり、世界規模の金融システム不安を引き起こした。

更には、未だに米国の大手銀行が次々と巨額の損失を報告し一向に収束する気配を見せない事も予想しなかった。表面的には傘下の子会社の損失が簿外に隠れていて、決算期が来て突然オンバランスし表面化した為といえる。しかし、私にはその可能性を軽視する思い込みがあった。

勘違いと思い込み

2000年にITバブルが弾けた時、米国の銀行は殆ど影響を受けなかった。それには理由があった。90年代に銀行は歯止めなく信用リスクが広がるのを防ぐ為BIS規制が導入され、資金調達の場として市場型間接金融が成立した。

言い換えると資金仲介者(銀行)と資金運用者(機関投資家等)の分離が進み、信用リスクが銀行から保険や年金などに分散され、信用不安リスクに強い合理的な金融システムに移行したという理解があったからだ。

ところがこの仕組みには穴があった。特別運用会社(SIV)に資金を投入しサブプライムを組み込んだ高利回りの証券をバンバン買わせた。銀行はそういうSIVを何社も抱えていたのだ。これら証券は殆ど値がつかず、時価評価で損失決算してお金がなくなり信用不安というのでは、BIS規制は何だったのだろうかということになる。そこに私の勘違いがあった。

安倍首相の唐突な退陣に驚く

もっと驚いたのが突然の安倍内閣の崩壊だった。私は参院選大敗後に安倍首相が退陣しないという判断はありうるとは予想した。一方、彼の内閣が起こした問題ではないとしても、理由は何であれ国民の信を無くしたままで国政運営をするのは危険な賭けだとは思った。それがあの放り出す形で突然の辞意表明をするとは予想だにしなかった。

この見込み違いについて、再び私には思い込みがあった。それは「現実に目覚めたクリーンなタカは最高の指導者になる」という思い込みだ。過去20年くらいの例でいうとレーガン大統領であり、中曽根首相が該当すると私は思い、構造改革の断行を期待した。

しかし、宙に浮いた年金問題は何もかも吹き飛ばし、我が国は一気にポピュリズム政治に陥ってしまった。それでも自分の信じる政策で中央突破しようとする安倍首相は、テレビでKYと散々揶揄され、矢尽き刀折れて文字通り倒れてしまった。私の思い込みが見事に外れてしまった。

同じ辞任騒ぎでも殆ど間を置かないで起こった小沢民主党代表の辞任騒ぎの場合、彼の政治経歴を見れば別に驚くことではなかった。明らかに彼の場合、辞任も政治的な取引カードの一枚であったと思う。福田首相は食いついたのに民主党内支持を得られず短気を起こした、とも言われている。だが、彼にはクリーンなタカ派というイメージはない。

最後に、お楽しみのスポーツ占いは意外と読みが当たった。オシム監督が病で倒れたのはいかにも残念だった。彼は日本サッカーを変えそれを世界に認知させることが出来た人だと思う。日本人メジャーは頑張った。日本プロ野球は思ったより頑張ったと思うが、自己改革が出来ず依然将来が見えない1年だった。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私的・日本の富裕層

2007-12-23 18:26:39 | 社会・経済

ローバリゼーションの深化に連れて、世界各国で富裕層が急増している。メリルリンチ(2007.7.12)によれば2006年末の100万ドル超(1.1億円)以上の資産家が1年前と比べ80万人8.3%増えて世界で950万人になったという。凄い勢いだ。

特にロシアや中国、インドなどの途上国では経済成長につれ富が限られた層に集中し、極端な格差社会が出現した。1年間でロシアは富裕層が15.5%、中国は7.8%増えたと報告されている。比率だけでなく、頂点に立つスーパーリッチといわれる人達に突出して富が集中したのも特徴だ。

一方、日本では5.1%増えて147.7万人、世界の富裕層の15.5%は日本人だと発表した。日本の所帯数は約8000万であるから、約50人に一人が1億円以上の資産家ということになる。格差問題で底辺の人達ばかりが議論されるが、身の回りのお金持ちについても語ってみたい。

実は、田舎の実家にある極小さな集落で約3-4割が上記の富裕層にあたると母は言う。何故そんなことが分かるかというと、昔からのお金持ちは2,3軒でありよくわからないが、その他のお金持ちは80年代以降に高速道路・国道・堤防拡張のために農地を売却した農家で、売却した土地の広さと単価で簡単に幾らか分かるからだという。

家といっても家族三世代のうち祖父母が死ぬまで働く農業、両親は兼業、子弟はサラリーマンという構成が基本である。私のように母は農地を貸し、両親(私)が都会に出てサラリーマン、子弟は最早血が繋がっているだけの都会人、という形で後継者が断たれている場合もある。あるいはこの断点がもう1世代後の場合もある。

多くの富裕層は自ら汗して手に入れた富ではない。先祖伝来もしくは戦後の農地解放で手に入れた土地がたまたま上記のインフラ工事にぶつかったため、高度成長時代に主として企業が生み出した巨大な富が移転されたのだ。歴史上30年くらいの特異な期間で起こった特異なことだ。

格差問題で喧々諤々の議論が起こる中、近所のお年寄たちは自然体で柔和な顔をして黙々と農業をしている。大金を手に入れても、彼らの生活は変わらず質素でお金持ちの印象は全くない。極めて堅い清貧な生活をしてきる。しかしながら、私にはいくつか農村に共通する問題を感じる。

一つは本業の農業が幾ら厳しい状態になっても、いざとなった時に使える資産がある。彼らは原点に戻って必死で農業を改革して効率化して行く気が起こらないし、もう若くもない。農業再建をになう人達ではない。こういうところにバラマキ予算をつけるとどうなるか、容易に予想がつく。

もう一つは、農家の資産の殆どは定期預金の形で地元の農協や郵便局、地方金融機関に預けられ、お金を有効に働かしていないことだ。私はこの資金の規模がどのくらいの額になるのか具体的なアイデアはないが、一方で自治体は巨額の借金を抱え倒産してもおかしくない状況にある。蛇足ながら、幸か不幸か実家の農地はインフラ工事にかすっただけでした。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主党の政権担当能力を見せる時

2007-12-21 22:40:27 | 国際・政治

田内閣、国民の信を失う

今週日経新聞を皮切りに福田内閣支持率の世論調査結果が発表され、いずれも支持率が二桁以上の大幅下落を報じるものであった。今回の下落の原因は極めて明確で、守屋元事務次官逮捕などの防衛庁疑惑、宙に浮いた5000万件の年金問題、薬害肝炎問題の対応が国民の支持を得られなかったからだ。

今まで何度も触れてきたように、これらの問題はすべて官僚たちが彼らの責任で起こした問題だ。決して現内閣でもその前内閣が起こした問題でもない。原因を突き詰め問題を起こしたシステムと人の問題を明らかにして、再発防止を図ることが最優先事項である。

官僚を代弁する官邸

詳細は今後の調査によらねばならないが、問題の大枠では何がまずいのか明確になっている。今話題になっている独立行政法人や民間への天下りを含めた官僚制度の抜本的改革をやるしかない。それは誰の目にも明らかで、政治判断のみが求められている。

しかしながら、福田首相も町村官房長官も思わず失笑するほどに、言い逃れと官僚の代弁的回答に終始、何らの政治的リーダーシップを発揮しなかった。それがあからさまに国民に伝わったのでは、支持率が大幅低下するのは至極当然のことである。二桁の支持率低下には現政権に失望し、政権交代しか解決できないと見切った人達の思いを感じる。

福田首相は就任前から調整型といわれてきたが、かといってリーダーシップが全くないとまでは思わなかった。海外アナリストの中に福田内閣が口だけで実は改革する気がないと、就任早々からの見方に私は危惧した。今のところ彼等の予測はよく当てはまっている。

改革続行型といわれ前内閣から留任した大臣達も、手のひらを返したように独立行政法人の整理統合では抵抗している。冬柴国土大臣など得々と官僚の代弁をする絵を見ると、彼は公明党議員というよりXX族の既得権益を守るボスのような顔に見えてしまう。 

民主党に千載一遇のチャンスが来た

支持率が30%台に低下しその原因と思われる福田内閣の官僚に対する姿勢を見ると、正に民主党が政権奪取する機会が迫っていると私は思う。しかし、国民は未だに民主党の政権担当能力があるか否か見定めてない気配を一方で感じる。民主党もそれほど自信がないと報じられている。それには理由がある。

小沢党首辞任未遂や額賀大臣会食アリバイなど土壇場で踏みこたえたものの、脆弱な党のあり方を露呈した。寄せ集め党が一丸になれない問題は未だに尾を引いている。テロとの戦いで党が代案を出せない[1]のは、そもそも小沢氏の考え方が少数派でまとめられないからだ。それではきちんとした政権担当能力を示せず、昔の政局狙いの性格からと見做される。

年金問題では社保庁の問題と一括りに議論しているが、実際に現場で問題を起こしたのは民主党が支持基盤にしている自治労の人達だ。日本全国で壮大なサボタージュが行われたのだ。彼らの責任を明確にすることも再発防止の重要なテーマのはずだが、身内には甘い。

又、政府部内で難航し独立行政法人の整理統合が骨抜きになりそうな状況で、民主党の声が殆ど聞こえないのは真に不思議だ。渡辺行革相の手法を指摘することもあるが、福田首相のリーダーシップの欠如が根底にある。国論が割れている給油新法案と異なり民主党が国民の支持を受けて攻勢を取れるテーマである。

先の参院選挙で民主党がマニフェストで主張した政策は、財源のないバラマキと非難された。民主党は税金の無駄遣いを辞めれば増税ナシでやれると言ったはずで、当然独立行政法人も対象のはずだ。それとも独立行政法人の自治労に遠慮しているのか。年金問題における社保庁と同じく身内に甘いのか。国民の信頼を得る為避けては通れない問題と思う。

来年度予算代案で民主党の政権担当力を示せ

昨日閣議に提出された財務省原案において、一般会計は昨年度とほぼ同じ83兆円、社会保障費の増加と地方への配慮が特徴で、新規国債の発行は前年とほぼ同じの25兆円余になり、改革色の感じられないものになった。

民主党は独自の予算案を作ると報じられている。何処を削減してマニフェストの社会保険や農村など地方や弱者を支援していくのか明確に説明できるようにすべきだ。その内容について政府案との違いを詳細に国民に説明し、国民の審判を仰ぐべきだ。

来年度予算の中で官僚制度をどう変えていくのか、年金や社会保険の制度をどう見直し、そのために税制をどう変えるのか将来も含めて具体的な政策で議論していく。国民は各論ではなく「入りと出の総論」の中から実行可能で責任ある選択が可能になる。

民主党の政権担当能力を示すのに、これほど効果的な手法があるだろうか。予算作成の過程で政権担当後の民主党政治の姿を見せるべきである。この機会を逃せば政府の個々の政策や誤りを指摘するだけの万年野党の存在価値を示すだけになってしまう。■


[1] 書いているうちに本日対案が提示された。今まで考え方の差異を国会で議論し国民の理解を深めることが出来ず、この1ヶ月余を無駄にしたのは残念だ。その非難を恐れたアリバイ作りとも言われているが、やらないよりはましだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする