かぶれの世界(新)

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深読み民間事故調報告

2012-02-29 17:15:25 | ニュース

福島第1原発事故を民間が独自に調査分析した中間報告書が27日にまとまり、翌日記者会見後野田首相に手渡されたと報じられた。まだ詳細は不明でメディアはそれ程多くを報じていない。海外メディアでチェックしたのはNYタイムズだけ、加藤さんの記事を待ちたい。とりあえず今までのマスコミ報道を見た範囲で感じるところを紹介したい。

この調査は先に行われた政府事故調をあくまでも参考資料とし、菅元首相を始めとする300人の関係者にインタビューして得た証言を基に事実を認定する検察流のやり方で行われたのが興味深い。ウォーターゲート事件報道のBウッドワード氏に代表される調査報道みたいに感じる。

報じられた報告書の内容に私はそれ程違和感がない、多分そうだったろうなという印象を持った。その中で少し意外に思ったのは、事故当時夫々の局面での菅元首相の判断を割りと公平に評価していると感じることだ。というのは当時首相を個人批判もしくは全否定する報道が非常に多かった記憶があるからだ。良いものは良い、悪いものは悪いと。マスコミは後者だけだった。

想定外の大事故に誰もが圧倒され、東電や官僚から適切な情報が入ってこない中で、官邸が意思決定を迫られて100%誤りの無い判断をする事は出来なかったと私は思う。リーダーの責任は冷静を保ち大局判断を間違えなかったかどうかだ、今回官邸は「優」は取れなかったが「不可」でもなかったというところだと思う。

私はNYタイムズが取り上げたように、事故直後に官邸・官僚・東京電力の間の信頼が崩壊したことが、混乱を招き適切な初動を迅速に取れなかった主原因だと考える。信頼感があれば違った結果になった、報告書が批判する「官邸主導の現場への過剰介入」は起こらなかったと考える。

これを一部報道にあるように菅元首相の個人的な資質の問題に帰するのは安易過ぎもしくは意図的だった、それでは根本的な問題解決に繋がらないと考える。こうなったのは、報告書でも指摘した「安全神話」であり「空気を読みあう日本の風潮」が背景にあるのは間違いない。

そこで思考停止すべきでなく、それでは何故「安全神話」が生まれたか追求すべきである。それはメディアであり国民であると私は信じる。3.11が起こる前だったら、あらゆるケースを考えて原発事故のシミュレーションを計画するだけで、大騒ぎになりましてや訓練などマスコミや国民は許さなかったろう。東電や官僚の責任がない訳ではないが、彼らは強いられた側面も大と考える。

原発の安全性を議論するのをタブーにしたのは、原子力村だけのせいではないと思う。しかも原子力だけではない。拉致問題・9.11テロ・尖閣列島などを経験していまや聞かれなくなった「一国平和主義」も同じで、万が一外国からの侵略があった場合どうやって国を守るか検討するだけでかつては官僚の首が飛ぶほどのタブーだった。

話は戻るが、今回の民間事故調はメンバーへの信頼があってインタビューが実現したと考える。冒頭に言ったように調査報道と考えた場合、日本のマスコミにそれ程の信頼があるだろうか。早速だが、事故調の報告に対するコメントとして自民党溝手参院幹事長が「後進国なら菅氏死刑」と無批判に報じる朝日新聞の見識も信頼も私には感じられない。

日本メディアに事故調ほどの信頼があるかどうか、事故調査の一環として「メディアは大震災と原発事故をどう報じたか、国民にどういう影響を与えたか」評価すべきと思う。安全神話を生み出した責任の一端を感じ取って欲しい、それが私の深読みの結果だ。■

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介護録12春(1)

2012-02-27 23:13:55 | 健康・病気

母の毛糸のカーディガンにコブシ二つ大の穴が開いていると、先週木曜日に介護施設から連絡が入った。もしかして母が食べてしまったのではと聞くと、介護担当員もそう疑っていると返事が返ってきた。翌日施設を訪問した時、母の便に毛糸の玉を見つけたと聞いた。

その後食堂のテーブルに座っている母を見つけて少し話をした。見るたびに母の姿が少しずつ小さくなって来たように感じる。今回、私を見て母の表情が変わらなかったので、認知が進んだのかもしれないと思った。

私が検査の結果ガンの疑いが晴れたといっても表情に変化は無かった。5分程度話すと、母はいつものようにもう帰れと言ったので、その頃には私と分かっていたのかもしれない。だが、声は弱々しかった。

二日置いて母の右目が充血したが打撲の痕が無いので、医者に診せるのは週明けにすると再度連絡が入った。一昨年脳血栓になったのがきっかけで入院・リハビリ入院・介護と進んで行ったので、血管が脆くなって何か悪いことが起きたのではと気になった。

しかし、今日になって心配しなくとも良いと連絡が入った。施設に定期出張してくれる医者が母を診てくれ、眼球の血管が切れて出る症状で時間の経過で目の充血は元に戻ると診断があったという。月が明けると主治医が再度診てくれるという。

母を介護施設に入れて私が世話をすることもなくなったので、「介護録」という題名は適当でなくなったと以前投稿した。だが、他に適当な題名が思いつかないので、暫くはこの題名で記事を投稿することにした。というか、出来るだけ長く介護録を続けたい。■

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田舎暮し雑感12春(1)

2012-02-23 21:49:13 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜の雨ですっかり暖かくなった。朝起きて新聞を取りに玄関を出ると生暖かい空気を感じた。締め切った家の中の方が冷たい。今年の寒さは異常だ。月曜日に快晴の松山空港に降り立った時は、ガラス窓越しの日差しは暖かかった。だが、リムジンに乗る為空港ビルから出た途端に寒さで震えた。

バスを降りて実家に戻る田舎道は春を感じさせなかった。堤防沿いの道は茶色の枯れ草が続く。今が時期のはずの梅の花は開いてない、庭にはピンクの椿と黄色の水仙がモノクロの中の僅かに彩りになっていた。だが寒さのお陰で、庭や畑の雑草は弱々しく手入れは当面不要だ。少なくとも昨夏帰郷した時雑草に埋もれた実家を見た悪夢は無かった。

一昨日農協に言った帰りに個人スーパーに立ち寄り、店番のオバサンと先ずは気候の話。彼女はやっと梅が咲いたと、花瓶の梅の花を指差した。枝を切って店内に飾ると花が咲いたが、元の木は花が咲く気配が無いという。しかし、今日の暖かさで一気につぼみが開いたかもしれない。(夕方散歩した時、日当たりの良い表の通りの梅の蕾が3つ開いていた。)

実家に戻って最初にやった事は、昨年東京の自宅にいる間に期限が切れた車を車検に出すことだった。お店に相談すると、そういうお客も時々いる、車を持ってくる途中に運悪く捕まったら、今から車検に出すといえば見逃してくれる、とのこと。実家からお店までは田舎の田んぼ道、パトロールの警官などいるはずも無い。翌日車検が終り、無事ガンセンターに行くことが出来た。

東京の自宅からパソコン環境の移行はもう何度もやっているので何の障害も無く終ったが、テレビの画面がやたら暗く見え映像設定を変更した。従来、目一杯の省エネモードに設定していたが目が衰えたせいか画面が薄暗く標準設定に戻した。

そういえば、耳も悪くなった。先日娘の具合が悪く、家内と一緒に娘を見舞った時のことだった。テレビをつけボリュームを上げると、我々夫婦の見るテレビ音量はうるさいといった。娘が音量設定を20のところ、家内は23、私は25にしている。道理で誰からもうるさいといわれる。祖母が晩年イアフォーンをしてテレビを見ていたのを思い出した。あの頃は誰も文句言わなかった。

最後に蛇足を。羽田でフライト待ちの間に、航空会社の地上職員がマイレージカードに切り替えるよう勧めに来た。私は年2-3回羽田松山間を乗るだけなので一旦断わったが、トイレに行って機内ショッピングが10%引きになるメリットを思い出して気が変わった。

他のお客を物色している彼女を見つけ目で合図するとニッコリ笑って直ぐ近寄ってきた。こういう時しか若い子と話す機会がない。手続の間にする会話が楽しい時間潰し、散々からかってもお客だから怒らないし、彼女なりに成績を上げるウィンウィンの関係だ。

機中でも今度はCAが飲み物を片付けに来た時チャンスが訪れた。お供のクッキーの空き箱を見て「美味しそう!」と言ったので、彼女が戻っていく時呼び止めて残りのクッキーをあげると言った。当然のことながら、受け取れませんと返事が返ってきたが、「僕はもう食べたから持ってけ、凄く美味しかったよ」と繰り返した。

彼女は断わるんだけど僕から離れない。もう一押しと5回くらい勧めると、それじゃと言って受け取った。まさか、「受け取っちゃった」という感じ。又もや娘に顰蹙(ひんしゅく)買いそうだ。若い頃は好きな女の子に声もかけられなかったのに、いつの間にか恥知らずのジーさんになった。■

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高齢化の時計(終)

2012-02-22 22:48:06 | 健康・病気

いつもより朝早く起きて手早く朝食を済ませ、車検明けの車で高速をぶっ飛ばし松山市の東側にある東温市のガンセンターに行った。遠回りになるが川内インターまで行って11号線を戻るといつもより早く50分程度で着いた。9時前には受付を済ませ暫く待って検尿と血液採取を終えた。

看護婦に言うと調整してくれPSA値以外の生化学指標も調べてくれた。今まで採血後1週間待つのが普通だったが、ガンセンターではその場で試験可能なので直ぐ検査部門に依頼してくれた。最近は経験や常識にとらわれず何でも一応言ってみる、そうすると意外と無理が利くことがある。

血液検査の結果が出るのを待って11時過ぎに担当医に呼ばれた。ICレコーダーをオンにして診察室に入ると、彼は開口一番「チョット、アレッと思うぐらいPSAが下がっているんだけど、何で!PSAが1.7まで下がっている」と言い、本当に私が採血したのか冗談ぽい口調で聞いた。

この一言で診察は実質終ったも同然だった。昨年10月PSAは45.8だったが、11月に17.5に下がり今回1.76になった。下がり方が劇的なので、思わず担当医が本当に私の血か疑ったということだ。腹を開いて追加生体検査をしなくて良かったという彼のコメントは実感だった。

彼の診断は「慢性前立腺炎」で、その為にPSAが極端に変化したという。今後は定期的に血液検査しPSA値を確認、異常値が出たら放置せず一度はガンを疑えと助言された。もうこうなれば何でもハイハイだ、支払いを済ませ早速携帯メールで家族に知らせた。その後今回ガンセンターを勧めてくれた友人にも結果を連絡し感謝した。必要な時に本当に良い助言をしてくれたと。

担当医の診察を待つ間に持参した日経の面白い記事を読んだ。それは少子高齢化の近未来日本社会は、64歳以下が65歳以上を支える仕組が機能しなくなる、政府は5月をメドに「高齢社会対策大綱」で高齢者も可能な限り支える側に回る考え方を打ち出すそうだ。

私自身もう直ぐ高齢者になるが、全くその通りだと思う。退職時コンサルタントをやりその後市が関るボランティア活動をやった。しかし、たった一人で母の介護と実家の農地や山林の面倒を見るのは容易ではない、一定期間田舎に腰をすえて対応する必要があり両立させられなかった。母を施設に入れてもそれ程事態は変わらず活動を止めた。

これを機会に連続した期間を一定の場所で活動しなくともいい持続性のある貢献の仕方を考えてみたい。会社勤だろうがNPO活動だろうが関係ない。「高齢化の時計」シリーズはこれをもって一応終とし、どうすれば支える側に回れるか考えてみたい。■

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37年目のブーメラン

2012-02-20 23:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

今度は何十年も経って帰ってきて私を痛撃したブーメランだ。先週土曜日に家族揃って築地でスシを頂いた。大江戸線の築地市場駅を下りて晴海通に向うと、昼食時の観光客が広い歩道一杯に埋めて中々前に進めず10分以上遅れて、やっと息子が予約してくれたお店に着いた。

そこは初めてのお店で、スシは前もって味付けがされているいわゆる江戸前で、最近回転寿司しか食べない私には珍しい味だった。私にはトロなどの巻物のほうが美味しく感じた。その後、近くのカフェで甘いものと一緒にコーヒーを頂き、夫々の家族の話題を聞き楽しく過した。

これを最後に田舎のがんセンターに行き検査を受け、暫らく田舎暮しをする。体調は悪くないが万が一検査で悪い結果が出るかもしれないという不安が1%くらいはある。家族は口に出さないが、内心そう思っているかもしれない。皆に言うべきことは言っておこうと思った。

そう思って休みを満足に取らないで猛烈に働く息子に助言をしようと口を開くと、彼は直ちに私の自慢話など聞きたくないと遮った。自慢話などする積もりはないのだが、いつものようで又かという感じだ。そんな息子の態度は昔私が父にやったこととそっくりだ。私も当時父が話を始めた途端、直ぐ話を遮った。拒否した。

続けて娘も「お父さん昔話はもう止めな」みたいなこと言った。他の連中は知らん顔している。私の負けだ。私もこんなことで喧嘩するつもりは全く無かった。多分、当時の父もそう感じたと思う。今頃になって子供達に話を聞いてもらえない父の寂しさを感じた。

青春時代の10代後半から父が死んだ20代後半までの間、私は父とまともに会話した記憶が無い。父は何かといえば自分の仕事のことや彼の経験から何かを言おうとし、私は端から聞く耳を持たなかった。今の言葉でいうと「ウザイ」と一刀両断、聞こうともしなかった。私の息子より酷い態度を取ったかもしれない。息子は既に30代半ばだが、私がその年齢の頃父はもういなかった。

息子が話を聞いてくれない父の気持ちがどういうものか37年経ってやっと実感した。この数年何度か類似の体験をして慣れてきたせいもあるが、家族全員の前で公然と拒絶されても私は反発もしなかった。感情的にならなかったのは、愛する子供だからか、父の記憶が甦ったからか、或いは単純に年をとったせいか。午後羽田を発ち実家に戻り、今書斎で思い出している。■

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