雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

桂春院

2015年03月26日 | 京都散策
臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の
塔頭寺院



創建したのは
織田信長の長男の子



織田秀則



そんな寺がよく残ったものだと
ついそう思ってしまうが



織田秀則死後



美濃の豪族であった
石河貞政が
父親の追善供養のため
建物を整備



父の法名「天仙守桂大禅定門」
母の法名「裳陰妙春大姉」から



1文字ずつをとり
桂春院と改めた事で



織田家縁の寺という
イメージが消えたのかもしれない




庭園を眺めながら
思い至った

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8 コメント

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Unknown (j-garden-hirasato)
2015-03-26 06:43:37
この庭園は、
廊下を歩いていくと、
次々といろんな庭園が現れて、
個々の庭園は特に派手さはありませんが、
実にオモシロイ演出になっています。
以前訪れたときは、
剪定作業中で、
ロクな写真が撮れなかったので、
近いうちに、リベンジしたいです。
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Unknown (アンジェラおばさん)
2015-03-26 08:04:23
46もある塔頭の中には
織田信長ゆかりのお寺が
あったのですね。

臨済宗大本山について
もっとよく知りたいと
思うようになりました。
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Unknown (kikouchi)
2015-03-28 23:54:13
一度は落ちぶれてしまったとしても、いつかは昔の地位をもたらしてくれるのではと期待して主人に2代~3代と使えた昔があるのかもしれません。
そうなると、天下を取った徳川と言えども面倒な織田一族でしょう。それを取り潰さず、生かさず、騒ぎは起こさず、という民衆への処理が織田家と幕府の間で、見解の一致を見たのではないでしょうか。

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Unknown (halkyoto)
2015-03-29 06:44:30
織田信長の子供の時代からといえばかなり古くからというイメージを持ちます。
でももっと昔からのものも京都にはあるんでしょうね。例えば清盛の頃からとか。
こうなると、一番昔からあるのはとこなのか気になってきました。(^^;)
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j-gardenさんおはようございます (雪だるま)
2015-03-31 05:47:11
こちら
他の庭園と違い
方丈が高い位置にあり
庭園を見下ろすようになっています
その不思議さが一番気に入っています
再訪され掲載される写真
楽しみにしています
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アンジェラおばさんおはようございます (雪だるま)
2015-03-31 05:48:47
妙心寺と大徳寺
京都の北東側の二代寺院
どちらも多すぎる塔頭を抱えていますが
こちら妙心寺は最大級
特別公開される塔頭が時折あり
毎度特別公開を楽しみにしています
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kikouchiさんおはようございます (雪だるま)
2015-03-31 05:53:04
徳川家康と言う人物
不思議なくらい
名のある一族を大切にします
かの、武田家も
家康は再興させています

徳川家康自体
征夷大将軍になるために
松平姓を捨てる必要があったことから
家名にこだわっているのかもしれません
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halさんおはようございます (雪だるま)
2015-03-31 05:56:30
京都の町の礎は
平安京の造営でしょうから
そう考えると1300年のときを経ていることになります
創建当時から位置を変えていない寺院はほぼ無いでしょうが
そのころより続いている寺院も多いはずです
市中なら六角堂は最古参
halさんの周辺なら平等院も古いですよね
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