MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

残された道は実験的治療

2013-10-02 19:39:17 | 健康・病気

人は不治の病に襲われても
残された余命を“謳歌”することができるだろうか?
ある元心臓内科医の治療体験談である。

9月24日付 Washington Post 電子版

Surgery, radiation and chemo didn’t stop the tumor, but an experimental treatment did 手術、放射線、化学療法では腫瘍を抑えることはできなかったが、実験的治療が功を奏した

Experimentaltreatmentforthebraintum
家族写真:2009年に南アルゼンチンを旅行中の Fritz Anderson 氏と彼の妻 Carmen Alicia さん。この一年以上の後、この元心臓内科医はけいれんを起こし、悪性脳腫瘍の発見につながった。

By Fritz Andersen,
 2011年2月の Old San Juan(オールド・サンファン)のあの日曜の朝は暑かった。私はワシントン郊外での40年にわたる心臓内科医の業務をちょうど引退したばかりで、妻と私はプエルト・リコで冬を過ごしていた。
 友人の夫妻がクルーズ船で到着し、私は、港の入り口の上にある450年前のスペインの砦に私は彼らを案内した。その砦の壁は熱を放射しており、市内に再び足を踏み入れた後、元気を回復させる天井のファンと休憩を求めて私たちの自宅まで歩いた。台所に座ってビールを一口飲んでいると、私は突然意識を失った。目を覚ますと多少めまいがし私は混乱していた。Arlington からやってきていた内科医の友人は私が大発作を起こしていたと教えてくれた。
 私の妻 Carmen Alicia は地元の友達と、さらに心臓内科医に電話をかけ、近くの病院に私たちを運んでもらった。そこで行われた MRI 検査で私の脳に小さな病変が見つかった。そこの神経内科医は組織診断を得るために生検が必要であると考えた。私はただちにバージニアに戻り、何人かの専門医を訪ねたところ、侵襲的な脳の生検を受ける前にさらなる検査を勧められた。そこで、私は、加熱不十分な Tenia solium(有鉤条虫)に感染した豚肉を食べることで起こる感染症 cysticercosis(嚢虫症)についての血液検査も受けた。このよく見られる寄生虫は、脳を含め身体中いたるところに嚢胞を作る。これがけいれん発作の最も多い原因となっている国々も多い。特にインドでは、けいれんを起こした子供に対しては、他の検査がまだ行われていなくてもこの疾患に対する治療がまず行われる。私の血液検査では強陽性だった。私にその経口薬の治療コースが始まった。その検査に私は安心した。
 しかし残念ながら私の病変は3ヶ月の治療で少し増大し、ブドウ大となった。今や生検術と摘出術の適応となった。
 その結果は恐ろしいものだった。私は glioblastoma multiforme(多形神経膠芽腫=グリオブラストーマ、一般に GBM と呼ばれる)でグレードⅣだった。これは最も悪性の脳腫瘍で、グレードⅡやⅢは存在しない。神経膠芽腫は、2009年にEdward M. Kennedy 上院議員(マサチューセッツ州民主党)を死に至らしめた腫瘍である。まれではあるが脳腫瘍では最もよく見られるものだ。その予後は悲惨であり、化学療法や放射線治療を行ったとしても患者は平均で診断後14ヶ月しか生存できない。5年生存率は患者のわずか5%である。
 手術は困難である。というのも脳にはゼラチン様の硬さであり、神経学的に重要な組織を容易に損傷してしまうからである。私の場合、腫瘍が左の側頭葉にあり、容易に到達できたのが幸運であり、San Juan でのけいれんから6ヶ月後、すべての感覚や機能が正常な状態で手術から目を覚ますことができた。
 私の腫瘍内科医は私の手術創が治癒した時点で、化学療法のレジメンと同時に6週間の放射線治療を行い、その後も化学療法を継続することにしていた。しかし彼は私たちの人生の謳歌を考慮に入れていなかった。Carmen Alicia と私は、ともに70才代前半だったが、私が発作を起こしたわずか6ヶ月前に結婚したばかりであり、今回の病気の2、3ヶ月前に私は“PARIS”という単語だけを120個書いた e メールを彼女に送っていた。彼女はそのヒントに気付き、手術から間もなくのある朝、私を起こし、エッフェル塔にランチをしに行こうと言った。そこで私たちは実行することにした。治療の数日の遅れが私を悪くすることはないだろうと考えたのだ。
 私たちは“ルイ14世の町”でその週を過ごし、シテ島やサント・シャペルのステンドグラスの窓を訪ね、セーヌ川のバトー・ムーシュ(遊覧船)を楽しみ、ソルボンヌに行ったり、素晴らしいパリ国立オペラでリヒャルト・シュトラウスの“サロメ”を観たりした。十代のときブエノスアイレスでこのオペラを観て、あの素晴らしい音楽の中、というより、あのソプラノこそがヘロデ王の前でサロメの7枚のヴェールすべてを脱がすことになるのではないかということにさらに興味を持っていたのだが、そのことを今回、十分に興味深く味わうことができた。私たちは若い恋人同士のように振る舞い、手をつないだりして、ジヴェルニ―にあるモネの庭を訪れ今回の旅を終えた。
 脳腫瘍を持つ患者の人生にはいいこともあれば悪いこともある。私は自分の白髪をすべて刈り落とすことにした。というのもどっちみちそれは抜け落ちることになるからだった。脳への放射線は、まず顔の型をとって作成されたプラスチック製の(オリンピックのフェンシングの面のような)仮面から始まり、それが顔の上に被せられて台に固定される。放射線治療は痛いものではないが、そのマスクによってちょっとした閉所恐怖症がもたらされたが幸運にも治療は一回あたりわずかに10分から20分の長さだった。しかし化学療法は別物だった。それによって、嘔気、気力の低下、倦怠、全身の脱力感、筋肉痛、あるいは四肢のピリピリ感が生じた。その上血小板と白血球の数が減るため毎週血液検査が必要で、細菌感染やウイルス感染を起こしやすくなった。
 私はこの腫瘍を詳細に勉強し始めたが、それに関する膨大な医学論文にほとんど圧倒された。過去40年間にグリオブラストーマについて22,000以上の科学論文が書かれていた。そこで私は、最近15年間の論文に対象を絞ったが、そのほとんどが気の滅入るものだった。私が行っていた放射線治療と化学療法は一般的に患者の生命をわずか数ヶ月間しか延長させないことは明らかだった。当時重要視されていたのは腫瘍のDNAの分子構造を変えることであり、新しい化学療法薬も見つかっている。さらにグリオブラストーマに対する可能性のある治療法としてウイルが検討されている記事をいくつか見つけたが、マウスの研究しか行われていなかった。

Why me?  なぜ私なのか?

 なぜこの腫瘍が私にできたのか?私はタバコを吸わなかったし、脳の外傷も受けていない。また家系にもそのような腫瘍の病歴を持つ者はいなかった。心臓外科医としてこれまで400近くのペースメーカーを植え込んだが、その手技の際、電離放射線(X-rays)を被ばくした。初めのころは移動式のレントゲン装置を使っていて、薄い鉛入りのガウンでいくらか防御はしていた。最近では、重い鉛入りのガウンを着用し、医師や技師は防御物やメガネを用いて自身の甲状腺や眼を防御する。さらに、天井から吊り下げられた重い数枚の放射線防御ガラスを用いている。
 調査を続けていたある時、私は、現在イスラエルで開業している Johns Hopkins で研修したことのある心臓内科医による論文に驚いた。彼は、腫瘍を発症した23人の侵襲的治療を行う放射線科医と心臓内科医のデータを集積していた。そのうち17例が脳の左側のグリオブラストーマだったのである。私はその著者に手紙を書いた。彼の論文が発表されてからも、さらに数人のそのようなケースがわかったと彼は私に告げ、彼のファイルに私も付け加えられた。
 化学療法/放射線治療サイクルの一時的な休みの間、妻と私は可能な限りプエルト・リコの Old San Juan に脱出した。そこには彼女の自宅がある。毎年1月に行われる盛大な通りでのお祭San Sebastian Festival(サン・セバスティアン祭)で私たちは歌ったり踊ったりした。一度、私の故郷の町 Buenos Aires(ブエノス・アイレス)に脱出したとき、国際タンゴフェスティバルが行われているのを知った。私たちはタンゴをうまく踊れなかったが、寄木張りの床の上の世界の最高のダンサーたちを観て驚嘆した。最終日は歩行者道路でのお祝いとなり、1,000以上のカップルが一斉に揃ってタンゴを踊るのである。私はしばしば疲れを感じたが、必要に迫られればとりあえず座り込んだ。

From mice to men マウスから人へ

 Duke University の Preston Robert Tisch Brain Cancer Center は、東海岸では私のタイプの腫瘍に対して最も多くの治療経験がある。そこで私は、今後の診察と治療を求めてそこに行った。
 そこの医師が私を検査したところ、腫瘍がすでに再び増大していることが明らかとなった。事実、私の最初の化学療法と放射線治療以降4倍の大きさとなっていた。私はいくつかの治療法や実験的プロトコールを提示されたが、そのうちの一つに、私の脳内に修飾を受けたポリオウイルスを埋め込むというものがあった(これはマウスにおけるグリオブラストーマの治療に見事に成功していた)。Duke の研究者たちは10年間この治療に取り組んでおり、10人の患者に対する治療の承認をちょうどFDA から受けたところだったが、ひと月でわずかに一例が行われただけだった。(今年5月の Duke の報道発表によると、この治療は、癌細胞にポリオウイルスを引き寄せる磁石のように働く多数の受容体が存在するという発見の利用に基づいており、それが感染し細胞を殺すのだという。この実験的治療では、癌細胞には死をもたらすが正常細胞には無害なように遺伝子操作されたタイプのウイルスを用いる。この治療は患者の腫瘍内に直接注入される。このウイルスを用いた治療はさらに、身体の免疫系に対して、感染した腫瘍細胞を攻撃するように作用する。)
 この治療について考え、動物実験を再検討し、妻や子供たちと話し合った後、私はそれを行うことに決め、この研究に登録された2番目の患者となった。もちろん心配はあった。若いころアルゼンチンで私は多くのポリオを見ていたし、神経系でのこのウイルスによる被害をよく知っていた。今、私はこのウイルスを自分の身体の中に注入しようとしているのだ。

The procedure  治療

 私はまず全身的なポリオ感染を予防するために Salk(ソーク)ポリオワクチンを投与された。3週間後の2012年5月、手術を受ける準備が整った。私たちはワシントンから Duke への旅行を楽しむことにした。私たちはリッチモンドにある高級ホテル B&B で2晩を過ごし、Virginia Museum of Fine Arts(バージニア美術館)を訪ねた。中世の歴史に関して博士号を持っている妻はそこでベルギーのブルージュの15世紀の絵を見つけ、私はアメリカ博物館で Faberge eggs(ファベルジェの卵)の最大のコレクションを見て楽しんだ。
 Duke で私は局所麻酔下に頭蓋骨が開けられ、細いカテーテルを通して直接私の脳の腫瘍内にウイルスが6時間かけて注入された。
 がん患者となって落ち込まないでいることはむずかしい。遺言状や自身の死亡通知まで書くような事態に直面し、その間ずっと、家族や友人たちの感情的な反応に付き合うことになるのである。
 私にとって、生涯を通して大好きだったクラシック音楽があの落ち込んだ日々には特に助けとなった。ベートーベンの四重奏曲作品131、シューベルトのピアノ五重奏曲“The Trout”、あるいはマーラーの交響曲には大いに救われたが、マーラーを聴き過ぎると私の中に彼の厭世観が持ち込まれてしまう。そんなときには私はモーツァルトやリストに切り替えた。
 注入から一ヶ月後、再び Duke に向かった。MRIでは予測された腫れが少し見られたが、より重要な事実は、腫瘍の増大が止まっていたことだった。以後私は2ヶ月ごとに Duke に行き、最初はブドウ大の大きさだった腫瘍が今では瘢痕となり小さなエンドウ豆大となっている。最初の生検と放射線治療から2年、実験的ポリオウイルス治療から1年が経っているが、私には再発や腫瘍の再増大の徴候は見られていない。
 Duke の医師らが本年5月に行った本研究の発表によると、これまでの成績は期待できるものだという。「(2012年5月に治療された)私たちの研究に最初に登録された患者では、その症状はウイルスの注入後急速に改善し(彼女は現在無症状である)、MRI検査でも反応が得られ、良好な健康状態にある。脳腫瘍の再発と診断されてから9ヶ月になるが学校を続けている。我々の試験に登録された患者のうち4名は今でも生存しており、1例目以外の患者でも同様に期待できる効果が観察されている。なお1名の患者は注入後6ヶ月で、腫瘍の再増大により死亡した」さらに彼らは「注目すべきこととして、有害な副作用は見られなかった。最大量の投与でも全く認められていない」と付け加えた。
 これは私も当てはまる。私は3年前のグリオブラストーマの最初の症状が出現する前と同じく体調は良い。ただ抗けいれん薬だけは続けている。この秋、妻と私はチリとアルゼンチンに旅行する予定である。もちろんチリでは pisco sour(ピスコサワー)を、アルゼンチンでは絶品の Malbec(マルベックワイン)を楽しむつもりである。私たちはこれまでのように、おそらくそれ以上に、熱く、踊り人生を楽しみ続けるだろう。時にはキッチンでのゆったりとしたボレロになってしまうかもしれないが…。
 不朽のチリの詩人であり作曲家である Violeta Parra(ビオレータ・パラ)は次のように書いている:“Gracias a la vida que me ha dado tanto.”(『人生よありがとう。こんなにたくさん私にくれて』)
 Andersen 氏は Virginia Heart Group の一員として Arlington と Fairfax で35年間心臓内科医を勤めた人物である。

グリオブラストーマは、従来の手術・放射線治療・化学療法では
根治の得られない難治な脳腫瘍である。
そもそも放射線や抗がん剤が効きにくい腫瘍であるということもあるが、
元来脳の血管壁には強い結合(血液脳関門)が存在し
抗がん剤などの血中の物質が簡単には脳内の腫瘍組織に移行しないという
解剖学的に不利な条件があるため大きな治療効果が期待できなかった。
そんな中、ポリオウイルスを用いた殺腫瘍細胞治療は
期待の持てる新しい治療法である。
ノースカロライナ州デューク癌研究所で進められているこの治療法は
まだ適切な投与量を確定する初期(第一相)試験の段階ではあるものの
有望な結果が示されている。↓
http://www.cancerit.jp/22878.html
本治療では、正常細胞には無害だが、癌細胞に対して致死作用を持つよう
遺伝子を組み換えたウイルスを用いる。
ポリオウイルスを磁石のように引き寄せる受容体が癌細胞には
多数存在するため、選択的に癌細胞を死滅させようとするものである。
また、ウイルスを直接注入することで患者の免疫系を誘発し、
ウイルスに感染した腫瘍細胞への免疫攻撃の効果にも期待できる。
同研究グループは、従来の放射線・化学療法後に再発した
グリオブラストーマ患者7人を対象としてこの治療を行った。
これらのうち2人は良好な反応が見られ、
それぞれ治療後12ヶ月、11ヶ月再発を認めなかった。
また3人はそれぞれ治療後5ヶ月、3ヶ月、2ヶ月の時点で
再発を認めていない。
一方、2人では良好な結果が得られなかった。
1人は治療2ヶ月後に腫瘍が再発、
もう1人は治療4ヶ月後に病状が悪化した。
従来の治療法ではグリオブラストーマ患者の
約半数が治療後8週間以内に再発することを考えると
この治療成績には期待が持てる。
藁にもすがりたいグリオブラストーマの患者には
大きな光明といえそうだ。
それにしてもこの著者、難治な病気に侵されながらも、
わずかの時間も“謳歌”しようとするポジティブな姿勢には
感心させられる。
とはいえ、それもお金があればこそ、の話なのだろうが…。

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