かぶれの世界(新)

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名古屋は異常か、それとも最先端か

2011-02-28 14:56:00 | 国際・政治

財政赤字州の公務員組合が標的

緊迫する中東情勢とNZ地震に隠れて注目されていないが、リーマンショック以降急激に悪化したウィスコンシン州財政危機に対して、共和党系の知事が強硬な対策を採り公務員組合との間に深刻な対立が起こっているニュースが気になっていた。正確に言うと、米国の州レベルの事件など全く気にもしなかったのだが、毎日速報で伝えられるのでつい調べてみたというところだ。

ウォーカー知事は組合員の年金負担金や医療保険金を上げ、組合の団体交渉権を制限する法案を提出し、それを組合攻撃と見做し反対する運動が全米50州に広がったとCNNは26日に伝えた。この組合規制の動きは共和党系知事のオハイオ、ニュージャージー、フロリダなどに広がる見込みで、危機感を持った全米の組合が立ち上がったというところか。

日本の一部自治体の最近の動きに一脈通じるものがあるように思う。というのも、大阪府や名古屋市の首長選で起こった熱狂とそれを利用しようとする国政に同種の危うさを感じた。

阿久根市と大阪府の場合

具体的には鹿児島県の阿久根前市長と議会の対立に始まり、大阪府知事就任直後の橋下知事と議会の対立や、最近の愛知県のトリプル選挙に共通する問題を含んでいると思われる。日本の場合は、各自治体の首長の個性を反映した取り組みで共通政策がある訳ではないと感じる。

阿久根市の対立は市長のエキセントリックな性格が注目され、政策の争点がぼけてしまった。だが対立の背景は市民生活の困窮の一方で財政悪化と行政と何の貢献もない議会の特権的な収入であり、大阪府と共通するものがあるように感じる。

橋下大阪府知事の財政危機の取り組みも過激に見えても、基本的には公と民の両方に痛みを求め効率的でバランスのとれた自治体運営を目指す、ある意味常識的な政策のように私は感じていた。財政問題を解決し子ども達に借金を付け送りしないという明らかなメッセージがあったと思う。

名古屋市の場合

だが、先のトリプル投票で圧勝した愛知県の首長選挙では、名古屋市民や愛知県民が投票で示した民意の解釈が納得できず、気になっていた。私は選挙結果を見て裏づけになるデータが十分あったわけではないが、過去の延長とみて高齢者の票が勝敗を決めたと下記のように推測した。

トリプル選挙の衝撃と底流 http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20110210 

河村名古屋市長は恒久減税と議員の報酬半減を訴えて圧倒的な支持を得た。だが、名古屋市も例に漏れず厳しい財政状況にあり、減税を訴えて更に市の財政赤字を増やすのは若者にツケを回すやり方だと断じ、選挙で勝ったのは現在の生活が大事な老人だろうと解釈した。

米国との共通点と相違点

共通する点はリーマンショック後、脆弱だった地方自治体の財政が更に悪化し維持できなくなっていることだ。公共事業削減だけではジリ貧になる一方、大きな負担になっている行政コスト(地方公務員の給与や年金・医療保険)が削減の対象になって対立が生じたというところだろうか。

米国の場合は首長と組合の対決であり、団体交渉権を規制する法案が「組合潰し」と受け取られ反対運動が全米に広がったことであろう。日本の場合は大雑把に言えば、首長の改革と議会の既得権益の対立という特徴がある。日本では個々の政策に違いがあり共通の旗印として「広域自治」という曖昧なコンセプトでは、必ずしも争点は明確ではなくまとまりがない。

違和感と不安

実際のところ、愛知県の広域自治体案は同時選挙に合わせて後付けで出てきたコンセプトで、橋下知事人気と連携を図ろうとするイメージ先行の動きのように感じる。これを利用して民主党内の党内抗争や選挙を優勢に戦おう姿勢には違和感がある。近年のポピュリズム政治の典型的な現れのように感じるが、国民(多数派の老人)は支持するか、或いは選挙目当てと思うだろうか。

だが米国の場合も「問題は州財政ではなく権力闘争」だと、クルーグマン教授は興味ある指摘をしている(NYタイムズ2/20)。ウォーカー知事は(偶然にも河村市長と同じように)州財政を悪化させる減税を主張してきた。元々超富裕層の政治力で実現した規制緩和が起こした経済危機で財政が悪化し、彼ら超富裕層をチェックする最後に残った「公」を葬り去ろうとしている皮肉、と。

ポピュリズムは破綻を招く

社民党が聞いたら大喜びしそうな論理だ。私はこの指摘については中立だが、知事が酷い州財政にも拘わらず減税を主張し(ティー・パーティの支援を受け)権力を手に入れた手方が名古屋市長選とオーバーラップする。選挙に勝つ為には何でもありの今、このポピュリズムのトレンドが蔓延ると国を誤まらせると信じる。

2008-9年の世界同時不況は先進国に深刻な財政赤字をもたらし、余裕の無い欧州の小国に財政危機に追い込み、日米の自治体も財政が悪化した。自治体の場合お札は刷れない。政治と住民が対応を誤まればもっと悲惨な生活(夕張のような)が待っている。決めるのは政治と民意であるが、メディアはかつて日本を戦争に追い込んだと同じ責任を負うことを最後に強調したい。■

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クライストチャーチの思い出

2011-02-24 22:06:26 | 日記・エッセイ・コラム

NZ地震で壊滅的被害を受けたクライストチャーチ市の映像が連日報道されている。私は一度だけ、99年に同市を旅行したことがあり、毎日大聖堂付近の映像を見ているうちに当時の記憶が甦ってきた。アーカイブから撮影した写真を読み出して見た。大聖堂の左側にあるホテルに宿泊したようだ。

ホテルの名前は思い出せないが写真を見ると右手に大聖堂の尖塔が見える。多分教会の左側にあるホテルの高層部分の部屋に泊まったのだろう。広場に降りて行き屋台で買ったフィッシュアンドチップをツマミに部屋でビールを飲んだ記憶がある。あぶら濃く、エールには合わなかった。

大聖堂の中には自由に入れたと思う。教会によくあるステンドグラスから外光が入る典型的だが荘厳なイメージというより、建物の中は薄暗かった。それ以上の記憶が無い。外に出ると人通りが少なくとてものどかで平和な広場が広がり、こんな惨劇になったとは信じられない思いだ。

まだ観光客が少なかった頃なのかもしれないが、日本で予約した市内観光ツアーは私と家内だけで、ガイドの日本人女性は貸し切り状態だった。記憶に残っているところでは、市内を流れる川沿いの公園を散策し、英国風だという民間の家にお邪魔してアフタヌーン・ティーを頂いた。

その後、クライストチャーチ市を一望できる小高い山に連れて行かれた。高層ビルが無く平たく広がる町と北側にまだ白いものが残る山並みが見えた。薄いけれども低い雲で押し付けられたモノクロの町並みの印象が強く残っている。私は一時期NZにロングステイしたいと、いくつか候補地を調べたことがあるが、クライストチャーチに長く住みたいとは思わなかった。

私は英国に行ったことはない。クライストチャーチは最も英国らしい町だと報じられている。だが、カナダのビクトリアに行った時、ここは世界で最も英国らしい町だと聞かされた。だから何だといわれれば、何でも無い。日本でもあちこちに「京都」がある。私の田舎も伊予の小京都といわれている。京都と同じように英国がブランドになっているということだろう。

定かな記憶ではないが、アフタヌーン・ティーを頂いた家の老婦人の娘さんが確か神戸にいると聞いた気がする。神戸地震の数年後のことだ。そして、2011年クライストチャーチが被災した。運命を感じておられるかもしれない。老婦人やガイドの方の顔を思い出すと、思わず無事を祈った。■

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政治の劣化を加速させる報道

2011-02-23 21:55:16 | ニュース

昨日は一日中、緊迫する中東情勢とNZの大地震のニュースが流れていた。世界を揺るがす大事件に隠れて注目されなかったが、その陰で米倉経団連会長が一昨日の定例記者会見で政局に奔走する永田町を戒める発言に私は心を打たれた。正論である。

発言を要約すると「一部民主党議員の会派離脱を無責任極まりない」と批判し、「自民党も国民生活を無視して政局化しようとしている、国会議員は国民の為に何もしてない給料泥棒だ」と指摘した(日本経済新聞1/22)というものだった。私は国民の大多数の気持ちを代弁した発言のように感じる。

だが、新聞ではこの発言を報じる記事は目立たない扱い、テレビでも中東情勢と地震情報の合間に政局を報じただけだった。両方とも大事件だから集中して報じるのはやむを得ない。しかし、その次に、通常ならトップで報じるべきは民衆が政治に何を求めるかを明らかにし、それを政治に求めるのがメディアの役割ではないか。これじゃ「皆馬鹿になれ」と言っているように私には聞こえる。

ジャーナリズムは現実をどう捉えているのか。新聞テレビ報道は劣化する政治の現実を改善する方向に機能していない。特にテレビは政治を馬鹿にする雰囲気を醸し出すのに全力をあげているように感じる。それを見て「誰を選んでも変わらない」と得意げにインタビューに答える人達を映し出し、そそのかしている様だ。次の選挙で棄権する人達を作り出している。

今も、小沢系幹部の松木農水政務次官の辞表を伝えるニュースが流れている。明日の新聞テレビは菅政権の危機と混乱する政局をはしゃいで伝えるだろう。だが、それが国民が望んだことか、その為に政治のやるべきことか、という視点で報じられることはない(或いは目立たない隅の方でアリバイ作りする)と、私は確信する。メディアに関わる諸君、それでいいのか。■

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中東ネット革命(補)

2011-02-21 17:59:41 | 国際・政治

昨晩のNHKスペシャル「ネットが“革命”を起した~中東・若者たちの攻防~」は良く出来ていた。番組を引用させてもらい、16日に投稿した私の記事を補足したい。

筋のいい火種

先ず火種になった迫力ある動画について。若い露天商の焼身自殺現場とその場にいた若者たちが政府に抗議する動画をフェースブックに投稿したのはチュニジアの若い女性だった。彼女はこんなことは絶対許せないと「100人」に送った。

これは現場の生々しい状況を伝える「動画の訴える力」と、それがフェースブックで次々と転送されてネズミ算式に伝わっていく伝播力を番組は的確に伝えていた。皮肉を言うと、最近の日本のメディアの伝える力と内容は情けない位貧しい。

ネットの攻防、現代のスペイン戦争

次にフェースブックに投稿されるメッセージは暗号化されるので、伝播経路で盗聴されても受信者以外は発信者が分からないという機能があった。これが、情報を短時間で共有し広がっていく助けとなった。

中東革命はこのネットを巡る攻防だった。エジプトでは政府当局が反政府運動の内部にスパイを送り込んで、発信者のサイトを次々と潰して行った。一方、反政府運動の若者たちは別のサイトや迂回チャネルを作って対抗した。

このせめぎ合いの結果は反政府側が勝利した。背景に世界の多くのネチズンが参戦し反政府運動を支援したのも今回の特徴だ。まるで反ファシズムの戦いに世界の若者が参加し、「誰がために鐘は鳴る」で映画化されたスペイン戦争の現代版だ。今回も多分映画化されるだろう。

火種を保つ難しさ

ムバラク前大統領が再選を求めないと発表後、反政府運動が一旦下火になった時が実は今回の革命の最大の危機だったというのは私も良く分かるし、アラブに限らず反体制運動が陥りやすい共通の罠と感じた。

大統領の「即時退陣」を求め、もう一度反政府運動の熱気を取り戻したという。その辺の人々の機微の変化を知りたいと思ったが、番組を見た限りでは私には良く分からなかった。米国からの軍経由の圧力とどういう関係だったか知りたいところだが番組では触れられなかった。

まだ革命の序章

番組を見て、明治維新時の死を恐れない下級武士たちと中東の若者の姿がダブった。実際、番組の中でも死を恐れないという表現が出てきた。暴力装置を独占する独裁政権に対抗する為にはそのくらいの覚悟が無ければ乗り越えられなかっただろう。

だが、番組の後半に冒頭に紹介したチュニジアの女性が、大統領が亡命後の混乱を見て「期待したことではなかった」と嘆くシーンがあった。明治維新では多くの若者の屍を乗り越えて優秀な人材が輩出して国を引っ張った。先行するエジプトの第二章は他の中東の手本となるだろう。

蛇足: 世界ネチズン v.s .独裁政権!

因みに中国には一説には3万人といわれる膨大な数のネット監視員がいるという。中東革命に触発されて昨日中国の12ヶ所で反政府デモが計画され、全て当局に潰されたと報じられた。推測するに中国の“ネット警察力”は世界第2位の経済以上に進んでおり、今後更に強化されるだろう。多分、現在のネットは戒厳令に近い状態だろう。

中東とは事情が全く違う。だが、今回の中東革命で世界のネチズンの力は侮れないと実感した。水面下では世界ネチズン対共産党独裁政権が現在も進行中なのではないかとふと思った。日本が無謀にも世界を相手に第2次世界大戦に突入したアナロジーは荒唐無稽の空想か。いずれにしても、良く出来た番組だった。NHKに敬意を表する■

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春はすぐそこ

2011-02-20 16:32:06 | 日記・エッセイ・コラム

前日から東京に数年ぶりの大雪が降った15日は快晴、午後になると暖かい日差しで表通りの雪は融けてなくなった。予想外の好天で思いついて午後多摩川沿いをジョギングした。自宅から調布と狛江の境近くまで往復すると17‐18kmの距離で、最後は歩いたが心地よい疲れが残った。

復路は西側に所々白い雪が残る多摩丘陵、進行方向の北西には特徴ある形の大岳山など奥多摩連山が見える。前週までは西側に富士山が見えたのだが、先週ずっと晴天でも霞で多摩丘陵の先は何も見えなかった。遠方が霞でぼやけ温かい日差しの中を走ると、もうすぐ春が来そうに感じた。だが、疲れて歩き出すとまだ風が冷たく体が冷えて硬くなった。春が待ち遠しい。

最近バドミントンの練習に顔を出すと、還暦過ぎのアラカン仲間の出席率が半分程度に減り寂しい。体調が悪い事情があるらしいのだが、そうなると私と同じ力で争うペアがいなくなり心細くなる。そろそろこのクラブで練習は遠慮しないといけないかもと気を遣うことが多くなった。

ジョギングや素振りをして体力が低下しないよう頑張っているのだが、練習中に自ら衰えを感じて気持ちが萎えてくることが増えた。気がつかないうちに動きが小さくなり、筋力の低下以上にパワーが落ちていると考え、最近肩の周りの関節を大きく動かし体幹を使うよう努めている。効果が早く出て来ないかと期待している。

昨日は2ヶ月ぶりに家族が集まって食事をした。品川駅前の直ぐ行けそうなシーフードレストランだが、初めてのところだった。元気な間は出来るだけ家族が集まる機会を作りたいと思っている。食事を美味しく頂くというより、子供たち夫婦や孫の成長を見るのが楽しみだった。政治がどうのこうのと偉そうに批評しても、私の具体的な行動はこの程度のことだ。

まだ7ヶ月足らずの初孫の成長は驚くばかりだった。私は仕事にのめりこんで子供の養育は家内にまかせっきり、子育ての発見や驚き・喜びや苦労を味わってなかったと毎度感じてしまう。今となってはなんともし様がない、子供たちの家族を出来るだけ助けていきたいと思うだけだ。

一人で田舎にいる間は文字通り草食生活だった。この1,2年は多少とも料理を覚え殆ど外食しなくなったので、結果的に健康指標が改善し体調が良くなったと実感している。昨年末に東京に戻り家内が作る美味しい肉食系の食事を2ヶ月いただき、少し身体が変化してきたと感じる。

汚い話で恐縮だが、一番違いを感じるのは大便だ。田舎にいて草食が続くと朝大きいのがどっと出て来て終る。こちらにいて最近出て来る大便は濃い色でブツブツに切れて出て来る。こちらでは若干だが寝つきが悪くなった気がする。経験では、そういう時血圧が少し高いのかもしれない。

しかし、概して言うとこの1‐2年で体力は徐々に低下しているが体調は悪くない。母を老人ホームに入居させて、田舎での生活が少し落着いたことが影響しているかも知れないと感じる。来月中頃の本格的春になった3月中頃には、又、田舎に行って草食生活をする予定だ。■

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