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雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

桃太郎神社

2011年01月24日 | 愛知散策
紅葉巡りの番外編

実は
愛知県の紅葉巡りは
前回紹介した祖父江町と決めていた
訪れた翌々週
ひょんなことで犬山市を訪れることとなり
紅葉シーズン終了で静かさを取り戻した街で
もしかしたら紅葉が残っているかもと
木曽川をもう少し遡上した
この神社を訪れてみたのだ



愛知県の珍スポット
桃太郎神社



シャレではなく至って真面目な話



この地方に伝わる伝説では
桃太郎は
この神社の建つ土地
来栖の地で育ち



鬼退治に出掛けた島は
木曽川水系のひとつ
可児川にある
小島だったと伝えられている



境内には
知る人ぞ知る
浅野祥雲作の
桃太郎伝説にまつわる
像が置かれている



洒落っ気
たっぷりのコンクリート製の像を眺めての参拝



珍しい風景
いわゆる珍スポットの
紹介となってしまった

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祖父江町2

2011年01月22日 | 愛知散策
祖父江町
銀杏まつりの風景
2回目



名鉄尾西線
山崎駅周辺がこの祭りの小さな会場となっている
手作りの祭りで



駅前から少し西
祐専寺の境内を中心とした一角で
銀杏の黄金色を味わえる



光り輝く
黄色の銀杏



Ginkgo biloba
雌雄異株なので
雄株と雌株が存在する
あの独特の臭気は
実をつける雌株の周囲に漂う



酒の友
銀杏



祖父江町の祭りで
屋台を楽しみ



とても美味な
芋煮を味わう



長閑な風景が広がる
田園地帯で



黄金色の紅葉を楽しんだ

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祖父江町

2011年01月20日 | 愛知散策
一県一箇所の紅葉巡り
最終回は
愛知県



名鉄尾西線の沿線沿い
祖父江町を訪れた



愛知県は銀杏の産地である



秋のころ
あの独特の香りが漂えば



ああ
銀杏の樹があるのかと
気が付く



その銀杏の樹が
街を覆わんばかりに植えられている



祖父江町は銀杏の産地
先に書いた
愛知県は全国の3割を超える銀杏を産出している



街が黄色に染まる



まさに黄色だった



散り積もる
銀杏の葉は
子供にとって
絶好の玩具となっている

続く
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名古屋市市政資料館2

2010年12月21日 | 愛知散策
名古屋市市政資料館の2回目



この建物が建築されたのは
大正11年の事



当時は
名古屋控訴院
地方裁判所
区裁判所の庁舎
として建てられた



高裁
地裁
の移転に伴い



この建物は解体される予定であったものが
市民運度により
名古屋市は補助を受け
名古屋市市政資料館として一般公開することとなったのだ



煉瓦造及び鉄筋コンクリート3階建
設計は司法省営繕課



煉瓦造としては最末期の大規模近代建築





現存する控訴院庁舎としては最古



訪れた日
此処で
結婚式が催されていた
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名古屋市市政資料館

2010年12月20日 | 愛知散策
名古屋控訴院
地方裁判所
区裁判所
として使用された建物



もちろん現在も現役ではあるが



昭和54年までは
市政の中心だった場所が
現在
一般に無料公開されている



ネオバロック様式の重厚な建物



名古屋文化遺産にも登録されている



内装はまさに重厚
威厳を感じさせられるのは
ここが裁判所として使用されていたからかもしれない



国と県の補助金があり
建物は修理保存が為され
平成元年には
名古屋市市政資料館として再生された



ここは
無料で公開されている
市の文化施設



以外にも楽しめ
近くを訪れるのなら
ついでに訪れることを
お勧めする




続く
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自転車のある街角

2010年12月16日 | 愛知散策
都会で活動するのなら
自転車が便利



もちろん
都会は交通網が整備されている
しかし
手軽に思い立ったらすぐに
徒歩よりもずっと活動的に
広範囲をカバーできる



最近では
アシスト付きもあり
坂道も何のその



都会の風景と自転車
この題材は驚くほど多い





都会でぶらりとスナップ写真を撮っていて
街角と自転車の風景写真を撮らない人は居ないだろうと
勝手に思っているのだが
はたしてどうだろう



店先の看板の奥に



階段の脇に



そして並べられた路上駐車の自転車たち



ウィンドショッピングならぬ
自転車眺めで
都会を歩き



撮影を楽しんだ
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ピッツェリア・トラットリアチェザリ

2010年12月15日 | 愛知散策
大須の仁王門通りに
有名なピッツァの店がある



世界最優秀ピッツァ職人が
本場の
ナポリピッツァを食べさせてくれる



訪れた日
長い行列が出来ていた



待つ間
ピッツァ職人の
仕事ぶりを楽しむ



ナポリのピッツァ職人組合から
日本人で唯一の
ナポリピッツァ職人大使
として任命されたという



食事からパーティまで
幅広く楽しめるが
ピッツァだけを楽しみたかったら
手軽にセルフで頂ける



一枚350円からの料金設定も
リーズナブル



パスタも食べたかったが
食べ歩きで
余裕がなくなり
今回は断念



世界最優秀のピッツァが
これ



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大須のハーロウィン祭り

2010年12月14日 | 愛知散策
子供たちが
色とりどりの
衣装を身にまとい
大須の街を歩く



ハーロウィンの祭りを撮影



Hallowe'en
収穫祭



ケルト人の祭りが
世界へと広まった



ケルト人はカトリック教徒が多い
元々はカトリック教徒の祭典と言えなくもないが
収穫祭として
他民族の間にも広がり
いつしか
非宗教的な行事として浸透



日本で
この祭りがあるという事を
皆が知ったのは
英語教材だった



でも
広く浸透したのは
映画「E・T」から



映画の中で描かれたシーンが
その後東京を中心に
1990年以降
盛んに行われるようになった



今では
何処でも見かける
秋を告げる祭りの一つにまでなった



アーケード街に面するカフェで
パレードを楽しんだ
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大須の街

2010年12月13日 | 愛知散策
大須の街へ



冬になり
歩きやすくなると
大都会へ出掛けたくなる



アーケード街へと
足を向けると
多くの人の群れ





この日
あえてマクロレンズ一本で撮影



都会の撮影は
マクロが面白い





見えないものが見えてくる感覚
写真を始めたころ
広角で全景を撮るのが好きだったが
何時しか
切り取るのが楽しくなった



都会へ出かけた時
望遠レンズは不向き
その点
望遠マクロは便利



目的なく歩きまわる商店街

食べ物に目が行ってしまうのは
賤しいせいかもしれない
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丈山苑2

2010年12月09日 | 愛知散策
京都の
左京区には
詩仙堂と呼ばれる
石川丈山の山荘跡で
現在は
曹洞宗
の寺院となっている所がある



徳川家康の重鎮
石川丈山の隠居場所である
山荘が
寺院となった訳であるが



四季折々
美しい風景を見せてくれる
詩仙堂



その風景を
彼の誕生の地となった
安城の地でも
見ることができる



丈山苑と名付けられた
詩仙堂のイメージをそのままに
生誕地である
安城で再現している



南庭と名付けられた庭は
詩仙堂の庭をイメージした唐様庭園



まさに其のままの庭



先の記事で
丈山の人生にターニングポイントがあったと記したが
それは大坂夏の陣における論功行賞で
褒美どころか蟄居になった時点である
彼はそれを快しとせず
武士を辞めてしまう



林羅山の勧めで
藤原惺窩に師事し
儒学を修める
文武に秀でたことから
幾度かの士官をし
寛永18年に
凹凸窠を建て終生の地とした



安城の地で
詩仙堂に出会った
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丈山苑

2010年12月07日 | 愛知散策
石川丈山
江戸時代初期の文化人である



彼を評する時
こういう言葉が正しいだろう



漢詩の代表的人物



生まれは三河の国
現在の三河安城辺りになる
徳川家譜代の大名家である



若いころは
かなりの無茶もしたようだ



慶長3年には
徳川家康の
近侍ともなっている



武芸に秀でようと
努力を重ねた日々が
彼の青春時代だったことだろう



しかし
歴史は
彼に将来を約束していなかった



大阪夏の陣
彼は先陣争いで
武功を目指したが
先陣争いは御法度
結局
武功どころか蟄居となる



これが
彼の人生のターニングポイントとなった

続く
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豊田佐助邸

2010年12月06日 | 愛知散策
豊田佐助
あのトヨタグループ創始者
豊田佐吉の弟



当時は車ではなく
自動織機の会社



良く兄を助け
織機会社の礎を築いたという



建物が建築されたのは大正12年のこと



白い陸屋根の2階建洋館と
同じく2階建の和館
という構造



面白いのは
洋館
1階は外観通りの洋間が3室であるのに対し
2階は
座敷が二室



2階建の座敷は
残念ながら見学できないが
垣間見ることは出来る



大正年間は
洋館と和館の
構成がモダンだったらしい



文化のみちで
レトロな建物撮影を楽しんだ

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橦木館2

2010年12月02日 | 愛知散策
撞木館の2回目



この撞木館
写真からも判るように
2階建ての洋館と
平屋建ての和館の建物



大正末期に建築された建物である



昭和20年に家主の
井元為三郎が没した後
はっきりとした記述が無く



年代は解らないのであるが
何時の頃からか
人の住まぬ
荒屋となってしまった



周囲の旧邸宅が
都市整備の過程で
取り壊されてゆくなか



平成8年頃から
市民グループにより
この屋敷を文化サロンとして使用するようになった



平成18年には
土地建物を名古屋市が取得し
耐震改修工事を経て



今日
一般に公開されている

和洋折衷の建物は
撮影の題材としては非常に面白い



喫茶もあるので
のんびりとした時間を過ごすことができた
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橦木館

2010年12月01日 | 愛知散策
井元為三郎という人物が居た



加工問屋を営んでいたと云う

商いは
主に陶磁器
海外への輸出を行っていた



当初
同業の田代商店に勤務
性に合ったのか
神戸支店長まで務めるに至った





明治30年独立
日露戦争前後の特需もあり
同36年には
撞木町に倉庫を連ねるまでに成長する



名古屋港が整備されると
事業も本格的な海外進出が始まり



サンフランシスコを皮切りに
世界各地へと
事業所を展開してゆくことになる



太平洋戦争勃発までの期間
順調に事業を展開していったと云う



続く
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二葉館2

2010年11月30日 | 愛知散策
二葉館の2回目



ここ名古屋東区
二葉館が建つ
撞木町一帯は
文化のみちと呼ばれている



歴史的遺産の宝庫が集まる街



二葉館の2階には
郷土の文豪たちの
書斎や文庫の展示がある



坪内逍遙
城山三郎
小谷剛
江夏美好
春日井建
といった
郷土の文豪たちの歴史の
展示もある





この二葉館
桃介と定奴が生活した時期は
それほど長くなく
二人はやがて
生活の拠点を
東京へと移してゆく





昭和13年には
大同製鋼の取締役
川崎舎恒三が建物と
敷地の4分の1を買い求め
残りは分譲されてしまう



小さくなった敷地に合わせ
建物も除去、改築がなされる



平成12年に建物が名古屋市に
寄贈される頃には
さらに敷地を狭めたが
解体復元工事で
建物配置を90度変え
今日の姿となっている

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