十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

☆師(6)

2016-02-20 | Weblog
 菅原鬨也先生は、昭和55年、30代最後、不惑になる直前に第一句集『祭前』を鷹俳句会から刊行しています。湘子はその序文の中で「菅原さんは、さかんに不惑の年齢を気にしていた」と書いています。今の時代に、「四十にして惑わず」と言える人は、果たしてどれほどいるでしょうか。先生は、ここで何かに終止符を打ちたかったのかもしれません。『祭前』よりいくつかの句を列挙します。

  人死して水あげてゐるダリヤかな
  余花ひとつひとつづつ咲く余震かな
  連山の地震百合化して蝶となる
  マグニチュード七・四の姫女苑

 「死」や「地震」という人知の及ばないモノにも、「ダリヤ」「余花」「百合」「姫女苑」のそれぞれが効果的に配されて、詩の世界を構築しています。美意識の高さを思わずには居られません。昭和53年の作、「姫女苑」の句のみ、前書に「宮城県沖地震」と書かれていますが、この年、「宮城県沖地震」で、『俳句研究』競作50句で佳作第二席になっています。もの凄い創作意欲ですが、地震がもたらす俳句への影響は少しずつ変化して行くことになります。

  山国や花びらを吐く鯉の口
  土器のかけら蒐める雁の空
  むらびとや冬百本の祀燭
  下北をいちどまぶしみ冬帽子
  夏に死し蝦夷の一樹となるべかり
 
 どの句も、若々しい感性によって丁寧に切り取られた詩情があり、東北の歴史や風景が立ち上がってきます。鬨也先生は、この『祭前』の句集によって、「鷹」の新鋭作家として知られることとなりました。(つづく)