かぶれの世界(新)

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選挙の争点(女性候補)

2005-08-31 21:05:47 | 国際・政治
総選挙が公示されメディアは他党が女性候補を減らす中、自民党の女性候補が急増したことを報じている。それでも全体に占める女性の割合は13%、自民党は倍増させても7.5%に留まっている。世界標準と比べるとまだまだ少ない。自民党が郵政民営化反対派の選挙区に女性候補を次々と立てた時、マスコミは「九の一」とか「刺客」とか半ば面白おかしく報じ、「総論として悪くはないが刺客として女性を利用するのはいかがと思う」と反応する女性の選挙民や一部政治家のインタビューを流していた。日本のメディアはどうしてこう浅薄で表面的な見方しか出来ないのだろうか。私はこれに対して女性から強い反発が起こると予想したのだが外れた。

日本は政界だけでなく全ての分野で女性の進出が最も遅れた国である。日本の会社は80年代末頃から女性総合職を大量に採用し始め、私も高い潜在力を持った若い女性がいることを実感した。しかし、結婚し子供が出来育てる過程で多くの女性社員は力尽きるか自ら選ぶかして退職し、バブルが弾け構造改革が進む2000年頃までには殆どの女性は会社を辞めていった。残った女性の殆どは仕事は出来るが独身で「負け犬」と揶揄される存在となった。「キャリアをとるか主婦になるか」の選択を強いる職場環境であった為である。経験では韓国を除く出張した欧米やアジアのどの国でも多くの女性管理職が活躍していた。キャリアを目指す多くの女性は外資に転職して行った。

こういう状況下で突然、郵政民営化を巡って自民党は反対派候補の選挙区に著名な女性候補を立てる戦略とった為、女性が新顔ながら政権政党の公認を得て選挙に出馬でき国政に参画できるチャンスを得たのである。従来男性候補でも自民党の公認を得て、多額の資金援助と地域の強力な集票マシーンの支援を得るのは大変なことであった。最初は歯を食いしばって無所属で頑張り、運よく当選すると次回から自民党公認になるのが一般的であった。

理由如何にかかわらずこれは女性にとってまたとない千載一遇の機会なのである。彼女等の道は少なくとも比例区での当選は約束されている。その後どうなるか保証はないが、少なくとも今まで政界以外では実績を上げ成功してきた限られた人達であり、高い潜在力を持っていることは間違いない。しかし、女性の力を生かす度量が今政治の世界にあるかどうかは疑わしく、過半数を取るための役割で終る可能性も多いにある。

自らの実力に誇りを持つ女性にとって女性を武器にするのは不本意かも知れないが、男性中心の政界は筋金入りでそう甘くは無い。自民党有力者が女性の役割について何を言ったか酷い例がいくらでもある。その時女性の高い支持が強い助けになるはずである。その視点から当初のマスコミの報道姿勢に対し強く異議を申し立てる女性が見当たらなかったのは、当選後の女性議員の行く末を暗示する悪い予感のようなものを感じる。今回は色々な視点で実に興味深い選挙である。■


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世界マッサージ紀行(7)

2005-08-28 10:16:39 | 健康・病気
夏休みを終え明日は東京に戻る。全ての地域はカバーできず竜頭蛇尾のきらいはあるが、今回をもってマッサージの話はお仕舞にしたい。他の地域は又別の機会にとっておきたい。最後に少し色付けをして今まで経験した美人セラピスト・ベスト3を紹介する。

オーストラリア・ケアンズのホテルで(シェラトンだったと思う)頼んだセラピストが現われた時は、部屋でリラックスした格好をしていた私は一瞬はっとした。光るようなブルネットで昔映画で見た東欧系の美人のようだった。中年以上の人なら記憶にあると思うがシルビア・コシナという女優に良く似ていた。マッサージで裸になるのは全く気にならなかったのに、彼女の前では一瞬恥ずかしいと思ってしまった。ベルリンの壁が崩壊後ポーランドからオーストラリアに移住してきたらしいが、彼女の喋る英語は自然な感じがした。マッサージの腕は並だったが、補って余りある美形だった。

数年前仕事でパリに行ったとき、凱旋門からそう離れていない会員制のプライベートホテルに泊まった。現われたセラピストはプラティナ・ブロンドで痩身の美人だった。彼女はやり手のビジネスマンのような感じでアメリカ人のような畳み掛ける英語を喋り、てきぱきと事務的にマッサージを進めた。フランス人ではなかったと思う。あまり色気を感じないのだけれど、よく見ると彼女の顔や体の一つ一つの部品は整っており美人だった。旅の疲れでうとうとしているうちに終わってしまったのは、思い返すと実に残念である。

マッサージは通常締め切った個室で裸になって受けるのだが、男性としてその気になることは先ずない。しかし長い間続けていると時に生理的に反応して困る時が2,3度あった。幸いなことにプロのセラピスト達はそういう時も眉一つ動かさず事務的にマッサージを続けた。多分おとなしくさせる秘密のつぼでもあるのだろう。旅先で1回だけのマッサージでそうなることは先ずないのだが、その気になったことが一度もないわけではない。

アジアのある国に出張した時のことである。昼間の会議が終わり現地の取引先の人達と食事に行こうとなった。その前にホテルのマッサージを予約するからチョット待ってと言うと、いいマッサージを知っているから任せろといわれそのまま食事に行った。美味しい現地料理を楽しんだ後部屋に戻ると直ぐに中国系の若くてシュッとした感じの女性が来た。言葉が全く通じないが身振り手振りで服を脱いでベッドに寝ろという。マッサージなどまともに出来そうにもない若さだが始めるとこれが天才的にうまく今風に言うと「超」うまい。最高のひと時であった。未だに思い出す。

夏の間、母がいつも家に来てもらっているマッサージを二度ほどやってもらった。若い男性でものすごく力が強く、こんな力でやったら年寄りの母など壊れてしまうのではないかと思ったが平気みたいだった。やはり女性の細やかな手でやってもらいたい。私は遺伝だと思うが体質的にハイパー・テンションで肩や首筋の筋肉が普通の人より硬くなるらしく、これからもマッサージのお世話になり続けることになるだろう。■


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世界マッサージ紀行(6)

2005-08-27 21:16:40 | インポート
2000年の夏、サバチカルを取ってニュージーランド(NZ)に行った。NZもマッサージの人気が高いと聞いていた。パトリシアのやってくれたマリオ・スタイルは勘弁して欲しいと思っていたが、旅行中やってもらったのは全てスウエーデン式だった。マリオ式は多分マイナーなスタイルなんだろう。

南島の小さい町のホテルに止まった時、専用番号でマッサージを頼むと、いつもの通り男か女か、客室かジムのマッサージ室かと時刻を指定、料金を確認して予約した。時刻になって現れたのは折りたたみ式の簡易ベッドを引きずるように抱え持った長身だけどよぼよぼのお爺さんだった。これで大丈夫かと思ったが、始めるとどこから力が出るのか不思議なくらいしっかりとした普通のマッサージだった。終わって帰る時は又、いかにも倒れそうな感じに戻り部屋を出て行った姿を今でも思い出す。 

日本に帰る前日、オークランドに一泊した。チェックインするとすぐコンシェルジュにレストランの予約を頼み、チップを弾んで「最高のマッサージ」を予約してくれと頼んだ。その後家内と港にある有名なレストランでシーフードを味わった。オタゴ地方の白ワイン、特にシャード・ファームのリースリングは魚料理に合っていて最高だった。甲殻類にはうるさい家内とも珍しく意見が一致した。

意気揚々とホテルに戻りしばらくたつと、大柄で厳つい感じの女性が現れた。一見して、「えっ、これが最高かよ」と思ったが今更断われない。骨太で肩幅が広くて手もごつごつした感じで男性と言われればそのまま信じてしまう感じだった。ところが彼女が新聞の切抜きを見せ自己紹介したところでは州代表のラグビーチーム(当然、日本代表より強い)の名の知れたトレーナだった。やり始めるとさすが2mの巨体の若者の鍛えられた筋肉をマッサージするだけのことがあるというか、予想通り相当に力強かった。多分初めて経験するスポーツ・マッサージだと思ったが、後から痛くなると熱が出るとかいうことはなかった。

なるほどこれがコンシェルジュが理解した「最高のマッサージ」かと、暫らく経ってからやっと理解した。もしかしたらもらったチップ分だけしっかり答えようとして彼が必死で考えた結果だったのかもしれないと。でも「これって文字通りだなー、もっと他に解釈のしようがなかったのかなー。」■


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「大洲市将来構想」批判

2005-08-26 16:06:00 | 社会・経済
私の故郷大洲市は今年長浜町、肱川町、河辺村と合併した。合併に備えて作られた「大洲市将来構想」と「大洲市建設計画」は市のウェブサイトから閲覧でき、夏休みに帰省した機会に読ませてもらった。新市制が地理的にどうなり、どういう人がどこに住み、経済活動がどう営まれているのか、それを踏まえて将来どうしたいのかまとめられている。

視点を変えて投資家の目で見てこの将来計画が魅力的か、端的に言うと将来どれだけキャッシュフロウが期待できるかという視点で見ると、残念ながらこの大洲市将来構想には投資したいと思わせる魅力的なものがない。株主である住民に対しては投資不適格、勧められないということである。

ザット見ただけでいうのも気が引けるが、先ず議論のベースになる現状認識に欠ける。現状データはあるけれども単なる数字の羅列で、数字の持つ意味が説明されておらず、これでは現状認識されているとはいえない。数字の裏にある原因を深く追究し明確にしなければ、将来計画は絵に書いた餅になる。例えば直ぐに目に付くのが、何故長浜町の人口が減っているのか、旧大洲市も実は同じではないかという疑問である。又、肝心のバランスシートがない、一体いくら借金があるのか分からない。

経営視点から見た「将来構想」は実現する気概もない単なる作文であると直ぐに指摘されそうである。旧大洲市を一括りで議論するのは乱暴すぎ、問題の本質を失う。旧大洲市を旧長浜町と同じまな板の上で議論するのは無理がある。すっかり廃れた感じになってしまった大洲本町界隈を見ると、大洲市は行政区分に拘らずに特徴を持った地区に分割すれば問題の本質が浮かび上がってくるはずである。将来人口の前提は大洲市の税収を決めその経営に大きな影響を与えるはずである。その人口を5.1万人の現状維持と見るのは単なる希望で、それを可能にする施策も明確でなく根拠など全くないように思える。

新大洲市は何が資産か、何が売りか、何を次の世代に残すのかもう少し突き詰めて見直すべきである。合併の結果、肱川に沿った盆地の城下町から海と山のある町に人口の約30%が65歳以上の老人が住み主要な産業がない高齢化社会が新大洲市のプロフィールである。しかし、必ずしも悲観的なる必要はない。いわば日本の高齢化社会を先取りすると思えば、最先端のモデル町になれるかもしれないし、お手本もあるかもしれない。

我が国はバブル崩壊後700兆円もの財政赤字を積み上げたことを教訓とし、箱物がキャッシュフロウを増やさないことは明確になった。然るに、大洲市は現在既に建設費の比率が全国平均を大きく上まわり非常に高いことは認識されている。依然として都市計画は重要で新大洲市の核を作るうえで必要である。しかし限られた財源の下では、新大洲市のコンセプトに基づいたものを優先しなければならない。又、若宮から新谷にまたがる新興地帯に規律を持ち込み、自然と歴史を大事にする大洲市のコンセプトに基づいた街づくりなければならない。空洞化した旧市街地や長浜町の活性化と連動させることも重要である。

言い換えると箱物以外のソフトウエア投資を増やすことを強く提案する。こういうコンセプトは旧市街と新しい町(ダウンタウン)が並立するサクラメント市など世界に多くの例がある。シドニーは港から見える町の形が楕円形になるような規制がある。大洲市はどこから見える景色をシンボルとして大事にし、それに惹かれて町に降り立ったとき期待を裏切らない町並みにするのか。

箱物の「点」の投資から、互いの連携を強め「線から面」の投資を箱物以上にすべきである。例えば大洲城の復元がどういう文脈の中で行われたのか、回りの町並みを合わせてどう変えていくのか、矛盾しないか、それが現代の大洲市の株主価値をどう高めたのか、今後どう活用すべきか。更にその価値がどう変わったか評価できる数値目標を設定し毎年計測し計画を見直していく継続的改善の仕組みが必要である。

プランを作った方には申し訳ないが全体に発想が「縮み思考」である。市内の発想すら旧来の行政区分でしか考えられてない。隣接する自治体、県、九州などとの関連で考え連携することなど露すら考えたことが無い様である。姉妹都市があってもお飾りかなんかで、海外との連携など夢のまた夢か。外から視点がぜひとも必要である。気が付かなければ童門冬二「中江藤樹」を読めばいい、如何に歴史的に大洲人気質が内向き志向なのか分かる。外部の目、専門家の目、新しい血が必要なのである。かつて大名とそのスタッフは外から来て大洲を設計しトップダウンで作り上げたではないか。

観光の視点からいうと新大洲市を南予観光のハブと位置づけることが出来るかもしれないと個人的には思う。即ち、北に向かい内子・松山方面、西に向かい三崎町から九州方面、南に向かい宇和や宇和島方面から高知に向かうハブになりうる。反対もあろうがこれに経済特区として「カジノ」を併設する組み合わせも考えられる。観光でなくとも新大洲市が単独で繁栄する可能性は限りなく低い、連携する中で解が見えてくることを忘れてはならない。

何をするにしても経済的裏付けが必須である。新大洲市は初めから膨大な借金があると聞いており、サービスレベルをキープしながら歳出をどうやって削減していくか全くプランがないのはどういうことなのだろうか。市内の資産の殆どを所有する高齢者の基本的特徴は、生産貢献は出来ないが「純粋消費者」と「純粋投資者」の性格を持つ。高齢者の消費を喚起すると同時に農協や銀行の口座に眠っている個人の資産の有効活用を考えるべきだ。その過程でNPO、ボランティアと連携を図り、与えられるものではなく市民自身が作り上げるというコンセンサス作りが重要である。高齢者を弱者保護の対象としてのみ考えた行政はジリ貧で若者に魅力のない街づくりの最短距離になると認識すべきである。

深く考えもせず事情を知らない者が勝手なことばかり言っていると叱られそうです。やや批判の為の批判になったかも知れません。苦労して構想を作られた方には大変申し訳ないが、郷里を愛する者が愛するが故の老人の泣き言と許されたい。■


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10-Day MBA

2005-08-25 13:56:52 | 資格・転職・就職
田舎に帰る前に国分寺の古本屋で手に入れ、夏休みの読書用に持って帰った。1993年にS. Silbiger氏がPIATKUSから出版したものでAmazon.comで調べると99年に改定されている。毎日1科目づつ読んでいけば10日でMBAの知識を得られるという。能書きが本当ならコスト・パフォーマンスは凄い。古本屋で更に安い値段で手に入れたのだから、効果がなくとも文句をいえない。

MBAが米国のビジネスの世界で大活躍していると聞いていたが、95年米国に赴任して以来一人もMBAを雇うことはできなかった。マーケティングや外部のコンサルタントは珍しくなかったが工場で働きたいと思うMBA等いなかった。この本によると当時MBAの働き場所は金融関係かコンサルタント会社で、オペレーション関係はたった2%だったので無理もない。現在は分からないが、2000年頃も同じ状況だったように思う。私が会った限り彼等は概して自信満々で格好いいビジネス用語を連発し、非常にクリアカットというか断定的に喋るスタイルをとっていたような気がする。

この程度の本でも読み終わると、MBA教育がマーケティング、組織論、財務・会計、オペレーション、戦略と広範な領域に亘り、特に量的分析からマクロ経済に亘る所謂お金の意味を重点的に教えているという印象を受けた。当時、多くの米国コンサルタント会社は毎年トップレベルのビジネススクールから大量にこういう教育を受けたMBAを雇用し、コンサルタントを受ける企業の経営の中枢に送り込み力をつけさせキャリアを積ませるシステムが既に当時出来上がっていた。

数年で普通の社員の数倍の速さでキャリアを積む機会が与えられるが、一方で数年で振り分けされ会社を去る人も多かったようだ。私の職場に来た若いコンサルタントを可哀想だが力不足だとして取り替えてもらったことを記憶している。その後エンロンやワールドコムの会計疑惑にコンサルタント会社が深く関ったことを反省として企業倫理のクラスが強化されたが、そのような気配を若干感じさせ居心地の悪い思いをしたコンサルタントもいた。

この本を読んでみようと思ったのは、私が日米の事業運営に関わった時ベストとは思えない意思決定をした自覚があり、もしMBAの知識を持っていたら違った風に判断しトラブルを避けるか和らげることが出来たかもしれないと思った為である。又、退職後都内のある中小企業のコンサルタントを短期間やり、その時MBA的手法の知識があればもっとうまく問題点を指摘し良いコンサルがやれたかもと思ったからである。

私は米国と日本で理由は異なるが棚卸を急増させ苦労した事がある。MBA教育においてオペレーションの人気は低く充実してない印象を持っているが、経営全体を見る訓練をされたMBAの目があれば優先順位の感度が高まりもっと早く手を打てた可能性があると実感した。しかし、一方であらゆるビジネス活動が透明でないとMBAの力を発揮できない、論理だけでは片付けられない日本的情緒の理解が不足していた部分もあったと思っている。

全体として、この本を読んでみてバブル崩壊までの日本の大企業の社内教育は大したもんだったと今頃実感した。私が勤めていた会社で30年間に渡り断続的に受けた管理職教育は「金融・マクロ経済関連」を除きこの本のかなりの部分をカバーしていた。残念なのは初めから知っていたのではなく、失敗をして始めて学んだことが多かったのだけれども。いずれにしろ、何も知らない田舎者の電気技術者だった私がグローバル・ビジネスを経験し一通りのビジネス知識を得たのも、仕事を通じて学んだことがベースになっている。

Amazon.comの書評によると入門書のような位置付けであり、これでMBA全てを知っているかのごとく語るのは無理があるが、主要なトピックが網羅的にカバーされているので、MBA教育がどんなものか予想がつく。今まで私の中でばらばらにあった知識が少しはシステマチックに整理された感じがする。実は正直に言うともう一度勉強して海外でMBAの資格をとることを考えていたが、残された人生の限られた時間を考えると無駄かもしれないと思い始めた。しかしこれからMBAを取得しようと思う若い人はこの程度の本を読んで土地勘を持って臨むのは悪くないと思う。■


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