かぶれの世界(新)

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3.11に東北グルメ旅行(エピローグ)

2018-03-14 17:10:06 | 旅行
旅行から帰った翌日の月曜日、息子は休暇の消化を兼ねて休みを取った。その日は特に異常はなかったのだが、火曜日の朝熱を出して体調が優れず仕事を休んだ。午前中に定例のバドミントン練習に出掛け戻って来ると、息子の症状が悪化しベッドの中にいた。医者に診て貰うと原因は不明で急性胃腸炎だという。

それから今日の昼まで2日続けて下痢続きで口にしたのはゼリーとスポーツ飲料だけ。原因が何か良く分からない。旅行中からの食事を思い返すと、土曜日のズワイガニ食べ放題以外は私と同じだ。半ば冗談でカニの食べ過ぎが原因だろうと言った。家内がネットで調べるとウィルス性胃腸炎はこれを飲めばいいという確たる治療薬がない、脱水状態を防ぐため適度に水分を摂り安静にしろという。

薬を処方してもらったものの、結局のところ今日の昼まで水分補給だけだった。午後少し熱が下がり気分が良くなったと言ってヨーグルトとリンゴを食べた。このまま良くなって欲しい。因みにカニを沢山食べた家内は何ともない。私もどこも異常を感じない、旅行中降圧剤を飲み忘れたせいか当然ながら血圧が上昇気味だ。ま、想定内だ。多分、明日から平常の生活に戻るはずだ。■
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3.11に東北グルメ旅行(2)

2018-03-13 09:07:31 | 旅行
2日目の朝起きて息子は良く眠れなかったというが、私は温度調整の積りで下着姿で普通通りに眠れた。暖房を切っても朝寒いとは感じなかった。予定通り8時半過ぎにホテルを出て東北道から常磐道を経て10時過ぎには松島に着いた。途中外環道から見た仙台市は広く海側に広がる市街地は雄大だった。

初の松島はこじんまりしているが歴史ある観光地といった印象だった。表向き3.11津波被害から立ち直りが早いと感じたが、海岸線を歩くと回復したのは観光地の核になる部分だけだった。町の北側の観光協会のカキ小屋は工事現場の掘立小屋風だった。観光メインの出会い橋や五大堂から観光桟橋辺りは整備されていたが、そこから先の遊覧船案内所に向かうと防潮堤の工事の真っ盛りだった。

暇そうな係員を見つけて聞くと工事は今年中に終わる予定と自信なさそうな答えだった。防潮堤の高さは約2m、観光で食っていく松島は海が見えないと話にならないという。他地域の12mの防潮堤等あり得ないとの返事。海岸沿いの新店舗も覚悟の居並びだ。防潮堤の後の減災手段として後方の山に続く斜面を作る計画、だが何時出来るか分からないという。僕は生きてないねと笑わして分かれた。

更に南に向かうと県の松島管理事務所があり、道路側の壁の約2m位のところに津波浸水深さを示す表示があった。同じ津波が来れば海岸沿いのお店の1階部分は全滅になると思った。明らかに松島町は覚悟してやっている。「それ相応の対応を準備してるはず、土地の判断を尊重すべき」だろう。

其の後、洒落た朱色の橋を渡り雄島に行った。ここから見る松島湾は美しかった。家内と息子が別行動で見学した瑞巌寺に詣でた松尾芭蕉が雄島を訪れ詠んだと句碑があり、ここまで足を延ばす観客もぽつぽつといた。4人組の若い女性を見かけるとつい癖が出て、写真を撮ってあげるといつものアプローチで馬鹿な会話をして笑わせた。美しい松島で美女と歓談するのも悪くない。

だが限られた自由時間では戻る他に選択はない。11時の早い昼食が待っている。昼食はカキ2つとホタテ1つに味噌汁で、冗談でしかない。これでグルメとは。しかも大勢の人に一気にサービスする為か、下処理が酷くマズイ。その後割引券で頂いたズンダ・ソフトクリームがやけに美味しかった。それでも物足りず、他のお店に行き息子が頼んだ焼きガキの方が余程おいしかった。

次に冬桜で有名だという塩竈(釜)神社に参拝したが、残念ながら3週間前に桜は散ったそうだ。では何故ここに来たのかと思った。塩釜神社は塩づくりを広めた神様だそうだ。それから多賀城に移り笹かまの工場見学と試食をした。かまぼこの材料はベーリング海付近から取ってきた魚が原料だそうだ。魚が材料なので基本タンパク質なのだという。新発見! 私は勝手にでんぷん質と思っていた。

管理職らしき人に聞くと、前の工場で津波被害を受け一旦復興したが2年前に機械が駄目になり、優遇措置を受けて多賀城の工業団地に引っ越して来たのだという。バスで着た印象ではここもそれ程海抜があるとは思えないと水を向けると、当時この辺の田んぼも30cm位浸水した。しかし、埋め立てして浸水対応をしたとのこと。港に近い立地も重要なようだ。ここまでで私の3.11調査は終わり。

その後は一路東北道を南下するだけ、旅の疲れで眠りを誘うと思いきや、最後の見せ場がやってきた。宇都宮の手前の下河内SAでトイレ休憩をとった後、後方に美しい夕日が見えると前の席の家内に声をかけた。その時に気が付くべきだった。ウトウトしている間にバスは東に向かい北関東自動車道を走っていた。そうでなければ後方に夕日が見えるはずがない。添乗員は何も教えてくれなかった。

友部JCTで常磐道に乗換へ再び東京に向かい走る頃は日が暮れていた。自動車道路地図を見ると八王子辺りしか頭になかった圏央道が伸びてつくばJCTで常磐道とクロスしていた。私的には新発見だ。バスは順調に進んだが守谷SA(大きくてびっくり)で休憩後に渋滞に巻き込まれた。

ルート変更は東北道の事故渋滞が原因だったそうだが、常磐道でも守屋を出て事故現場に遭遇した。そこを抜けると通常速度に戻り、首都高に乗り換えた後も順調だった。結果的にほぼ予定時刻の7時30分に北千住に戻った。これって凄いと同乗の奥さんと一緒にバスを降りる時に挨拶する添乗員を激褒めした。自宅に着いたのは8時半過ぎ、ゆっくり風呂に入りお酒を頂くことが出来た。■
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3.11の東北グルメ旅行(1)

2018-03-12 17:45:52 | 旅行
先週末に息子のアレンジで米沢から松島を巡るパックツアーに行ってきた。正直言うとツアーの日程がたまたま週末の3.10/11だっただけ。大震災7周年を狙って旅行した訳ではない。直前になって報道で知っただけだ。当日は何時もより少し早い5時半過ぎに起床し、人生初の北千住からバスに乗って出発した。ツアー参加者は全体に女性が多いものの若者から年配者まで程よく分散していた。

約30年ぶりの東北自動車の車窓から見た景色は関東平野の圧倒的広さだった。宇都宮を過ぎた頃から左手の日光方面に雪山が見えた。左手の雪山は那須高原から吾妻富士に変わり昼頃には福島に着いた。そこでバスは西に向かい東北中央自動車道を走り9kmの栗子トンネルを抜けると残雪の米沢だった。

米沢は約30年前頃の数年間毎月の様に通ったが、仕事以外に殆ど記憶に残っていない。当時は高速道路はなく栗子峠のトンネル内のガタガタ道の印象が残っている。上杉神社は実は初めてで街並みの通りとは異なり深い雪に埋もれていた。昔は仕事の行き帰りに神社の横を通っただけだ。もっと広い印象があったが意外に狭かった。

中興の祖の上杉鷹山の像が3体なのに、謙信は直江兼続と並んだ像を含め2体だった(深い雪の中なので全ては見てない)。財政建て直しより戦国武将の方が知られ易いのかも。観光客の話し声を漏れ聞く限り鷹山を知っている人は一人もいないのには驚いた。若い人はともかくツアーのお婆ちゃん達に鷹山だと言っても全く反応が無かった。家内も知っている様子はなかった。

その後、高畠に行き「米沢牛と山形牛の食べ比べ」と称するしゃぶしゃぶを頂いた。私にとっては勝負は端から決まっている。米沢牛が美味しいに決まっている。昼食後は直ぐ近くの高畠ワイナリーの見学と試飲をした。工場は洒落た作りの欧風の建物で、20年足らず前に家内と着た工場とは違っていた。係りに聞くと高畠では醸造所は1か所だけ、隣の南陽町に4か所あるので多分そこだろうという。

それから福島まで戻り北上し宮城県側から蔵王に向かった。私は蔵王は山形県だけだと思っていた。途中酪農センターで蔵王チーズなるものを試食し、歴史あるこけし工房を見学後、遠刈田(とうがった)温泉のホテルにチェックインした。寂れた温泉町を想像していたがここにも外国人客がいた。米国なまりらしき英語を喋るどてら姿の外国人に、着物はこれでいいかと聞かれた。ノットシュア

夕食はこのホテルの売り物らしくあらゆる料理が準備された「ジンギスカン・タイプ」で、家内と息子はズワイガニの食べ放題を気に入り熱中していた。私はカニは塩っぽくて敬遠した。普段軽めの夕食に慣れているので食欲が湧かず、美味しく頂いたのは蕎麦とコーヒーにデザートだけだった。牛タンや寿司の味は今一だったが、カニ好きな家内の評価は悪くなかった。

ホテルの部屋は3つ目のベッドを追加しても広く快適だったが、暖房が効き過ぎて暑く制御不可で諦めて暖房を切った。同じツアーの方に聞くと同じ様に感じたようで、中には窓を少し開けたという老婦人も。私には残雪の蔵王で窓を開けるのは考えられなかった。息子は暑くてよく眠れなかったそうだ。それ以外は、特に温泉風呂は快適、朝食も美味しくついつい食べ過ぎてしまったと思う。■
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旅は道連れ2017

2017-11-28 21:32:29 | 旅行
松山空港から飛び立った朝の11時頃、雲一つない空から見た瀬戸内海は美しかった。上り便は紀伊半島の南端上空を過ぎた頃から太平洋上に移り、徐々に雲海上空に向かって飛んだ。左手に雲海上に頭を出した富士山が見え、その東に僅かに白い塊が見えた。隣の席の女性に多分南アルプスだと物知り風に言い切った。

雲海の中を降りていくと一転して陰鬱な曇天下の成田空港に着いた。早朝愛媛県の実家を出た時の寒さと比べ、天気予報通りの成田の暖かさが不思議だった。

今まで何度もLCCを利用したが今回初めて時刻表通りに離陸し到着した。かつてLCCの航空便が時刻表通りに飛ばず、田舎の交通機関に乗り遅れ難儀をしたことがある。航空会社も色々と工夫してオンタイムで飛ぶよう改善を試みたと思われる。今日のフライトでは従来からの後方の座席からの搭乗ではなく、窓際の座席を優先搭乗させた。加えて、LCCを利用するお客も飛行機の旅に慣れ手際よく搭乗するようになったのではないかと思う。機長が興奮気味に定刻で離陸とアナウンスした。

東京行きのリムジンバスの座席の横に座ったのは、偶然にも松山から武蔵野の親戚を訪ねるという中年女性で田舎の話題で話が尽きなかった。中でも松山のドライバイーはマナーがなってないという点で盛り上がった。彼女がいうには松山のドライバーは身勝手で譲り合わず、信号が赤に変わっても強引に通過する。他県から来た人の多くが指摘するという。私は今まで黙っていたが、ずっとそう思っていたと相づちを打った。

バスを降りて東京駅から中央線に乗るまで一緒のコースだったので助かったと感謝され、お土産の愛媛県の名産「姫マドンナ」のおすそ分けを頂いた。新宿で分かれて京王線に乗ると、明大前から三人組の中年女性が目の前に立った。圧力を感じて席を立つと、彼女達は老人に譲られたと思って躊躇して座らないので「同い年でしょう」と冗談ぽく失礼なことを言うと、笑って座ってくれた。こういうのが私は好きだ、旅は道連れ!■
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高尾陣馬リベンジ縦走

2017-10-06 15:12:04 | 旅行
私の体力の衰えを測る定点観測の一つとして高尾山から陣馬山まで往復で縦走する、8時間を目標に30km弱を昨日歩いた。昨年12月にトライし一丁平辺りで左足の腿の筋肉に違和感を覚えてリタイアした、いわばリベンジ縦走だ。そして目標通りに8時間以内に登山口(高尾山口駅)に戻ってくることが出来た。

最近体力の低下を感じ昨年の縦走失敗を思い出して、高尾山口の駅を降りて歩き始めた時30kmの山道を歩き切ることが出来るか不安だった。靴は昨年と同じトレイルラン(山岳マラソン)用を履いたが上下は生地のしっかりした登山用のシャツやズボンを身に付けた。それでもやや寒さを感じる気候だった。

いつ足に痛みが出るか不安だったが一丁平から下り坂を降りる時、泥質の急坂道の補強のために四角く削った木の階段を降りた時自信が湧いた。初めは用心深くゆっくりと足を交互させたが、それでは余りに遅いので軽く飛びながら歩いても膝にかかる負荷が思ったより軽く感じた。多分、最近始めたラジオ体操と補強運動の効果だ。

それ以降、高尾山のような緩やかな坂をかつて歩いた時のように、徐々に歩幅を拡げ力強く歩くようにした。雨後の高尾山の道は赤土で滑り易いところがあるが、うっかりして足を滑らせても何とか平衡を取って転倒せず歩き続けることが出来た。テレビ体操も毎日続けるとバカにならない。

今回は平日で紅葉にはまだ早い季節のせいかハイカーは殆どお年寄りのパーティだった。復路の高尾山周辺には若者の姿もちらほら見かけた。数人のトレイルランナーを除くと私を追い越したハイカーは男性アラフォー1人だけ、往復していたのは多分私だけだったと思う。近年増えたという外国人も陣馬山で数人見ただけ。だが、曇り空の下に広がる山々とその向こうに見える孤高の富士山、墨絵のような風景は美しかった。

帰りの電車の中で出発を待つ間に両足をズボンの上からマッサージした。友人に勧められてバドミントン練習やジョギング後に自己流のマッサージするようになって翌日の筋肉痛が軽くなった。今回は帰宅後シャワーを浴びた時もう一度念入りにマッサージを繰り返した。今までの縦走後より筋肉痛が軽く殆ど気にせず歩ける。

そう言った理屈は抜きにして今回の私の挑戦は完走出来ないだろうと秘かに思っていたと、後から息子に打ち明けられた。何しろ30kmの山道を古希を過ぎたジーサンが歩くのだからと。やっぱりそう思っていたか、当然というのがそれを聞いての正直な感想だ。私も自信が無かったのだから。どんな補強トレーニングをやったか、結構効果がある、次回の東京マラソンの為にやってみたらとやや自慢気に解説した。■

経過時間    往路  復路
自宅       7:00
電車分倍河原 7:11
高尾山口出発 7:37  15:55
高尾山まき道  8:36 15:04
一丁平      9:08  -
小仏城山    9:21  14:19
小仏峠      9:39  14:03
景信山     10:10  13:37
明王峠     11:10  12:35
陣馬山     11:43  12:04
(時間計)    4:06   3:50 
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