かぶれの世界(新)

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岡田ジャパン課題を残す

2008-05-28 00:07:09 | スポーツ

キリンカップ第2戦はパラグアイと引き分け2年連続優勝した。しかし、大方の専門家が指摘するように次週のW杯予選に向けて内容的にも課題が残ったように私も感じる。

待望の中村俊輔が代表に復帰し、前半の前半は彼の精度の高いプレイで得点のチャンスが何度もあったが決め切れなかった。その後は疲れが出たのかプレイの精度が落ち殆ど得点の臭いすらしなかった。

ゲーム全体を通じてスピード感がなくなったのが気になる。試合前に息子と意見が一致したのが、中村と遠藤がゲームメークすると攻めのスピードがなくなると予想し、前半の後半頃から予想通りの展開になった。後半に松井・長谷部が投入されても第1戦のスピード感が戻らなかった。

中村俊輔はパラグアイの選手も含め1ランク上の高い個人技を示したが、回りに守備陣が密集している中で精度の高いパスを受けてもゴールを決めきるほどの攻撃力は期待しないほうがいいのではないだろうか。多分、絶好調時の高原ぐらいしか思いつかない。

それよりも第1戦で得点したような、スピードを生かして相手の守備陣形が整う前の速攻で得点を狙うほうが、日本にあった勝つ確率の高いチーム戦略のように感じた。そのチーム戦略にあったメンバーは後半の選手交代で実現されたが、それでも機能しなかったのをどう考えればいいだろうか。■

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岡田ジャパン機能する

2008-05-25 18:53:47 | スポーツ

昨夜のコートジボアール戦は、岡田監督に替わり初めて新しいスタイルのサッカーが垣間見え、それが機能したときはこのクラスのチームにも脅威になりうると感じた。

コートジボアールは主力が抜けて1.5軍とか2軍チームと言われてはいるが、それでも日本選手がレギュラーを張れないプレミア・リーグなど欧州のリーグで戦っているメンバーばかりだ。中1日の強行日程は気の毒だったが、それでも格上のチームという印象はあった。

前半日本の早いパス回しと相手の裏をつく早い攻撃が機能した。岡田サッカーの特徴は守備重視とカウンター攻撃だったと思うが、今まで殆ど攻撃の形が出来なかった。岡田ジャパンのコンセプトは欧州組の参加なくして機能しないだろうと前に予想したのが今回当たった気がする。

中盤で相手チームに詰められると従来横か後ろにしか出なかったパスが、今回欧州組の2人が加わって個人技で前に出す頻度が増え、攻撃するタイミングが早まった。このちょっとした攻めの速さは、相手チームの守備陣形を作る時間を奪い、ジャパンの得点のチャンスを増やした。

得点した場面は不調の高原をはずしてスピードのある玉田と大久保のツートップにし、欧州組が加わって生まれた中盤からの攻めの早さが見事に機能した結果だった。

松井と長谷部が加わったことでチームにダイナミズムが生じた。二人とも高い個人技があるが、他の日本人イレブンに比べ接近戦で球際に強かった。特に浦和にいた頃の長谷部はひ弱な感じを受けていたのに、今回彼が非常に力強く感じたのは驚きだった。

国内リーグももう少し選手を育てる観点から考えてみたらどうだろうか。その中で、今回代役で出た長友が小柄ながら体を張って精力的に動き回ったのは印象的だった。彼の活躍は岡田ジャパンの中でも今後も一定の役割を果たしていく予感のようなものを感じた。

だが、誰もが指摘したように後半の選手の動きは良くなかった。特に相手に詰められた時判断力が鈍り甘いバックパスが何度も危機を招いたのが気になる。又、いつもなら目立つ中澤の長身が普通の選手に見えた。高さを生かした攻撃を仕掛けてこられた時堪えることが出来ただろうか。

このゲームは日本が一方的に有利な組み合わせだ。相手が中1日のハンディが無く、1軍だったら同点どころか逆転された可能性は高い。だがそれでも、岡田ジャパンはFIFAランク上位の強豪チームが脅威と感じるゲームが出来たように思う。■

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ネガティブ大国

2008-05-22 21:15:54 | 国際・政治

「対立軸の耐えられない貧しさ」の続編として、それを助長しているメディア批判を補足したい。

府の社会保障国民会議は、基礎年金の財源を全て税金で賄う所謂「全額税方式」を導入すると、消費税を9.5%-18%に引き上げる必要があるという試算を一昨日(5/20)の朝刊各誌は伝えた。この全額税方式は民主党、産業界、日本経済新聞が提案しているものだ。

だが、これに対して民主党の鳩山幹事長は党が主張する最低保証年金とは考えが異なり、民主党を批判する為の試算だと非難したと伝えられている。そうかもしれない。一方、現行方式の修正を推す読売新聞案だと2%の消費税アップになると報じているのが目立った。

同じ日の閣議で決定された2008年版の高齢社会白書によれば、75歳以上の後期高齢者は200710月で総人口の約10%の1270万人、2055年には26.5%になり現役世代1.3人が1人を支える社会になるという。65歳以上は21.5%から40.5%になる。負担のあり方の見直しは必須だ。

だが、民主党は代案を示さずに反対し一向に議論が深まらず進捗が見られない。まことに問題だが、それを許しているのはメディア、特にTVの論調であることが私には同じ程度に問題だ。この試算や白書をたたき台にして基本に戻り「財源と配分の優先順位」について議論し、国民的コンセンサスを得る絶好の機会のはずなのに。

先週与野党の議論が余りにも「対立軸が貧しい」ものだと嘆いたが、今週はそれを許している問題について議論したい。例によって他人の記事を引用させていただく。竹中正治氏の記事によると日本のメディアはネガティブな表現を多用する傾向が強いという。

本の週刊経済主要3誌と米国2[1]の過去1年間の表紙見出しを調査した結果、日本の雑誌はネガティブ用語とポジティブ用語が夫々7323だったが、米国週刊誌は3225だったという。日本全体にその傾向があると思う。かく云う私のブログもネガティブに捉えたテーマが多い気がするが。

電車に乗ると雑誌の中吊り広告には「没落」とか「危機」、「崩壊」などという言葉があちこちに目に付く。テレビのワイドショーは芸能人ネタに先立って「消えた年金」や「姥捨て山」がヘッドライン・ニューズとなる。「ポピュリズム」とか「木を見て森を見ず」という報道の姿勢が高じて、政治の優先順位を決めるまでになっているように感じる。

事件や問題をセンセーショナルに報じる傾向はニューズメディアにとってある程度止むを得ないが、それによって本質が見えなくなり根本問題の解決が先送りになるのでは本末転倒だ。以前にここでも紹介したが、柏崎原発の放射能漏れや上越新幹線脱線事故は本来なら高度な安全技術を世界に誇るべきだったのに、わざわざ貶めるような報道を繰り返した。

今、目先の取り分を増やすか減らすかの問題のみが議論されて、本質的な問題が議論されず先送りされる熱病にかかっている。このばかげた状況を皮肉っている英国メディアの記事を小さい扱いで載せるだけで、日本のメディアは反省が無い。まさか自らがその張本人とは思ってない。

的経験だが、実は米国駐在時同僚との会話では問題なければ「グレート」(最高)を連発、よく分からない時でも「サウンズ・グッド」(良さそうだね)と言った後に質問するとか、ネガティブな表現を避け能天気な程ポジティブに振舞った。グレートは口癖になり相手も「OK」程度に受け取ったはずだ。

ところが白状すると日本人同士の日本語の会話になると、スイッチが切り替わって細部の問題を付いてネガティブな表現頻発の会話に戻った記憶がある。文化の違いを暗黙のうちに使い分けていた。一貫性が無い日和見といわれたら、言い訳できない。見に覚えのある読者の方もいると思う。

米国だってITバブル崩壊前に楽観的な投資に反対した大手証券会社のアナリストは皆クビになり、その後戻ってくることは無かったそうだ。必ずしもネガティブであることが悪くはないし、決して日本だけのことではない。それよりも少数派にもかかわらず組織の中で意志を通したほうを評価すべきだと思う。

今の日本のようによってたかって熱病にかかり本質から外れ重要問題が先送りとなるのが困るのだ。次の争点の公務員制度改革も100点取れないから反対し現状の零点のままで放置しかねない民主党の姿勢に対し、メディアは大声を上げない。かくして問題先送りを図る官僚たちの作戦は成功する。

状況認識に欠ける振る舞いは状況に応じて「危機感がたりない」とか「KY」と言う。どうも限られた仲間内で居心地の良いKYばかりに気を取られ、肝心要の全体がどうあるべきかに目がいかないように仕向けているメディアの責任は極めて大きいと私は思う。

モチロン報道を読み解いて何が優先するか判断できる成熟した民意があれば、もしくは、民意を正しく誘導できる発信力のある指導者がいれば話は変わってくるが、歴史を紐解けばそれは極めて稀でそういつも運に恵まれているわけではない。健全なメディアがいれば毎度ベストではなくとも、今みたいな酷い状態にはそうそうならないと思うのだが、期待し過ぎだろうか。■


[1] 日本:エコノミスト、東洋経済、ダイヤモンド、米国:Business Week, TIME

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今浦島

2008-05-15 13:49:44 | 日記・エッセイ・コラム

この数年、物理的に行き来する範囲が徐々に狭まってきて感度が低下し、世の中の変化に疎くなってきた気がする。誰にも当たり前のような変化に自分だけ気が付かず、世の中から取り残されたのではないかと。

昨日、用事ができて巣鴨に行った時、電車の中吊り広告が昔に比べ地味になったような気がした。2,3の週刊誌のどぎつい感じの宣伝を除くと淡い色か渋い色使いのものが殆どで、文字の大きさも小さくなったような気がする。

山の手線の車両の出入り口の上側に取り付けられた液晶ディスプレイの画面(2つあるのも初めて気が付いた)が、その周りや中吊りの広告が落着いた色でマッチして、以前に比べ圧迫感が少なくなったような気がした。

回数は減っても時々は電車に乗るのだが、今までこういう感じを受けたことが無い。果たして私の感覚が当たっているのか、年寄りの勘違いなのか、広告コピーをデザインしている人達のトレンドの変化なのか分からない。

90年代後半に海外から久しぶりに東京に戻ったとき、若い人達が皆携帯電話(PHS)を持ち歩き、ヒールが異常に高い靴をはいて電車内で横に並ぶ女性達が私を見下ろした時、浦島太郎の気分を味わった。昨日はそれほどショックではなかったが、それでも小さな驚きを感じた。

彼らにとっては最早当たり前のことになり驚くべきことは何も無かったはずだ。私の感覚が正しいのかもしれない。一方で日本に住んでいても、日常生活が徐々に社会活動から切り離され感覚を失い始めた前兆なのかとふと老いの恐怖を感じた。■

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対立軸の耐えられない貧しさ

2008-05-13 13:54:12 | 国際・政治

持率低下に歯止めがきかない福田内閣は、遂に世論調査を実施した報道各社の中には20%を切ったものまで出て危険水域に入ったと報じられている。ここにきて支持率が急落した原因は暫定税率の復活と後期高齢者医療制度が原因だという。問題は首相の支持率ではなく我国の政治の混迷の中で世界から取り残されているという内外の指摘が増えていることだ。

福田首相の肩を持つ積りはないが、最初私も考え方は悪くないと思っていた。道路特定財源の一般財源化や日銀総裁候補など主要新聞の社説は好意的な見方をするものが多かったが、ネジレ国会で議論が空転し事態が悪化するほどに支持率は低下した。

何故か?支持率は社説ではなくTV番組の人気司会者の発言によって左右された。山口県補選で敗北後の首相と公明党との党首会談で、太田代表は「新聞の論説委員だけに理解してもらっても仕方がない。みのもんたさんに理解してもらわないといけない」と述べたと報じられている。

福田内閣誕生後から、延々と議論した挙句に野党の政策や主張を丸呑みするか更に前進させた政策を打ち出すものの、その頃には争点に関る実行の部分で官僚の出鱈目が明らかになって野党に付込まれ、抜本政策も最早国民にも評価されないサイクルが続いている。

民党は元々何でもありの政党、言い換えると政権を維持する為には何でもするといわれてきた。今、民主党も政権を奪取する為には何でもありになったように見える。自党の主張をほぼ丸呑みされても妥協点を見つける気は全く無い、次なる争点を突きつけて対決をエスカレートしていく。

それでも民主党が何とか国民の支持を取り付けているのは、議論の推移とともに官僚の不手際がタイムリーに暴露され、TV報道が国民の怒りに火を注ぎ、その怒りが現政権に向うからだ。かつてと異なるのは官僚が余りに堕落してしまい、どんな争点になってもちょっと探せばテレビネタになる不祥事が何処にでも転がっていることだ。

福田首相・町村官房長官の官僚(的)体質がこれを助長しているように私は思うが、どうも本人は気付かれてないようだ。こうなった事態に対する首相の「恨み節」を聞くと、今流行の「KYお笑いコンビ」と皮肉りたくなる。国民の感情を逆撫でする。それが次々とポピュリズム政治の悪循環を続けさせる。

民主党は一方でまさに自民党の十八番(おはこ)を取って政権をとるためには何でもする、それより最優先の政策はないかのごとき印象を受ける。それは真に国民の為か。今回の世論調査では支持率が増加したが、国民は民主党の政権担当能力にまだ疑いを持っていると思う。

野党の対立軸が「ムービングターゲット」になっているのがその原因である。両党のゴールは政権奪取であり、我国をどういう国にするかという明確なポリシーが見えてこないためだ。冷泉彰彦氏がこれを明快に説明した記事を見たので紹介する。それによると現状の我国の政治状況を「権力対反権力」の対立軸とよび、日本の政治を貧しくしていると説いている。

米国に住む氏は「大きな政府(民主党)か、小さな政府(共和党)か」という軸に沿って、それぞれに具体的な選択肢が提示できる政治システムがあるという。この対立軸は、全政策に渡るもので、個別政策を決定して歳出を決める為だけではなく、歳入(税制)をどうするかという議論が表裏一体でなされる。

日本でも小選挙区比例代表制が導入された時、二大政党による対立軸が想定されていた。しかし、先の参院選で与野党逆転した時から「貧富の格差」と「地方と中央の格差」を救済するのは、行政の責任だという「空気」が蔓延し、日本流の「小さな政府論」は消えてしまった。

冷泉氏によると日本の政治風土に根ざした「権力対反権力」という図式の対立エネルギーが残っていて、冷静な政策合意形成を阻害していると指摘している。その中で格差問題の各論で全てを語るかのような議論をテレビが助長し、官僚の堕落が火を注いでいると私は感じる。

一方でネジレ国会による政治の停滞は従来表面化しなかった争点を深堀する時間を与え、メディアは積極的に具体的問題を国民に明らかにした貢献は評価すべきである。ポピュリズムを脱して「対立軸の耐えられない貧しい政治」を変えるのも、又、民意の表れと言いたい。■

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