かぶれの世界(新)

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報じられないニュース

2009-11-30 16:23:44 | ニュース

日本の閉鎖的な記者クラブ制度が民主党政権になって少しずつ変わりつつある、という21日付のNYタイムズの記事を見つけた。見出しに続く要約だけ見て要注目とチェックしたが、母の転院等で忙しくして記事を読んでなかった。だが、何が起こっているのか気になっていた。

この間テレビや新聞報道を見ても、記者クラブにかかわる報道は全く無かったと思う。事業仕分けで予算作成の過程が公開されネットを通じて誰にでも見え、透明度が格段に上がったと評価する一方で、それを報じるメインストリームのメディアの取材手法の透明性に問題があることは前々から指摘されていたが一向に改善しなかった。

転院後の母が落ち着いて時間に余裕が出てきたので気になっていたニュースをチェック、上記NYタイムズの記事も読んだ。これが面白い。亀井大臣が記者クラブ向けとそれ以外のジャーナリスト向けに毎日二回記者会見を開いていると、いささかコミカルに報じている。端的に言うと日本のメインストリームメディアの後進性を馬鹿にしているという感じだ。当然だが。

それではとネット世界を覗いて、この記者クラブの政権交代後のギクシャクの詳細がわかった。記者クラブは従来からの閉鎖的な記者会見の既得権益を死守しようと抵抗しているらしい。テレビや新聞ではこんな問題は存在しないかの様に無視しているが、ネットの世界では結構な議論になっていた。記者会見のオープン化対応は省によってマチマチで、首相会見は記者クラブ独占のままらしい。

選挙前は記者クラブのオープン化に積極的だったのに何故対応がマチマチなのだろうか。それが政治主導の現われとは言わせない。今のところその訳は不明だ。民主党政権も記者クラブの既得権益を死守する姿勢に手を焼いていると見るべきか、それとも違法献金問題を突かれるのが嫌なのか。

ネット世界で悪者化されている官房長官などの周囲が、首相を守るための仕業なのかも知れない。インナーグループ(取り巻き)がやりがちな視野狭窄だ。政権が悪くなった時振り返るとあの時こうすればという兆候が必ずある。極端に言えば裸の王様化させる嬉しくない兆候だ。観測記事を読んだだけ、実際がどうなのか私には明らかではない。

私はもっと深刻だと思うことがある。テレビなどメインストリームのメディアへの依存度が非常に高い我が国の人々にとって、伝える側がカルテルを組んで意図的に情報を選別して、都合の悪いニュースを伝えないのは怖い。

せめて「A社は報じないけど、B社は報じる」的なバリエーションが無いと昔来た道を歩む恐れが無いと言い切れるだろうか。全員伝える価値の無いニュースと判断したとでも言うのだろうか。では何故NYタイムズがニュース速報のメールで伝えたのだろうか。■

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介護録09冬(4)

2009-11-29 00:01:54 | 健康・病気

リハビリ用のジャージが3着必要と言われ、スーパーとか専門店に行って相談した。40kgで140cm余りに縮んで紙オムツをした母の体型に合うのかどうか、ぴったり来るのかどうか要領を得なかった。何軒か回った後、もう一度ユニクロに戻り部屋着のSを試しに買った。

一昨日病院に行き、残った書類上の手続きをして介護士に依頼して母に部屋着を試着させてもらった。ズボンの長い丈以外は母の体型に合った。最近のズボンはすそが絞ってないものが殆どだが、どうもそれでなければいけないようだ。加えて母はピンク色の派手な部屋着が気に入らなかった。介護士にお店を紹介して貰ったので次に行ってみようと思う。

母は入院したその日からかなりの時間をかけてリハビリをしていた。13時間のリハビリ時間が計画されている。試着後、話をして母の様子を伺っているとリハビリが始まった。特別な部屋ではなく誰もが行き来するオープンスペースに行き、先ず念入りにマッサージし、その後杖を使って廊下を歩行、ベンチに座り会話していた。素人目ながら前の病院より質量ともに増えていた。

聞けば、これは言語療法の一環と言う。途中で辞して母の部屋に戻りリハビリ計画書を見ると、リハビリ目標・日程などの他に母の症状欄があり、「痴呆」と言う言葉が目に入った。「欝」だとか、口が重く社交性に欠けるとか説明してきた私には違和感があったが、医者の診たてはそういうことなのだろう。そういえば、母の表情が無くなっているのが気になった。

パーソナル事業仕分け

治療費がどうなるかまだ祥細は分からないが、入院時の相談員からの説明で大体幾ら位になるのかは予想できた。国民年金に加え、父が市役所に勤めていたので遺族年金があり、若干の預金がある母は恵まれている方だと思う。

安価なタイプを選んだとはいえ個室の費用がかなりの額になり年金だけでは十分ではない。母の預金通帳に記録された出費をチェックすると、農家の経営に必要な費用、税金・共済・組合費・水利などに加え、上下水道や光熱費・通信費などの生活費、数種の損害保険、数種のデパートの会員が記帳されおり、入院費用以外にも固定的に発生する費用が結構ある。

現金で檀家として寺費、念仏講など近所付き合いに現金で支払う費用も見ておかねばならなかった。新政権になって事業仕分けが注目されているが、入院生活に加え田舎で発生する固定費を出来るだけ減らさないと実家は毎年大幅な赤字が発生する。

これまでにかなり高価な「何とか還元水」の通販、意味のない傷害保険、自動的に年会費が徴収される3社の百貨店系カードをキャンセルした。年寄りにつけ込んだ契約のように感じるものがある。母が入院しもう不要だと言えば、思ったより簡単に解約手続きが進んだ。解約書を郵送したものもあるが、電話連絡だけで済んだのもある。

後期高齢者医療補助

効果が大きいが、てこずったものもある。リハビリ病院で入院手続きをした時、窓口で高額療養費支給制度を適用申請するかどうか聞かれた。医療費と食費で併せて毎月3万円以上補助が出るので、母が対象者かどうか市役所で確認するよう助言された。

その足で実家のある市役所の高齢福祉課に行くと、母は最も補助金が多い区分にあり、認定証を発行してくれた。それならばと、今朝退院した市立病院の請求書を見せて聞くと適用されると言う。その場で病院に電話してくれ、直ぐ病院に向かい減額した請求書を再発行して貰った。だが、その時は先月の支払い分までは気が回らなかった。

翌日、市役所の担当に電話して事情を言うと必要な書類の手続きをすれば、補助金が支払われると言う。市役所に行き再度手続きをしたが、領収書の代わりに請求書と貯金通帳の振込み記帳を確証に代え、病院に電話で受領の確認してくれた。これで一件落着した、と思った。

昔取った杵柄!?

ところが、最後に申請理由を聞かれ「制度を知らなかった」と答えると、それでは申請は受け付けられないと彼女はいった。それまで親切に対応してくれていると思っていたのに、急に冷たい官僚的な嫌な女に変身したように感じた。母は老齢で介護を受け、遠隔地に住んでいる私には、それ以外に答えようが無い。一瞬にして私は沸点に達した。

何年かぶりに会社務め時代のタフなネゴシエーターにモードチェンジした。制度を知らなかったのが受け付けない理由なら、市は母のような独居老人に対して十分な告知義務を果たしたのか、私はどのようにしてこの制度を知りえたのか、等々問題と思われる点を矢継ぎ早にまくし立てた。

こういう時は仕事で使った標準語でまくし立てるのと効き目がある。彼女は実にあっさりと降参し受け付けてくれたが、後味の悪さが残った。それまで実に親切に対応してくれたのに、大人気なかったかもしれない。いつか機会があれば仲直りしたいが、多分そんな機会は無いだろう。いずれにしろ、東京に戻る前に実家の事業仕分けを終らせたい。■

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介護録09冬(3)-転院

2009-11-26 23:00:58 | 健康・病気

退院

昨日、母をリハビリ病院に転院させた。先月12日に脳梗塞で入院して以来1ヶ月余の入院治療だった。金曜日に主治医から治療が終った旨説明を受け、その場でリハビリ病院の受け入れ申請をして貰い、病室に戻り母を見舞っている間に受け入れ日時が決まった。25日朝10時に来いと言う。移動時間を考えるとかなり早い、忙しい日になりそうだと思った。

リハビリ病院は松山市近郊の山裾にあり、車の移動に1時間余りかかる。朝6時過ぎに起床、朝食後いつもより早い散歩、7時半に出かけて8時には病院着。担当看護婦に挨拶して荷物をまとめ、馴染みになった事務員に請求書を貰って退院手続き完了。

早朝の出発になるので看護婦と事務の両方に、前日準備をお願いしていたので30分後には出発できた。チーフと担当の看護婦が母の乗った車椅子を押し荷物を持って玄関まで送ってくれ、車に積んで最後にお世話になったと挨拶をしたときはちょっとばかりグッと来た。

今日ばかりは高速道路を使い転院先に急いだ。高速道路に乗って数分で実家が見えてきた。一旦高速を降りて母に実家を見せに行くことも考えた。直前まで迷ったが、「これが最後」みたいな片道切符の印象を与えたくなく、心が決まらないまま極普通の感じで通り過ぎた。

入院

1時間後に山裾に立つピンク色の病院に着いた。運転には自信ないがこの日は急坂の狭いアプローチを登りきり、玄関のまん前に車を止めた。車椅子を借りてロビーの隅に母を連れて行き、その周りに荷物を置いた後、玄関から急坂の駐車場まで車を移動し、受付に行って名前を告げた。

入院手続き後に担当の相談員だという若い女性の案内で、母は検査室に連れて行かれMRI等の検査をうけた。待っている間に院内を散歩していると売店を見つけ、余り美味しくないコーヒーにアップルパイで朝食の不足分を補った。

検査が終ると相談員に案内されて母の部屋に入り、母をベッドに寝かせた後持ってきた寝具等を備え付けの小さな箪笥に収納した。受け入れ担当の介護士に施設内で提供されるもの、持込が必要なもののチェックを受けた。衣類は全て名前を書き込まれ、暗い色の靴下などは名前が見えないので持帰りとなった。後で帰る前に箪笥を覗くと、丁寧に並べ替えられていた。

その後、看護婦、介護士、主治医、薬剤士、リハビリ等の方から次々とインタビューを受けた。予想したより遥かに詳細な情報を求められたが、よりよい治療をしようという意図を感じて悪い気はしなかった。母の病歴について聞かれ答えに詰まった時、聞くと母の記憶はしっかりしていた。

受入検査結果とリハビリ

その途中、主治医から再度オフィスに呼ばれ検査結果の説明を受けた。MRI結果がデジタル化されてLCD画面に拡大表示され技術的には興味を持ったが、脳梗塞の跡は前の病院の診断と同じだった。先生は、その跡が運動機能を司る部分から少し離れているので軽い後遺症となったとより専門的な説明をされた。

彼が気にしていたのは心臓肥大で、心臓細動が起こっているという。心臓肥大は今回の脳梗塞によって短期間で起こることではない。もっと以前から何かの原因で心臓が徐々に大きくなったのではないだろうか、と言う診たてだった。しかし、母が以前心臓の問題を起こした記憶はない。いずれにしろ心臓の様子を見ながらリハビリをすることになりそうだ。

インタビューの中でもっともう印象に残ったのは、リハビリの療養方針を聞いた時のチーフの説得力のある自信に満ちた説明だ。リハビリは理学療養、作業療養、言語療養の3つを組み合わせて行うという。老齢の母が意欲を持ってリハビリに取組めるかが重要との考えに彼女もその通りと言い、その延長線上に言語療法がかかわっているという。

私が心のリハビリというと、そこまで踏み込んでやるし実績もあるという彼女の強い言葉に、内心それ程期待してなかった私には軽い感動を覚えた。もし成功すれば感謝状を出したいとおどけて言った私の心は、半信半疑だけれども母には是非良くなって貰いたいという気持ちがない交ぜになったものだった。この病院へ転院してよかった。気が付くともう12時過ぎだった。先ずは食事、次は入院生活を経済的に最適化しなければならない。(続く)■

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お月様と富士山

2009-11-23 17:40:27 | 日記・エッセイ・コラム

ネタ切れの時の為にとっておいたローカルネタを一つ。

田舎に来ても雨が降らない限り食後の散歩を続けている。11月半ば過ぎると夕食後6時過ぎに散歩となると、明りがない田舎道はところどころ真っ暗で足元が見えなくなる。1km先の新興商店街やその手前の高速道路の明りが空を染め、それが逆光になって足元が見えない。

そんな時は月の光があると助かる。生憎このところ曇天か雨が続いていたが、4,5日前夕食後に散歩したとき西の空の雲間に見事な上弦の月が見えた。その日は風が強く空気が澄んでいた為か、研ぎ澄まされた短剣のような月だった。

上弦の月だけれどもいつもより大きく見え、今月3日に見た見事な満月を思い出した。風が強く西空に千切れ雲が浮かんだその日の4時頃、思い立って家内と息子と一緒に富士山を見ようとドライブに出かけた。文化の日は晴天の確率が高いことは私も何度も経験しているが、その日も例外ではなかった。

地図を頭に描きながら車窓から富士山が見えそうな方向に甲州街道を下って行った。中央高速に乗って富士五湖まで行く時間はない、近場の「富士見通り」を探そうというわけだ。左折して国立インターに向かい、もう一度左折して野猿街道に向かう。

多摩川を渡る前に屋根の合間に富士山がちらちら見えた。実はこの先は全く土地勘がない。プランは野猿街道を西に進み多摩丘陵を登っていけば富士山が見えるはずだった。だが行けども行けども林に囲まれた緩やかな坂道の上り下りが続き、富士山はどこからも見えず夕闇が迫ってきた。

それではと、堀の内で右折して北に向かい、大渋滞のトンネルを抜け薬科大横を過ぎ京王線の跨線橋を渡った。すると左手に見事な富士山のシュルエットが見えた。残念なことに車の流れが速くあっという間に通り過ぎ、運転している私は残像を楽しむ余裕もなかった。

そのまま北上を続けた後右折し、甲州街道に続く日野バイパスに乗って東に向かい自宅に急いだ。暫く行くと息子が前方に大きな月が、と言った。最初見た時は月とは思えない、広告か何かの作り物かと思ったほど、大きくて鮮やかな月だった。こんなに大きな月は以前いつ見たか記憶がない。

ちょっとした感激ものだった。ラジオがリアルタイムで見事な満月の話題をやっていた。ひとしきり月の話題を続けていると、今度は家内が後方に富士山のシュルエットが見えると教えてくれた。日が沈み僅かな光の中に漆黒の富士山が見える、といった感じだ。

しかもチラ見ではなく、建物などの遮蔽するものがなく続けて見える。私は時々振り返って何度も後方を見た。逆コースを辿ればもっとマシな富士山観賞ドライブが出来たはずなのに残念、と思いながら。でも、久しぶりに食事時以外に親子が一緒になれた2時間だった。■

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デフレとニューノーマル

2009-11-20 23:56:07 | 社会・経済

菅直人副総理兼国家戦略・経済財政担当相は、20日朝の閣議後記者会見で「デフレ状況と認識」していることを述べた。又、経済協力開発機構(OECD)は19日、最新の世界経済見通しを発表し、2010年の日本の実質経済成長率は1.8%と上方修正した。同時に、デフレが2011年まで続くので現行の低金利政策の維持を求めたと報じられた。

私は今まで物価下落のトレンドは構造的なもので、新たなパラダイム(ニューノーマル)に向かっているという仮説を支持してきた。言い換えれば、現状の「デフレ」は需給悪化による競争激化で物価下落が起こっているとしても、景気回復後も下がった物価が新標準になると私は予測する。今後の国家運営はそういう発想が必要だと信じる。

今日夕方のNHKの四国ローカル番組で、新政権が打ち出した高速道路無料化が引き起こす変化を報じていた。明石大橋の無料化で関西方面への農産物を安く届けることが出来る一方、フェリー、高速バス、JRの経営に大打撃を与えるというものであった。

その結果として、過疎地を走る路線や会社そのものの存続が問われることになり、政府の支援が必要と言う声を紹介していた。だが、視点を変えて見れば高速道路や大橋の通行料を人工的に高くしたことに寄りかかって、従来他の交通機関の経営が成り立っていたといえる。

利用者に経済的に不合理な価格を押し付け、その結果として日本の高コスト構造が成り立っていた。政治的に作られた非効率性ゆえに存続できるビジネスが日本中に存在する。悲劇的なのは地方がこの歪の襞(ひだ)に引っ掛かって生きていることだ。

今次の世界同時不況で元気な企業は、例えば298円ワインで紹介したように海外で計画生産後コンテナに詰め一度も積み替えることなく小売店に届けるといった、徹底的にロジスティックスを合理化した構造的な低価格であり、持続性のあるやり方で売り上げを伸ばしていることだ。品質を落としたり、客寄せの為の一時的な出血価格による物価下落ではない。一言でデフレと言って対策を考えるのは現状認識ができてないピント外れのアプローチになる可能性がある。

政権交代前も後も、その非効率性を正そうとすると、「襞」に引っ掛かったビジネスとそれに依存する生活者が打撃を受ける。不幸にもその多くは地方切捨てという論理で受け止められることである。だが、それを避けて通るということは冒頭の別の道を歩むことになりはしないか。そんなに時間をおかずに新政権は厳しい判断を求められそうな気がする。■

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