臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の
塔頭寺院
創建したのは
織田信長の長男の子
織田秀則
そんな寺がよく残ったものだと
ついそう思ってしまうが
織田秀則死後
美濃の豪族であった
石河貞政が
父親の追善供養のため
建物を整備
父の法名「天仙守桂大禅定門」
母の法名「裳陰妙春大姉」から
1文字ずつをとり
桂春院と改めた事で
織田家縁の寺という
イメージが消えたのかもしれない
と
庭園を眺めながら
思い至った
塔頭寺院
創建したのは
織田信長の長男の子
織田秀則
そんな寺がよく残ったものだと
ついそう思ってしまうが
織田秀則死後
美濃の豪族であった
石河貞政が
父親の追善供養のため
建物を整備
父の法名「天仙守桂大禅定門」
母の法名「裳陰妙春大姉」から
1文字ずつをとり
桂春院と改めた事で
織田家縁の寺という
イメージが消えたのかもしれない
と
庭園を眺めながら
思い至った
廊下を歩いていくと、
次々といろんな庭園が現れて、
個々の庭園は特に派手さはありませんが、
実にオモシロイ演出になっています。
以前訪れたときは、
剪定作業中で、
ロクな写真が撮れなかったので、
近いうちに、リベンジしたいです。
織田信長ゆかりのお寺が
あったのですね。
臨済宗大本山について
もっとよく知りたいと
思うようになりました。
そうなると、天下を取った徳川と言えども面倒な織田一族でしょう。それを取り潰さず、生かさず、騒ぎは起こさず、という民衆への処理が織田家と幕府の間で、見解の一致を見たのではないでしょうか。
でももっと昔からのものも京都にはあるんでしょうね。例えば清盛の頃からとか。
こうなると、一番昔からあるのはとこなのか気になってきました。(^^;)
他の庭園と違い
方丈が高い位置にあり
庭園を見下ろすようになっています
その不思議さが一番気に入っています
再訪され掲載される写真
楽しみにしています
京都の北東側の二代寺院
どちらも多すぎる塔頭を抱えていますが
こちら妙心寺は最大級
特別公開される塔頭が時折あり
毎度特別公開を楽しみにしています
不思議なくらい
名のある一族を大切にします
かの、武田家も
家康は再興させています
徳川家康自体
征夷大将軍になるために
松平姓を捨てる必要があったことから
家名にこだわっているのかもしれません
平安京の造営でしょうから
そう考えると1300年のときを経ていることになります
創建当時から位置を変えていない寺院はほぼ無いでしょうが
そのころより続いている寺院も多いはずです
市中なら六角堂は最古参
halさんの周辺なら平等院も古いですよね