大阪駅が初めて建設されたのは
明治7年の事
今の大阪駅よりもほんの少し西に
煉瓦造2階建の駅舎としてスタートしている
当時周辺は
長閑な田園地帯であり
町の郊外に位置していた
明治時代
梅田の町の中心は
現在の堂島付近であった
何故、郊外に駅が設けられたかというと
汽車の黒煙から出る火の粉が火災の原因になると
地元住人の猛反対を受けた為である
現在の駅舎位置に移ったのは
2代目の駅舎のころ
3代目は太平洋戦争開戦のほんの少し前から
建築がはじまったが
戦争末期頃には工事がストップ
更に昭和20年6月の大阪大空襲という試練も受けている
現在の駅舎の一つ前
4代目駅舎は昭和54年から
歴史の一翼を担ってきていた
5代目となる今の駅舎
所々に
古い施設の一部を観ることにはなるが
立派な駅舎になったと
感じずには居られない
明治7年の事
今の大阪駅よりもほんの少し西に
煉瓦造2階建の駅舎としてスタートしている
当時周辺は
長閑な田園地帯であり
町の郊外に位置していた
明治時代
梅田の町の中心は
現在の堂島付近であった
何故、郊外に駅が設けられたかというと
汽車の黒煙から出る火の粉が火災の原因になると
地元住人の猛反対を受けた為である
現在の駅舎位置に移ったのは
2代目の駅舎のころ
3代目は太平洋戦争開戦のほんの少し前から
建築がはじまったが
戦争末期頃には工事がストップ
更に昭和20年6月の大阪大空襲という試練も受けている
現在の駅舎の一つ前
4代目駅舎は昭和54年から
歴史の一翼を担ってきていた
5代目となる今の駅舎
所々に
古い施設の一部を観ることにはなるが
立派な駅舎になったと
感じずには居られない