MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

『未知』に備えてこなかったツケ

2011-03-29 00:04:18 | 科学

福島第1原子力発電所の緊急事態は
収束に向かうどころか、
さらに放射能漏れの危険が増しており
混迷の度合いが益々深まった状況だ。
現代の科学の全知を結集しても抑えきれないとは
やはり原子力はパンドラの箱なのかもしれない。
日本政府や東京電力は未だに
今回の地震・津波を『未曾有の』自然災害、
『想定外の』事態と繰り返し、
現状に陥ったことが不可抗力であると
国民に理解してもらいたいようである。
しかし、海外には、そのような言い訳は
一切通用しないと見るべきである。
以下の記事を読むと、今回の一連の事故が
人災であることは間違いないようだ。

3月26日付 New York Times 電子版

Japanese Rules for Nuclear Plants Relied on Old Science 古い科学に依存する日本の核施設の基準

By Norimitsu Onishi and James Glanz
 世界に tsunami(津波)という単語をもたらした国、日本において、核施設はほとんどがこの水の壁の潜在的な破壊力を軽視していた。消防士たちがいまだ懸命に鎮静化を試みている福島第1発電所をはじめとするいくつかの施設が日本の海岸線に点在し始めて数十年になる2006年まで政府のガイドラインにこの単語は登場すらしてこなかった。

Fukushima1

日本の地震のあと津波が爆発や火災を起こした福島第1原子力発電所の2号機の制御室に土曜日には電力が戻った

Fukushima12

福島第1原子力発電所の3号機から立ち上る煙

 頻繁に津波を起こし得る構造プレートの衝突に囲まれている島国で、3月11日福島発電所を襲った約46フィート(約14メートル)に達した今回の津波に比べてその防備が悲しいほど貧弱であったのは、そういった警戒感の欠如で説明できるかもしれない。台風からは護るが津波は想定されていなかった離岸防潮堤は防御の第一線として早々に屈してしまった。この発電所が建設されたときの防潮堤の約3倍の高さまで波は増高していたのである。
 日本の歴史上間違いなく最大で、海底を激震させ巨大津波を引き起こしたマグニチュード 9.0 の地震を技術者たちは想定できなかったと、日本政府や電力会社は繰り返し述べている。たとえそうであっても、既に入手したデータによると、環太平洋地域のほとんどあらゆる場所におけるマグニチュード7.5程度の地震でも今回の福島の防潮堤を十分越えるほどの大きさの津波を生じていた可能性があると、地震学者や津波の専門家は指摘している。
 2002年に諮問委員会によって拘束力のない勧告が行われたことを受け、この発電所の所有者で日本最大の電気事業者である東京電力は、福島第1に予測される最大津波を17.7(5.4 m)から18.7フィート(5.7 m)の間にまで引き上げたが、これは13フィート(約4 m)の防潮堤よりかなり高い。しかし、同社は、おそらく高い水位から守るために、海岸近くの電気ポンプの高さを8インチ(約20cm)上げることだけで対応していたようであると、監督機関は言う。
 「私たちは前例に基づいて初めて動くことができるのですが、その前例がなかったのです」と、1990年代後半に福島第1の所長を務めていた元東京電力原子力技師の Tsuneo Futami 氏は言う。「私が同発電所の代表を務めていたとき、津波についての思いが私の頭をよぎることはありませんでした」
 東京電力から日本の専門機関、原子力産業協会に提供されたデータによると、津波ほど重要な因子とはならなかったが、今回の地震が福島の地を揺らした強さもまた同発電所に採用された基準を超えるものであったという。今わかっていることによれば、今回の津波が現在の核危機を引き起こしたのは、子炉冷却システムに電力を供給するのに必要な補助発電機が浸水したことによると考えられている。
 日本はその卓越した技術的専門知識で知られている。しかし、数十年間、日本の官僚主義と一部の工業技術体制は原子力発電所を守るための古い科学的指針に固執しており、これまでの地震や津波の記録に過度に依存するあまり、1970年代以降の地震学や危機評価における進歩を生かそうとしてこなかった。
 一部の専門家には、福島における津波の驚異に対する過小評価から、日本の北西海岸にある東京電力の柏崎原子力発電所を襲った2007年7月の地震(そこでは津波はなかった)が腹立たしく思い起こされている。柏崎の地は、発電所の設計上想定された最大震度の2.5倍揺れたのである。
 「柏崎事故のあと、あの時点で数年の準備期間があったわけですが、今回福島で同じ事態に遭遇することになってしまったのです」と、カリフォルニアで活動している地震危機評価の専門家 Peter Yaney 氏は言う。彼は Nuclear Regulatory Commission(原子力規制委員会)とエネルギー省の代表として福島を調査しているところである。
 福島が設計されたとき、地震学と、原子力発電所の土木建築工学との接合がいまだ未熟だったと、日本政府の委員会の一員だった原子力発電所の耐震の専門家 Hiroyuki Aoyama 氏(78才)は言う。技術者たちは多くの当て推量を行い、原子力発電所内部の構造は、一般の建物の3倍の耐震性を持つべきであるという基準を採用していた。
 「3倍という数字の決定には何の根拠もありませんでした」と、東京大学の土木建築工学名誉教授である Aoyama 氏は言う。右手の親指と人差し指でピストルの格好をしながら、「腰からピストルを抜いてしまっていた(特に考えることなく行動していたの意味)のです」と付け加えた。「目標が曖昧だったのです」

Evolution of Designs  設計の進化

 日本の技術者たちが40年以上前に最初の原子力発電所の設計にとりかかったとき、将来のエネルギーへの投資物件をどのようにして守るかについての手がかりとして、過去を頼りにした。数世紀におよぶ公文書には津波がどのように海辺の村を水浸しにしたかについての情報が含まれており、これによって技術者らは津波の高さを推測した。
 それによって、記録上最も高かった津波より高く防潮堤が築かれた。日本で4番目に古い核施設である福島第1では、東京電力の関係者は、参考値として当時の津波の高さを採用した。それは、1960年にチリで起こったマグニチュード9.5の地震によってもたらされた10.5フィート(3.2 m)の高さである。日本の原子力監督機関である原子力安全保安院の耐震の専門家 Marsaru Kobayashi 氏によると、同発電所が建設された13フィート(約4 m)の高さの断崖は天然の防潮堤として機能するだろうとされたという。
 18フィート(5.5 m)の高さを持つ沖合いに設けられた防波堤は同社の津波対策の一環として建設されたものであると、東京電力の広報担当者 Jun Oshima 氏は言う。しかし、(主として船舶を避難させる目的の)この防波堤は台風には対抗できるが、津波には効果がないと監督当局は指摘していたと、Kobayashi 氏は言う。
 数十年間、津波に対する備えは、日本の電力会社や原子力監督機関にとって優先事項にはなっていなかった。つい2週間前まで原子力発電所を襲うような津波が存在していなかったという事実によって彼らは安心していたと、専門家たちは指摘する。津波をシミュレーションすることが津波の危険性を評価する新しい手段をとなっていたが、原子力発電所の運営担当者たちは、老朽化した施設にほとんど手を加えることはなく、原子力監督機関も彼らに要求しなかった。
 技術者たちは地震についても同じアプローチをとった。福島発電所の設計に関して、1600年からの公文書によれば、現在の福島県の沖合いの最大の地震でもマグニチュード 7.0~8.0であったと記録されていたと、Kobayashi 氏は言う。
 「私たちはそれを専門家任せにしました」と、この発電所の建設を監督した元東京電力副社長の Masatoshi Toyoda 氏は言う。そして、「どれだけ多くの墓石が倒れたかといったような情報を求めて古い文書を調べていたのです」と付け加えた。
 結局、政府委員会の専門家たちがより厳しい建築基準を強く求め始め、1981年までに、ガイドラインでは地震への言及はなされるようになっていたが、津波には触れられていなかった。1995年の壊滅的な神戸の地震のあと、その圧力が急速に高まっていったと、1990年代後半の日本の原子力安全委員会の副議長だった Kenji Sumita 氏は言う。
 十数ヶ所の原発の建設を完成させることを中心に考えてきた電力会社は、より厳しい基準を採用することに難色を示し、原子力安全委員会におけるこの問題についての会合に代表を送ろうとしなかったと、Sumita 氏は言う。
 「他のグループは直ちに人を出していました」と、Sumita 氏は学術関連や建設業界の専門家たちを指してそう述べた。「電力会社はフットワークが悪く参加しなかったのです」
 一方、地震の科学や危機評価は世界中で進歩していった。米国原子力規制委員会がそれら新しい手法を十分に採用していないことで厳しく批判されてきたが、同機関は、発電所ごとに新しい見直しを行い、それらの多くを採用したと、原子力発電所の設計と地震の危険性を専門にしている Simpson Gumpertz & Heger 社の構造工学技術者 Greg S Hardy 氏は言う。
 文化的、歴史的、あるいは単に財政的など、どんな理由かわからないが、原子力発電所で働いている日本の技術者たちは、記録に基づいて最大の地震と彼らが信じるものを想定し続けてきた。
 しかし、そういった手法は、これまで発覚していなかった欠陥や、まれではあるがとてつもなく巨大な地震のような重大な不確実性を考慮に入れてなかったことになる。米国電力研究所が出資する研究の一環として2007年の地震後に柏崎を訪れた Hardy 氏はそう語っている。
 「日本は遅れととってしまったのです」と、Hardy 氏は言う。「これが最大の地震だったと宣言してしまった時点で、新しいデータとして入ってくるものを再評価することが難しくなってしまいました」
 この分野で、『蓋然論的』あるいは未知のものを考慮に入れることと対極にある、『決定論的』と表現されるこのアプローチが日本ではどうしたわけか続いてきたと Noboru Nakao 氏は言う。彼は40年間日立の原子力技術者を勤め、沸騰水型原子炉のオペレーターのトレーニング・センターの所長を務めたコンサルタントである。
 「日本の安全規則は全般に決定論的です。なぜなら、蓋然論的手法は大変困難だからです」と、Nkao 氏は言い、「しかし米国にははるかに多くの危機評価法があります」と付け加えた。
 津波の科学もまた進歩している。その大きさについての測定ははるかに向上しており、起こるたびごとに統計データが大量に蓄積され、コンピューター計算によって様々な大きさの地震によってどのような種類の津波が生ずるかを予測できるようになっている。United States Geological Survey(米国地質調査所)の Eric Geist 氏、および University of Southern California の土木工学教授 Costas Synolakis 氏による第一線の津波専門家による2編の別々の研究論文によると、マグニチュード 7.5 程度の低さの地震でも、福島原発を護っている13フィートの防潮堤を十分越える津波を生じうることが示されている。
 Synolakis 氏は津波の危険性に対する日本の過小評価を、『大災害につながった愚かな誤りの連鎖』と呼び、関連するデータがこの領域の誰にも見過ごされてしまうことは実質的にありえないことであると述べている。

Underestimating Risks 危険性を過小評価する

 津波への明確な言及は2006年に制定された日本の原子力発電所の新たな基準に初めて登場した。
 「2006年のガイドラインでは地震に付随する現象として津波について言及しており、電力会社に対してそれを考慮するよう求めています」と、構造工学の専門家である Aoyama 氏は言う。
 そのリスクは2002年にいくらか注目を集めている。当時政府の諮問団体である日本土木学会は原子力オペレーターに向け津波のガイドラインを発表したのである。
 教授や東京電力など電力会社からの代表をはじめとする同学会の研究グループは、断層や各地の地形についての新しい研究や過去の津波のデータを詳細に調べ、同ガイドラインを作成したと、同研究グループのあるメンバーは述べている。彼は微妙な立場にあることから今回匿名で語っている。
 同メンバーによるとこの研究グループは最近それらの基準に対して改定を議論していたところだったという。今回の津波のちょうど一週間前に開催された同グループの最後の会合では、議事録によると、原子力発電所に対する津波による損害を予測するために3次元シミュレーションの有用性が研究者たちによって議論されていたという。「私たちは過去のデータだけでなくそれ以外のものも考慮しました」と、同メンバーは言う。「私たちは想定を試みました。私たちの目的は不確定なことを減らすことだったのです」
 恐らく、日本以外の科学者たちによるもっとも厳しい見方は、たとえ記録された津波という狭いレンズを通して見ていたとしても、福島の津波に対する防護対策が容易に乗り越えられてしまう可能性が認識されているべきだったというものだ。科学研究や当時の報道によると、1993年、マグニチュード7.8 の地震は日本の西側の海岸に30フィートを越える高さの津波を生じ、広く徹底的な破壊を繰り広げた。
 Yanev 氏が書いた報告によると、大きな被害を受けた奥尻島では、「津波によって最も被害の大きかった人口集中地域の大部分は15フィートにもおよぶ対津波壁で囲まれていた」という。そこでは福島の防潮堤よりさらに1~2フィート高く作られていた。
 しかし、18年後に起こるだろうことの前例となったこの奥尻の壁は総じて津波の効果を和らげていたとしても、結局それ以上の波には無効であったと、地震の危険評価の専門家である Yanev 氏は言う。
 そして、遠い過去であっても、新しい警告として役割を果たしてくれていたかもしれない新しい情報をもたらしていたのである。
 福島第1が稼働して20年経ったとき、古い記録を詳細に調べていた研究者たちは Jogan と呼ばれる地震(貞観地震)が同発電所のすぐ北の地域で内陸約1マイルまで達した津波が実際に起こっていたものと推測した。その津波は西暦869年に襲っていたのである。

東京電力による『計画停電』は
さらなる混乱を招いている。
原子力発電がなくなったら
これだけ大変なのですよ、と
国民に知らしめようとの意図すら
感じてしまう。
原子力がそれほど必要だったのであれば
とことん慎重な対応をとっておくべきだったのでは
ないだろうか?(遅きに失してしまっているが…)

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