第一の師、藤田湘子の言語感覚について、『鯨のこゑ』の中に、面白いエピソードが記載されています。俳句研究賞の選考において、ある人の作品がほぼ受賞に決まりかけたとき、応募作品の中に、季語として「芽木」を用いた句があったため、湘子は猛然と反対したというのです。「木の芽という美しい季語があるのに、わざわざメギと言わなければならないのか。木の芽風をメギの風と言って澄ましている者を、私は俳人とは認めたくはない」というようなことを言って一歩も譲らなかったと言います。結局、湘子の迫力に太刀打ちできる選考委員は一人もおらず、受賞は見送られたということです。
この湘子の言語感覚は、鬨也先生にも見られます。「目蓋」という漢字は、まるで落し蓋みたいだと言って、平仮名表記「まぶた」あるいは「瞼」を使用するように指導していましたが、視覚によるイメージが詩情を損なう可能性があるという一つの教えだったと思われます。また漢数字の「一」を嫌ってもいましたが、実作の上では、漢字と平仮名の使い分けをすることによって、一句における効果を優先していたように思われます。
いちにちの終の水脈見ゆ白絣 鬨也
一塊のくろがねとなり鮭のぼる 〃
十七音という限られた短詩形であるだけに、一つ一つの言葉にこだわることは必要なことであり、漢字と平仮名のバランスを考慮することも詩人として当然の配慮と言えるでしょう。(つづく)
この湘子の言語感覚は、鬨也先生にも見られます。「目蓋」という漢字は、まるで落し蓋みたいだと言って、平仮名表記「まぶた」あるいは「瞼」を使用するように指導していましたが、視覚によるイメージが詩情を損なう可能性があるという一つの教えだったと思われます。また漢数字の「一」を嫌ってもいましたが、実作の上では、漢字と平仮名の使い分けをすることによって、一句における効果を優先していたように思われます。
いちにちの終の水脈見ゆ白絣 鬨也
一塊のくろがねとなり鮭のぼる 〃
十七音という限られた短詩形であるだけに、一つ一つの言葉にこだわることは必要なことであり、漢字と平仮名のバランスを考慮することも詩人として当然の配慮と言えるでしょう。(つづく)