かぶれの世界(新)

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字が下手になった

2024-08-30 16:15:05 | 日記・エッセイ・コラム
先日松山の地場銀行でお金を下した時、窓口の若い女の子に字が上手いと褒められた。最近では滅多に手書きの字を書くことがなくなり、自分では上手いとは思っていなかったので「イヤイヤ、そんなことはない」と答えたものの内心嬉しかった。今では聞かれない会話だと思った。

2,3日前だったかに女優の吉高さんがインタビューを受けて、「最近はスマホで連絡して字を書くことがなかったので、出演した番組で毛筆で字を書くことがとても新鮮だった」との発言を聞き成程と思った。私の子供達三人とも手書きの字は上手くなかった記憶がある。

私が会社勤めの頃に彼らは小中学生で家庭にあるパソコンでキーボード入力を始めた。一方、今の若い人達は幼い頃からスマホで文字を入力するんだと改めて実感した。今では学校で全員にパソコンが使えるよう導入されており、手書きの字が上手くなる機会が激減したはずだ。

90年代に私が米国で仕事をした時、大学教育を受けた米国人達は手書きの字が上手くなかった。私は映画で見た洒落た洒落た手書き文字を期待したのだが、押しなべて下手くそでカナ釘流の酷い字だった。彼らは子供の時からタイプライターを使いキーボードで文字入力してたからだと思う。

そういう私も子供の時から字が上手いと褒められた記憶がない。技術者として会社勤めを始めると、現場で見易く間違わない製造図面を作るよう指導を受け、文字を丁寧に記入するようになった。製図的に見易く誤読されない文字であって、国語的に正しい文字ではないかもしれない。それもまた現在では機械の仕事なんだろうが。■
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珍しい客

2024-08-29 16:16:02 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜は久し振りにエアコンを切って寝た。巨大な台風10号が鹿児島沖に迫っており気温が27度まで下がったからだ。昨夜は微妙な温度で寝たり起きたりと良く眠れなかったが、目が覚めると朝7時半ばを過ぎていた。廊下に出て空を見上げると雨は殆ど降っていなかった。

今日は8時にゴミ捨てと9時半に歯科医の予約をしており、慌ててお決まりの血圧を測定してテレビとスマホの天気予報をチェックした。テレビはかつてない規模の台風が低速移動しており、各地の厳しい被害状況を報じていたがここ大洲盆地は嘘みたいな小雨模様だった。

朝食(その1)豆乳と果物を準備し一旦っ冷蔵庫に入れ、8時過ぎに1週間分の燃えるごみ袋を自転車に積んで捨てに行った。小振りの雨の中を走り歯医者に行けそうだと判断した。急いで家に戻りテレビニュースを見ながら冷蔵庫の朝食を食べた。

台所に下り片づけていると隅の冷蔵庫横に黒いごみを見つけた。顔を近づけるとなんとコオロギ、じっとして逃げなかった。今年の暑い夏はゴキブリを見かけないが、1階台所周辺には異常にアリが多い。コオロギを年に一度か二度見かけるだけ、ほっこりした気分になった。

8時半前に雨具を着け自転車で歯医者に出かける準備をして、玄関を出ようとすると台風が鹿児島に上陸したとのニュースが流れ、やや雨が強くなっていた。何とかなると構わず自転車で表通りに出ると、ゴミ捨てケージにトラックが来てゴミの積み替えをしていた。

突然、避難警報と避難所準備の有線放送が流れた。朝起きた時より雨は強くなったがまだ小雨の範囲 、強風は全くなかった。だが、有線放送で私の心は折れた。表通り横の郷里の偉人のお墓の木の下で歯科医に電話をかけ、土曜日に予定の変更をお願いした。実家に戻るとコオロギは同じところに待っていてくれた。

実家に戻り朝食(その2)ウィンナーを刻み卵を焼いてコーヒーを食べた。(その1)では気にならなかった歯の痛みが戻ってきて、中止していた鎮痛剤を服用した。その後、2階の書斎に戻りマーケットをチェックし、11時頃に廊下に出て外を見ると雨のザーザー振りだった。

その後MLBの野球中継で大谷選手の大活躍を見て、12時過ぎに昼食の準備に台所に下りると珍しいお客はいなくなっていた。すっかり忘れていた。もしかしたら、彼はもうすぐ秋だよと教えに来てくれたのかもしれない。だが鎮痛剤の効果が弱く歯の痛みはまだ残っている。■
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地獄の峠越とパンク、そして天使(終)

2024-08-27 13:37:56 | 日記・エッセイ・コラム
昨日朝食後に1週間分の食料を仕入れにスーパーに行った。修理に出したサイクリング車とは別に、実用車を用意してあるのでいつもと変わらない生活サイクルだ。実家に戻り書斎で書類を広げた瞬間に電話が鳴った。DCMから自転車の修理が終ったとの連絡だった。

昼間は暑いので夕方涼しくなってから引き取りに行く、その時にパンクの原因など教えて欲しいと頼んだ。4時過ぎに遠雷が聞こえたので予定を早めてお店に行った。昨日大野さんに助けて貰ったのを思い出した。窓口と修理セクションの間を行き来して支払いを済ませ引き取った。

パンクの原因は私には想定外だったが、修理担当によるとごく普通のパンクだと言う。彼は透明な袋に入った1センチ足らずの細い針を見せてくれた。私は峠越の後の緩やかな下りをぶっ飛ばした、橋の手前で後輪がゴツゴツし始めたなどと事細かい説明は全く不要だった。

ついでに以前購入したパンクの瞬間修理剤について専門家の意見を聞くと、彼は個人の意見だと断った上で修理剤は薦めないと言う。理由は簡単で一度修理に使うと、タイヤは次に故障すると使えなくなるからという。その説明は聞いたことがある。だが、今回は天使が現れたから容易にお店に持ち込んで修理を頼めたが、もし山間部でパンクしたら他に選択の余地はなかったと思う。

1500円を支払って店を出る頃には一変して空は薄い雲に覆われ、所謂サイクリング日和になっていた。例によって急に思い付き少し遠回りして、近場のサイクリングコースを走って戻ることにした。一昨日トランクに積んで運んで貰った時に変形しなかったのも確認できた。一件落着。■
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地獄の峠越とパンク、そして天使

2024-08-25 19:50:51 | 日記・エッセイ・コラム
それは何時もの様に突然思い付いてやり過ぎに走った。昼食後にMLBの実況中継で大谷の40/40を見てご機嫌になり、その後バドミントンのジャパンオープンで日本選手が負ける中継録画を見てガッカリした。その時、急に雷雨が上がり、突如ペダルを踏みたくなった。

しかし、どこに行くか走り始めても決めてなかった。取り敢えず何時もの散歩道を走り五郎駅から肱川沿いの道を走り始めた頃は、平野から出石寺に行けるところまで山道を走ろうと思っていたが夕方5時に近かった。大洲城に近づいたところで犬連れの中年夫人に出会い、私は突然思い付いたように高山への登り口を訊いた。標高500m余の高山(たかやま)なら登れると内心思った。

一旦五郎橋まで戻ってその先の小集落から上須戒に向かう山道を登れと彼女に助言を受け、肱川沿いの道を下流に戻る途中に、車を止めて野菜を採り入れする中年夫人を見つけ再度道を確認した。彼女はここで育ったが嫁に出た身でよく分からないと断った上で、上須戒に行く道は来過ぎ、もう一度戻れと言う。手拭いを被った彼女は意外に若かった。後から考えると女性に道を訊いたのは会話を楽しむ為だったかも知れない。

その道は付近の山を走った後下る時に何度か利用したが、上須戒に向かう「車道」で途中高山への登り口を見た記憶はなかった。初めて登った坂道は厳しく地獄だった。途中で持参したエネルギーで補給してやっと峠を越え上須戒に着いた。そこで誰かに出会えば道を確認しようと思っていたが、家や車は見かけても人影は皆無で、誰も住んでいない廃屋らしき建物が沢山あった。

もう時間がない、実家に戻るしかなかった。高山に向かう道が見つからず走る緩やかな坂は、楽なはずなのに地獄の峠越えの延長の様に感じた。やっと肱川までたどり着き橋の歩道を渡るころに後輪からガタガタする振動を感じた。ヤバイ、パンクだ。注意深く橋を渡りながら約500m走り国道沿いのコンビニの駐車場に自転車を止め店に入った。

店内には数人のお客が支払いの列に並んでいた。その時私は誰と選んだ訳ではないがくたびれた作業着姿の中年男性に声をかけ、近くに自転車屋さんはないか聞いた。彼は「近くにはない、大洲まで行かないとない」という。私がタイヤがパンクして困っていると伝えると、知り合いの自転車屋に電話して休みを確認してくれた。代わりに近くのスタンドで対応して貰ったらどうかという。

私が自転車を買った大洲まで行くというと、それじゃ遠いからと彼の車に乗せてあげるよと申し出てくれた。彼はクラウンの後部座席に自転車を押し込もうとしたが無理で、私が諦めかけると後部トランクに片方の車輪を突き出したままで運ぶよと言ってくれた。そうしている間に彼と同行していた若い男女は別の車で去って行った。彼の息子の友達だった。

幸運にも話しかけた50代半ばの運送に関わる仕事をして土地勘がある優しい男で、社会人の長男と中学生の息子がいて奥さんは仕事に出てるから「なんぼでも」時間はある、DCMまで載せて行ってくれた。私も退職して東京に自宅はあるが今は大洲の実家に戻ってる。若い頃はバイク乗り、その後スポーツカーに乗ってたが、2年前に自動車事故を起こし今は自転車だと自己紹介した。

DCMに到着した時は修理サービス時間は既に終わっていたので、取り敢えず自転車を預けて実家に戻り修理が終わると引き取ることにした。私は自転車の携帯の修理道具を買ったけど、自転車に乗る時に忘れてしまい、それどころか不用心にも財布も持たない様になったと白状した。

彼は軽く「そんなもんですよ」と返事し、更に暇だからと言って実家まで車で送ってくれた。なのに、お茶でも出してお礼しようにも独居老人には何もなく、実家の前で彼の名前を聞いて「大野さん、有難う御座いました」とお礼の言葉を言っただけ。長い人生でこんな天使みたいに助けてくれた人はいない。見方を変えると、道を聞いたご婦人や助けてくれた中年男性との会話は楽しかった。■
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薬漬けの日々

2024-08-24 11:47:51 | 健康・病気
今週から服用する薬が一時的に倍増した。以下の様に1日5-6錠飲む。だが、一気にまとめて飲めないのが面倒臭くてついつい忘れて遅れて飲むこともある。

 朝食後 フェブキソスタット錠20mg 高尿酸
 毎食後 メイアクトMS100mg   歯周病
 就寝前 カンデサルタン4mg     高血圧
 随時  ロキソニン60mg      歯痛

現在治療を受けている歯科医から処方された薬は3日分なので、明日には薬の半分は服用しなくなる。母が入院しその後介護施設に入る前に、台所に籠一杯の薬があったのを思い出した。当地の医者は過剰に薬を処方するという噂を聞いていたが、今回はそれ程ではないし理由も明確だと思う。だが、この情報は大事な病気についてはセカンドオピニオンを聞く動機づけになった。

最初のケースは母の主治医に紹介された内科医の診察を受け、指示を受けて医師会に行き検査を受け80%癌の疑いと告げられた時だ。友人に打ち明けると親族の医者に聞いてくれ、セカンドオピニオンを聞けと勧められガンセンターで無罪判決を受けた経験がある。今の状況はそんな深刻な状況ではないが時折思い出す。健康診断も病院を変えてみた。

実際、歯科医から処方された薬は3日分しかないし、来週歯科医に様子を診て貰い次の段階の治療を続ける。高尿酸対応の薬は7月に帰京時に受けた健康診断で検出された高尿酸対応のもので、その後ビール等プリン体の飲食は避けている。11月に帰京後再検して尿酸値が正常に戻り、フェブキソスタット錠の服用を中止するのが私のベストシナリオだ。

ご近所の100歳前後の老婆コンビはまだ元気だと確認した。だが、長老の奥さんは私が帰郷する前に亡くなったと今週になって聞いた。このところ長老の姿を見かけない、ショックだったと思う。万が一彼が亡くなると集落内で私が男の最長老になってしまう。女性に比べると一世代若い。

私も健康にそれほど自信がある訳ではないが、歯科医の治療を受けて痛みが取れて以来元気を取り戻した。早速、その日に短い距離ながらジョギングをし、続けて昨日は10キロの山裾歩きをした。ちょっと余裕ができると「やり過ぎ性格」が顔を出す、しかし時折医者の助けが必要なようだ。■
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