かぶれの世界(新)

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消費増税のメッセージ

2012-06-28 19:13:05 | 国際・政治

消費増税の本質を報じないマスコミ

消費増税関連8法案が26日衆院本会議で可決された。国民に不人気で歴代政権が避けてきた増税が、野田首相の執念で一歩前進したといえる。だが、メディアが熱心に報じたのは消費増税の持つ意味よりも、消費増税政局で政界勢力図がどう変わるかだった。

例えば朝日新聞は1-2面で詳細に権力闘争の視点で政局を伝えた後、消費税そのものについては家計や景気への影響を予測し、同じ量の紙面を割いて著名人に小沢氏個人について語らせている。彼等の脳みその大きさに比例した内容の報道だったので、意外感はないが寂しい限りだ。彼等が無知なのか、視聴者を馬鹿にしているかどちらかだ。

そこで、野田首相は何故消費税導入に政治生命をかけたのか、その目的は果たされたのか、識者の考え方を整理して私なりにまとめてみたい。新聞は伝える余白があるので多様な主張を載せそれ程馬鹿ではないことも示せたが、テレビ番組では野田首相は財務官僚の言いなりになって消費増税を推進していると出演者に言わせて終りという状況だからだ。

学者と政治家の危機感の相違

実は学者や専門家・市場関係者の多くは、論理的に考えればこのままでは国家破綻は時間の問題と危機感を持っている。しかし、政治家(一部)は消費増税をいつかは導入すべきだが、近い将来の危機「今そこにある危機」として捉えていない。消費増税の前にやることがあると主張し、結果として政争の道具として捉えている。

日本政府の税収40兆円に対し50兆円を借金して90兆円を歳出、累積赤字はGDP200%に達し世界最悪の借金国である。それでも何故借金の少ない欧州が破綻の危機になり、一方で円が買われ円高になり安全な資産として日本国債が買われ長期金利が下がっている。

このギャップが消費増税法案の賛否に現れている。実はマスコミも股割き状態にある。社説は消費増税の必要性を認める一方、政治面で政局を追いかける記者は結果として消費増税の前にやることがある、それまでは待てるという認識が底流にあると私は感じる。

二つの根拠と既得権益化した社会保障

消費増税の緊急性がないという最大の根拠は、日本国債の9割が国内で調達されているからと説明されている。国民の年金基金と貯蓄がゆうちょを含む銀行を経由して国家予算の原資になっているからだ。だが、逆説的に言うと国民が貯蓄しなくなったら国のお金がなくなり、年金や保険が払われなくなると理解されているだろうか。

もう一つの理由は、現行の消費税が5%の日本はまだ消費税を上げて税収を増やして借金を減らす余地が残されているからだ。既に高い消費税を導入している欧州には最早消費税を上げる余地はそれ程残されてない。だから、年金や保険を削るしかなくギリシャを始め南欧諸国民からフランス国民まで反発し政権交代が起こった訳だ。

幾ら財政赤字だといっても年金や保険が削られ自分の生活が脅かされると、国民は強く反発し政治は停滞し軌道修正を強いられる。手厚い社会保障がある欧州諸国の危機は、いわば民主主義が払わねばならないコストだ。だが、一旦手にした社会保障は既得権益になり手放そうとはしない。その視点から見ると日本も同じ轍を踏んでいるように感じる。

迫り来る危機の予兆1

こういう声を聞いて痛みの先送りをしていると、実際に財政破綻が始まるともう手遅れになり、国民の生活は崩壊の一本道を辿ることを恐れる。リーマンショックや欧州危機の例で明らかなように危機が進行する速度は早く、その場になって対策を考えるのでは手遅れになる。最初のシグナルは計画した国債の消化が怪しくなり金利上昇の気配が出た時と私は予想する。

実はその兆候の一つとして日本の家計貯蓄率が下がり続けていることがある。日本の家計貯蓄率が高かったのは過去のことで、現在は米国の5.8%よりやや高い6.5%でドイツは11%以上もある。国債を買う最大の原資である家計の貯蓄率は着実に低下し続けている。

迫り来る危機の予兆2

もう一つが貯蓄から国債への経由先である金融機関である。メガバンクの有価証券保有残高のうち国債と地方債の保有比率が近年急増している。例えば三菱UFJは貸付金80兆円台でとどまっているのに対し、有価証券が71兆円と急増し拮抗している。何と気持ちの悪い状況ではないか。

つまり、企業の資金需要が低迷する中で、現在のメガバンクはゆうちょ銀行に次いで国債原資提供の役割を担い日本国債安定の一因となっている。だが、この国債には担保が無い、一旦焦げ付くと紙切れになる。国債の裏付は買い続けてくれる国民や銀行がいるという危うい論理なのである。保有国債の劣化に起因するスペインの銀行の危機を忘れてはならない。

市場と会話した野田首相

市場は消費税政局の行方をじっと眺めている。格付け機関は既に日本の財政状況に警告の信号を発している。欧州の首脳達は問題先送りするたびに市場がノーといい、慌てて首脳会議を開いて対策を講じるというドタバタを繰り返している。「市場が主導して後追いする民主主義」とでも言えばいいのだろうか、間抜けだけど深刻な状態だ。

日本がそうはならないというのが、今回の野田首相の市場へのメッセージなのだと私は理解する。格付け機関の言葉を借りれば、「日本は財政再建を果す意思と能力を持っている」事を具体的に示すものなのだ。市場は一番弱っているところを突いてくるハイエナみたいな奴等で、絶対に弱みを見せてはいけない。

遠くないXデー

ギリシャのような危機が何時日本に来るのか、正直私には全く分らない。日本の財政危機が来るのは早ければ数年後、遅くとも10年内に来ると予測する専門家が多い。放置すれば日本国債の格付が更に下落する可能性は高い、そこから財政破綻に向かって一気に進むとかもしれないという危機感が、野田首相にはあったのだと思う。

それをきっかけに国債価格暴落、政府の資金調達機能が停止、急激なインフレと円安、年金等の政府支出停止、失業の急増など、増税の何倍もの痛みになって跳ね返ってくる。目先の痛みしか見えない人に意見を言わせ、これが民意だというマスコミは私には無責任だとさえ感じる。だが、多分これが民主主義なのだろう。

ギリシャ国民化する日本国民

国の財政悪化は理解できても自分の生活になると反対する。こじ付けのようだが、それは原発が齎した安くて便利な電気社会が、一旦事故が起こると原発にはノーだが、安い電気は権利(既得権益)と主張するユーザーのように私には感じる。ともに物事を10で考えないで軟着陸点を見出さないと膨大な犠牲者が出て来る。犠牲を覚悟するというなら話は別だが。

一旦国が破綻したらその結果生じた膨大なコストを支払うのは国民だということを理解しているのか私は疑問に思う。果たして日本の人達は国の破綻に瀕したギリシャの人達をどう見ているのだろうか?政治家は、マスコミは?今のところ、違いより似ているところの方が多いように感じる。

誰も助けられない日本

もう一つの違いは、何だかんだ言っても欧州はギリシャ救済を真剣に検討しているが、日本が危機に陥ったら誰も助けられない、「大きすぎて助けられない」ことを心しておかねばならない。自ら政治を選び、自らを助けるしかない。その覚悟があるだろうか。ギリシャは財政破綻すれば後から政治を非難しても、何も生まれないことを教えてくれた。

政局の行方がどう展開するか分らないが、総選挙の時期は確実に近づいている。消費税は選挙の争点になるだろう。有権者は目先のことだけでなく将来にわたる負担と受益のあり方を考えて投票に臨むべきだ。テレビは少なくとも国を劣化させないよう良く考えて欲しいものだ。■

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椎間関節嚢腫(その後)

2012-06-27 23:53:41 | 健康・病気

娘と高尾山をハイキングした。最近テレビで取り上げられることが多いせいか、平日だというのに思ったよりハイカーが多かった。テレビで紹介される格好良い山ガールというより、山オバサンという感じの方(失礼!)が圧倒的に多かった。娘の体調もまずまずで高尾から足を延ばして城山まで歩いた。暑すぎず爽やかな空気の中で歩く森林浴という感じで気持ちよかった。

休職中の娘が久し振りにリハビリを兼ねてハイキングを再開したいというので付き合ったのだが、私も10日余り前に診察を受けた椎間関節嚢腫の様子見に始めた運動の一環でもあった。先週初めから有酸素運動に限ってジムでエキササイズを再開、先週土曜日には瞬発力が必要なバドミントン練習も再開した。

自然治癒することはない、嚢疱は手術しない限り直らない、だが当面は様子見にしよう、運動はやってもいい、私にとっては極めて曖昧な診断を下された。多分、先生の知見から判断してこの先どうなるか明確に分らない類の症例なのだろうと想像する。

ということで、とりあえず私は自己流で嚢疱を小さくしてみることにした。それはメタボ気味の体を運動で絞って痩せる事だと思った。結果として嚢疱の水分も抜けて小さくなることを期待して。但し、ウエイトトレーニングなど無酸素運動は直感的にマズイと思った。今までのところ先生の言うとおり、運動しても症状は悪化してない。

体重は約2kg減った。少しポッコリお腹がへこんだ気がする。腰の痛みは椅子の高さや柔らかさでかなり変化するが、私自身が痛みの扱いに慣れて来た。運動やアルコールで血行が良くなると痛みが無くなり、腰痛だということを忘れさせてくれる。

ハイキング帰路の坂道は膝に来て少し苦痛だった。特に帰路の下り坂はルート変更してセメント舗装された参道を通ったものだから尚更膝にきつかった。とはいっても昔取った杵柄で直ぐに高尾山口に着き電車に乗った。娘は疲れて眠りこんだが、私は腰痛がぶり返し座席に座れずそれどころではなかった。余り無理は出来ない、明日の朝の状態を見て適度のハイキングに抑えるかどうか決めようと思う。■

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捨てたもんじゃない日本

2012-06-24 17:24:21 | 社会・経済

本沈没(小松左京氏のSF小説)と70年代の石油危機が、昨今の日本と世界情勢を関係付けて引用されるのをこのところ良く見かける。急速に進行する少子高齢化と急増する社会保障費で雪だるま式に増える世界最大の財政赤字に対し、権力闘争に明け暮れる政治が続いている。この先日本はどうなるか悲観的な見方が拡がり「日本沈没」を連想させているのだろう。

消費税政局で揺れる日本では欧州危機の余波で停滞感が立ちこめる世界経済と長引く円高環境下で、日本企業の海外シフトが静かだが着実に進んでいる。日本最大の輸出産業である自動車メーカーは生産の大半を海外に移す計画が次々と発表されている。今朝の日本経済新聞はホンダが2017年にも輸出拠点をアメリカに移すと報じ、トヨタ・日産の国内生産縮小と海外移転も既に伝えられている。

同紙は賃金の高い製造業の雇用からサービス業にシフトし賃金が低下して行く構造的な問題を伝えている。この賃金が上がらないトレンドが構造的な問題との指摘は深刻だ。その先にあるのは国内市場の低迷であり、頼りのサービス産業もユニクロやコンビニなどが低迷する国内需要を見限って海外シフトが続いている。

消費増税と平行して社会保障との一体改革の行方、規制改革・TPP/FTAなどの懸案事項を含めて経済の成長戦略はどうあるべきか、一向に先が見えない。こんな状況だから、欧州危機を云々する安住財務相に対し、メチャクチャな財政赤字の日本に「お前なんかに言われたくない」という声が聞こえてきた。

今にも日本は沈没しそうだけど光が無いわけではない。少なくとも只今現在日本国債は高く評価されている(先はどうなるか心配だが)。心配することばかりだけど、何でもかんでも心配したり反対したりする訳ではない。物事には陰もあれば光もある。

石油危機を克服して強くなったDNAは生きている

大震災だからこそ見つけた光と同様、政治の混乱に隠れて見えなくなっている光がある。遡れば70年代の日本は石油危機を乗り越えて強くなった。それは韓国に於けるサムソンのような一企業の成功話ではなく、日本産業の多くの分野が関るトータルとしての底力だった。具体例として最近注目した二つのニュースを紹介したい。

一つは中国が独占するレアアースの輸出規制をしたため、窮地に陥った日本の先端産業が「脱レアアース」技術を着々と開発している事だ。レアアースは自動車から殆どの電子機器まで広範に利用されている材料で、中国は尖閣列島を巡る領土論争の武器に利用して正に日本の首根っこを掴む積りで輸出規制した。私は当時こんな乱暴なことも中国ならありうる(中国とロシアはそういう国だと)、しかし困ったことになったと思った。

しかし日本の先端企業はしぶとく生き残っている。70年代の石油危機に迅速に対応し、危機が収束した時には実質100%石油輸入に依存していた日本が世界最先端に立っていたことを思い出した。今回も国難に対し政府と民間が一致して対応した。まだ、日本にはそういう強さが残っている。最近の日本経済の長期低落傾向を見ていた私には若干ホッとするものがあった。日本だから出来たことだと。

逆説的に言うともしかしたら中国のレアアース輸出規制は、危機に素早く対応した日本にはチャンスになるのかもしれない。ただ今回の脱レアアース技術は最終製品ではなく韓国をはじめ世界の先端企業に安く提供され利用されるだけで終るかもしれない。米国のIT企業のように身勝手な位のビジネスモデルを作って、長期的な観点から新技術を有効に活用して欲しい。

二つ目は世界の金融市場、特にアジアで日本の金融機関の存在感が増していることだ。欧州危機に見舞われた欧州金融機関は不良債権が増えて青息吐息で、欧州への輸出が減って経済減速に見舞われた新興国から資金を引き上げている。このアジア諸国の資金需要の穴を埋めているのが邦銀という構図である。

欧州危機の裏返しは明らかに絶好のチャンスだがリスクも大きい。その中でアジアの15月貿易金融は欧州系銀行が撤退して行く中、間髪をいれず邦銀が穴埋めしシェアが倍増したと今月始め報じられた。異例とも言えるこの速さの底流には、日本企業の資金需要がなく邦銀の余剰資金が行き先を求めていたいことが指摘されている。それが何だ、と私は思う。

「決められない政治」と揶揄される日本の政治と同様、欧米企業に比べ日本企業の意思決定の遅さがしばしば非難されてきた。だが、この素早い意思決定は目を見張るものがある。政治のせいだと他人に押し付けられない、原因はともあれ経営責任は結果に基づく自己責任の世界で下された意思決定なのだ。

私はこれらの動きはもっと広い意味で捉えている。5月の日本は過去最大の貿易赤字を記録した。軟調な世界経済による輸出不振と原発の代替エネルギー輸入の増加が主な原因だ。しかし投資所得が貿易赤字をカバーして経常収支は黒字だった。それが避けられない通過する道だとしたら、日本企業は非常にうまくやれる柔軟性が残っていることを示した。

この二つのニュースは、国としての老化が進む日本にも、まだ若い時代にあった危機に立ち向かうDNAが残っていると感じさせた。捨てたもんじゃない。「政治は二流、経済は一流」は今も生きているかもしれない。もっと言うと、その政治は民意の表れ、経済は自己責任の合成だ。■

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恥を知れ、消費増税政局報道

2012-06-21 22:11:17 | ニュース

2週間前に「消費増税法案の成否がこの1週間で決まる」と言ったが、予想通り15日に修正協議の3党合意が成って社会保障と税の一体改革法案が事実上成立の見込みとなった。しかし、合意された修正内容に対し小沢グループが強く反発し離党して新党立ち上げの構えを見せ、所謂「消費増税政局」で緊迫した情勢が生まれた。

私は朝と昼、毎日食事を取りながらTBSとテレビ朝日のニュース・バラエティ番組を見ることが多い。このところ消費増税政局報道が圧倒的に多いので注目して見る。しかし、毎回判で押したように民主党内の賛成反対両派の議員数を巡る争いと見通しに重点を置いた解説をする。小沢グループの反対理由は、かつて選挙に弱い新人の要求、今はマニフェスト違反というだけ。

しかし、我国の将来がかかった重要法案の行方の賛否の根拠をその程度で済ませ、後は面白おかしく芸能人の二股騒動と同じ熱意で数合わせだけ報じる姿を見て胸糞の悪い気持ちになる。それでもこの番組を見て政治を評価し判断する人達がいると思うと、視聴者は一体どう考えるのだろうと訝りながら見続けることが多い。

一体改革の政策内容を詳しく解説し何が争点なのか、背景として日本の社会保障と財政問題、欧州のソブリン危機と日本の財政問題との比較などを分り易く視聴者に解説する、それがいま緊迫した情勢にあるときこそマスメディアの責任ではないのか。それを見て世論が形成され、政策の行方に影響を与えるのがあるべき姿ではないのか。

誤解を恐れずに言うと、ニュース・バラエティ番組の出演者で政策の詳細と争点を、背景を含めて分り易くポイントを説明できる人は一人もいないのではないだろうか。出来なければ専門家(やらせ評論家や原理主義学者では意味が無い)に依頼して解説してもらうなり、意見を戦わせて貰えばよいのだ。

番組を見る限り緊迫した政局になって明らかに喜びはしゃいで芸能ネタと同じのりで政局を報じている。「恥を知れ!」と私は思わず独り言を言った。特に公的な電波を独占し視聴者の選択が限られているテレビ・マスコミには考え直してもらいたい。独占供給がゆえに電力会社の責任を問うマスコミは、政局原理報道が天に唾するものだと深く反省してもらいたい。■

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レッサーイーブル

2012-06-19 17:50:21 | ニュース

数日前の夕方、テレビ朝日のニュース番組で時々見かける評論家が、大飯原発再稼動決定は「再稼動させた時起こりうる悪の方がさせなかった時起こりうる悪より小さい、『レッサーイーブル』だと野田首相が判断したのだろう」と評するのを聞いて新鮮に感じた。レッサーイーブルとはレッサーパンダ(小さいパンダ)と同じような使い方で「小さい悪」という意味だ。

その言葉を聞いて「おやっ」と思ったのは首相判断表明後、関電とか原発の既得権益を守るための再稼動ありきの判断といった一方的に悪と決め付ける報道ばかり見てきてからだと思う。レッサーイーブルという言葉の裏には、賛否両論の詳細に分析してどちらが住民とか国民の為になる判断か、或いは他の選択が無いのか合理的に物事を考えようという意図が底流にある。

だが、翌日の同じ時間帯の番組には別の評論家が出てきて再稼動を原子力村の既得権益を守るためと一方的な悪と決め付け、前日と同じキャスターが我が意を得たようにうなずいた。どうも前日の評論家の意見はキャスターとかテレビ局の主張(シナリオ)とは違ったようだ。期待しすぎだったかもしれないが、前日からの変わりように私は酷く失望した。

テレビのニュース(バラエティ)番組のシナリオに沿って意見を言わせるコメンテーターを出演させ、てんでに同じ主張(やらせコメント)を繰り返させるものが多い。キャスターに異なる意見を纏める能力などない。だが、双方の主張の根拠を明示して戦わせることなく、自説のみ報じるのはニュース報道とは言わない、「原理主義報道」である。ニュース報道は先ず事実を伝えた後、それをどう評価するか複数の見方を紹介するのがあるべき姿だと思う。そうあらねばならない。

レッサーイーブルの言葉を聞いて新鮮だと感じた同じ日、ミノモンタが仕切るTBSの朝のニュース番組で面白い場面に遭遇した。レギュラーのコメンテーター連中が従順に大飯原発再稼動を批判する「やらせコメント」をした後、最後に同局のドラマ宣伝の為に出演した俳優氏にどう考えるかミノモンタは意見を聞いた。多分、予定外のことだったと思う。

彼は聞かれて「電力不足で病院や工場が止まることを考えると、必要最低限の原発を動かすのはやむを得ない」と、同局のシナリオとは正反対の返事をしたと思われる。今まで散々反対意見を言った連中は、そのコメントに対し何の反論もしなかった。多分、TBSやミノ氏が予想しない事故で虚を突かれたのではないかと思う。

私には至極当然の意見を俳優氏は言ったと思う。少なくとも国民の中にはそう考える人が沢山いて、国論は二分されているはずだ。とすれば多様な意見を持つコメンテーターが出演し、テレビ局のシナリオに沿わない主張もさせるべきではないだろうか。そうすれば視聴者は多様な考えに触れて、夫々が自分で考え意思表示するようになり、結果的に報道の質も向上すると私は考える。

原発などある特定のテーマになると一方的に悪と決め付け、データに基づいて冷静に議論しないで自説のみ主張する「原理主義的報道」になる傾向が強い。そのテーマは時代とともに変化してきたが今もある。中立を建前にするメインストリーム・メディア、特にテレビにその傾向があるのを私は憂慮する。どうすればよいのか、私には至極簡単だと思う。お手本もある。

物事を決め付けないで視点を変えて見る、現実は絶対的な善悪を決められることは余り無い、どちらも悪ならどちらが「レッサーイーブル」かの選択になるのである。先行き不透明な物事を確率論的アプローチで判断しなければならない時もある。分り易く言えば、池上彰氏のようなスタイルでニュースを多面的に見て報じればいいのだと思う。■

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