かぶれの世界(新)

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XP脱出

2014-04-30 23:22:53 | デジタル・インターネット

 東京の自宅のPCは昨年Windows-8マシンに切り替えたが、田舎の実家のPCはまだXPのままでどうするか最近まで決めかねていた。田舎にいる間ウィルス対策無しのノーガードでオンライン投資をやるのは不安だった。ケチな私としては最初は安価なWindows-7ベ-スの中古機を買う積りだった。だが、デスクトップは機種が限られており、2020年にサポート打切りとのニュースを見て気持ちが萎えた。

 悩んだ末決められず当座の対応として結論を先送りし、とりあえずプランBとして東京宅のノートPCを持ち帰ることにした。今迄はUSBメモリーにデータをコピーし、田舎のPCに環境を移したが、今回は昔に戻りPC本体ごと移動した。ノートPCを入れたシォルダー・バッグのストラップが肩に食い込み重かった。

 プランBWindows-8マシンを主要機とし、タブレットとXPマシンをサブで使う。タブレットをインターネットとメールのビューアーとして、XPはメーラーは一切使わず身元が確かなサイトに絞りコンテンツ・ビューアー専用で使う積りだった。しかし、通信環境設定のところでつまずいた。

 最初にWindows-8WiFi接続をしようとしてパスワードの設定をうっかりしてミスった。Windows8のネットワーク環境設定は手間をかけずオートマチックに出来るようにしているせいだと思うが、一度ミスるとやり直しが上手くいかない。時間をかけたくないので諦めて有線LANに繋ぎ取り敢えずネット接続を確立した。お蔭で折角ノートパソコンを持ち帰ったのに書斎でしか使えなくなった。

 次に、半年間使ってなかったXPマシンを最新状態にアップデートしようとしたが何故かMSサイトと繋がらなかった。そこでポップアップを見てAdobeのフラッシュ・プレーヤーの更新を始めるとマシンがフリーズ状態になった。ここまで来て私自身がフリーズした。もしかしたら、ウィルスに感染して資産管理に使用している金融機関や投資関連の情報が読み取られているかもしれない。

 アップデートを強制終了させLANケーブルを抜いた。その後直ちにWindows-8マシンに設定している金融機関のログイン・パスワードを変更した。一息ついたところでXPマシンを再立ち上げ、不要と思われるアプリを全て消去し、HDのクリーンアップとデフラグを実行した。

 その後、XPマシンは殆ど使っていない。KB操作が多いアプリはWindows-8、単純なビューアか入力が少ないアプリはタブレットで済ましている。単純なビューアーとしてもXPマシンは遅いし、ウィルスの侵入が怖いアプリは絶対使えない。デスクトップ用の大画面が活用できないのは残念だ。プランBは結局Windows-8とタブレットだけになってしまった。主要機のバックアップとしてやはりもう一台PCの必要性を感じている。■

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私的・パナソニック復活ー逃亡者の目

2014-04-28 22:03:20 | 社会・経済

 パナソニックが3期ぶりに黒字転換して最終損益が1204億円の黒字と報じられた。津山社長が12年に就任以来2期連続の大幅赤字(1.5兆円)から短期間に劇的な復活を遂げた。余りに劇的過ぎて業界の一部から「ホンマカイナ」という声が聞こえてくる。半信半疑の声を代弁したのが先週日本経済新聞が連載した特集「パナソニック復活は本物か」で、個人的にも大変興味ある調査報道だった。

 記事を読んで私が早期退職した頃の状況を生々しく思い出したのが興味を持った理由だ。パナソニックはITバブル時代に一度大きな改革がなされた。当時松下電器の中村社長が剛腕を発揮して改革を行い、出遅れたと言われたデジタル家電を中心に立て直しが進んだ。バブルが弾けて私が働くハイテック業界は軒並み苦境に陥っていた。業界は2000年問題特需の直後の需要急減で方向感を失っていた。その中でパナソニックの復活は際立っていたように記憶している。

 一方、その頃取引のあったパナソニックの幹部社員の反応はいささか引き気味だった記憶がある。彼らが「大名リストラ」と揶揄した豊富な手元資金を使った首切りを断行したという印象が残っている。実はそれ以上のコストを払っていたのだが。中村社長は創始者松下幸之助が始めた事業部制を中央集権化し、長年続いた特有な代理店制システムを整理するなど大胆な構造改革を断行し経営を立て直した。

 ところがリーマンショックがパラダイム変化を加速して日本の電機業界を痛撃し、パナソニックは又しても危機に陥った。津山社長の下で断行されたのはプラズマテレビ事業から撤退し半導体工場を売却、事業部制を復活し夫々に責任を持たせる分権体制に戻した。これを聞いて、ありゃー、中村改革は何だったのか、というのが私の最初の率直な疑問だ。誰のアイデアだろうか。

 私達団塊世代は「逃げ切った世代」とは揶揄される。背景には少子高齢化と失われた20年という現実があり、団塊世代に続く世代の微妙な感情がある。加えて、実は私は逃げ切った世代どころか「逃亡者」と呼ばれても反論できない個人的な訳がある。ITバブル破裂前ハイテック業界は実際に血の流れるリストラに追い込まれ、私も加担せざるを得ない立場になった。その時、私の残りの会社人生はリストラを続けることになると予想した。その後の展開は予想通りだった。

 直後に早期退職したのは私の健康問題と母の介護だが、それ以降10年はハイテック業界丸ごと競争力を失いかつて繁栄をもたらした事業から撤退・切り売りする構造改革を強いられた。結果的に、泥沼が見えていたのに逃げ出したと私は感じていた。逃亡者という負い目を持った傍観者の視点でパナソニックの復活を見ると、私は日本経済新聞の疑いに共感するものがある。

 あの大松下が住宅や自動車ビジネスで先々10兆円企業としてやっていけるのか。家電に代わる看板事業がない。数年前までパナソニックを代表するコアビジネスだった先端技術と優秀な人材が中韓台等に大量に流出させることにならないか、だとすればそれは正しい判断だったのか。そこで例によって私の大胆な推測では、中村時代も津山時代の改革もコンサルティング会社が大きな役割を果たしたはずだ。経験ではコンサルタントは現在の問題を見つけ適切な処方箋を書けても、長期的な技術や市場の変化を予測できる力はない。

 結果論的には中村改革(その他の会社も同じだが)はリーマンショック後のディジタル化技術と新興国市場がもたらした変化に対する備えがなかった。では、津山改革はどうかというのが日経の特集のテーマだったが、記事を読んで益々不透明感が残った。逃亡者の私から見ると、津山改革は分かり切った膿を除いただけで、新しい柱として何を育て強くしていくか今一つ不透明だ。残った人材が新しい目標を信じて熱意を持って取り組めるか、それが心配だ。このままで新生パナソニックは堅実経営しそこそこの利益を出すが、今後大きく成長していく潜在力がないと私は予測する。M&Aで外部の血を入れて活性化する可能性は現時点では低い。付け焼刃では出来ない。■

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ガチンコ首脳会談

2014-04-26 15:42:35 | 国際・政治

 中国は日米関係の接着剤

 オバマ大統領を18年ぶりに国賓として招いた日米首脳会談は、TPPで合意を得ることは出来なかった。しかし、尖閣列島の防衛義務や集団的自衛権見直しの支持を引き出して安全保障面で日米同盟の重要性を再確認した。安倍内閣の外交スタッフが満点の出来という成果が得られたとの評価が報じられている。例によって少し視点を変えて私の誤解を恐れず大胆な見方を紹介したい。

 メディアが指摘するようにオバマ大統領の性格を反映してか、ビジネスライクなガチンコ首脳会談だった。だが、両首脳の目は全く同じ方向を見ていたと思う。それは中国だ。30年には米国を凌ごうかという経済力と膨張する中国とどう立ち向かうか、これが首脳会談のメインテーマだった。両国の目線の高さの差から生じる多少の齟齬はあったとしても大筋では合意した。日本は直接中国から受ける脅威がある分だけ切迫感があり、それが満点という評価につながった。

 そういう意味で安全保障の分野で中国が日米を結束させる接着剤の役目を果たしたと言える。だが必ずしも中国は対立する対象とは決めつけない米国の配慮があり、記者会見のオバマの中国に向けたメッセージは苦心の賜物であったと思う。中国の経済は潜在力を考えると余りにも巨大で、日米ともに如何に中国と共存していくか模索する時代が今後とも続くと予感させる、それが今回のメインテーマだったと感じた。それが米国の日本に対するメッセージでもあった。

 親しくなくとも信頼する関係を作った

 一方で、テレビが伝える両首脳の発言やボディランゲージからは、努力はしても互いに親近感を持っている様子は伺えなかった。私の印象ではオバマは安倍首相に対する信頼感は高まったと思うが、個人的に親しい関係を作ろうと努力した様には感じない(それでも鳩山元首相に比べれば雲泥の差だ)。これが微妙な政治判断を求められる状況で、連携してタイムリーで適切な意思決定をして世界をリードするとまではいかないだろうと思う。

 いずれにしてもギクシャクしていた日米関係が修復された、少なくとも見かけ上は、と感じる。TPPの交渉は難航したが、夫々に国内事情があるので評価は分かれる。私はやむを得なかったと思う。オバマは国内の強硬派を抑える力はないという麻生副総理のシニカルな見方が現実的だと思う。米国内ではオバマ大統領は死に体寸前なのは誰もが認める所だ。安倍首相も支持母体の既得権益に対しては極めて慎重な対応をしている。

 関係修復した訳

 今回、米国はTPP交渉の果実を得ることなく、”タダ”で日本に有利な安全保障上の言質を与えたのか。実は、方向転換した米国の価値観からいえば決してタダではなかったと私は思う。上記のようにターゲットは中国であり、その意味で最大の目的は達したと言える。多くの日本メディアが首脳会談の前にTPPの損得を最大テーマと報じたが、その見方は視野が狭かったことが会談の後明確になった。いつものことながら既得権益団体と同じ目線と発想では情けない。

 関連して見逃せないのは、東南アジア諸国が日本をパートナーとして最も重要な国と評価している(日本経済新聞4/25、外務省が香港の調査会社に調査依頼した結果)事実だ。中国でも米国でもない。背景は近年の中国の強圧的な姿勢と、アジア最重視というオバマ外交戦略が信頼されてない現れだが、同時に安倍首相の積極的なアジア外交の成果でもある。米国のアジア外交は日本の力がないと上手く行かないという判断が関係修復の背景にあったと感じる。■

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田舎暮らし雑感14春(2)

2014-04-24 22:22:12 | 日記・エッセイ・コラム

 依然として寒暖の差が大きい。両側を山に囲まれた実家は日当たりが悪く、午前中は寒い。広い家全体がまだ温まっていないので、屋内の方がもっと寒い。冬の装いにしないと寒さで震える。直射日光が当たり始める11時過ぎまでは、サンルームも意外に寒くて居心地が悪い。失望だ。昨秋帰京した時今日を予想して、居間にそのまま残しておいた電気コタツが一番居心地がいい。

 だが昼間の陽射しは強く気温が上昇し、庭の手入れを始めると汗ばんできた。天気予報では紫外線が強くなると注意報が出ていた。半ズボンに着替えて川沿いの道を散歩すると、春風が気持ち良かった。5時過ぎに陽射しが西の山入端に隠れると急に寒くなり、又コタツが恋しくなり見たくもないテレビを見ることになる。多分、5月になると寒暖の差が少なくなるだろう。後1週間の我慢。

 昨日今日と午後暖かくなるのを待って庭の手入れをした。背丈が低いと言っても雑草だらけの庭だったので、一通り草取りをするとすっきりした。だが、サンルームを建てたことにより密接する台所とサンルーム、蔵の間の風通しが悪くなったのか湿っぽいのが気になる。そこまでは考えなかった。いずれにしても東屋の周りの目立つ雑草をとり、テーブルのカバーを取り外すと印象が良くなった。

 今日は庭の東側の隅にある二本の柑橘類の周りを片付けた。ハッサクの7割方が落果して、カビが生えて灰色になったり、カラスがつついて皮だけになったりで、酷い状態だった。いつかはやらなくてはと思いながら気乗りがしなく放置していた。やっとの思いで片付けを終わり、散歩に出かけた。堤防を歩くもう一人の長老の奥さんに出会い帰って来たと挨拶すると、草取りに帰ったのかと笑いながら聞かれた。今のところその通りだ。

 一昨日家内から長男の嫁の様子を聞いてやれと連絡があった。上の孫が胃腸炎で3日間まともに食事をとっていない、嫁さんは経験がなく心細い思いをしているようだ、長男は多忙で夜遅いらしいと。直ぐに電話すると彼女の声は思ったより明るいし、その日は長男が早く帰って来る予定という。だが、電話の直前に孫は戻したらしい。田舎から元気付けるぐらいしか私に出来ることはない。東京にいたとしても何もできないし。

 ラジオでローカル番組を聞いていると凄いニュースを聞いた。69歳が運転する車が92歳の歩行者をはねて死なせたという。歩行者は赤信号を渡っていたという。もう一つが62歳が運転する軽トラックが死角に入った78歳の自転車をひっかけたという。事故に関わった人たちの年齢を聞いて衝撃だった。普通なら気にする性別はどっちだったか記憶にない、年齢だけが印象に残った。凄い時代になった。次のニュースが私にならないよう気を付けなければ。■

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田舎暮らし雑感14春(1)

2014-04-22 22:21:08 | 日記・エッセイ・コラム

 先週金曜日に田舎に来た夜から急に寒くなってきた。自宅を出る時は用心してセーター1枚厚着したが、松山に着いて大洲行きのバスに乗る頃は薄っすら汗をかくほど暖かかった。だが、夜ベッドにつく頃から気温が下がり、夏物の布団に毛布を重ねて寝たがそれでも翌朝は寒くて丸まって寝ていた。翌日から冬用の敷パットを敷いて寝ている。今更冬物の掛布団は使いたくない。

 今迄は暑い間東京にいて夏や秋に田舎に戻った時は実家は背丈以上もありそうな雑草に覆われた廃墟みたいだった。だが、今回の雑草は膝丈程度でまるで実家の印象が違った。手入れの悪い庭程度で空き家とは見えなかった。郵便受けは溢れていたが半年も空けていた割には酷くなかった。これが狙いだった、夏場だと半年も家を空けると大変なことになる。

 だが、一旦ドアを開けて家に入り部屋のドアを開けると湿っぽい空気がながれてきた。概ね乾燥した季節だったはずだが、昨年娘夫婦が勧めてくれた殺虫剤をまき部屋のドアを全て閉めておいたからかもしれない。その殺虫剤の成果はゴキブリが2匹と蛾が一匹ひっくり返っていた。問題は悪臭を放つカメムシ(ジャグジという)が4匹もいたことだ。どこから入り込んできたのだろうか。

 半年間おいていた車はバッテリーを繋ぐと何事もなく動いた。2か月も車検切れになっていたが、用心しながら車用品販売店に運転して行った。車検切れで事故を起こす訳にはいかない。近くのスーパーで食料を仕入れて戻ると点検のほかはオイルの交換だけで済み72,000円かかるという。予定通りだ、これで母を見舞いに松山に行けると安堵した。

 昨日松山の介護付き施設に母を見舞った。朝の10時頃だが母は布団に入っていた。特別問題はない、排泄に血が含まれることもなくなったと担当の介護士や看護婦に聞いた。半年の間に母は一段と年をとって老醜がさらに進んだという言葉がピッタリだった。近所の長老の奥さんが亡くなったと伝えた時は無表情だったが、二人目の孫が生まれたと言うと表情が緩んだ。名前を聞いて私の息子は「難しい名前をつけるのう」と反応し、仏教にゆかりのある名前だよと言うと頷いた。

 その後、久しぶりに田舎に住む友人と昼食を一緒して情報交換をした。以前このブログで「歯医者崩れ」と揶揄したのに怒っていなかった。意外にも気に入っているという。話を聞くと必ずしも地域経済というより寧ろ世界経済の影響が多そうな仕事だが、それでもアベノミクスの恩恵が地方にも行き渡り始めていると感じた。

 その後、実家の近くの地銀の支店に行き母名義の定期預金の一部を解約して、最寄りのJAバンク(農協)支店の母の口座に預けた。この口座から介護施設の料金が引き落とされる。なとか残高は足りていた。ここでも景気が良くなっているのを感じた。銀行支店には通常3-4人の新人が配属されるのに、今年は7人も配属されたという。地域ごとにある農協の支店は今年の新人配属は無しらしい。

 地銀の担当窓口は同級生の娘さんで以前から面識がある。閉店少し前に処理が終りお客がいないので彼女の同僚の3人で「まだ姓が変わらないのか、大丈夫かい」とか「外銀の新宿支店の女の子はカッコいいぞ、君たちももう少しシュッとしてプロらしく振る舞わないとね」、「でも素材は良いでしょう」とか軽口を言い合った。もしかしたら声をあげて笑った彼女達は職場の顰蹙を買ったのではないかと後から反省した。申し訳ない、田舎での数少ない楽しみなので許して下さい。■

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