不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

06夏の読書(1)

2006-06-30 10:26:35 | 本と雑誌

ワールドカップで寝不足気味、読書を始めるとついウトウト。来月から田舎の実家で過ごし晴耕雨読の生活をするつもり。しかし、未読在庫リストが魅力的でないのがちょっと問題だ。公立図書館もその名に値しない。何が利用できるかもう一度調べてみるつもりだ。

今回のお勧めは「文明が衰亡するとき」(高坂正尭)、著者の優れた歴史観と洞察力に基づく現実主義の一端を感じ取れた。生前彼の同時代を見る目には違和感があったが、歴史を見る目を別に持っているのだろうか。参照している文献が私と妙に一致しているのが不思議だ。

2.0在日 姜尚中 2004 講談社 在日と言われる著者の精神遍歴自伝。同時代に生きるものとして時々の事件への感じ方の違いが興味深い。現韓国の人達に共通する「朝鮮動乱と米国介入」の記憶喪失は私には不思議、歴史は歴史として大地の恵みに対する感謝のような気持ちを生まれ育った国に対して持てと言うのは残酷か。

2.0野中広務 差別と権力 魚住昭 2004 講談社 出身の野中氏の弱者に対する心情と、理より権力闘争をベースにした政治手法の限界とそのアンバランスが興味深い。「独自の国家戦略を持たず、潮目を作り出さず潮目を見る政治家」の評価は妥当。

1.5いじめと妬み 土居健郎・渡辺昇一 1995 PHP 94年にいじめで小学生が自殺した事件についての評論。戦後教育のせいで子供に戦う気持ちがなかった、いじめた側に妬みあったと根拠なく推測し得意の分野に引き込み評論する我田引水的論理展開の良き見本。

1.5バカの壁 養老孟司 2003 新潮社 尤もらしい決め言葉が根拠なく次々と出て来る。何故そうなのか深い議論がない。この本手の本が最近ベストセラーになるのは勿論需要があるからで、直ぐ結果が欲しい読者が増えている反映かもしれない。「・・・品格」物と同じ線上にある、食いつく読者も見透かされている。

1.5運のつき 養老孟司 2004 マガジンハウス 厳しい評価で申し訳ないが、悪く言えば老人の繰言、良く言えば趣味のいい時間潰し。特定のテーマについて著者の考えは如何にと肩に力を入れ読み始めると、突如本論から離れ脇道を通って終わり、肩透かしを食らう。

2.0表の論理・裏の論理 会田雄次 1977 PHP 著者の広範な歴史観で日本人の本音を味わい深く解説。しかし、後半の全てを使い古今東西の人生の大家の言葉を駆使して繰返し女が男と異なると説く。30年前はOKでも今なら排斥運動が起こり教授は追放されたかも。

(1.0経営者のための図で見る中小企業白書2003年版 中小企業庁 ぎょうせい データ集と思えばよい。2年前は景気回復の兆しの一方、開業減・倒産増、貸し渋りを思い出させる。当時これが「遅行指標」だと理解できず執拗に非難した評論家を思い出す。

2.5コレラが街にやってくる 藤田紘一郎 2002 朝日新聞 温暖化が生物学的に如何に衝撃的な影響を与えるか分かり易く解説、題名の軽さに似合わない真面目な内容。

3.0文明が衰亡するとき 高坂正尭 1994 新潮選書 「衰亡論は不思議に人を惹きつける」という書き出しに私も惹きつけられた。ローマとベネチアの衰亡を論じ、現代に戻ってベトナム戦争後の米国の苦悩と日本の未来について語る。著者は歴史散歩といい、歴史から教訓を引き出すつもりはないというが示唆するところは大である。

2.01991年日本の敗北 手嶋龍一 1993 新潮社 湾岸戦争の戦費拠出交渉が外務・大蔵の対立により130億ドルの貢献を台無しにした日本外交の失敗を生々しく描いている。結果として嫌米感が生まれたのは、一国平和主義が落とし穴に入ったと感じる。これがトラウマとなって今日のイラク戦争の日本の対応が決まったといってよい。「世界観を欠く箱庭外交」がテーマだが、しっかりした世界観から説き起こしてないのが残念。今日メディアに共通する弱点。

2.5帝国の傲慢(上・下) 2005 元CIAのイスラム専門家がイスラム圏の既知情報を駆使して、テロはイスラム原理主義者でなく「文明の衝突」の延長線上にあり13億のイスラムの意思と捉え、外交・戦争遂行の根本的な見直しを求めている。理論展開は乱暴だがこちらには上記と異なり根拠となる世界観がある。

1.5ゴールキーパー論 増島みどり 2001 講談社 「論」と言うよりサッカーから水球まで5つの球技のトップクラスのゴールキーパーとの対談集。W杯を楽しく見る為の読書と思ったが期待外れ、しかしGKに共通する意外な心理が面白い。

X痛風に克つ 内田詔爾 1995 講談社 必要に迫られ読む。痛風は積極性や指導性があり自己主張の強い人がストレス下でなりやすい。症状の段階によって薬が異なる。初めての発作から慢性になるまで平均12年。食事療法はそれほど効果なし、しかし痩せるのは効果大。痛風のことは良く知っていると思ったが参考になること多。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W杯ファンの熱き遠吠え(8)

2006-06-28 23:40:23 | スポーツ

早くも決勝トーナメント1回戦の8試合が終り、依然前評判の高いチームが勝ち続けている。前回の日韓大会では欧州勢は苦戦したが、ドイツと言うことになるとやはり欧州に地の利があるようだ。日本チームのコンディションがもう少し良ければ豪州戦の魔の10分間は持ちこたえその後の展開が変わったかもしれない。

勝敗を左右する微妙な判定が減ったことも順当勝ちが多い理由だろう。韓国に味方した幸運な判定も最後は助けてくれなかった。逆に波乱が少ないのは判定が強豪国に甘い傾向があるという声もある。力の強い国が残ったのはサッカーファンとしては結構なことだ。日本敗退を境にはしゃぎすぎの番組が消えてなくなったのも本当に落ち着く。

印象に残ったのはポルトガル-オランダ戦だ。まるでラグビーを見るような壮烈な肉弾戦だった。イタリーの守備陣も屈強だった。これでは日本選手は壊れてしまうと言う感じだった。決勝ラウンドに残ったその他のチームも見るからに体の強い選手ばかりだった。日本選手も南アフリカ大会では身長差はどうにもならないとして彼らと対抗できる筋力をつけて戦って欲しい。

ドイツの点取り屋クローゼは前回線の細いヘディングだけの選手だった印象があるが、今回は胸が厚くなり切れ味鋭い屈強なフォワードに変身していた。評価の低かったドイツ躍進の原動力になっている。日本選手でもあと4年意志を持って鍛えれば当たり負けしない強い体を作ることが出来るはずだ。

それにしてもブラジルは強い。ロナウジーニョが徹底的にマークされ期待されたほど目立つ活躍をしなくとも、サイド攻撃や3列目から前に出た2列目へのスルーパスなど色々な攻撃パターンで相手をねじ伏せていく。ディフェンスも強い。日本の場合中村・中田意外の攻撃の起点がなかったのと好対照だ。

フランスがスペイン戦で遂に調子を取り戻したと感じた。このチームが強い時は最後まで得意の攻めのパターンを淡々と繰り返しチャンスを作り相手を追い詰めていった。スペインはリードしながらもこのフランスのペースにまんまと嵌まったというのが私の印象だ。それでもブラジルとの戦いは容易ではないだろう。

ベスト4をかけた戦いは順当に行けばアルゼンチン、英国、イタリー、ブラジルと言うお馴染みの国が勝ち残りそうだ。英国サッカーにはイマジネーションを感じないが切り札がある。ドイツは守備力、ポルトガルは主力選手の欠場、ウクライナはもう目一杯、フランスは30歳トリオのスタミナ切れが敗因になると予測する。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄付の文化

2006-06-27 23:26:46 | 社会・経済

昨日世界第2位の富豪にして投資家ウォーレン・バフェットが、個人資産の85%になる370億ドル(約43千億円)をビル・ゲーツ夫妻の慈善事業財団等に寄付するすると言うニュースが報じられ世界を驚かした。世界トップの富豪2人が個人資産の殆どを慈善事業に使うと言うのは、日本的に言うとありえない話と私は思う。

日本では何処のお寺や神社に行っても寄付金額に応じて名前が彫りこまれた手すりや石碑が参道から本堂に続く階段に隙間なく並んでいる。田舎に行くと見覚えのある名前も見つけられる。数年前田舎の中心的な存在のお寺に参ったとき、参道にそれほど裕福とも思えない寒村から昭和60年代に結構な金額(50万円)の寄付を記録した石碑が5つ6つあったのに驚いたことがある。

農業と林業しかなく現金収入が限られているその村から、これだけの寄付をする人達がいることに驚いたのである。日本には慈善団体にあまり寄付をしないが、昔から神社仏閣への賽銭や寄付の文化はあった。しかし、これは見栄やご利益を求めた自分のための寄付であり、この浄財が人助けのために使われることを願ったものではなかったと思う。

数年前、老後の資産管理をするため富裕層を対象とするプライベートバンクを調査したところ、日本の富裕層の関心は「節税と相続」の二つであり、これは欧米と際立って異なる傾向というレポートを見た。日本の富裕層の社会に対する貢献、義務感が非常に希薄なのである。

日本は大戦後急速に豊かになったが、その間に信仰心や親孝行・愛国心など人生の規範になるものが失われ、代わって会社での成功・お金が重要な物指しとなった。決して小泉改革のせいにするような一時的なものではない。

田舎の知り合いの中には戦前に遡ると小作農で貧しい生活をしていたが、農地解放で田畑を手にいれ、道路や河川改修などの公共事業で大金を手に入れ、数億円の資産家になった人達がいる。それでも浮かれることなく、昔と変わらず堅い生活をしているようだが、母によるとこれらの人達は昔からの資産家と比べると異なる。

大金を握っても生活態度を変えず堅実な生活をするのは結構なことではないかと言うと、いろいろな機会での寄付金が少ないのだそうである。これは貧しい時代を経験しお金持ちがしてきた共同体への貢献に慣れていない上に、規範を喪失した国と民衆の心が現れた結果であるという。

これは貧富の差だけではなく、裏返しとして何か問題があると国に解決させようとする、自助努力して解決していこうという姿勢があまりない。このいわば弱者の名を借りた「たかりの構造」が日本中に蔓延し、国民と政治を堕落させてきた。依然として自分の財産は子孫に残すものであり公共のために活用するという発想が希薄である。金持ちになって経験が浅いということで国自体が成熟していないということもあるがもっと根っこのところがあるはずだ。

と言うのは戦後日本を代表する資産家だった堤家は歴代資産を残すのに汲々として道を踏み違えたし、最近のライブドア・村上スキャンダルはひたすら金儲けを目指し、それを社会に還元しようと言う精神がなかった。一方ビル・ゲーツやバフェットも一代の資産家でありいわば成金だが、旺盛な金儲けとバランスする健全な無私の精神がある。

片や中低所得層でも米国の統計上の貧富の差に現れない慈善事業やボランティア活動に貢献しており、その規模は他の国では国家予算に匹敵するのである。90年代に米国で仕事をしていた時、年収3万ドルかそれ以下の給与なのに、年末になると慈善団体に2000ドルもの寄付をする社員がいるのに驚いたことがある。そこまでは行かなくとも多くの人々は寄付に積極的であった。

子孫に相続させるより、公共の施設などに遺産を寄付する人も多い。米国の子供は独立心を持つよう育てられ、親の世話にならないで自分の力でやっていくというというのが一般的である(最近変わったという報告もあるが)。この背景にあるのはキリスト教信仰の影響が大きいという。

さて、これだけ格好いい事言っておいて、私自身社会や子供に対して何をすべきか未だに定まっていない。勿論財産など無いに等しいがそれでも自分の老後と家族、先祖が守ってきた田舎の家やお墓、田畑、山林をどうするのか小さい悩みはある。美田を子孫のために残し守ってもらいたい気持ちはある一方で全ては将来のために投資すべきとも思う。人並みに子供の将来のために出来るだけのことはしてやりたいが、もはや子供に故郷と言う感傷はないし。■

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インドネシア料理を楽しむ

2006-06-26 23:45:39 | 食・レシピ

昨夜、義妹が大学の研修で上京した機会に家族が集合して大崎のレストランでインドネシア料理を食べた。インドネシア料理はベトナムとタイ料理と同系統だろうと思ったが予想より辛くなかった。本物を知らないので何とも言えないが、日本人向けに味を柔らかくしたのかも知れない。

メニューはタイ料理などと比べ揚げ物が非常に多い。味付けはココナツミルクの甘みが効いている。パクチ特有の香りがないのは何故だろう。唐辛子印のついた料理もタイ料理に比べ辛くない。これが本物のインドネシア料理かどうか私には分からなかった。バリ島に行ったことのある娘夫婦は「これは違う」とは言わなかったが。

7人で15皿程度オーダーし全員でシェアして食べた。その中で私のお勧めを紹介します。スターターは各種串焼きが無難。定番のナシゴレン(焼き飯)や焼きビーフンは間違いのない選択、味はタイ料理と区別がつかない。試しにオーダーした鯖のバナナ葉の包み焼きが意外といけた。海老とジャガイモを潰して炒めココナツソースかけも悪くない。

デザートはこれまた定番の焼きバナナが美味しかった。ボトル1本赤ワインを飲みやや足元が怪しくなった。(今朝起きて痛風の兆しがないのでほっとした。)エスニック料理の香りや辛さが苦手の人でも、ココナツミルクを気にしなければ大丈夫です。

お店は山手線大崎駅下車、新東口から出て新しい高層ビルが立ち並ぶ方向に陸橋を渡りゲートシティプラザの地下1階にある「カフェウブド」。久しぶりに行った大崎は、昔はソニーと三共製薬の記憶しかなくその変貌振りに驚いた。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人口減社会を考える:外国人労働者

2006-06-25 15:34:52 | 社会・経済

出生率の低下が続いた結果、昨年遂に日本の総人口は減少に転じた。余り報道されてないもっと深刻なことがある。15歳から65歳の労働力人口は既に前世紀から減少し始めていたのである。大前研一氏によれば、労働力人口は1998年の6800万人をピークに減少し始め2005年は6660万人に減った。

7年間で140万人も減ったことになる。20年後の労働人口は現在までの出生率でほぼ自動的に決まる。簡単な試算だと約500-600万人減少、現在の経済成長を続けかつ老齢化社会の介護のためには更に200300万人必要、合計700800万人の労働人口が不足するはずだ。放置すると深刻な問題になるのは間違いない。

日本が高度成長した時代を人口構成から見ると、並行して農村から都市への大規模な人口移動が起こり、農業従事者が米英と同じ程度の比率になるまでの時代とオーバーラップしている。かつての英国の産業革命や中国の現在の高度成長でも全く同じことが起こった。

過去の経済成長を支える労働力の供給は必須条件であった。人口増加が止まった欧米は途上国との間に同じ関係を構築し外国人労働者を受け入れ経済成長を継続させた。しかし、欧州は経済が停滞した時外国人労働者は変動費でないことに気がつき、時間が経てば子供を産み老人になり負債になることに気がついた。

米国の不法移民による人口増も米メキシコ両国を一国と見做せば同種の人口移動と考えることが出来、企業はその利益を得たが一方で移民や企業が社会的コストの負担をせず、政治問題化した。IT技術は国境を仮想化させたが、製造や対面サービスにはどうしても労働者の国境を越えた移動が必要になり問題解決になっていない。

欧米に比べて人口減の進行が深刻な日本はバブルを境に外国人労働者の受け入れが減少したがそれでも外国人2世の教育や犯罪増加などのマイナス面が表面化している。一方、産業界は積極的な外国人労働者の受け入れを改めて強く主張している。しかし、私は外国人だけでなく産業界も日本の‘優れた社会システム’にただ乗りしてはならないと思う。

欧米の例を反面教師とすると、外国人労働者を企業の労働力調整弁として考えるべきではない。日本の社会の一員社として価値観を共有させ、彼らの家族子弟を含めたライフタイムの社会コストの分担まで明確にし、その上で積極的な受け入れを図るべきである。日本社会の現状を考えると欧州の多元主義なアプローチをとるべきではないと考える。

果たして日本に何百万人もの労働者を受け入れることが出来るのだろうか。閉鎖的だった日本社会も最近はどんな田舎でも外国人を見かけるようになり国際結婚が急増している。しかし何百万人の外国人となると全く別の話である。私は国策として日本にあった外国人労働者の受け入れをすべきで、それが唯一の道であると考える。

決して市場の調整能力に任せるのではなく、実体を反映した国策として対応しなければならない。政策は日本社会の外国人許容度を高め共存させるものから、我国の価値観を宣誓して遵守する外国人にのみ参政権を与えるシステムまで幅広くカバーした総合的なものでなければならない。

最終的に多民族国家にするのかと聞かれれば、「イエス、バット、ノー」と言うのが私の考え方だ。計画を立て段階を踏んでその方向に進み、時々の状況を見て修正しながら進むべきだと考える。現在のところ米国のようなモザイク多民族国家は日本社会には受け容れ難い。

いずれにしろそれが嫌なら、国民は日本が国家としては衰退していく現実を受け入れなければならないと思う。必ずしも個人が貧しくなることではないが、何が失われるか直視して選択をしなければならない。例えば国は借金してでもあれも欲しいこれも欲しいと言うわけにはいかなくなる。 

現在日本は先進国の中でも少数の外国人しか受け入れてない国で、社会的歪を経験してないため喫緊の課題になっていない。出来れば次期総裁選の争点し、手遅れにならないうちに議論しながら国民的コンセンサスを追求していくべきであると信じる。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする