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雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

二葉館

2010年11月29日 | 愛知散策
福沢桃介の別荘を訪れ
以前訪れていた文化のみちを思い出し
再度訪れてみた



実は前回撮影した分はコンデジ撮影
撮影のために訪れた訳では無かったが
佇まいが気に入って
車の中にあったコンデジを持ち出しての撮影だった
今回はデジイチで再度撮影してみたいという
欲求もあっての訪問だった



二葉館
かつては
2,000坪の敷地を持つ
大邸宅で
和洋折衷の建物は
二葉御殿
などと呼ばれていた



ここは
名古屋を拠点とした
福沢桃介の邸宅



設計は
住宅専門会社
あめりか屋



生涯のパートナーとして
呼び寄せた
川上定奴の
好みも盛り入れた



また
電力王と呼ばれるだけあって
邸宅には
当時では考えられないほどの
電気設備が施されている



桃介と定奴が
この邸宅で過ごした日々は



きっと
豪華で
華やかなものだったろう



毎日のように
多くの客が訪れ
晩餐会も
連日催されたという

続く
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名古屋港水族館3

2010年11月01日 | 愛知散策
名古屋港水族館の3回目

   

前回は最近提唱された
衝撃的な学説について記した

       

スノーボールアース
その名の通り
地球全体が氷で覆われた時代があったという学説
その当時
もし、月から地球を眺める者が居たとしたら
きっと白銀の巨大な球が
太陽光に輝いている姿を見たことだろう

   

かつて赤道直下であったと
古地磁気分析で立証された場所で
氷河堆積物が発見されたことがあった

      

当時は冷戦時代で
昔々
栄えた文明が冷戦時代のような
核の脅威に見舞われ
核の冬が訪れたのではないかという説を唱える者が居た

  

なんともSFチックな想像ではあったと思うが
当時は真剣に議論され
オーパーツの発掘等により
現在以上の文明を持った先人達が
核によって一度滅びかけたのではないか
そういう事まで云われていた

   

実際はどうであったのか
たぶん
最近有力になっているスノーボールアース説のほうが正しいのだろう

       

今では生命に満ち溢れている地球
そして繁栄を謳歌する人類
果たして繁栄と生命の繋がりをバランスよくコントロール出来るのだろうか

       

物事には必ず終わりがある
それは人類も同じ
必ず滅びる時が来る
この太陽系すら
100億年後には無い

願わくは
人類同士のイザコザで
その歴史に幕を下ろすことが無いよう祈るのみである
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名古屋港水族館2

2010年10月30日 | 愛知散策
名古屋港水族館の2回目

       

前回は海の誕生について書いたが
その記事の中で
最近、地球史学者の間で
有力視されつつある学説について書きながら
イルカショーの風景を紹介

       

新しい学説
それはスノーボールアース
というもの
日本語に直すと
全球凍結
漢字そのまま、地球全土が凍結したというもの

   

学説によると
今から6~8億年前
赤道直下の海水を含め
地球全体が3,000mの氷に覆われた

   

この学説は
南極以外の世界各地で
氷河堆積物が見つかっていることから提唱されるようになった
それまでは惑星が一度凍結すると
太陽光が反射され氷が溶けるほどの熱量を惑星が吸収できなくなるので
凍っていない地球がスノーボールアースにならなかった証拠だとされてきた

      

新しい学説では
地球そのものの火山活動で発生する二酸化炭素は
海が凍結したら海面吸収がなくなり
大気中に二酸化炭素が充満
やがて温室効果が発生し
スノーボールアースから脱出できるというもの

   

大気中の二酸化炭素濃度が上昇すると
温室効果で平均気温は約40℃まで上昇

       

劇的な気候変化で
大規模な低気圧による暴風雨が発生し
形成されていた大陸から
多量の金属イオンが海中に溶け込み
また嵐による攪拌作用で
海底に沈殿していた沈殿物を海面近くまで舞い上げ
生命誕生のきっかけになったというもの

       

全球凍結で一度は死滅しかけた原始生命体は単細胞体
凍結が終わり
栄養豊富となった海中で新たに誕生したのは多細胞体
スノーボールアースは
その後の生命体が謳歌を始める原因になったと
最近の学説では考えられるようになったとか

    

画像と記事が相違したが
海の神秘についてちょっと触れてみた

続く
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名古屋港水族館

2010年10月28日 | 愛知散策
名古屋港水族館
1992年より営業を開始した
東海地区最大級の水族館

       

水族館というと
ブルーのイメージが強い

       

泳ぐイルカの姿
アクリルガラス越しに
優雅に美しい姿を見ることが出来る

       

海は生命の揺り籠
全ての生命はきっと海から誕生したのだろう
またではあるが
今回も
水族館に関係ない記事で紹介してゆく
(御容赦のほどを)

  

地球が誕生したと云われているのが46億年前
その時は海はまだ誕生していなかった
海が誕生した時期は定かではないが
40億年前に形成された花崗岩が発見されているので
それ以前ということになる

       

生命誕生の時期も定かではない
35億年前のバクテリアの化石が物語っているのみ

       

海が生命で満ち溢れるキッカケは
27億年前ごろ
シアノバクテリアが海中で光合成を行い酸素を生産し始めたからである

   

シアノバクテリアが光合成を行なうには
陸地が必要

       

と、言うか
浅い海岸線が必要である
光が十分に届く浅い海が必要であった
この事から
シアノバクテリアが大量に誕生した影には大陸形成の地殻変動があった

   

次回は
生命誕生の主要因となったとされる
有力学説でも語りながら
名古屋港水族館のイルカショーの風景を紹介しよう

   
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産業技術記念館3

2010年08月31日 | 愛知散策
トヨタテクノミュージアム
産業技術記念館の3回目

   

エンジンは自動車の心臓部
初代から現代までのエンジンが展示してある

   

トヨタ初のA型エンジン
シボレーのエンジンを真似て造られた国産初のエンジン

   

時代はやがて
エコが云われるようになり
エンジンも様変わりしていく

  

雪だるまが一番食いついたのが
トランスミッション
この複雑なギアの塊り

絵になる

   

自動車の仕組み展示の下のフロアには
自動車生産工場を髣髴とさせる空間が広がっている

       

トヨタの最初の工場
挙母工場を再現しているとか

       

展示スペースに身の丈を越えるプレス機や
工作機械
エンジンブロック製造機械
ボディ造形工作機械と

      

圧倒される風景が広がっている

たっぷりと半日楽しめる
産業技術記念館
喫茶スペースでくつろいだ後

       

特別展示の蓄音機展も拝見

   

一番驚いたのが
田中久重作のからくり人形
最高傑作と謳われる「弓曳童子」が展示してあった

       

雨の日
暑い日
寒い日
ここは訪れるに面白いスペース

      




<お断り>

今回紹介の写真は前年撮影した写真を
サルベージして紹介しています
現在の特別企画は
「江戸の医術のことはじめ」を展示してあり
掲載したからくり人形展の展示はありません
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産業技術記念館2

2010年08月30日 | 愛知散策
トヨタテクノミュージアム産業技術記念館
2回目

    

繊維機械館から

大正・昭和初期の紡織工場の風景から始まる繊維機械館
紡績が道具から機械へと変革を遂げた歴史を
当時の機械を順番に展示し
その歴史を語ってくれている

   

途中
館員からの展示機械の実演も見れる
実演を聞きながら
紡績がどのように機械化、合理化が進められていたかを学べる

    

使用される繊維も
綿から化学繊維に変わっていき
やがて機械も全自動のものへと

   

最新機種は横糸をエアジェットで飛ばすものも開発されているとか



さて
ここで

       

産業技術記念館は自動車館へと移る

       

途中のデジタル空間で
初の自画撮り


普段何気なく多くの人が利用しているが
どう造られているのか
どう動いているのか
それを伝えてくれる

       

最初は昔の手作り時代の頃の工場の風景
こんな長閑に車が造られていた時代も有った

   

そのボディは
今では感じられない
温かさがある

      

       

続く
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産業技術記念館

2010年08月27日 | 愛知散策
トヨタ
日本を代表する企業
車から繊維まで数多くの関連企業を持つ
巨大な企業
そのトヨタグループが運営する企業博物館が
産業技術記念館

       

旧豊田紡織本社工場に1994年に創設された記念館である

    

ここはトヨタグループの発祥の地でもある

       

産業技術記念館は無料施設と
有料施設に分けられる
昔は町の片隅でよく見かけた
町工場で物が作られる風景
それが
何時しか工場群となり
一般の人が見ることがない風景となった

  

   

トヨタテクノミュージアム産業技術記念館では
そんな物造りの一旦を見ることが出来る

      

有料スペースは
繊維機械館と
自動車館に分けられる

       

最初は繊維機械館から

       

糸がどのように造られ
そしてそれがどう縫われたのか

      

何十台もの
かつての織機が展示されている

      

続く
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旧豊田佐助邸

2010年08月13日 | 愛知散策
名古屋城の東側の一帯
かつては尾張藩の中流クラスの武家が立ち並ぶ一帯だったという

       

名古屋の商業地帯は
昔も今も城の南側
いわゆる栄とか呼ばれている地帯であるが
城の東側は
武家屋敷が並ぶ
凛とした一角だったという

   

明治期に入り
この地帯に
起業家や文化人が住み始め
武家屋敷に替わり
モダンな建物が
立ち並ぶ地帯となった

   

そんな一角に
発明王と呼ばれた豊田佐吉の弟
豊田佐助の屋敷はあったと云う

   

自動織機を開発した
豊田佐吉を助け
トヨタグループの礎を築いた人物

   

和洋折衷の建物は
今でも
当時の生活ぶりを忍ばせている

   

建てられたのは大正12年の事というから
もう約1世紀も前のこと

   

洋館と和館がつながっているが
洋館の二階部分の室内は
和の空間という
当時の世相を
伝えてくれるような
室内構造となっている

   

以上
3回に分けて
名古屋の
文化のみちを紹介しました

       
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橦木館

2010年08月12日 | 愛知散策
橦木館
「しゅもくかん」と読む

       

井元為三郎という
少々財をなした
陶磁器の加工問屋が居た

   

明治時代後半
サンフランシスコに貿易会社を持ち

       

極東地域でも
シンガポールやビルマにも進出
陶磁器だけでなく
医薬品や雑貨も扱う

   

今でいう総合商社のような事を行っていた人物

   

大正時代終わり頃から
昭和初期にかけ
この屋敷は建築されている

       

和館と洋館
二棟の蔵
茶室が今でも
当時の面影を残している

   

住む人が居なくなり
荒れ放題だったこの建物を
市民グループが借り上げ
文化サロンとして蘇らせた

   

今では
演劇やコンサートなどで
人々の往来が絶えることのない
名古屋の有名観光地となっている

   
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二葉館

2010年08月10日 | 愛知散策
日本で最初のアクトレス
そう書けば
誰のことか判るだろう
川上貞奴の事だ

   

才色兼備の芸妓
伊藤博文
西園寺公望など
名立たる元勲が贔屓にしたらしい

   

書生芝居の川上音二郎との結婚はあまり幸せとは云えなかった
しかし
その不幸が却って貞奴を女優への道へと進ませることとなった

   

1899年
日本から逃げるように飛び出した
サンフランシスコ公演で
女形の俳優が死亡
急遽、貞奴が役者として舞台に立つことになった

   

公演当初はそれほどの人気が出たわけでなかった
それが、興行師が公演代を持ち逃げし
餓死寸前でたどり着いたシカゴで
鬼気迫る迫真の演技が
大女優への第一歩となったという皮肉な話もある

   

夫とは死別し
その後のバッシングで日本初の大女優の冠を懐いたまま
舞台から去った
それでも
婚前の初恋の相手
福澤桃介と婚姻

   

1920年頃
2人は名古屋に邸宅を構える

       

「二葉御殿」と呼ばれる
政財界など各方面の著名人が集うサロン

       

今では
文化のみち二葉館として一般に公開されている

   
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ノリタケの森2

2010年08月03日 | 愛知散策
前回紹介したように
高級西洋食器製造は
ノリタケカンパニーリミテッドの主力商品ではなくなっている

   

       

今では売上の15%程度まで落ち込んだ食器製造
それでも森村市左衛門によって創設された当時の
社風は残っていて
ここノリタケの森でも
安価な食器から高級食器まで
即売も行なっている

       

創建当時の西洋食器の絵柄は
全て手作業で絵付けされ
その絵柄の美しさと繊細さは
素晴らしく

       

戦前の陶器はオールドノリタケという愛称で
今でも数多くのコレクターがいる

      

 

以外に知られていないことだが
オールドノリタケ以外にも
戦後、駐留したアメリカ軍士官達の
お土産用にと作成されたノリタケ食器は
プレミアノリタケと呼ばれ
マニア垂涎の一品となっている

        

太平洋戦争で
数多くの職人を失ったノリタケも
戦後復興で食器製造を再開するが
どうしても当時の品質が維持できず

       

戦後の一時期はノリタケブランドの名を捨て
ローズチャイナという限定ブランド名で食器を売っていたという悲しい一面も持つ

一時の憩いを求めて訪れたノリタケの森

   

食器を集める趣味はないものの
訪れるとつい一品求めたくなるノリタケの森
今回も
一つ

  

平皿を買ってしまった
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ノリタケの森

2010年08月02日 | 愛知散策
Noritake Co., Ltd.

        

愛知県愛知郡鷹場村大字則武にて創設された
世界でも最大級の陶磁器メーカー

   

その本社工場跡地にある
ノリタケの森へと
久しぶりに足を運んだ

       

日本陶器合名会社という名で1904年に創業された
ノリタケカンパニーリミテッド
日本初の高級西洋食器製造メーカーである

   

現在では工業機材やセラミックマテリアルを主力商品として営業しており
かつての西洋食器製造は一部門になってしまっているが
それでも、日本を代表する食器メーカーには違いない

      

創建当時は名古屋駅に近いこの場所に赤レンガの工場を連ね
食器の製造を行なっていたが
時代の変革と共にここの赤レンガ群は廃工場となった
それをコーポレートアイデンティティ確立などの観点から
ノリタケの森として復興させている

       

赤レンガの事務所や倉庫
それをそのままの形で残し
レストランやギャラリー、食器の販売店などに転用している

      

芝生とレンガの建物

  

      

ここが日本だと忘れさせてくれるような風景が広がるノリタケの森の風景

       

続きます
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ブルーボネット2

2010年06月14日 | 愛知散策
ブルーボネットの2回目

  

ここには22のテーマの庭園がある
普段は道端の雑草というイメージのある草花も
ここでは主役

  

小さな丘には
一面を覆うワイルドフラワー

       

色の帯は
見る者の心に響く
完成された花壇を見るのも良いが
一見、手を加えていない雰囲気の
ここの花の帯を見るのも良いものだ

       

季節の移ろいは
色で感じられる

        

今度はどんな色が
季節を表現するのか
それが楽しみ

   

視線を遠くにすれば
湾口施設が見えるこの場所で

   

ビオトープのような
ガーデニングを撮影

       

今までにない雰囲気のガーデンを体験したいのなら
ここ
名古屋港ワイルドガーデン
ブルーボネット
は、お勧め

   

園内には
レストランもショッピングも併設されているので
楽しみ方は色々

   
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ブルーボネット

2010年06月11日 | 愛知散策
名古屋港には
ワイルドフラワーガーデンがある

       

埋立地の一角が
広大な花畑になっている

   

ワイルドフラワーとは

   

園芸用として取り扱われている草花で
種子等によって容易に繁殖でき
痩せ地にも耐え
手を入れなくても美しい花を開花させるものの総称
だそうだ(引用)

   

元々は
新名古屋火力発電所の一部であった土地

   

中部電力が
創立50周年事業の一環として
整地し花畑とした
併設でレストランも経営されている

   

一部をビオトープとしたような感じで
園内には小川のセセラギがあり
雑草と見紛う花々が咲く

       

まさに
ワイルドフラワーガーデンである

      

四季折々
潮の香りの漂うこの地で
楽しんでみるのも面白かろう

   

ガーデニングのような
庭風の演出もあれば
丘のような演出もある

       

以外に楽しめるガーデン

続く
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揚輝荘3

2010年06月10日 | 愛知散策
揚輝荘の最後

   

ここは
京都の修学院離宮を模して
作庭された池泉回遊式庭園を持つ

   

修学院離宮だから
千歳橋に模した橋もある

       

今回はこの橋に注目

   

切石積の橋脚の上に大きな屋根をもった建物が橋になっている
橋ともとれるし
水上の建造物とも言える

  

中国風に見える橋
橋の左右には
四阿があり
橋から眺める景色も美しい

       

白雲橋と名付けられたこの橋

      

実際に修学院離宮に在る千歳橋と比べると
少し大きい
屋根も白雲橋は緑釉瓦であるが
千歳橋はこけら葺
と違いもある

       

普段は橋を渡ることは出来ないが
イベントでは
この橋の上で
音楽会や演舞が催されることがあるという

   

陽気に誘われるように出掛けた揚輝荘
美しい風景に出合う事が出来た

   
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