かぶれの世界(新)

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「おかえりモネ」に惹かれる個人的理由

2021-05-30 11:58:35 | テレビ番組
好きでも嫌いでも私は朝ドラを見る。朝食が終わり卓に座っていると番組が自動的に流れて来る。何故かこの時間帯に他局に見たい番組もない。前作の「おちょやん」は心が打たれる様な場面でも、突然下品で乱暴な言葉使いが出て来てげんなりしたがそれでも見た。

今回の「おかえりモネ」は今までのところ下品でも乱暴でもない、淡々とストーリーが流れ食事の邪魔にならない。「邪魔にならず他局に見たい番組がない」の基準を満たしている。だが、気象予報士が魔術のように天気の変化を言い当てる場面以来、私は積極的に見るようになった。

私の趣味は単独行の山歩きだ。50代まではガイドブックに従い奥多摩から日本アルプスやロッキーの歩き易いルートを一人で歩いた。今は後期高齢者直前の老人でそんな体力は残ってない。かつて単独行では地図を見て地形が想像でき、天気図を見て天候を予測すべきと言われた。

米国にいた時も殆どは単独行で、山道は結構整備されていたが山小屋はなかった。日帰りなら問題はないが2泊3泊かかる初めてのルートは、2日目3日目の天候が気になった。当時購読していた2種類の月刊誌*を持ち帰り今回チェックしたが、山の天気予報に関わる部分が見つからなかった。
*Signpost for Northwest Trails (96-98), Back Packer (97-98)

未だにそれが気になっていたので先週の朝ドラで気象予報士の魔術を見て喰いついた訳だ。当時と違って最近はスパコンとソフトの性能が上がり、スマホで狭い地域の予報精度が格段に向上している。だが、名もなき山の天候となると誰も気にしない。

東京の自宅にいる時は天気予報を見ながら担当の洗濯物干しを管理する。テレビが報じる地区別の天気予報は季節にもよるが微妙に異なることが多い。例えば都心と南関東の予報が異なる場合、その中間にある自宅辺りの天気はどうなるか。同様に実家は中予と南予の境界にあるのだ。

例えば、両方の気団・気流の強弱が予測と異なるために天候が変わるのではないかと思う。ということで、私はこの機会に朝ドラを見ながら素人の天気予報力をつけ楽しみたいと思っている。参考書を勉強する気はない、こんな朝ドラの見方をするヘンテコな人はいないだろう。■
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いつか来た道(新)脱炭素技術を守れるか

2021-05-28 20:44:31 | 社会・経済
90年代のIT産業は世界のトップを走りながら、世界的な普及時代に入ると存在感を失う歴史を繰り返してきた。私は2003年までIT産業に身を置き立ち上げから繁栄の時代を経験した。良い経験をさせて貰ったが、ITバブルが弾けて厳しい状況に追い込まれ辛い経験もした。

この実際に体験した盛衰記が新技術の時代が来る度に頭をよぎる。26日に「改正地球温暖化対策推進法」が成立したとの報道を見て昔を思い出した。記事は脱炭素に関わる有力な技術の全個体電池と水素関連技術の分野で、日本は世界の最先端を走っていると報じていた。

90年代初頃に私は半導体や光ディスクなど最先端部品・ユニットの調達に関わる品質技術を担当していた。その頃日本は米国と並ぶ世界最先端の技術を保有する企業が何社もあり激しい競争を繰り広げていた。私はその為に内外のベンダーを頻繁に訪問し調査・購入の交渉をした。

その後90年代半ばから米国の工場で働き99年に帰国した頃には、日本メーカーは生産どころか技術面でも主要サプライヤーから後退し、2000年代にITバブルが弾けると徐々にビジネスから撤退していった。多くの知人が別会社に移動するか、海外の会社に転職し情報が流出した。

当時の業界紙は、「国内には同じような部品・製品を作る会社が多すぎ激しい競争をしていたが、次第に勝敗が明確になって行った。経営が苦しくなった下位の数社は海外(当時は韓国・台湾、後に中国)に買収され人や技術が流れて行った。」という記事を何度も見た。

同じ分野で最適な会社数は多くて3社程度だったと今も思う。更に勝ち残った会社の中にも出世出来なかった敗者がいて、市場全体が縮小するなかで海外会社に引き抜かれ情報流出に繋がったと私は疑う。そして、技術と生産は切り離すべきではなかったと考える。

真偽のほどは明らかではない。だが、生産のリーダーシップを失うと、徐々に技術のリーダーシップもマイナス・トレンドに入るという想定外のことが起こった。新聞では現在の技術優位を守る条件を「システム志向の分業体制をグローバルに築けるかどうか」というが、私には疑問だ。

私は世界最先端という全個体電池や水素関連技術に関しても同じ轍を踏む可能性が高いと懸念する。現在第一線で活躍する経営・技術トップの人達はITバブル時代は20代だったと想像するが、一企業としてではなく我が国のビジネス全体として理解しているのか懸念がある。

多分、このたびの改正地球温暖化対策推進法を成立させたのは、政府が業界全体を眺めて関与して行こうというメッセージでもあるのではないかと推測する。今後も我が国の脱炭素技術が人を得て順調に開発され世界をリードしていくことを祈りたい。■
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為にする批判 五輪反対

2021-05-26 21:06:35 | ニュース
今世の中は為にする議論で溢れている。結論ありきの議論だ。コロナ禍の下で不安を抱く人々はその原因となる人や制度を想像し、その仮設を補強する材料を見聞きすると大声で指摘しがちだ。そのアプローチは時に説得力があり多数の人が受け入れ自らの意見のように主張し始める。

しかも近年はSNSという効率的な道具立てが出来て、不安や不満を持つ人々に次から次へと伝染していく。その最も代表的なテーマが東京オリパラの中止説ではないかと思う。今まで五輪開催に不安や不満を持っていた人々は、米国当局が日本への渡航中止勧告を開催反対材料に使った。

つまり、東京オリパラ中止という結論が先にあって、その結論を補強する材料として米国の日本渡航中止勧告が発せられると飛びついたと感じた。私はこのニュースを初めて聞いた時、待てよ日本は1年以上も前に米国への渡航中止勧告を出したはず、今頃米国がお返しをしたと捉えた。

これって所謂「為にする議論」だろう、或いは私的に言い換えると「為にする批判」だろうと思った。東京五輪開催については有名人の発言や海外メディアの記事を引用し、あの手この手で決められた結論を主張した。著名なスポーツマンに発言を強いるといった「卑劣」なアプローチも見かけた。

こうなると東京五輪は状況により開催或いは中止のどっちもありと思っていた私は、得意の天邪鬼にならざるを得ないと思った。東京五輪の開催反対論者はかなり初めの頃から反対を意思表示し、徐々に反対意見が増えて来たという感じを受けている。

個人的には、まあ「成るように成る」くらいの気持ちだ。だが、無理やり中止の方向に持っていくのはいかがなものか、そのうち自然と開催・中止が見えてくるだろう。東京五輪の開催するか否かの判断のカギとなるのはワクチン接種の進捗だろうと思う。

そうなると現時点で決めないで、状況に応じて五輪中止するかもしれないと圧力を受けてワクチン接種を推進する方が誰の為にも良いと考える。逆に、現時点で中止を決めると無重力状態になり、国全体の気分が緩んでしまいそうな気がする。どうせ為にする議論ならこっちの方が良くないか。

菅首相率いる政府の最優先事項はワクチン接種の拡大で、今日の日本経済新聞朝刊はワクチン打ち手の確保や自治体の体制作り推進だと報じた。ネックになっている打ち手に歯医者に加え救急救命士・臨床検査技師・薬剤師を認め、更に医者の協力を引き出そうとしていると報じた。

英米などではとっくに導入済みの緊急対策であり、是非とも早急に対応すべきと思う。記事は現状のワクチン接種でも医者限定の問診がネックになっている指摘していた。これも規制の一つだという。東京五輪反対よりワクチン接種推進を後押しする方が国民の為になると私は思う。■
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恥ずかし転倒・打撲 新展開

2021-05-25 21:19:02 | 日記・エッセイ・コラム
今朝起きてベッドから下りるのに苦労した。一昨日線路上に転倒し打撲した大腿筋の痛みが取れない。というか、むしろ痛みが悪化したように感じた。不思議なのは夜中にどうやってトイレに行ったのか、こんなに痛いのにどうやってトイレに行ったのか記憶がない。

15キロ走などハードな運動をした後に出る筋肉痛と打撲の痛みとは違うのだろうと思う。だが、長引くのは困る。高齢者になって近年ケガすることが多くなり、回復が長くなるとバドミントンとか山歩きする為の体力が衰え最早元には戻らない経験をした。今回もそれが怖い。何とか避けたい。

生活に絶対必要な階段などの段差をクリアすることは無理してでもやるしかなかった。そのうち右足を延ばしたまま段差を上り下りすれば痛みを最小にできると分かり、最低限の生活はやっていけそうになった。だが、炬燵には入れない。洋式の椅子に長く座ると立つのに一苦労した。

午後、何時もの様に思いついて体力キープの為に散歩に出かけた。普通に歩くのは厳しく、最後までビッコを引きながらそれでも2キロ余り歩いてギブアップした。一歩一歩に痛みを感じた。悔しいけどまだ暫くは普通に歩けないと覚悟した。

シャワーを浴びて夕食を食べた。何としても炬燵に入って食べようと座椅子をどかせ、寝転がって炬燵に滑り込んでから椅子を引き寄せ座った。座ってテレビを見ながら焼酎を飲みいい気分になった。食事が終わるとするりと炬燵から這い出た。あれっ、と思ったが体が自然に動いた。

その後、足を色々な方向に曲げて痛みが少ない動きを探した。そこで発見したのは「ガニ股」になるような歩き方だと段差でも痛みが少なくなることだ。多分使う筋肉が変わるのだろう。椅子を立つときでも同じ要領で行けた。問題はかなり大袈裟にみっともなくガニ股にしなきゃいけない。でも明日から世界が変わりそうだ。■
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恥ずかし転倒・打撲

2021-05-24 21:19:48 | 日記・エッセイ・コラム
このところの15キロ走で昨年の記録までタイムを短縮したことで、高齢者としての体力回復に自信を持てるようになっていた。だが、昨日散歩中に通ってはいけない汽車の軌道を横切ろうとして転倒し、右足の大腿四頭筋(多分、直筋)を強打してしまった。

JR予讃線新谷駅に続く線路をズルして通り抜けようとし、線路上で平らな靴底が滑り転倒した。今までに経験したことのない痛みで、線路の上でうつ伏せのまま動けなかった。何秒か分か後に少しずつ体を動かして取り敢えず線路上から這いずり出た。相当にみっともなく危ない恰好だったはずだ。

そこで暫く痛みをこらえ四つん這いになって立ち上がり歩き始めた。ビッコを引きながら何とか川沿いの道に出て家に帰った。骨には異常がなく、2キロの道をトボトボ歩いた。途中堤防の坂で遊ぶ女の子2人の他は誰にも出会わず、何が起こったか説明する必要もなく家に帰れた。

大腿筋は体の中で一番大きな筋肉だそうで、それが骨を守ってくれたのかもしれないと思った。腿の痛い部分は腫れていないし、変色もしてなかったが、何しろ凄く痛い。椅子は何とか座れるが、炬燵での夕食は難儀した。今朝になっても症状はあまり変わらなかった。

こんな足で歩き、階段の上り下り、座るなど、それなりに動作のコツは分かって来た。右足を曲げると大腿筋に痛みが出るので、極力右足を伸ばしたまま左足を動かして歩いたり座ったりする。しかし、見かけ上は痛みが出た腿のどこにも異常が見かけられないという不思議な経験だ。

まだこの経験は終わっていない。どういう仕組みで痛いのか知りたいものだ。何とか明日には症状が改善して右足の大腿筋を動かさないと運動能力が劣化しそうだ。もし症状が改善しなければ医者に診て貰った方が良いかもしれない。■
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