かぶれの世界(新)

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今更ですが、社会保険番号導入の勧め

2008-12-31 22:29:00 | 社会・経済

縮小する経済大国

メディアは世界金融危機を転機に米国没落という論調が大好きだが、私はその心配をする前に我が国のことをもっと心配しろと言いたい。世界が経済危機を脱し新たなパラダイムが出現した時、果たして日本の今日のようなポジションが残っているのか、10年後の世界を想像すべきだ。

日本は世界経済不況の影響を受けてトヨタ等の超優良企業までもが一気に業績悪化、雇用不安が表面化した。年金問題や後期高齢者医療費問題も影が薄くなった感がある。この危機を境に、我が国は世界の中で相対的に縮小して行く速度を早めて行く可能性が高いと私は憂慮する。

悲観的な予測の根拠は、人口減少と精神の劣化が国力を衰弱させて行くためだ。後者は別の機会に論じるとして、少子高齢化社会では個々の家計を維持できたとしても、総合して国の経済(GDP)は減少する。為替の問題もあるが、年々降下し続けた1人当たりのGDPは、昨年ついに先進国最下位になったと報じられたばかりだ。

目指すは高効率大国

ここまで来ると、我が国にとって選択肢は限られている。乗数(人口)も被乗数(個人家計)も減少すればGDPが掛け算で減少する。となると輸出頼みしかない。逆に危機にある米国といえば、人口が2%増え個人当りのGDPが2%減少しても、GDPはチャラになる計算になる。回復の途についた時の速度は掛け算で効いてくる。そして、税収はGDPに比例する。

このような逆境で日本が成長を続けより良い生活をする為には、社会全体の効率を高めパイを大きくして配分しなければ、予算のかなりの部分を占める社会保障費をまかなうことは不可能だ。つまり、日本は普通の国ではいけない、革新的かつ創造的な高効率の国にならなければならない。

それは本当に可能か

老人や弱者の面倒を見るにしても限度がある、縮小する生産世代が全てを負担するのは容易ではない。将来世代に負担を付け送りするわけには行かない。となると、果たして我が国にそれだけの社会保障をする実力があるのか、冷静にになって考えてみる時期が来たのかもしれない。

100年に一度の大不況で来年度は大幅税収減が予想される。その中で、今年一年間、大合唱されたのは配分の議論だけ、社会的弱者の高齢者や失業者の社会保障の充実だった。だが、一方で国全体のシステム効率化と規模の拡大について真面目な議論がされなかった。

具体的には、全体システムの効率化という視点での公務員制度見直しであり、規模の拡大という視点での成長のための構造改革であった。残念なことにこれらは先送りされ、無視されてしまった。これを見て日本に見込みナシと判断した海外投資家は投資を引き上げた。金融恐慌の大元の原因を作った米国より、傷が浅いと見なされた日本の株価のほうが下がる馬鹿げた結果となった。

国民総背番号制は効率をもたらす

そこで、珍妙と思うかもしれないが、象徴的な解決策の一つとして国民総背番号制の導入を提案する。かつて議論されたことのある「納税者番号制度」或いはグリーンカード制度、比較的最近では住基ネットの住民票コードがある。私は国民皆保険制度の見直しの中で、国民的コンセンサスが得られ易いと思われる社会保険番号が最適と考える。

実は、これには優れた先例がある。ブッシュ大統領が景気刺激策として全米の納税者に小切手を配ったのはまだ記憶に新しい。麻生内閣が提案した定額給付金が実行上の問題を指摘されたのに対し、米国の場合効果は別としてテクニカルな問題は一切起こらなかった。それは、納税者の情報がしっかり管理されており、社保庁の様な混乱が起こるはずがなかったからだ。

社会保険番号の経験

私が90年代半ば米国に赴任した時最初にやったことは、現地の人事勤労スタッフに連れられてマサチューセッツ州のとある町の社会保険事務所に行き、パスポートの労働ビザを提示して社会保険番号(SSN: ソーシャル・セキュリティ・ナンバー)を申請したことだった。

SSNが無いと給料が貰えない。その後、銀行口座開設から住宅を借り、クレジットカードを作り、電話を引き、ケーブルテレビを契約、運転免許証を取得、税金を払うまで、何をするにもSSNの提示が求められる。米国人は生まれた時にSSNが与えられ、結婚・引っ越しや転職しても、一生SSNがついて回る。私は単身赴任だったが、納税の為日本にいる家内にもSSNがアサインされた。

このSSNの一貫性が、納税や社会保険等の混乱を防ぎ、効率的なシステムにしている。99年に米国から帰任し、まだ日本の年金問題が表面化する前から、私の支払った社会保険料の明細、年金の支給時期等の通知が米国から毎年届く。事務処理能力に長けていると評判にもかかわらず、問題続出の社保庁とは大違いだ。

社会保険番号がもたらす効果

年金問題は社保庁の無責任な官僚的体質に起因するところが大だが、混乱の中には結婚・転職・失業などにより台帳書き換え時に誤入力され、データが失われたケースが多く報告されている。これらの多くは、米国のように死ぬまでSSNが個人に割り当てていれば防げたはずだ。

一人一人に生涯番号が割り当てていると、上記のような社会保険制度だけでなく、納税の効率化から免許証の管理、犯罪やテロ防止まで、今日表面化し困難な取り組みをしている諸問題の改善に大きく貢献するものと思われる。やり方の問題で不毛な政争が続き、一歩も前に進まない国に未来があるのだろうか。イデオロギーでも宗教でもない、争う価値も無い問題のために。

反対論を考え直す

かつて国民総背番号制が反対された最大の理由は、全ての個人情報が番号の元に集約され、政府が個人を監視する「監視社会」が作られる恐れがある、というものだった。長く社会保険番号の歴史を持つ米国でその種の問題がない。しかし、日本人だったらやり兼ねないという疑いを持って、リベラルといわれた知識人やメディア、市民団体・政党の人達は強硬に反対し、国民も同調した。

年金問題の中には固有の番号が無い為に起こった、極めてテクニカルな問題がかなりの部分を占めているが、多分反対した人達は認識して無いしその責任も感じていないだろう。これが年金未払いから税金逃れ等の他の問題も解決を困難にしている、とは夢にも思っていないだろう。

国民皆保険制度を考えていく中で、それが国民総背番号制につながる可能性があるとしても、かつて反対した人達も防止策をしっかりさせるべき話であり、それが為に本来あるべき社会保険制度を損なうべきではないと、考えを変える人が出て来ると思われる。

社会保険番号の導入は制度を運営していく上で必須だと分かれば、国民も又違った反応をするのではないだろうか。可能性は薄いが、もしそういうことになれば、それは単なる新ID方式の導入というより、前世紀の輝きを取り戻そうという国民の決意を示すサインになると思うのだが。■

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私的バブル崩壊

2008-12-29 23:40:21 | 社会・経済

9月のリーマンショック以降世界は変わった。異例の長さで好況が続いていた世界経済は、気がつくと雪庇(せっぴ)の上を歩いていた。Wikipediaによれば雪庇は「雪崩(なだれ)の原因になる為、定期的に除去される」というが、除去した時どれだけの人や物が雪庇[1]の上に乗っかっているのか当局は把握してなかった。

実際のところ、雪庇全体を除く積りが当局にあったかどうか疑わしいと思う。それは別の機会に議論するとして、今回は私自身がバブルをどのように認識していたか、特に同時進行でバブルを自分のこととして考えられず失敗したか、個人的な苦い経験を紹介したい。

80年代後半の資産バブルは、会社生活で管理職に昇進し仕事以外に目が行かなかった時起こった。報じられた不動産バブルは狂気の沙汰としか思えなかった。都内から通勤する新人の家の敷地面積を計算して数億円になると驚いたが、あくまでも他人事だった。バブルが崩壊した時、バブル紳士没落のニュースを痛快に思った程度だった。バブルを外から見ていた。

その10年後に来たITバブルは事情が違っていた。私は消費者向け商品のビジネスを担当していた。その意味ではバブルの渦中の少なくともどこかにいた。20世紀最後の冬の売り上げは史上最高で、翌年更に強気の需要が見込まれていた。関係業界は誰もが強気で生産能力増強の設備投資をした。誰もバブルとは思わなかった。

しかし翌年半ばには需要に陰りが出て2000年末には巨額の在庫が残った。その頃になっても営業は強気の需要予測をし、工場は前年比プラス・マイナスの発想で生産計画した。だが、バブル崩壊後は従来延長線上の発想は成立しない。事態の先行きを読み早期に従来発想から切り替えるのが私の責任のはずだったが、事態の展開を後追いするのが精一杯だった。

さて、その8年後に今度は米国の住宅バブルが弾け、私は個人投資家として全く別の形で参加することになった。保存メールをチェックすると、2004年頃から不動産業界で働いている知り合いの米国人に住宅バブルの懸念について定期的に意見交換しており、バブルの存在を認識していた。ここにも何度か投稿した。

だが、サブプライム問題が表面化しても9月初めまで私にとって他人事だった。というのも、数年かけて金融資産のポートフォリオを見直し、カントリー・商品・通貨を多様化させリスク分散投資し殆ど影響を受けていなかったからだ。ところが、リーマンショックは瞬く間に世界中に金融危機を伝播させ、あらゆる金融商品を痛撃した。主要金融商品価格の相関関数が1に近づき、分散効果が消滅した。無事だったのは定期預金と日米の国債だけ、分散投資は機能しなくなった。

私が90年代末に米国にいた時、絶対潰れるはずがないと思っていた山一や長銀が消えて行き、適切な手が打てない政府を見て、これでは長期的に日本は衰退していくと思った。それが退職金を投資に振り向けた時の発想の原点だった。しかし、分散投資しても、リスクが高ければ世界同時経済危機の前では無力だった。

3つのバブルを経験して、その渦中にいようが、周辺にいようが、同時代にリアルタイムでその意味を正しく理解して、適切な判断することが私は出来なかった。神様と言われたあのグリーンスパンでさえ、議会で屈辱の反省をさせられた。同時進行で的確な判断が如何に難しいかということだが、だからといって私には救いにはならない。

不景気なテーマの最期に駄洒落で締めます。「坂の上の雲」の先に「崖の下のポニョ」がいた。お粗末でした。■


[1]雪庇(せっぴ)とは、のかぶったの尾根、山頂などに、が一方方向に吹き、風下方向にできる雪の塊である。放置すると、自重に負けて崩落するまで際限なく大きくなる。大きな雪庇はブロック雪崩の原因になることから、定期的に除去される。

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介護録08冬(2)

2008-12-28 15:51:26 | 日記・エッセイ・コラム

市役所職員が来宅しての介護レベル見直しインタビューは母の介護状況を確認するものだった。特別気にかかる質問があったわけではないが、母の後ろ向きの姿をインタビューアーに印象付けたと思う。やれば出来そうなことも即否定し、意欲が感じられない。審査会の結論は現状維持を期待するが、来年になりそうだ。

現在の介護契約後半年経ったので、結論はまだだが、取り合えず現在の「要介護レベル1」が継続されるとして、ケアマネージャ・介護事業者と家族(私)が会議して現在の介護プランのままで行くことを確認した。万が一認定されないと費用が十倍になるが、私にとって他に選択肢はない。

かかりつけの先生からも指摘された母の食事管理が一番の問題だが、それと同じくらい問題なのは、1日中ベッドかコタツにいる母の運動不足だ。これを何とかしたいと議論したが、名案はなかった。両方の効果を狙ってデイケアセンター見学を何度も勧めたが、母は頑として受け付けない。

先ずは全て否定から始まる。病気になる随分前からそうだったと思うが、母が元気な頃にそれを指摘すると単なる口癖だと怒った。又、結婚する前は暢気な女の子でこうじゃなかったみたいなことを、ずっと昔だが聞いたことがある。多分そうだろう、だが、その頃には戻ってくれそうもない。ウツの気配はあるが、認知症が進んだ感じはしないのは救いだ。

3者会議では年末年始の介護と配食サービス停止期間をどう乗り切るかについても話し合った。ヘルパーさんが来なくても私が血糖値測定とインシュリン注射を見守ることは出来るが、糖尿病食を作るのは出来そうもない。低カロリーでも毎日うどんやソバを食わせるわけにも行かない。

その後ケアマネージャが調べてくれて、メニューにカロリー表示のあるレストランを教えてくれた。田舎のことだから期待していなかったが、2軒のファミレスがカロリー表示しているそうだ。その後スーパーの商品をチェックしてみると、冷凍食品などの加工食品は殆どカロリー表示があった。意外に多くの食品のカロリーが利用できそうで、お正月は何とか乗り切れそうだ。

血糖値が安定せず高低で危険値を超える値になる原因は4つある、というのが3者会議での共通認識だった。①測定器の誤動作、②運動不足、③水分摂取、④つまみ食い、その組み合わせというところだろう。①に関連して測定器の指す値を(多分誤魔化して)ヘルパーに伝えたことが少なくとも一度あり、ヘルパーさんには見守り時に直接測定器を見て欲しいと依頼した。

そんなこともあって、血糖値管理にもっと楽しみを加えててみることにした。先々週医者に診て頂いた後、天気が素晴らしく良かったので、瀬戸内海沿岸の母の実家の近くまでドライブした。道中子供の頃何をしたか尋ねたりして、母の記憶の襞に刺激を与えてみた。車で小一時間気の分転換は楽しかったらしく、後でヘルパーさんに嬉しそうに話したと聞いた。

配食サービスをキャンセルして、ケアマネージャに紹介して頂いたレストランに行き、昼食をした。別の日に、うどんやソバなど麺類の場合はカロリーが低いのでそこにも行ってみた。今までの厳密な糖尿病食だけと比べ、格別血糖値は変わらなかった。血糖値がもっと下がったら、又、ドライブに行き外食しようと、露骨な飴で釣る作戦で気が引けるが効果がありそうだ。

少しは慣れたものの、家の中がションベン臭いのは気になってしょうがない。特に母が1日中いる居間は臭う。晴れの日は必ず布団や毛布・座布団などを干し、玄関や窓を開け網戸にし、コタツフトンを上げて風を通す。徐々に臭いは薄くなってきた気がするが、母に近づくと特有の臭いが鼻につく。根本解決はないのかも。■

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2008年大胆占い(最終見直し)

2008-12-23 22:58:27 | 社会・経済

少々早いが、今年の占いの最終見直しをしたい。その後、年賀状で紹介する恒例の「2009年大胆占い」が待っている。今年9月以前は昨年までの延長線上でリニアに繋がった世界にいた。だが9月以降はノンリニアな変化が起こり、今までの常識が通用しない全く違う世界になってしまった。

かつて激変の時代とか言う言葉を何度も聞いたことがあるが、今起こっていることはそんな言葉が色褪せて聞える。何しろ60年前の世界大戦を跳び越して、今は100年に一度の経済危機といわれているのだから。そんなところで、古い常識の占い見直しをしても意味がない。

能書きはこれまでとし、とにもかくにも年最後の見直しを終らせておきたい。

【総評】 9月のリーマンショック以来、経済動向に関する私の占いは滅茶苦茶になった。言い訳する積りはないが、おそらく殆どの専門家も同じ目にあっただろう。特に輸出依存度の高い日本経済の脆弱性は衝撃的だった。「市場の失敗」の影響は少なかったが、「政府の失敗」が傷を大きくした。問われているのは経済システムを超えた国のあり方だ。

【個別項目】 経済関連
1.▼女性大統領誕生は大外れ、リーマンショックで争点が経済に移り初の黒人大統領誕生。
2.△一時暴落したユーロは米国のゼロ金利導入で若干値を戻し、新興国にも資金が向かった。
3.○原因はどうあれ、五輪後の中国は輸出不振、株価暴落、経済成長急降下した。
4.▼福
田内閣投げ出し不測の事態発生、麻生政権誕生も経済悪化の最中に迷走、大外れ。
5.▲世界経済依存が日本経済の脆弱性を直撃し失速、経済成長率は0%台に減速した。
6.▼日経平均が7000円台に急落、楽観的な予想を吹き飛ばした。
7.△岡田ジャパン出足で躓くも、徐々に攻撃サッカーが機能し始め期待を繋いだ。
8.◎予測どおり、イチロー・松坂活躍、福留・黒田は苦戦、岩村等日本人存在感を増す。

一方、表層的な変化に下にゆったりと流れる底流の変化があるのか、何が起こっているかの解釈は、「大風呂敷」はさておき「中風呂敷」と「ハンカチ」と区分して取り上げた状況は、私自身頭の体操になり大変面白かった。上手く育てられるかわからないが、引き続きこの作業を続けてみたい。

2008年はサッカーをやっている積りがラグビーみたいになったが、まだルール自体がはっきりしない。問われているのは資本主義なのか、市場原理主義なのか、小さい政府なのか、グローバリゼーションなのか、それは誰が決めるのか、2009年はそういう年になるのだろうか。■

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窮地の首相

2008-12-21 10:36:34 | 国際・政治

麻生内閣支持率が20+%に急落したことが先週初め報道各社から発表され、これを見た与党内外から不協和音が(面白おかしく)報じられた。一瞬、政局を思わせる動きが出た。やや落ち着いたところで、チョット時間を置いて、例によって私らしい周回遅れの考察をしてみる。

麻生首相が歴代首相と比較して、何故急速に支持率を落としたのか。その一番の理由はなんと言っても急速に悪化する経済である。経済が悪化した時は、どんな首相も支持されないと覚悟しなければならない。それが「市場の失敗」であっても政治責任が追及されるものである。

悪いことに、麻生首相は「政府の失敗」で傷に塩を塗った。政局よりも政策を優先する、そうしないと苦境に陥った企業や人々が年を越せないと言及し、景気対策を打つとの主張が国民の支持を得た。しかし、事前にぶち上げたプランの評判が悪いと、第2次補正予算の提出を延期した。国民どころか身内の自民党の中にもあっけにとられるものが出た。こんなので大丈夫かと皆思った。

私も、その延長線上で不支持に1票を入れる。

経済財政諮問会議は税制抜本会議に向けた中期プログラムの原案を16日発表した。私は以下の理由でこの中に問題の典型的な例があるように感じる。原案は①行政改革と無駄の排除②経済好転まで機動的対応③景気好転後に財政規律を確保(増税)の三原則を示すものだった。

困難な現状を考えると大筋妥当な方針、と私は考える。だが問題は、前提としている行政改革や無駄の排除の具体的な歳出改革を殆ど示してないことである(日本経済新聞12/17)。将来の税負担への理解を得る為には、一方で歳出改革の理念を具体的に示さなければ先に進まない。首相の言うことは、肝心な何かが抜けている「ルースエンド」で、それが不信を買うのである。

どうも、これが麻生政権の性格であるというのが、私の疑いであり不支持の理由である。

小泉・安倍・福田と続いた歴代内閣の重要政策は、道路公団・郵政民営化、公共事業削減、道路財源の一般財源化、公務員制度改革、消費者行政の一元化だった。その肝は政策決定プロセスを見直し、官僚の省益志向を打破し、護送船団下の既得権益を無くそうとするものであった。

上記の中期プログラムの歳出改革の扱いが示すように、歴代首相の改革は反故同然になった。端的に言うと麻生政権はこの歴代首相が10年間身体を張って確立した政策を、全て見直し或は先送りしたといってよい。渡辺行元革担当相が感涙を流しのはつい最近のことだったが。

要は、過去十年間、国民が強く支持してきた改革などやる気がないのである。当座の景気対策は必須だし最優先で取り組まなければならないが、改革の旗は降ろすべきでは無いし、公務員制度改革や消費者庁設立は景気対策と矛盾しないはずだが、今や議論もされずメディアも騒がない。

麻生首相の支持率急降下は、こういった抜きがたい旧自民党の体質への回帰が国民の目に明らかになり、支持が離れて行ったと私は思う。しかし、仄かな期待もある。福田前首相も支持率急降下した時初めて、開き直って自から信じる政策を打ち出した。麻生首相が開き直った時何が出てくるか怖い気持ちもある。いずれにしろ、民主党が政局優先でいる間はまだチャンスがある。■

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