JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

三角休?

2009年07月19日 | j-l

三連休、皆さんはどのようにお過ごしなんでしょうかねぇ?
私は土曜日も、明日月曜日もMさんのお店の手伝いが入っていますので、三連休の実感は全くありません。
「唯一完全休日の今日は有意義に過ごさねば・・・・」
とは言っても、お金もありませんし(笑)いつものごとく、午前中は大汗をかきながらの自転車乗り、シャワーを浴びて冷やしたぬきそばをつまみにビールをゴクゴクゴクと、午後は、『マイ・ジャズ喫茶』に籠もって、家人の怒鳴り声も聞こえないほどボリュームを上げ、読書に勤しみました。

「まさか、クーラーつけっぱなしじゃ・・・・やっぱり」
「なっなに?ノックぐらいすればぁ・・・・・クーラー?あっ、今、ちょっとつけただけ、ちょっとだけね。」
いかにボリュームを上げようとも消えぬ雑音もあるものです。(笑)

昨日、相倉久人著『ジャズとその時代』から一部引用させていただいたこともあり、今日は、あらためて山下洋輔編『相倉久人の 超ジャズ論集成 ジャズは死んだか!?』読み直しておりました。
そんでもって、今日のお話は、同誌第1部『ジャズとその時代』第四章『ジャズは誰のものか』の『黒人 / 劣等感 / そしてジャズ』まで読み進み、ふと思い立ったことをひとつ。

先日マイケル・ジャクソンが亡くなった直後、案の定マスコミの話題は、彼一色となりましたよね。その内容は、PVの完全放送や、彼の歩んできた人生を振り返るもの、そして過去に起きた数々のスキャンダラスな出来事と死後の親権問題、謎多き死因。もちろん追悼コンサートの一部放映などもありましたが、かなり興味本位な、いわゆるワイドショー的切り口のものが多かったようにも思います。(正確には「ようです。」ですね、私はほとんど見ていませんから)

米国の憲政史上初の黒人大統領、バラク・オバマも「最も偉大なエンターテイナーの一人として歴史に名を残すだろう」とマイケルの業績をたたえておりましたが、「少なからず人種差別に身を置きながら育ってきた者にしか分からない苦しみを、二人は共有していたのかもしれない。」なんて思ったんですねぇ。
げんに、オバマ大統領自身「何故、僕の肌は黒いんだ」と悩んだ時期があったそうですし、マイケルが肌の色を白くしたいとの願望も理解していたようです。ただ、そのやり方には反発があったようですが。

考えてみれば、幼い頃より、ある意味さらし者になり続けたマイケルが、「公然とある人種差別をどう乗り切ったらよいのか?」との思いの中で、私にはとうぜん理解できませんが、ああいった行動に出るのも究極の選択だったのかもしれません。
彼の楽曲には、キング牧師の言葉が数多く引用されているそうですけど、未だ消えぬ米国における人種差別の現状を身を持ってさらし、さらにはそれを乗り越えたがごとくスーパースターへと突き進んだ彼の生き方は、米国人達にとって、たんに「偉大なエンターテイナー」以上のものであったのだろうと想像は出来ます。(残念ながら私は米国人ではありませんから)

アメリカはニグロ文化に深く根差している・・・その話し言葉や、ユーモアや、音楽に。他のいかなる人びとにもましてアメリカの文化を自分たちのものだと主張しうるはずのそのニグロが、迫害されたり抑えつけられたりしており、われとわが身でヒューマニティーの範を示してきたそのニグロが、非道な仕打ちによって報いられているていうのは、なんという皮肉だろう。(ソニー・ロリンズ)

私が好きだとほざくジャズの世界において、黒人の存在は非常に大きく、「黒っぽくて良い」てな事を安易に使ったりしてしまいます。
しかし、これは、マイケル・ジャクソンの死をワイドショー的に捉える事と何ら変わりがないんじゃないか????????

こうなるとドツボです。
どうにも相倉久人さんの文章を読んでいると、私の思考回路では消化できない事を考え始めてしまうんですよねぇ。もう『三連休』ならぬ、頭『三角休』みたな(笑)

夕方になって、趣味部屋では、三角頭の私を「1958 MILES」の「STELLA BY STARLIGHT」が癒してくれました。
「まっ、いいやね、聴いていて良い、それが一番だて」

「晩ご飯、何時にするのう??」
三角になった頭を「STELLA BY STARLIGHT」でちょっと丸くして、あとは料理でもしながらほぐしましょう。
『料理当番、本日の一品』です。

今日は『休みなのに休肝日』を決め込み、テーマを設定して料理してみました。(えっ?「昼間ビール飲んだろう」ってですか、まぁ、ビールですから・・・・なんじゃそりゃ)
ズバリ、『喫茶店か、定食屋で出てくる普通のハンバーグ』です。
土用の丑の日なんですからねぇ、鰻でも食えばいいのに・・・・

さて、今日の一枚は、ジャズの世界で黒人運動を語るとき避けては通れぬマックス・ローチと、彼に大きく感化された妻、アビー・リンカーンの共演アルバムです。

このご夫婦の話としてすぐ思い浮かべるのは、アメリカのダウン・ビート誌上で行われた「ジャズに於ける人種的偏見」というパネル・ディスカッションです。

事の発端は、アイラ・ギトラーが同誌に寄せた、アビー・リンカーンの「STRAIGHT AHEAD」に対するレコード評で、「アビー・リンカーンは『職業的なニグロ』だ。」と書いたことに始まるわけで、
「かつて自分が『職業的なニグロ』だった時代は確かにあったわ。その頃の私は、白人が期待する通りのニグロを演じていたものよ。だけどそのころ私を『職業的なニグロ』と呼ぶ人は誰もいなかった。それがどう、一旦この私が自分の現在の地位に目覚め、『戦闘的なニグロ』になろうとしたとたん、今度は『職業的なニグロ』呼ばわりするなんて!」

おっと、この話をし出したらまた長くなりますね。

ともかく、そんな『戦闘的ニグロ』夫妻の出会いのアルバムは、なにしろメンバーが凄い。
どうして、アビーのソロ第二作目にこれだけのメンバーが集まったんでしょうか?
正直、ボーカル軽視の私にとって「アビーはいらないかな」的思いは出てきてしまいますが、ちょっと癖のある歌い方は、好きな人にはタマランのでしょうね。
ソニー・ロリンズはこの後すぐ「A NIGHT AT THE VILLAGE VANGUARD」を録音する時期ですから絶好調ですし、その他のメンバーも悪かろうはずがありません。ただ、「DON'T EXPLAIN」で、ウイントン・ケリーがベースってぇのはどうなんでしょ?

はたして、この頃アビーは『職業的なニグロ』だったのか、それともすでに『戦闘的ニグロ』だったのか?
音楽でそれを表現することは、簡単なことでは無いと、私は思っています。

THAT'S HIM / ABBEY LINCOLN
1957年10月28日録音
ABBEY LINCOLN(vo) KENNY DORHAM(tp) SONNY ROLLINS(ts) WYNTON KELLY(p,b) PAUL CHAMBERS(b) MAX ROACH(ds)

1.STRONG MAN
2.HAPPINESS IS JUST A THING CALLED JOE
3.MY MAN
4.TENDER AS A ROSE
5.THA'T HIM
6.I MUST HAVE THAT MAN
7.PORGY
8.WHEN A WOMAN LOVES A MAN
9.DON'T EXPLAIN

おまけ、

そういえば、アビー・リンカーンは女優もやってましたよねぇ。離婚後久々に顔を見たのは、スパイク・リー監督の「モ’・ベター・ブルース」でした。
スパイク・リー監督といえば「マルコムX」、
マルコムXの『ブラック・スリム』、マーティン・ルーサー・キングの『南部キリスト教指導者会議(SCLC)』・・・・・
いかん、また『三角休』になりそうだよぉ。