かぶれの世界(新)

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2009年大胆占い-2Q見直し 

2009-06-30 21:56:55 | 社会・経済

「占い」通りに回復が進む世界同時不況

こんな格好良いこと一度は言ってみたかった!3月末に四半期毎の見直しをやった時、先行指標の株式市場が上昇に転じ、トンネルの先に仄かな灯りを見て希望を持てる状況になっていた。当時悲観論が多数だったが、その時感じた希望は本物だった。仄かな灯りは出口の形をしていた。

依然として私の2009年大胆占い通りに物事は進んでいる(詳細はともあれ、大雑把に言うと)。巨額の不良債権を抱えた米国の金融システムの安定化が進み、注目されていたクライスラー・GMの破綻処理がソフトランディングしたことで市場に蔓延していた恐怖感を拭い去った。

世界経済は底が抜ける事態を回避できたようだ。これが本物らしいのは、リスクマネーが不安を乗り越えて新興国や商品市場に流入し始めたことだ。だが、米国の過剰消費に頼った世界経済は元に戻らないし、日本の消費態度も身の丈にあったものに変わり、経済は従って変化する。

予想が当たったと自慢したところで何も得ることは無い。といって、重箱の隅をつつくように詳細を見て、謙虚な気持ちで自らの矛盾点を指摘しても意味が無い。元々占いは世界経済の大局をどう見るか頭の体操が目的だったからだ。それより、今後の展開に紙幅を使いたい。

不況のトンネルを抜けると、別の世界が

出口の先がどういう道か、実体経済がどういう回復の道を辿るか、まだぼんやりしている状況だ。雇用環境はまだ悪化を続けているし、足元の実体経済は前年比7‐8割の状態だ。100%に戻るには2-3年かかるという説をよく見受けるが、私はどうあっても同じ世界には戻らないと思う。

米国の過剰消費に頼ってきた日本自身も、老齢化と若者の消費志向の変化で落ち着いた市場(換言すると活気の無い)になり、海外から富を得る静かな国になる可能性が高い。それはもっと先のことだが。

「大胆占い」を4つのポイントに絞って、年後半を大胆かつもう少し詳細に予測してみる。

考え方は米国の回復抜きに新興国だけで世界経済は牽引できない、両方揃って世界を引っ張る構図が最も機能するシナリオだろう:

1)世界経済は3Q(7‐9月)に底を打ち上昇に向かう。最も典型的な兆しは米国の主要な州の住宅市場が上昇することで、既にその傾向は現われ始めている。
2
)世界経済回復の牽引車は米国だが、史上最大のリスクマネーがBRICs+トルコ・南アなどの成長を加速させ、再び世界経済を活性化する。
3
)日本経済は急激な減産から輸出主導で反転回復に向かうが、消費態度の変化と政治混乱が合成され内需振るわず。しかし、最後尾は東欧諸国を足枷にもつ欧州であろう。
4
)最後にグローバル金余りが過剰流動性を招き、資源などの領域でミニバブルが発生する可能性が高い。この損得のありようが、回復後の世界を誰がリードするか左右しそうだ。

お楽しみ、イチローは別格

最後にお楽しみのスポーツだが、サッカーはW杯予選を予想通り通過した。世界で通用するトップレベルの選手層は薄く課題は多いが、スピードサッカーを追及して行けばチャンスはある。MLBの日本人選手は予想通り苦戦している。実績のある選手も今季は成績を残せず存在感がない。

しかし、イチローだけは別格だ。日米通算して十数年に亘って体調を維持し、トップレベルで活躍するのは極めて稀、ワールドクラスでも傑出した存在になった。怪我とか不運なアクシデントが無い限り、今シーズンも活躍を続け9年連続200本安打を達成しそうだ。■

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世界同時不況の最悪期は脱したが、その後に悪魔が

2009-06-27 21:11:14 | 社会・経済

不景気は底を打ち「出口戦略」を云々する議論が囁かれ始めた。かつて早すぎた金融引締めが景気回復の芽を摘んだトラウマがあり、当局は出口戦略に極めて用心深い姿勢がうかがえる。しかし、何が問題になるか現況認識をしっかりして、次に備えねばならない状況になったようだ。

悲観論者の推測が外れるのは結構だが、回復が早いと適切な再発防止が打たれなくなる問題も出てくる。今まで投稿した記事で、雇用と景気回復は別問題、消費者の変化などについて議論したが、今回は歴史的な過剰流動性の問題を紹介したい。

リスクマネーが蠢き始めた

24日の日本経済新聞は世界経済の潮の目が急速に変化していると報じていた。昨年9月のリーマンショック以来、ドルや円に逃避していたグローバルな投資資金が、リスク許容度を高め新興国市場と原油・食料などに流れ込み始めたという。グローバルな信用創造が復活し始めたと同紙は報じている。

結果として、BRICsなどの新興国の株価が軒並み急上昇し、一時期35㌦まで下がった原油価格が70㌦台に上昇した。日経平均も3月の最安値から40%上昇した。私の金融商品はわずかではあるが分散投資しており、この世界市場動向を反映した結果になった。3月初めに年初来マイナス13%だったが、6月初めにはプラス40%まで回復した。そういえば、金融機関に勤める知人は春頃には投資が新興国に戻り始めたといっていた。

未曾有のカネ余り

だが、どうも単純には喜べそうもない。私が問題だと思うのは、上記の避難していた資金に各国政府の巨額な財政出動が加わり、世界は未曾有のカネ余り状態になったということだ。記事によると、世界で流通するマネーの物差しになる「ワールドダラー」が前年を4割上回り4.5兆㌦に膨らんだという。この桁違いの流動性には多くの専門家が不吉を感じているようだ。

中央銀行の超金融緩和によって、絶対値でも増加率でも史上かつてない過剰流動性が生じ、リスク許容度を高めた投資家のマネーが行き場を求め、再びリスク資産に向かい価格を上げた。当局は景気回復を腰折れさせないように気を配る一方で、早くもミニバブルが生じ始めたのではないかと過熱気味の市場に神経を尖らせている、というジレンマがある。

このままでは規制が間に合わない

米国や欧州の政府は今回の世界同時金融危機の再発防止として、中央銀行の権限を強め銀行や保険からヘッジファンドまで全ての金融機関を一括して監視させる方針のようだ。しかし、早急に動かないとこのままでは事態の進行に追いつかず、昨年問題となった住宅市場とは別の分野にバブルが発生する恐れがあると憂慮する。

個人的には、原油などのエネルギーと穀物などの食料領域への投機の制限、もしくは、取引の透明性なども規制に含めるべきだと考える。このままでは、数ヶ月内に実体経済の回復に先立って回復期待を織り込んで資源価格のバブルが再発し、資金の流れを歪め強いては世界経済の健全な回復を妨げる恐れが十分あると思う。だが、資源投資の規制は米国の国益にならないと思っている節がある様に感じる。

歴史の教訓は活かせるか

実体経済が回復する兆しを見せ始めた現状の株価高騰は、「回復の期待が株価を上昇させ、それが期待を膨らませ更に株価を高めている」という、かつてのガルブレイスの言葉にぴったり当てはまるように感じる。実体経済はまだ「期待が期待を生む」状態からそう改善したわけではない。

この高名な経済学者の言を借りると、金融上の記憶は長くてせいぜい20年しか続かないそうだ。20年経つと、又もや同じ問題が形を変えて再発するという。だが、その後起こったことから言えば人の記憶は20年どころか5年が良いところだ。

1987年の大暴落以来、日本のバブル、続発した新興国の通貨危機、ITバブル、今回の金融危機と過剰流動性が重要な原因となった。20年も持ってくれれば私は生きているかどうか分からない、多分見届けられない。もしそうなら、結構なことだ。だが、今そこにある異常な流動性は相当に不気味だ。■

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我々は一体何をやっているのか

2009-06-23 22:15:14 | 日記・エッセイ・コラム

黙の初夏では環境を守るはずの農業が、無農薬農業とか何とか言いながらを、生物の生存環境を壊している実態があることを紹介した。今回は、一つ一つ取り上げると合理的な判断のように見える行為が、総合すると何と馬鹿馬鹿しいことをしているかという例を紹介したい。

最寄のスーパーに行く途中に、かつては稲作をしていたはずのかなり広い空き地がある。今夏、田舎に戻って来ると工事が始まっていた。これだけ広い土地だと、最初スーパーとかパチンコ屋と広大な駐車場の組み合わせかと思ったが、ビルを建てる時の基礎工事と様子が違っていた。

昼休み中の現場工事の労働者に聞いてみると、貯水場と公園にするらしい。この辺一体はかつて地域の穀倉地帯だったが、近年郊外型のショッピング街に激変した。だが、この変化と並行して大雨が降ると全国ニュースで報じられる規模の水害に遭うようになった。

数年前のブログで、近年田舎で水害が増えた理由として、里の小川とか支流が土砂崩れとか護岸工事のためセメントで固められた結果、雨が降ると極めて効率的に雨水を川に流すシステムになったと書いた。以前なら雨が降った山林・農地や小川にも十分保水力があって、一気に雨水が川に流れ込まない自然の仕組みになっていたと。

在起こっていることは、大雨が降ると本流の水位を上げないよう支流からの流れを堰止めし、合流近辺で堰止めされた雨水が一気に溢れ水害を誘発している。上記の工事は、この合流地点に巨大な貯水池を作りバッファーにして水害を防ごうという狙いのようだ。

基本的には東京都の地下奥深くに作った巨大な貯水タンクと同じ発想だ。こんな田舎町に大手電気販売のフランチャイズが、この数ヶ月の間に、又一つ新装開店していた。セメント化された面積増に比例した量の雨水が、ほぼ時間差無しに小川に流れ込むから、同じ降雨量でも年々水害が増えることになる。昔、全て農地だった頃の小川ではとても流しきれないのだ。

ということで、専門家が真面目に水害対策を考え、限られた予算の中で巨額の建設費を捻り出し、やっと工事を開始したということだろう。もっともらしいが、よく考えると我々は一体何をやっているのだろうか、何と馬鹿なマネをしているのではと思う。この手の話はどこにでもありがちと思うが、人はもう少し賢くなれないものか。■

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沈黙の初夏

2009-06-21 11:36:32 | 日記・エッセイ・コラム

田舎に着いた日から何か変だと思っていた。1週間経ち田植えが終ってもカエルの合唱が聞えない。聞えてくるのは鳥の鳴き声ばかり。東屋で朝食を取りながら新聞を読んでいると、大きな鳥が飛ぶザッザッという不気味な羽音が聞えてきた。

この辺にそんな大きな鳥がいたのかと思い、顔を上げるとカラスだった。堤防を散歩すると、河床を優雅に飛んでいく白と灰色のツートンカラーのサギを見かけた。同じ様な羽音が聞えてきた。こんなこと初めてのような気がする。羽音が反って周りの静寂さを感じさせた。

気になって先週末にいつもの散歩道を変えて、田んぼ道を歩いた。田植えから1週間経った田んぼにも用水路にも生き物が見当たらない。ドジョウやメダカ、フナ等の魚類、環境変化に耐力がありそうに見えるミズスマシすらいない。カエルもおたまじゃくしも見当たらなかった。夕方橋を渡ると、野太いウシガエルの鳴き声が聞こえたが。

そういえば昆虫も見かけない。気をつけて歩くとシオカラがたったの2匹、蝶は昨日になってやっと1匹見つけた。土手にはレンゲや野菊、タンポポなどが咲き乱れているというのに。田んぼの水やりを看ていた老農夫に聞いても、何故生き物がいなくなったか要領を得ない返事。

レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いたのは1962年だが、それから47年経って私は「沈黙の初夏」を田舎で実感した。だが、最近は強い農薬の使用を控え、無農薬の稲作をやっている農家も多いと聞く。それから3日後の散歩の帰りに、知り合いの2人の老農夫に同じ質問をぶつけてみた。

彼らは、かつては群れのようにいたイナゴやバッタが何時の頃からかいなくなったと認識していた。カエルも確かに少なくなったが、田んぼを良く見ると卵から孵ったばかりのオタマジャクシがいることを教えてくれた。確かにそうだが、田んぼは色んな生き物の宝庫のはずなのに、いかにも寂しい。

すると、年配の一人が用水路をセメント化した時から魚がいなくなった気がすると、ポツリと言った。稲作用の用水路は二重構造になっており、夫々は逆の勾配がつけられている。上段は田んぼに水を引いていく上流から下流に、下段は田んぼから流れ出た水を集めて上流に戻り川に返す水路になっている。

私が子供の頃は縦横に走る用水路の合流点は魚の宝庫で、夏になると良く遊んだ。網ですくうと簡単にフナやドジョウ、ナマズが取れた。しかし、用水路がコンクリートになると水の効率は良くなったが、岩や水草がなくなり、水の流れが完璧にコントロールされ、魚などの生き物が田んぼに入り込めなくなった、という意味だろうと思った。

その時は半信半疑だったが、NHKの特集番組で田んぼにメダカを取り戻そうという活動を見て、同じ構造的問題が指摘されているのを見て、老農夫の言ったことにやっと合点がいき、上記のような用水路理論を思いついた。

しかし、この理論は説明できないことが沢山ある。昆虫が少ないのは用水路では論理的に説明できるか私には分からない。昆虫を餌にする鳥は昔と同じで、減っているようにも感じない。農薬が全然影響していないとは言えないだろう。

その一方で、橋の上から見る鯉が年々増殖している。誰も魚釣りしないし、川遊びするには汚い。川藻が増殖して酸欠になりそうなのに、背びれを水面から出して悠々と泳ぐ親鯉の周りに、小ぶりの鯉が続く。天敵がいなくなった鯉は澱んだ川に居座り、繁栄の道を歩んでいる。■

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撤退する勇気

2009-06-19 10:14:21 | スポーツ

数日前、サッカーの大久保選手がドイツから神戸に復帰するとのニュースが流れた。契約は11年6月まで残っていたが、殆ど出場できない環境で来年W杯に臨むより、神戸に復帰し出場機会を得た方が自分の為になると判断したという。

近年、我が国のトップクラスのスポーツ選手が、海外に移りより高いレベルでプレーする機会を求めることが多くなった。私は自分の力を試してみたい、さらに発展したいという挑戦する気持ちは理解できるし、大事にしてあげるべきだと思う。国内で活躍するとちやほやされて成長が止まってしまうとか、名誉とか報酬とか色々な理由があるだろうが。

だが、世界中のタレントが集まる海外勢との競争は厳しく、当然ながら成功する確率は低い。残念なのは、期待されて海外に渡った選手が活躍できないどころか出場すら出来ず、それでも海外にしがみつき錆び付いて行き、日本に戻った時は海外に渡った当時の輝きを失い消えていく姿を見かけることだ。

たった半年での帰国に「恥ずかしくないのか」と聞いた記者がいたという。嫌な事を聞く奴だが、どこにもそういう連中はいる。私は、大久保の判断を四の五の言う事ではない、少なくともどの世界でも多くの人にとって苦手の「撤退する勇気」を持っていると思う。

大久保は「恥ずかしかったら帰ってこない。プライド捨ててやらないと」と答えたと報じられている。彼の判断が成功するかどうかわからないが、是非胸を張ってやって欲しい。■

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