かぶれの世界(新)

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旅は道連れ2017秋

2017-09-27 18:42:42 | 旅行記
5ヵ月ぶりに一時帰京した。ゲートでスマホを振りかざして搭乗手続きする若者達を見て羨ましく思っていたのだが、古希のお祝いでプレゼントしてもらったスマホを使う機会がやってきた。予め自宅でウェブ・チェック・インしメールでスマホに搭乗券を受け取った。でもそこから先どうすればいいか分からなかった。

結局、航空会社の搭乗手続きカウンターに行ってやり方を教わることになった。聞けば何ということはない、搭乗手続きというよりスマホの初歩的な使い方を教えて貰っただけのことだ。実はその方がカウンターのお嬢さんと色々話が出来て楽しかった、正直言うと元々それも狙いの一つだった。

いよいよ飛行機に乗ると私と同じ列の窓際に若い女性が座っていた。運がいいと思ったのもつかの間、彼女と私の間にガタイの良い若い(無口な)男性が座った。そのお蔭で証券会社が送ってくれたレポートを熟読できた。「今世紀に入りスマホ・IoT・信用システム・AIのイノベーションにより等差級進化から指数関数的進化が始まった。結果として社会経済システムは新たな均衡点に向かう」という濃い内容で、それはそれで幸運だった。

成田空港から乗ったリムジンの横に座った中年男性は偶然にも私と滅茶苦茶話が合った。彼も同じく愛媛県から東京に戻るところで、話はしまなみ海道のサイクリング経験から始まった。二人とも落車でケガをした経験があり、スマホを使いこなせず家族の会話から遠ざかり、若い頃バイク乗りで程度は違うがケガをした。

話題が変わる度に何を話しても趣味が合い同じ経験をしたと二人で驚き、彼は「奇跡の出会い」だと感激して言った。女性以外と「奇跡の出会い」はしたくない私も、調子に乗ってスマホの写真を取り出して山歩きや海外での経験を紹介した。話しているうちに二人ともスマホ初心者だがIT使いこなしは幾分私の方が上手だった。ということであっという間に成田から東京駅に着いた。やっぱ、旅は道連れ世は情けだ。■
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四国カルスト日帰り旅行

2017-07-30 11:26:11 | 旅行記
木曜日から長男の家族が来て実家に滞在中だ。母の一周忌の法要に来れなかったので、「灯始め」の行事に合わせて家族を連れて来てくれた。滅多に四国の田舎まで来ることもないので、この機会に孫達に田舎の生活を経験させればいいと思っていた。一昨日は近くの長浜町に海水浴に行き、昨日は四国カルストに行った。

海水浴場は候補地を二三紹介しただけだが、四国カルストは私も運転手役として同行した。大洲市から鹿野川ダムを通り高知県の梼原まで南下し、その先の日吉からまるで急坂で蛇行する細い山道(それでも国道440なのだそうだ)を登って行った。田舎道には慣れた私にも狭い山道のすれ違いは怖く苦行の30分間だった。しかし、標高約1400m弱の姫鶴平に着くとそこは別世界だった。

残念ながら我々が滞在中は霧で遠くの山々はかすみ、その先の天狗高原から晴れた日には見えるはずの太平洋も見えなかった。それでもキャンパーやハイカーに人気の観光地だけあって、広大なカルスト高原を吹き抜ける涼風の中で食べたソフトクリームは格別美味しかった。カルスト高原には沢山の牛が放し飼いされていたが、ホルスタインは見かけなかった。観光バスは余り見かけず、車とバイクが多かった。

愛媛と高知の県境にあるカルスト高原には大阪・神戸辺りからの車を見かけた。他県ナンバーのバイカーも沢山いた。バイカーを含め中高年のツーリストが圧倒的に多いのは予想通りだが、若者をあまり見かけないのはちょっと失望した。もっと若者が来ていいはずなのだが、ここでも少子高齢化の現れと微妙な気分になった。
 
天狗高原で昼食後に涼風に当たりながら家族は皆展望台でブラブラしていたので、私はスニーカーに履き替え一人近辺の山歩きをした。折角カルスト高原に来たのに山を歩き自然に触れないのはもったいない。大野ヶ原方面に向かう途中左側の山道に入り、急坂を登り始めると雨が降り始めた。通り雨と思い気にせず歩き続けた。

途中であったハイカーは中高年の女性グループばかりが目についた。気楽な山歩きには最高な高原だ。だいぶ前に息子がアレンジした家族旅行で行った白樺湖と車山ハイキングのことを思い出した。そういえばこの時も一人山靴を準備して歩いた。白樺湖対岸のホテルから車山往復はそれなりの腱脚が必要だったこともある。

堺と土浦ナンバーのバイカーに声をかけた。堺ナンバーは250ccのマウンテンバイク、土浦ナンバーは400ccのロードタイプでいずれも若者ではなかった。50代半ばの彼は高知転勤後に30年ぶりにバイクを買った、数年後に退職して故郷に戻ることを考え土浦ナンバーを取ったそうだ。盛んに「大蔵省」を連発し奥さんの許しを得ていると強調した。それにしても皆若い。羨ましい。

帰りはホテルのロビーで教えて貰った広い産業道路を通った。この道はナビに出てこないので何もない砂漠を走るような感覚になった。山を下る途中、夕立のような強い雨に何度か見舞われた。途中停車した梼原の「町の駅」で聞くとこの辺では毎日雨が降るという。山間部と高温の組合せで発生する上昇気流の気象現象なのだろう。

田舎の独居老人としては三世代の日帰り旅行は楽しみでもあるが、70過ぎた身で運転手役をやり家族の世話役をやるのはいささか疲れた。特に悪戯盛りの7才と3歳の孫と付き合うのは私には至難の業だ。夫々の家族にはやり方があるのは分かっているが、私の目には躾が出来ていないように見えた。

彼等と少し離れていないと余計な口出してしまう。私自身が田舎で身勝手に暮らしているのも原因と自制する位の理性は残っている。昨夕は私だけ先に戻り実家で食事をし、小一時間たって外食した息子家族を迎えに行った。その間に洗濯物を取り入れ、母の新盆の灯始めの準備をした。ルーチンワークをすると落ち着く。

今朝は息子が家族を連れて川遊びに行った。息子なりの気遣いをしているのかも。午後は和尚が来てお経をあげて貰い灯始めが始まる。これで一応目的を果たすことになる。なんだかんだ言って昨日の四国カルスト旅行は楽しく記憶に残るものだった。機会があれば他の家族も連れて行ってやりたい。■
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エロジー、一時帰京

2016-07-01 18:01:13 | 旅行記
松山空港の待合室でこの記事を書き始めた。4月半ばからの田舎生活を中断、今日から約10日間一時帰京する。松本市に行き娘夫婦の赤ちゃん誕生3か月の行事に参加、家族の誕生パーティとか自宅建て替えの為の住宅ローンの申請等をこなす。宅地から奈良平安時代と鎌倉室町時代の土器・須恵器等の埋蔵文化財が発掘された。現在は既に基礎工事が終り、今週末に内輪の上棟式に参加する予定だ。

4月に田舎に来て最初に気付いたのは、ローカルテレビ各局のアナウンサーが一斉に変わっていたことだ。今迄もそういうことが2-3年おきにあったと思うが、いつも東京の美形のアナウンサーに比べて垢抜けない印象があった(失礼!)。しかし、今回は印象がかわった。東京と田舎の差がドンドン縮まっているのだ。例外もある。農協や郵便局の窓口には何故かベテランが配属されていた(失礼?)。

ずっと田舎にいるはずのバドミントンクラブのオバサン達も同じ意見だったので間違いないと思う。驚いたのが体育館の掃除婦の中に若い娘さんがいて、とても可愛いくてチャーミングなのだ。そうなるとどうしても声をかけたくなる、私は病気なのです。作業中の彼女に近づいて行き、どうでもいい質問をした。彼女は変なジーサンの問いかけにも気持ち良く話してくれて気分を良くした。これでお友達が一人増えたと思ったが、その後見かけない。

自称エロジーにとってこれが日常だ。そうでもないと田舎暮らしは長く続かない。私同様母親の様子見にしばしば大阪から実家に戻る義弟は、一通りやるべきことをこなすと時間を持て余すと言って2週間程度で大阪に戻っていく。私の場合定期的に母の様子伺いに行くが、庭や山林田畑を手入れし趣味のバドミントンをやる。その間にエロジーぶりを発揮して味付けをする。これが年に数か月の独居老人生活をこなすコツかもしれない。

加えて今はどこへ行ってもインターネット環境が整備されているので、TV電話もあればメールもあるので家族との連絡もとれる。内外のマーケット動向はどこにいても把握できるので特に困ることもない。不足と感じる時は私の心がエロジーモードに変わって可愛いおネーちゃんを求めた時だ。私の年だと女性はほぼ全員おネーちゃんだ。年をとって私の基準が低下したのかもしれない。大抵の女性を可愛いと感じるようになった。

だが、勘違いしないで欲しい。親しく話せるようになると、たまに自然に肩とか腕を軽くタッチするだけでそれ以上のことはない。ありえない。それも相手が嫌がるそぶりを感じ取れば絶対にしない。実は娘は私とのハグも嫌がる。それをスケベーと言われれば、はいその通りですと認める。自称エロジーと言うくらいだから。でも、そこまでです。このエロジーが東京に向かっている。今、機内で記事の続きを書き終えた。家族に嫌がられる内容だ。

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(補足) 定刻で成田について暑さに驚いた。体感的には蒸し暑い。電車やバスの中は冷房が利き過ぎている。たった数時間の今日だけの経験では、梅雨の雨が続いていた四国愛媛県大洲市の田舎の方がずっと過ごし易かった。田舎生活に体が慣れたせいかも知れない。東京で見た女性はちょっとプロフェッショナルだったが、田舎で感じた印象を訂正する気はない。ただ、中高年女性が田舎にはない洗練さを感じた。■
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LCCデビュー

2015-03-09 21:51:24 | 旅行記
思い立って急遽1週間田舎に帰ることにした。3日で済む用事だが、折角なので金曜日まで滞在して田舎でやりたいことをやる予定だ。先々週西九州をパック旅行した時、帰途経路を変えて四国の実家によろうと思ったが適当な交通手段が見つからなかった。東京からだと全国どこでも放射状に展開するフライトがある。だが、東京外周の道路が中々出来なかったのと同じで、地方都市間のフライトはあっても接続など考慮されてなく不便だ。

息子が一昨年LCCで家族をつれ母に顔見世に来てくれた時、私もいつかと思っていた。今回2年越しのLCCデビューとなった。東京駅から成田まで900円の直行バスを利用した。八重洲口乗り場に予め予約購入した便より早目に着いたが、15分前の便に変更してくれた。出足は順調だった。成田第2ターミナルの南側の1階がLCCの国内線に対応しており、歩く距離が長くどこを通っても売店など華やかな部分が殆ど無かった。

搭乗待合室も椅子だけの殺風景な景色だが私は気にならなかった。90年代の米国の田舎の飛行場はそんなものだった(今どうなのか知らない)。スマホをいじくっている女の子の横に座って聞くと、WiFiが来ているようだったが認証に手間取り接続できなかった。最終的に実家に着くまでこんな調子で使えなかった。

この辺からLCCの旅は暗雲が漂い始めた。松山からのフライトが20分遅れて到着するので、折り返し便も20分遅れる予定だと放送があった。だが、飛行時間を計算すると十分余裕があるので取り返せるだろうとたかをくくっていた。ところが、日曜夕方の便は満席で全員(旅慣れしてない乗客らしい)が持ち込み荷物を所定の棚に乗せるのに時間がかかり、次に離陸しようとすると順番待ちの飛行機の長い列があった。

それでも松山飛行場には予定通り20分遅れで着陸した。ホッとしたら今度は飛行機から乗り降りする可動式の橋が、先着の飛行機に使われていて更に20分遅れでやっと降りたが、その時には実家方面に向かう直行バスは出発済み。ここから迷走が始まった。息子や娘はスマホを駆使して最適の交通手段を直ぐに見つける。だが、私は目星をつけたバスの運転手に聞いて回り、当てずっぽうで代替交通にJRを選び松山駅に行った。

そこで30分待ち宇和島行きの各停に乗ったが、途中の伊予市駅で後から来る特急を30分待つと運転手が放送して気づいた。運転手はこの列車が一番時間がかかると気の毒そうに質問に答えた。やむなく特急に乗り換え大洲駅まで行きタクシーを拾い、途中で弁当を買い込んで実家に着くと予定より大幅に遅れて10時過ぎだった。母がよく使っていたタクシー会社で母をよく覚えていてくれ助かった。直行便バスに遅れた後は事前準備が無く行き当たりばったりだった。

今日は実家に置いてある車を調整し動くことを確認した後、雨の中松山に行き用事を済ませた。その後大洲にとって返し銀行から母の介護費用を引き出し、農協の銀行に行き母の口座に振り込んだ。農協の口座から介護費用を 振り込んでいるのだが、残高がネットで確認できないので時々窓口までいかなければならない。

銀行の担当は同級生の娘が転勤から復帰していた。農協の窓口の女性も馴染みで両者とも事情を承知しており、母の口座の出し入れをスムーズに終わらせることが出来た。「まだ姓が変わってないじゃないか、30過ぎて大丈夫か」とか「紹介してやろうか」とか、「2年経って慣れたね、でも転勤かもね」、「そうなんですよ、定期異動は4月、ちょっと不安」とか、最後には挨拶を兼ねていつもの軽口を叩いてLCC初体験の疲れがとれた。■
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壊された思い出の地

2014-04-12 17:16:30 | 旅行記

 先月からウクライナ騒乱と西オーストラリア沖に墜落した航空機探索に世界中の目が注がれていた時、私は米国ワシントン州スノーホーミッシュ郡で起こった大規模な地滑りの行方が気になっていた。この地域はシアトルの北側に位置するなだらかな山が作る美しい自然があり、「ノースカスケード国立公園」がある。因みにワシントン州は3つの国立公園がある唯一の州だった。96年に家族全員と母が米国に来た時車で「ノースカスケード・ループ」と呼ばれる23日の周遊旅行をした特別な思い出の地だった。

 地滑りがあったのはダーリントン-アーリントン道路(州道530号線)にあるオソという人口300人程度の寒村で、旅行した当時の地図やパンフレットを取り出してみると確かに通った記憶がある。カスケードループはシアトルからカナダに向かい国道i5を北上し、エヴァレットから州道2号線を東に走り美しい街レーベンワースを通り抜け、ワナッチーというコロンビア川沿いの小さな町に出る。川沿いに北上するとリゾート地帯のシェラン湖に、更に反転し20号線を北から西に向かうと西部開拓時代の町ウィンスロップに着く。

 この辺から続く雄大なノースカスケードの景色は素晴らしかった。特にその先にあるロス湖の美しさは今でも忘れられない。暫く西に走り途中ロックポートで530号線に乗換え南下しダーリントンから西に向かうところで今回の地滑りがあった。写真で見るとオソ村は泥に覆われていた。当初行方不明150人と言われていたが、今は死亡36人行方不明7人という。毎日流れていたCNNニュースも今月頃から日本では見られなくなり、米国の国内ニュースの枠に収まっているようだ。

自宅が1/4マイルも押し流された直後にインタビューを受ける老婦人の声には恐怖が感じられた。森の中を走る530号線がなぎ倒された木と土砂に埋もれ、その手前に立つ二人のポリスの姿の写真は懐かしい思い出が壊されたようで衝撃的だった。大変申し訳ないけれど、こういう災害で犠牲者が出ない限りノースカスケードの美しい自然も思い出すことこともなかった。調べるとパソコンに旅行した時のスナップ写真が残っていた。当時私と同じ年恰好の母は随分若く見えた。■ 

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