ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

昨夜は十五夜、今夜が満月

2006年10月07日 | 季節の話題
 「中秋の名月」がきれいに天空に輝いていた。しかし低気圧の影響で、たくさんの雲が相当早く流れていて、どうも「せっかちな月」の如く、昨夜の月、十五夜のお月さんを観た多くの人は感じたのではないだろうか。

 昨夜は夜空になった6時、7時頃は、夕方までの雨の影響で暗雲が立ち込めていたため、月が姿を出しても、すぐに隠れてしまうような有様で、ほんとうに忙しない感じで、月は地上から見つめる人たちに、舞台に出たり入ったりと忙しい役者のようであった。

 私は毎週金曜日の夕方から有機八百屋の宅配、移動販売のために、市内から隣り町まで走るのだが、昨夜はずっと「月」と語り、「月」を愛でながら走ったのである。

 夜9時前頃には隣り町のお客さんと共に、「月」を見上げて「月」に纏わる話をたわいなくしていたのだが、キレイな十五夜のお月さんを、まるで気づかないかの様に、たくさんの雲たちが通り過ぎて行く様が、まるで多忙な現代人が、肝心要の「美しさ」や「価値」を見ないで、ただ早くと走っている様に思えたのである。

 一方、月のすぐ傍に纏わりつくように随行している様な白い雲が、ひとつ、ふたつ見受けられ、この雲たちは、ゆったりと「月」に寄り添うように「美しさ」や「風情」を感じて喜ぶように歩んでいる様に見えたのである。

 何とも奇妙な不思議な天体の空間に、人間の愚かさや賢さが重なって見えたのは幸いであり、できればモノの風情や美しさを愛でる心を大切にしたいものである。

 せっかく「十五夜お月さん」と人間達から絶賛される機会を得た、「中秋の名月」であることを知ってか知らずか、月自身は、たんたんといつもの様に煌々と輝き、ゆったりといるのだが、庶民とでも言おうか、地球上の人々は日常の生活リズムで、この月の美しさを愛でる暇もない人もいるのである。

 幼い幼稚園児は、眠る前のひとときの忙しそうな月を観て、「うさぎさんが見えない」と言っていたそうだが、9時近くの大空に浮かんだ十五夜お月さんには、間違いなく「うさぎさん」も存在していた様に見えた。

 しかし「うさぎ」が「餅つき」をしていたのか、飛び跳ねていたのかは定かではない。

 今日、出会った人々に「昨夜のお月さん観ましたか?」と尋ねてみたら、半数の人は雨だと思って観なかったと言い、見た人も雲の流れが早くて、ちょっと観ただけだと言うのである。

 80過ぎのおじいちゃんに同様に尋ねたら、彼は「早よう寝てしもたから観てへん!」、でもキレイでしたよと告げると、「もう何度も昔見たからな」と言われるので、今夜が本当の満月ですから、ご覧になったらと話すと、「テレビに映るやろ」とおっしゃって、実際の夜空を見るつもりはない。

 ともかく一年に何度も夜空を見上げることがない日本の現代人だと思うが、「月観る月は、この月の月」と言われる「中秋の名月」であるので、小林一茶の俳句に「とってくれよと泣く子ども」とあるが、この美しい満月を愛でる気持ちで眺めてほしいと思うのである。
コメント (1)
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