福島第1原発事故を民間が独自に調査分析した中間報告書が27日にまとまり、翌日記者会見後野田首相に手渡されたと報じられた。まだ詳細は不明でメディアはそれ程多くを報じていない。海外メディアでチェックしたのはNYタイムズだけ、加藤さんの記事を待ちたい。とりあえず今までのマスコミ報道を見た範囲で感じるところを紹介したい。
この調査は先に行われた政府事故調をあくまでも参考資料とし、菅元首相を始めとする300人の関係者にインタビューして得た証言を基に事実を認定する検察流のやり方で行われたのが興味深い。ウォーターゲート事件報道のBウッドワード氏に代表される調査報道みたいに感じる。
報じられた報告書の内容に私はそれ程違和感がない、多分そうだったろうなという印象を持った。その中で少し意外に思ったのは、事故当時夫々の局面での菅元首相の判断を割りと公平に評価していると感じることだ。というのは当時首相を個人批判もしくは全否定する報道が非常に多かった記憶があるからだ。良いものは良い、悪いものは悪いと。マスコミは後者だけだった。
想定外の大事故に誰もが圧倒され、東電や官僚から適切な情報が入ってこない中で、官邸が意思決定を迫られて100%誤りの無い判断をする事は出来なかったと私は思う。リーダーの責任は冷静を保ち大局判断を間違えなかったかどうかだ、今回官邸は「優」は取れなかったが「不可」でもなかったというところだと思う。
私はNYタイムズが取り上げたように、事故直後に官邸・官僚・東京電力の間の信頼が崩壊したことが、混乱を招き適切な初動を迅速に取れなかった主原因だと考える。信頼感があれば違った結果になった、報告書が批判する「官邸主導の現場への過剰介入」は起こらなかったと考える。
これを一部報道にあるように菅元首相の個人的な資質の問題に帰するのは安易過ぎもしくは意図的だった、それでは根本的な問題解決に繋がらないと考える。こうなったのは、報告書でも指摘した「安全神話」であり「空気を読みあう日本の風潮」が背景にあるのは間違いない。
そこで思考停止すべきでなく、それでは何故「安全神話」が生まれたか追求すべきである。それはメディアであり国民であると私は信じる。3.11が起こる前だったら、あらゆるケースを考えて原発事故のシミュレーションを計画するだけで、大騒ぎになりましてや訓練などマスコミや国民は許さなかったろう。東電や官僚の責任がない訳ではないが、彼らは強いられた側面も大と考える。
原発の安全性を議論するのをタブーにしたのは、原子力村だけのせいではないと思う。しかも原子力だけではない。拉致問題・9.11テロ・尖閣列島などを経験していまや聞かれなくなった「一国平和主義」も同じで、万が一外国からの侵略があった場合どうやって国を守るか検討するだけでかつては官僚の首が飛ぶほどのタブーだった。
話は戻るが、今回の民間事故調はメンバーへの信頼があってインタビューが実現したと考える。冒頭に言ったように調査報道と考えた場合、日本のマスコミにそれ程の信頼があるだろうか。早速だが、事故調の報告に対するコメントとして自民党溝手参院幹事長が「後進国なら菅氏死刑」と無批判に報じる朝日新聞の見識も信頼も私には感じられない。
日本メディアに事故調ほどの信頼があるかどうか、事故調査の一環として「メディアは大震災と原発事故をどう報じたか、国民にどういう影響を与えたか」評価すべきと思う。安全神話を生み出した責任の一端を感じ取って欲しい、それが私の深読みの結果だ。■