JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

延々と続く我が矛盾

2010年03月11日 | d-f

「ジャズに『権威』とやらをもたらす話には同意しかねる。フォーマルな服を着て、お辞儀して、にっこり笑えばジャズに威厳をもたらせるなんていうのは、シュガー・レイ・ロビンソンがタキシード姿でリングに上がればボクシングに権威をもたらせていると言ってるようなもんだろ」

久しぶりに太陽が顔を出し、気持ちの良い青空の一日でした。
日曜日まで仕事をして、毎日帰りは遅い、しかも寒暖の差が・・・・疲れが抜けませんねぇ。
それでも昨夜は8時前に帰宅できたので、酒を部屋に持ち込んで、先日から読み始めた「マイルス・ディビス・リーダー ~ダウンビート誌に残された全記録~」を、やっとのことで読み終えました。忙しかったからね、時間がかかっちゃっいました。(笑)

その感想ですが、後半部のアルバム・レヴューは鵜呑みにせずに自分の耳を信じることが肝心でしょうけど、前半部の記事に関しては、なかなか面白かったように思います。
そんでもって、冒頭紹介した1967年4月6日号「初期のマイルス」(文:ジョージ・ホーファー)の最後に記されたこのマイルスの言葉が、なぜだか印象に残ってしまいましてね。
じつにマイルスらしいというか、言い得て妙というか・・・・
おのずと昨晩の酒の肴はマイルスの数枚のアルバムになってしまいました。

「『権威』とはなんぞや?」てな、そんなたいそうなことではないんですが、やっぱりジャズには、アウトローやら底辺やら民衆やら泥やら体臭やら汗やら・・・・ともかく『権威』などという格別な勲章は似合わない、そんな存在でいつまでもいて欲しいという願望が私にもありますし、そうなってしまってはすでにジャズではなくなるという当時のマイルスの考え方にも賛同するんであります。

おっと、私が熱くなってもしかたないか(笑)
ただ、残念なのは、私に英語力が無いこと、つまり、原文で読むとかなりニアンスが変わってくるんじゃないかなぁという歯がゆさです。まっこれは訳本を読むたびのことで、だからといってまったく英語を勉強しようとも思わない私に対する『残念』なんですけどね。

話はコロッと変わりますけど
こういったいわゆるジャズ本を読むたびに私は「鵜呑みにするなよ、鵜呑みにするなよ」と自分に言い聞かせます。
それは、以前も言ったようにジャズだけでなく音楽を聴く上で『理論武装』は何ら意味がないと私は思っていますし、ジャズ本はその手段になりかねないからです。

と、カッコをつけたところで。
ところが気が付いてみれば、私自身も「やれ時代背景がどうだ」だの、「当時の○○はこういう状況でね」とか、「確実に流れは□□になっていたからね」だのと、知ったような口をきくようになってしまいました。さらに良くないのは、「やだねぇ、何にも知らなくて」みたいな、いかにも自分の知識は万全のごとき感覚が心の何処かに存在することです。
考えてみればそのほとんどが他人様の受け売りで、「自分自身が耳で聴いて理解してきたことなのか?」と多くに突っ込まれれば、おそらくはすぐに化けの皮が剥がれてしまう薄っぺらな知識なのにです。

こういう輩がジャズをみょうに難しくしてるんですよねぇ・・・・・
まったく、自分が評論家にでもなったつもりなんでしょうか?(あくまで私自身に言っていることです。)

と、まぁそんなことを言いつつ
ジャズ本を読むたびにこんな事を考えるなら読まなきゃいいんですよねぇ、だけどついつい手が出てしまう。
「知りたいの感情」は押さえきれないのであります。

「オイオイ、いったい何が言いたいの?」

自分でもわかりません。(笑)
ただ、私的なブログであればこそ、そんな『延々と続く我が矛盾』を吐露してもいいんじゃないかなぁ・・・なんてね。
昨夜、したたかに酔って聴いた「SO WHAT」「だから、なんなんだ」ですね。

さて、今日の一枚は、とうぜんマイルス・デイビスです。(まだ、未紹介があったんですねぇ、笑)
話の〆から「SO WHAT」「KIND 0F BLUE」と行きたいところですが、まさに名盤中の名盤はもういいでしょうから、ギル・エバンス・オーケストラとともに行った初の公でのコンサート、カーネギー・ホールでの「SO WHAT」をということで、このアルバムを選びました。

「マイルス・ディビス・リーダー ~ダウンビート誌に残された全記録~」のダウビート・レヴューを読むと、このアルバムには1962年10月11日号にレナード・フェザーがレヴューとともに四つ星評価を付けています。

フェザーはここで、マイルスの演奏、ギルの編曲に関しては、何も言うことはないものの、問題点二つを指摘しています。
第一にオーケストラの録音状態とバランスのお粗末さ(フムフム、これは納得できます。)、第二にほとんどの曲(「SPRING IS HERE」以外)が、決定版とも言える演奏をすでに他のアルバムで収録されている、ということ。
二点目については「それを言っちゃあ、おしめいよ」みたいなところがありますよねぇ。
ただ、フェザー自身も「デイヴィスのプレイには『すさまじい炎』がある」と認めているように、マイルスだけでなく他のメンバーもとんでもなくはりきってる様子は感じ取れるように私は思います。それはやっぱりホールの偉大さからきてるんでしょうかねぇ?

いずれにしてもホール録音であることに最大の難点があるのだとは私も思います。それをア~タ、スタジオ録音と比べちゃ(笑)
ひょっとして、このコンサートをナマで聴けなかったことにフェザーは恨みを持ってたりして・・・(笑)
それは冗談としても、やはりホールでのライブ演奏の雰囲気をそのままレコードに写し撮るのは難しいということなんでしょう。

AT CARNEGIE HALL / MILES DAVIS
1961年5月19日録音
MILES DAVIS(tp) HANK MOBLEY(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) JIMMY COBB(ds) with GIL EVANS and his orchestra

1.SO WHAT
2.SPRING IS HERE
3.NO BLUES
4.OLEO
5.SOMEDAY MY PRINCE WILL COME
6.THE MEANING OF THE BLUES
7.LAMENT
8.NEW RHUMBA