かぶれの世界(新)

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能登半島地震1か月後の我が家の声

2024-01-31 20:47:02 | 社会・経済
今年もあっという間に1か月経過した。特に高齢者になってから月日の経つのが早くなった気がする。正月早々から大地震で始まり、間をおかず羽田空港で航空機事故が起き、台湾や米国で世界を揺るがす選挙が実施され、私の目が回ったのかもしれない。能登半島地震は今でもトップニュースだ。

お正月に能登半島地震発生以来1カ月たった。我が家の夕食時の話題は自然とNHKのテレビニュースが報じる能登半島地震に集中した。最初の頃は毎日死者数が増えていくのをただただ見ていたが、途中から地震の報道ばかりなのに飽きてしまった。「ウクライナ疲れ」ならず「能登疲れ」だ。夕食時の民放は娯楽中心に戻り、ニュースでは政治資金問題を詳細に報じるようになった。

死者数や行方不明者数が二桁多かった東日本大震災の時に比べ、このところ被災者個人に焦点を当てる報道になり地震の全体像が見失ったような気がした。被災した方々には大変失礼だが食卓を囲んで見るニュース番組としては「もう好い加減にして欲しい」という意見で一致する。何故こんな風になったのか素人の私は次のように考える。

私の参考にした考えは28日の日本経済新聞のコラム「震災が映す人口減の未来」(原田亮介)の指摘「今回目立つのが、大規模な断水が長期化していること」だ。能登半島全域で断水が続き、復旧に2,3か月かかる見通しだという。東日本大震災が1週間で約5割が復旧、熊本地震では1週間足らずで9割復旧したので、今回のような被災者の困難な生活を長々報じることはなかった。

その主要な原因は、能登半島北部の自治体は以下のように人口減少と高齢化が進み耐震工事のコスト負担に耐えられず、主要水道管の耐震適合率が10-30%程度しかなく被害を大きくした。例えば輪島市の人口は1990年に4万2800人だったが、23年には2万3500人に減ったという。極端に言えば残った人口の半分弱が高齢者の災害復旧に苦しむ声ばかり報じられた。

    高齢化率   水道管耐震適合率
輪島市 40%後半   
珠洲市 50%超   36.2%
能登町 50%超   
穴水町 40%後半
七尾市        21.6% 

我が家の人口構成は70代2人と40代1人だが、高齢の被災者の苦難ばかり報じるTVニュースにウンザリした訳だ。将来のことを考えると高齢者の支援の為にお金を使うより、若者達が能登北部に戻って地域の復興を盛り上げていく為にお金を使うべきだという声で一致した。この数日マスコミ報道も多少ながら復興に励む、住民を元気づける声を報じるようになったのは救いだ。

東日本大震災から女川町は30-40代の若者が中心になって復興を進め、巨大防潮堤を作らない町づくりを推進したと高く評価されているという。だが、女川は非常に稀な復興の例だ。果たして能登半島がどういう風に復興して行くのか、それは政府ではなく住民が決めていくことだ。そして、マスコミはケチをつけるより応援し元気づける報道をして欲しい。■
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落し物のお返し

2024-01-28 21:01:46 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の多摩丘陵歩きは少し足を延ばし距離を稼ぐ積りだった。多摩川沿いに上り野猿街道を経由して多摩丘陵の川崎街道を歩き、府中街道から自宅に戻った。距離にすると従来より3キロ増程度歩いたと思う。だが、府中郷土の森公園を経て遊歩道でスマホの落し物を見つけて予定が狂った。

迷った末にスマホを拾い上げて持ち主に連絡を取ろうとしたが、パスワード無しの緊急連絡の取り方をトライしたが分からず交番に持って行くことにした。昨日は歩数と距離・時間を測りながらの挑戦的要素を含む山歩きだったので、落し物を拾って届けるのに手間取り時間ロスするのを躊躇った。

だが、私は若い頃からうっかりして落し物をする癖があった。まだ十代の時大阪に旅行し免許証を無くし四国の自宅まで郵送して貰ったことがある。多分これが始まりだったが終わりではなかった。それから約30年後に東京の自宅の近くの体育館で免許証を無くし交番に届けて貰った。その時はお礼は無用と言って拾い主の名前を警察は教えてくれなかった。

財布を無くしたこともある。家族とハワイに行った時はホテルの玄関に続く旅行会社の出店でパック旅行を予約後にクレジットカードを忘れ、翌日出店に行くと保管していてくれた。別の時に米国に仕事で行きホテルにチェックインし、部屋に入って直ぐカードを忘れたことを思い出し慌ててカウンターに行くと預かっててくれた。本人確認もせず返してくれた。何かに熱中し他を忘れる。

事程左様に後期高齢者になる迄に落し物をして知らない人が拾ってくれ助けて貰ったことは何度もあるが、逆に落し物を拾って感謝されたことはなかった。なので、今回は人生初めて落し物を拾って持ち主に返す絶好の機会と思うと、一瞬躊躇ったが恩返し優先で交番に届けようと思った。

近年まで自宅の近くの旧甲州街道沿いに交番があったが、最近見かけなくなった。記憶が曖昧だったので旧甲州街道まで一旦出て、交番の跡に一般住宅に建て替わっているのを確認した。自前のスマホを確認して、約1キロ先の大國魂神社前の交番を確認した。

神社の鳥居に近づくとその前を護送車が2台とパトカーを見かけ悪い予感がした。交番は誰もおらずパトロール中の表示があった。備え付けの電話をかけると行事に対応していて暫く戻らないから本署まで行ってくれとの事。もうこれ以上歩くのは嫌だったがやむを得ないと思い、ケヤキ並木を歩き始めると大勢の巡査がホコ天の片づけみたいな作業をしていた。

近くの巡査に聞くと都知事が来て演説をぶった後片付け、私が首を捻ると小池百合子知事と繰り返されやっと事情がわかった。彼にスマホを拾って届けたが交番に人がおらず、本署に来いと言われたが急ぎの用があって困っている。というと彼は気持ち良く引き受けてくれやっと帰宅に向かった。

帰り際に別の巡査に「これって選挙対策?」と聞くと彼は無言だったが、僅かに頷いたように感じた。帰宅して家内に話すと彼女も即答で「市長選挙対策に間違いない」と言った。市役所のHPから関連する行事を調べるとやはり都知事が現市長の応援演説をしに来たらしい。

私は税金を使って特定候補の応援を都知事や警察がしても良いのかと一瞬疑問が湧いた。だが、今日の昼は家族揃ってお気に入りのイタリアンで食事をする予定だったので。その途中に私は投票所に立ち寄り、知事が応援した現市長に投票した。午後6時の投票率は22%だった。■
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今年最大のリスクを垣間見る(補)

2024-01-26 13:16:41 | 国際・政治
23日の米大統領予備選結果について、私が多摩丘陵を歩いている時に垣間見た今年最大のリスクは真の姿ではなかった。その後米国から流れて来るニュースによるともっと深刻な状況だ。原因の一つはニューハンプシャー(NH)州の共和党予備選は共和党支持者以外も投票でき、出口調査では無党派層が4割を占めたという。換言すると、より本選に近い状態でトランプ氏は2桁以上の差をつけて勝ったということだ。それを聞いてゾッとした。

実際、NH州の予備選と同時にロイターが実施した全国レベルの世論調査では、トランプ支持が40%バイデン支持が34%だったという。共和党候補者選びに戻ると全国レベルでは、トランプ64%ヘイリー19%だったというから、今後ヘイリーが頑張っても逆転は難しいと感じる。

更に25日の日本経済新聞のコラムでIブレマー氏が、米政治システムは先進国の中で最悪だが今後更に悪化する。仮に民主党候補が本選で勝利しても、トランプ氏及び共和党は自由で公正な選挙の結果を覆そうとする恐れさえあると予想している。世界の民主主義にとってこれ以上の悪夢があるだろうか。私が多摩丘陵を歩いている時に垣間見た最悪ケースのリスクはもっと怖かった。

私のわずかな希望はトランプは選挙結果に内心は不満だったということだ。共和党の穏健派と無党派の支持を得ない限り本選で民主党候補には勝てないと見ているからだ。出口調査によると彼の支持基盤は白人・男性・非大卒で、世帯年収5万ドル以下だそうだ。

つまりトランプの岩盤支持者の大半は、私の理解ではレッドネック(赤い首)と呼ばれる労働者だ。90年代半ばに米国で仕事をした時、テキサスで仕事をした幹部によると現地雇用の労働者は自ら考えることの出来ない人達だそうだ。彼等はトランプが法律違反で訴えられても却って支持を強めた。

彼等が支持するトランプが大統領になったらブレマー氏が言うように米国の地位低下は間違いないと思う。日本の識者に比べ優れた大局観を有するブレマー氏がこれほど厳しい見方をするのは恐ろしい。だが、私が信じたかつての米国の歴史的な復元力に期待したい。■
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今年最大のリスクを垣間見る

2024-01-24 17:47:43 | 国際・政治
毎朝のルーチンワークの市場動向チェックを終えてCNNを見ると、米共和党予備選のニューハンプシャー州での開票が始まり、トランプ前大統領がヘイリー前国連大使をリードしていると報じていた。有力候補のデサンティス氏の直前の撤退とトランプ支持と聞き、私は大差がつくと予想していた。

大差がついてヘイリー女史が退出に追い込まれる最悪の事態になる、欧米の専門家が予測した今年最悪の事態が早くも起こるのではと思っていた。だが、10ポイント程度の差だったらデサンティス氏の票のかなりの部分がヘイリー女史に流れた、まだ彼女にチャンスがあると私は期待した。

このままテレビに張り付いて投票の推移を見てたら何も出来ないで午前中の時間を無駄使いしてしまう。急に思いついて何時もの多摩丘陵北コースを歩くことにした。選挙の推移が気になるのでスマホでCNNやABC等を聞きながら歩いた。音楽以外を聞くのは初めてだった。

だが、いかんせん、英語が思ったより聞き取れなかった。かろうじて分かったのは、よく使う決まり言葉や単語だけだった。昔はそれでも全体の意味を理解した積りだ。今日最も気になったのは頻繁にダブル・ディジットが出てきて、トランプ氏の二桁リードを高く評価しているようだった。次に頻出した言葉はサウスカロライナで、ヘーリー女史は撤退せず次の選挙にも出るらしいと思った。

1時頃に自宅に戻り昼食をとりながら日本語のニュースを見ると、私の選挙結果の理解はそれなりに正しかった。だが、米国のマスコミやトランプ陣営はもっと接戦を予想しており、2桁リードの結果にトランプ氏は満足しているようだった。私はマサチューセッツ州ボストンに良く出張したが、隣のニューハンプシャー州の大半は民主党支持だと思っていたので少し違和感があった。

何れにしても、良く分からない英語を聞きながら今年世界最大のリスクが起こるかもしれない選挙の行方を伺うのは気持ち良くなかった。川崎街道を通る車の騒音で分からない英語が更に聞き取れず、まるで世界最大の危機がすぐそこに迫っているような不安を感じた。

そんなに大袈裟に感じなくても良かったのかもしれない。世界の民主主義の危機は迫っている。だが、現在だけの話なら日本に住む私が心配になるのは保有する米企業株程度で、生活に困るような事態は多分子供や孫達の世代だろう。だが、彼等は余り気にしてないように感じる。■
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私が愛し損ねた人(3)

2024-01-21 18:45:06 | 日記・エッセイ・コラム
三番目に愛し損なった人は私を動転させた。工場をカリフォルニア州に移転させた時、現場で働く従業員と対峙し個々に対応してくれたのが人事課長の彼女だった。フランス系米国人で人事(HR)領域の経験を積んだプロのマネージャだったと思う。

日本人スタッフが引き起こした問題を、何度か彼女から報告を受けた。加州本社で開催した会議の席上で、私の頼りにしていた日本人スタッフが、女性営業マネージャを泣くまで論理的に追い詰めたのはハラスメントだと訴えられたという。私は答えに困り取り敢えず日本人スタッフに事情を聴くと答えた。しかし、それ以上のアクションをとらず沈静化を待った。

別の日本人スタッフが直ぐ近くの席に座る女性の部下に対し、メールでのみ指示し口を利かなかったので部下からハラスメントと訴えられたという。私は困ったものだと思ったが何もしなかった。又、ある時は某従業員が賃金が公平でないと州の労働委員会に訴え対応していると。報告を受けても私はどう応すればいいか分からず、話を聞くだけで何も出来なかった。

もっと大変だったのはカリフォルニアへの工場移転で、殆どの従業員は実質上の退職を迫られ、彼女はその対応に追われたことだと思う。州を越えた移転は実質上首切りと同じで、会社によっては人員整理の手段に使っていると聞いたことがある。何度も彼女に助けて貰った。

一段落着いたところで私は労をねぎらう積りで、週末に彼女を食事に誘った。土地に詳しい人の助言を受け郊外の洒落たレストランに彼女と行き昼食をとった。そこで印象に残っているのは、レストランの庭に放し飼いの鶏がいて足下をチョロチョロしたことだ。庭のテーブルで二人で笑いながら鶏肉料理を食べた。

彼女を家まで送り届け、これで終わったと思った。だが、翌日の朝廊下で幹部と生産管理状況の確認すべく立ち話をしていた時に事件が起こった。彼女が私がいるのを見つけて大声で「xxさーん」と叫び駆け寄って来て、患部連中の見ている前で私に抱きついた。私はお早うと静かに応え彼女が離れて行くのを待った。患部連中は一言も口を利かず離れて行った。

それ以降、私は何もなかったように彼女に接した。彼女も私の冷たい反応を理解したようだ。私は誰か幹部を加えて食事会に誘うべきだったと思う。正直言うと私に下心があったのかもと思い、彼女に申し訳ないと思う。

だが、そう言いながら二人の食事した。私のスケベ心が彼女を傷つけることになった。彼女はカリフォルニア州への移転が終ったところで黙って退職して行った。思い出すと胸が痛む。半年後に私も日本に帰任した。■
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