かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

幸福量保存の法則

2024-07-31 16:51:43 | 日記・エッセイ・コラム
応用物理出身の長男は科学分野の「質量保存の法則」を応用して、人は幸せになった分だけ不幸せになる「幸福量保存の法則」があると昔よく言ってた。先々週3日間にわたり山口県家族旅行を楽しんだが、帰京後7日間にわたり腰痛と足痛で外出できず法則が証明されたかも知れない。

旅行は3日間で腰痛は7日間で不公平かも知れないが、厳密にいうと帰京後3日間は何時もよりは少ないけど買い物や散歩で3キロから5キロ程度は歩いた。実はこの時に用心し徹底して外出を控えれば痛みはそれ程悪化しなかったかもしれない。

次の4日間は歩数ゼロの徹底した家籠りをした結果、午前中に先々週受診した健康診断結果を聞きに往復2.5キロを歩いて病院に行ったが、腰や足の痛みが悪化することは殆どなかった。午後になっても痛みは悪化せず、来月初めに帰郷して松山で長男家族との合流も何とかやれそうだ。法則のお陰かもしれない。

もっとも測定範囲を生化学指標にまで広げると法則の妥当性は怪しくなる。更に広げて、旅行前から私の投資物件は暴落していた。日本関連の投資を引き揚げ米国IT関係の会社株や、その他海外の信託投資は旅行前まで高騰してたが、旅行後ずっと下がりっぱなしで何も保存されてない。そんなに都合よく保存されてはいない。

というか妥当性は全くない。私はできれば来月帰郷から3か月余りの一人暮らを無事過ごしたい、その為に健康を保ちたいという気持ちで一杯だ。そして来年も後期高齢者の田舎の一人暮らしを何とか頑張りたいと思う。旅行中にスマホや財布などの忘れ物を頻発する私を見て、家族はそれ程楽観的ではない。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリオリンピックの出来栄え

2024-07-29 20:07:01 | テレビ番組
旅行から帰った二日目の先週金曜日からフランスのパリで夏季オリンピックが始まった。前日パリから四方に伸びる新幹線を狙ったテロが報じられたが、国立競技場ではなく異例のセーヌ川で実施された開会式から無事に競技は進行しているようだ。仕事で一度だけパリとアンジェに行ったことがあるが、私にはセーヌ川沿いの道を歩いたが何とも景色が思い出せない。

セーヌ川を下る観光船に乗った各国選手団が手を振るテレビ中継を見た時は、ああー100年振りにオリンピックが始まったと思った。素晴らしい仕掛けだ、フランスは中々やるじゃないかと思った。今後オリンピックが開催される国々でも真似されるものと期待した。だが、途中からセーヌ川沿いで仏芸能人らしき人達のダンスを長々と見せられてややうんざりした。

だが、最後に長く闘病中で老け顔だったセリーヌ・ディオンが「愛の賛歌」を歌う元気な姿を見て涙が出そうになった。90年代半ばに米国で仕事をした時が、彼女の全盛期だったと思う。毎日のようにテレビやラジオから彼女の歌が流れていたのを思い出し、当時の彼女を忍ばせる姿を見て思わず涙がこぼれそうになった。

私は日本のバドミントンやサッカーがオリンピックで活躍するのを楽しみにしてた。2003年に早期退職後に市内や故郷のクラブで趣味のバドミントンを楽しんだ。だが、東京大会で期待されたバドミントンが不調に終わり、今大会のテレビ中継が激減した。一方サッカーは人気があり男女ともに期待通りに活躍しそうだ。こんなに成績と放送時間が比例するのは少しイラつく。

正直言うとそういう私も、日本人選手が活躍すると競技種目に関わらずテレビ中継を見たくなる。オリンピック種目に限らない。このところのMLBの大谷選手の大活躍があると、毎日のようにテレビ中継録画を見る。また、ネット検索して詳細な情報を調べる。家内は日米ともに野球ファンではなかったが、今やMLB野球について私よりかなり詳しくなり教えを乞うようになった。

オリンピックが成功するかどうかは、スポーツファンがSNSやネット検索等によって詳細な情報を知った上でテレビ中継を見るかによるのではないだろうかと思う。スポーツに限らず政治やビジネスでも成功するか否かはSNS次第なのかもしれない。パリオリンピックはその点で成功してるのではないかと思う。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山口県旅行記(3)秋芳洞

2024-07-28 10:50:07 | 旅行記
最終日はホテルで朝食をとり山口市内の香山公園と、雪舟が築庭した公園のある常栄寺を見学した。皮肉っぽい私に言わせると歴史を造った支配者の為に作った立派な庭とお墓を祀った記念碑だ。かといって生きていた間に評価されることなく夭折した金子みすゞのことは全く知らなかった私だが。

言い訳するとしたら炎天下の常栄寺の庭で、座り込んで除草していたお婆ちゃん達と交わした会話「無理しちゃダメだよ、熱中症にならないでね」の方が私の本性を表しているかもしれない。実際、会話の途中で母や近所のお婆ちゃんのことを思い出していた。

その後バスで更に北に向かって走りこの旅のハイライトの秋吉台に着いた。残念なことに、秋吉台は雑草に覆われて広大な草原という雰囲気だった。年に一度の「野焼き」をやれば観光用の写真によく見かけるカルスト台地を見ることが出来たという。なのでバスは直ぐに秋芳洞に向かった。

秋芳洞の上側の入口に着いた時はまるで寂れた古い観光地の様相で、シャッターが下りた古びたお土産店が数店あっただけ。だが、鍾乳洞の中を歩き始めると月並みな表現だが、何百何千年を経て作られた自然の造形を楽しむことが出来た。

途中から次々と鍾乳洞の中の坂道を上ってくる観光客に出会い、海外からの人達もそこそこ見かけた。コロナ前のお客に戻ったと言うが最盛期の半分程度、つまりコロナ前からお客が減っていたということらしい。上り口に続く沢山のお土産店の半分はシャッターが下りていた。

お土産店の2階の団体客用のレストランで旅行最後の食事をとった。旅行中に何度か頂いた瓦焼きのゴボウ麺に舌が慣れたのか美味しく感じた。家内や息子もここは美味しかったという。往路と同じ萩・石見空港から羽田に飛び自宅に戻ったのは10時過ぎ、室温は35度もあった。

シャワーを浴びてエアコンで時間をかけて室温を下げながら家内と多めのお酒を頂き、ベッドについたのは12時過ぎだった。食事がまずいと文句を言いながら、しりもちをついて腰を痛めた(まだ痛い)が、総じて3日間の人生初の山口県旅行は楽しい経験だった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山口県旅行記(2)下関から山口

2024-07-27 17:50:05 | 旅行記
2日目は同じバスで下関に向かい午前中に金子みすゞ記念館から、美しく長い角島大橋と123基ある真っ赤な鳥居が売りの元乃隅神社を見学した。観光客は戻りつつあるがインバウンドは余り見かけなかった。注目したのは26歳で夭折した童謡詩人だったが、私には彼女を語る文才は全くない。鳥居と大橋はとってつけた感じの名所で、橋と鳥居の先に何もなく引き返すだけだった。

それどころか、鳥居の先の岸壁の急坂を下る時に、スニーカーの裏底が岩の砂で滑り尻もちをついた。この岩道は誰も歩いておらず無理をする必要はなかった。しりもちをついた時は、右手で体重を支えて尻への衝撃を減らせた積りで、その時は大して痛みが酷くなるとは思わなかった。尻もちの直後は右肩に痛みが走ったが、2日後に腰の痛みが悪化し今日まで続き外出が出来なくなった。

昼食はお土産屋の2階のレストランで「アワビ付き会席」を頂いた。アワビを食べたのは多分初めてで私には無味だった。他にゴボウ麺だとかクジラやあんこうを頂いたが、私のバカ舌ではそれが美味しいのか不味いのかよく分からなかった。本音はもっと普通なものが食べたかった。

食後は高杉晋作が挙兵した功山寺を見学した後に、300m近くある火の山公園に上った。展望台で関門海峡から門司に続き振り返ると宇部市を一望した。景色に加えて標高300mの急坂を一気に登っていくのが気持ち良かった。その後、山中の高速道路を走り一気に山口に向かった。

山口は県庁ながら維新後に生まれた特徴のない町だと思っていたが、私は何も知らなかった。南北朝時代に大内氏が築いた西ノ京といわれる歴史ある町だという。戦国時代と異なり直線の道路が走っていた。湯田温泉のホテルにチェックイン後、市内の足湯を試そうと外に出た。

山口県が色々な所に温泉や秋吉台など火山の足跡があると私は知らなかった。家内と私は通りがかりの女子高生の助けを借りて観光案内所前の有料の足湯を試してみた。二人とも高校三年生で県立大学と福岡の某大学に進学の予定だという親切で可愛い女の子だった。時刻のせいかお客は我々の後にアベックが一組入湯しただけ、何かちぐはぐな市の観光施策と感じた。

ホテルに戻り食事前に湯田温泉を経験、名湯が売りのホテルというより普通の風呂という感じだった。もう一つの売りがフグ&瓦そば会席だったが、初日ほどではないが私には余り美味しさを感じなかった。だが、家内と息子は初日より不味くはなかったと言う。萩も山口も中居さんは全て東南アジアからの若い女性で、食事についてあれこれ言う気のは気が引けた。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山口県旅行記(1)萩

2024-07-26 20:04:22 | 旅行
たった1か月の帰京だが、日曜日から山口県へ旅行に行ってきた。以前から松下村塾と秋吉台に行きたいと言っていた私の声に応えて、家内が3日間のパック旅行を探して勧めてくれ息子が会社の補助金を利用して予約してくれた。事前に家内は松下村塾や秋芳洞をYouTubeで調べてくれた。これでは私が嫌というはずはなかった。

早朝に起きて府中駅から羽田空港行きリムジンバスに乗り、10時過ぎには萩・石見空港に着いた。飛行機の窓から見た風景は山ばかりで何も無かったが、いざ地元のバスが西に向かって山陰線沿いに走り始めると私の実家の周りと似た農村の風景が見えてきた。

間もなく萩市に入り海沿いの道の駅シ-マート内のレストラン「がんがん」で昼食をとった。最初に飲んだ「水」が生涯初めてというほど美味しく、その後食べた魚料理もとても美味しかった。皮肉なことにその後ホテルやレストランで食べたどの食事より美味しかった。これを機会に旅の途中の話題は食事が「がんがん」を基準に美味しいかどうかで、常に圧倒的に不味かった。

食後は世界遺産の反射炉から松下村塾と明倫学舎と歴史的建造物を見学した。目的の松下村塾は家内が見ていたYouTubeの情報がほぼカバーしていた。見学の終わり入ったレストランの主人に松下村塾生の名前が張り付けられた壁を見ながら、山口の人材が今も政治を動かしてると声をかけると、残念なことに今は林さんしかいないのだと彼は言った。

見学を終えて一旦ホテルにチェックイン後に、希望者を募って添乗員の案内で萩の城下町を散策した。旧町人地の広大な菊屋家を観覧し、その横にある高杉晋作家等の旧上級武士家地を見て回った。どれも毛利の家来の立派な家だった。前日まで萩は大雨だったが、翌日のカンカン照りの中を歩くのは大変だった。今回の旅行は3日間とも毎日10km前後を歩くタフな日程だった。

初日は萩市の海岸沿いの若干古びたホテルに泊まった。ホテルの窓から松林を透して見た海岸と張り出した半島の姿は美しかった。だが、ホテルとしての冷房や風呂等は一時代前のままで、食事は残念ながら私の口には合わなかった。家内や息子も全く同じ意見だった。

名物のフグ料理も私には手をかけ過ぎており、私が今迄に食べたことがあるさっぱりした味の刺身に比べしつこい味だった。だが、何か褒めたいと思った。なので少なくとも地元産の朝食の白いご飯はとても美味しく、萩焼特有の美しく色付けされたお茶碗は素敵だと給仕員に伝えた。予め食膳を揃えただけの夕食と、好きな物を選ぶバイキング方式の朝食の差が現れたのかもしれない。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする