十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

わたしの師

2016-02-15 | Weblog
 平成28年2月4日、立春、私の師であり、俳句会「滝」創刊主宰であった菅原鬨也先生が急逝されました。「立春」は、昭和58年、第29回角川俳句賞受賞作品50句のタイトルでもありました。
  
  時雨忌の不意の高さに一飛沫     鬨也

 先生が作句を始めたという昭和49年、松島芭蕉祭全国俳句大会で飯田龍太の特選となった句です。龍太率いる「雲母」一筋で俳句人生を全うした父、須ケ原樗子への感慨もあって、平成4年の「滝」創刊以来、主宰の作品発表欄の表題が、「飛沫抄」となった一句でもあります。平成28年「滝」1月号の「飛沫抄」289回が最終抄となってしまいました。
 
  海鼠腸やソ満国境発つ中隊      鬨也

 その「飛沫抄」10句の中の一句ですが、当ブログに紹介したところ、次のような一文を頂きました。
「この句をコメントしてもらえるとは、予想外の喜びです。父とはいろいろ確執がありましたが、ソ満国境警備から南方戦線へやられ、生き延びて帰還したことには、小生ではできなかったことで、これだけは脱帽するしかありません。ソ満国境の厳しさは想像するしかありませんが、当時の父の防寒装備の写真が奇跡的に残っており、それからいろいろ連想しています。」
中隊は、御父上のことかと推測はしましたが、何ら資料もなく断定はできないままだったので、この一文は無上の喜びと感謝でした。

  銃上げて渡れり夏の夜の川      須ケ原樗子

父、樗子の南方での壮絶な一句が残されています。(つづく)

 *句集『飛沫』あとがきを一部参照