ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

かぐや姫は何処に?

2006年10月17日 | 地域の話題
わが町は「一休さん」でお馴染みの一休禅師が晩年を過ごしたお寺、酬恩庵、通称一休寺があり、観光や商工会のキャラクターとしても「一休さん」が使われている。

 しかしもうひとつの物語の主人公である「かぐや姫伝説」がにわかに南部の地域を中心に脚光を浴びようとしているのである。

 全国各地にかぐや姫の伝説や物語の発祥の地と主張する市町村があるが、京都山城地方のど真ん中の京田辺市の三山木山本地区が「かぐや姫の翁」の住んでいた里ではないかと、地元の郷土史研究家が提唱したのが始まりで、同志社大学のキャンパスが20年前に一部移転して、その説が浮上した感もある。

 ここ十年近く、地元の三山木地区のJR線と近鉄京都線の高架化と橋上駅化工事を中心とする「三山木特定土地区画整理事業」が進められていて、現在は両線の三山木駅間の駅前広場の工事にかかっている。

 この駅周辺の山本集落が、伝説の「かぐや姫の里」としての史実に近い条件を併せ持つことから、地元の商店街の有志による「三山木ファイトクラブ」と学生、市民の協働パートナーシップに基づくNPO法人「きゅうたなべ倶楽部」が共催で「かぐや姫フェスタ」というイベントを三年前から、秋に開催しているのである。

 「かぐや姫コンテスト」をしたり、かぐや姫の竹にちなんで、同志社大学工学部の研究室で竹素材を研究、実用化を試みている教授、学生達の商品開発なども併せて発表したり、子ども達も共に遊び興じられる竹素材のおもちゃ遊びを試みたり、また竹灯篭の試作、コンテストをしたりと毎回工夫がなされている。

 一昨日の日曜日の朝から午後にかけて、焼きそば、かやくご飯などの模擬店と共に、簡単なステージではハーモニカグループ、地元中学校の吹奏楽部、同志社大学音楽サークルの演奏等と、「みんなで竹馬物語」と題する「竹馬トライアル」が展開された。

 その中で地元の障害者の作業所は、とっても工夫された「かぐや姫パン」を作って販売していたので、私もいくつか買ってお昼の虫やしないに愉しんだのである。

 ヨモギをベースにした餡が中に入ったパンなのだが、竹の中に輝いていた「かぐや姫」を連想できる様なデザインで、おくる身の中央に黄色く茹でた栗の実が入っていて、とってもかわいい仕上がりで美味しく、かぐや姫そのものだった。

 今は昔の、むかしむかしの物語なのだが、現代に言い伝えられて、今も何処かにいないだろうかと時には思ってしまうほどの「かぐや姫」の存在なのだが、こんな殺伐とした世の中にあってこそ、いじめや虐待などで死んでしまう不条理を忘れて、「かぐや姫」を探してみたいものである。

 ただ単なる「ミスコンテスト」などてはなく、みんなが工夫とデザインを持ち寄って、現代に生きる「かぐや姫」のイメージに近い存在感のある女性、いや男性でも差し支えはないのではないだろうか。

 こんな世の中だからこそ、大切にしたいロマンや物語である。
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北朝鮮の外貨獲得犯罪

2006年10月16日 | 世界の問題
 北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は、キムジョンイル率いる共産主義全体主義的国家として、拉致、ミサイル発射、核実験に留まらず、米国が指摘する「ならず者国家」として、多種多様な悪事を国家的に行っていることが判明している。

 その一つが偽ドルの製造、輸出であり、偽ブランド煙草製造と麻薬の密売と共に北朝鮮の三大外貨獲得品としてマネーロンダリングとして普及しているというのである。

 その一つである、「偽米ドル製造」に関して、元NHKのニューヨーク支局長報だった、手嶋龍一氏が外交ジャーナリストとして独立し「ウルトラ・ダラー」というドキュメンタリー小説を発表し話題となっている。

 北朝鮮は1989年頃から偽ドル製造を国家的に外貨獲得のために始め、国家的犯罪として問題になった時の言い訳として、一部の犯罪者が勝手にやったことと拉致問題と同様の責任逃れをするために、一生外に出られない政治犯の収容所を工場にして製造しているらしい。

 首都ピョンヤンの北側に位置する平安南道平城市三花洞の政治犯収容所が製造所らしく、地元では「商標工場」として名高い印刷施設があり、知る人ぞ知る偽ドル製造の拠点だという。

 こうした偽ドル製造により現在までに発覚したものだけでも、約4500万ドル、日本円で50億円が使用され、朝鮮労働党と親密なアイルランドの労働者党やマカオの北朝鮮系商社を通じて全世界にばら撒かれてきたという。

 人類史上、ここまで精巧かつ大胆に国家権力が、偽札づくりを遂行したのは、ナチスドイツと北朝鮮だけだそうである。

 アメリカ合衆国は、1996年に発見された「スーパーノート」と言われる偽ドルの普及に手を焼いているが、偽ブランド煙草ではマルボロ、ダンヒル等の米国タバコと日本のマイルドセブン等の偽物で600億から750億円も荒稼ぎしている状況に手を拱いているわけにはいけなくなった。

 そこで、米国司法省は2005年八月二十二日に、マカオでアジア系犯罪組織を検挙し、北朝鮮で製造されたと思われる440万ドルの偽紙幣を押収したことがきっかけで、九月十五日に北朝鮮に対する「金融制裁」を断行したのである。

 米国の金融制裁は北朝鮮にとって大きな痛手であり、米国への怒りと苦悩に及んで、例の六カ国協議への北朝鮮の出席が困難になっている最大の理由とされていて、キムジョンイル政権は国家崩壊への危機的状況を迎えているのである。

 北朝鮮の国家的犯罪は、偽ドル製造、麻薬の密売、ブランド煙草の製造だけではないが、金正日ファミリーとキムジョンイルの「裸の王様」を指摘できない幹部と軍部は日々、世界の最高級品で贅沢三昧をし、人民の大半が餓死寸前の生活苦に喘いでいる犠牲を余儀なくされている中、のうのうと独裁的権力に君臨しているのである。

 もはや金正日体制の崩壊まで、あともう少しだとの見方が世界各国の大勢を占めていると思われるのだが、国連の核実験制裁決議など、どこ吹く風である。

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岸、吉田の孫で最悪コンビ。

2006年10月15日 | 日本の課題
 九月の自民党総裁選挙は、誰もが感じたニッポンの政権移譲の国民不在の茶番劇だった。

 ポスト小泉を決める総裁選とは言っても、既成の事実の如く親父の果たせなかった首相の座を目指すお坊ちゃま政治家安倍晋三に、いつも不敵な笑顔をつくる外務大臣、麻生太郎と京都出身のやさ男エリート政治家、谷垣財務大臣が加わってのレースとなり、辞退した福田赳夫首相の息子を尻目にマスコミだけが騒いだパフォーマンスであった。

 言わずもがなだが自民党総裁となり、首相の座を射止めた安倍晋三は、戦後の現代日本の礎となる、アメリカ合衆国に隷属する占領国家ニッポンを確定させた「日米安保条約」の締結の立役者である、元A級戦犯の岸信介首相の孫である。

 そして小泉内閣の最後の外務大臣を務め、安倍と総裁選を戦いながら発足した新内閣では継続して外務大臣を務める麻生太郎は、あの第二次世界大戦で、日本が全面降伏し「ポツダム宣言」を受託した当時の全権大使、すなわち吉田茂首相の孫なのである。

 どちらも、現在の日本をアメリカ合衆国に身売りしたような政治的判断と行動を取った大変な罪作りの政治家の孫であり、戦後のニッポンが未だに沖縄を初めとする米軍の占領下にあることを回避も出来ないまま、21世紀に入るやテロや不審船を逆に利用して、再びニッポンをアメリカと共に戦争の出来る国へと変えようとする極悪人である。

「美しい国、日本」を作るという安倍晋三首相のスローガンが、昨日の国会予算委員会で、民主党の議員の質問の中で、回文扱いされたらしいのだが、美しい国、つまり「うつくしいくに」を平仮名で反対から読むと、「憎いし苦痛」となるというのである。

 誰が見つけたのか、全くの遊びだがなかなか妙に的を得ているから不思議である。

 障害者自立支援法の発足やら、介護保険の見直し、医療制度改悪、税制の抜本的改悪と、続けざまに小泉政権を受け継いで、弱者いじめとでも言うべき、庶民の暮らしと福祉をずだずたにして、受益者負担と言う言葉での高負担や自己責任を強制してきているのである。

 こうした現状の流れの行く末は、教育基本法の改悪による、政府権力の教育への介入であり、時の政府や財界に都合のいい人間を育てて、国のために戦い、戦争に協力を疑わずにできる人間の育成であり、憲法改正の必要性などが全く自明の理の如く語られ、支持される社会である。

 とんでもない「暗黒の社会」「戦う普通の国」を目指す、安部、麻生の最悪戦争犯罪人である元首相の三世コンビによる右翼的非民主的政治をとめなければならない。

 多くの国民の心からの願いは、平和と心豊かな人間性育む国であり、決して「憎いし、苦痛」の国づくりではない。
 

 
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幸せの笑顔。

2006年10月14日 | テレビマスコミ
 長澤まさみさん、19歳、女優である。

 最近、やたらにテレビ、CM、映画、雑誌、新聞など、マスコミに登場する機会が増えている彼女だが、いつもほんとに素敵な笑顔であり、幸せを物語る表情である。

 2000年に「東宝シンデレラコンテスト」で最年少グランプリを受賞し、早速「クロスファイア」で映画デビューしたそうだが、私はNHKの朝の連ドラ「さくら」で、主人公のハワイ生まれの二世の女性教員が下宿する信州の家の娘役で、初めて知った女優である。

 その後、映画「ロボコン」で初主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、「行定勲監督の「世界の中心で、愛をさけぶ」にも出演し、興行収入約85億円の大ヒットとなったらしい。

 昨年は、テレビドラマ「優しい時間」に出演し、漫画タッチの映画化では、ヒロイン「浅倉南」を演じていた。今年に入って益々ブレークし、NHK大河ドラマ「功名が辻」にも初出演し、民放ドラマ「セーラー服と機関銃」や映画「ラフ」と「涙そうそう」にも主演し公開中だという。

 今春高校を卒業したばかりの19歳のお嬢さんが、女優業に専念して充実した幸せな毎日を送っているらしく、満面の笑みは若さばかりではなく充実感に満ち溢れた力強い自信をも感じさせてくれる。

 先日私達の市芸術懇話会が主催した作品展に、若い画家が大きなキャンバスの絵で、面白い作品を展示していた。

 普通の電車の一車両を、となりの車両との連結部から覗いた様なアングルの絵であり、連結部のガラス窓越しには、次の車両の真ん中の通路と、両サイドに座ったお客さんの足しか描写されていないのである。

 私は暫し立ち止まって、この作品を見続けたのである。

 何故か、小学生の頃に書いた「作文」を思い出していたのである。

 その内容は、地下鉄に乗って座席に座わると、向い側の席に座った乗客が見えないほど少々混んでいた為、両サイドを見渡して見ると、ずっと並んだいろんな人たちの足元しか見えないのである。

 でも何故か、女性、男性は靴の色や形で分かるのだが、その靴を履いている人が楽しげなのか、少し疲れているのか、眠っているのかが想像できるのであった。

 私は、靴の色や形やくたびれ具合を観察しながら、殆どの人たちが疲れていたり眠っていたり、表情が暗く沈んでいるように感じたのである。

 そこで、もっと楽しげな表情や明るい感じの靴や履物がたくさん並んだ、地下鉄車内になればいいなぁと思って、人たちが幸せな笑顔だったら、靴もさぞかし幸せな感じになるだろうと書いた様で、先生に花丸のハンコを貰ったため記憶に残っていたのである。

 長澤まさみさんの「幸せな笑顔」は、日本中の疲れた人々や暗い表情の人たちに、きっと明るく元気で幸せを感じるパワーを送ってくれることだろうと期待している。
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地域コュニティバス

2006年10月13日 | 地域の話題
 ここ数年地方都市における、コミュニティバスと称する、高齢者や自動車を運転しない住民の、公共施設への移動手段や買い物、駅へのアクセスなどとしての行政が主体となったバス運行が盛んに実施され出している。

 我々議員としても、わが町にもこのコミュニティバスの必要性を感じて、議会での提案や請願の採択などがされてはいるが、なかなか前へとは進んではいない。

 私が知る限りでは「武蔵野市」の「ムーバス」との愛称での、小さな市域ではあるが武蔵野市の交通アクセスの中核をなす、JR中央線の吉祥寺駅を中心とする住宅街をくまなく走っている3路線の100円バスが都市交通としての行政主体のバス運行で先鞭をつけたと思う。

 21世紀に入って、益々自動車交通による住宅街の環境汚染や高齢者を含む自らが車を運転しない住民の利便性を向上させるためにも、生活圏での移動手段としてのコミュニティバスの運行が飛躍的に増えているといえよう。

 大阪市という政令指定都市では、「赤バス」と称する赤い小型バスが、市の交通局によって運行されているのだが、大阪の区ごとに検討されたルートを特に日中を中心に100円の運賃で運行されている。

 私の実家が阿倍野区にあるため、こうしたバスの運行は知っていたが、所用があって阿倍野区役所に行ったあと、実家に寄ろうと思った際に、一度この「赤バス」に乗ってみようと思ったのである。

 丁度お昼過ぎであったが、運行時間まで10分ほど待ったが、時間通り「赤バス」がやってきたので、区役所前よりご年配の女性二人と共に乗り込んだのである。

 さすが低床の小型バスで、足のご不自由な方や視覚障害者の方々もガイドーヘルパーさん等の介添えはあったが楽に乗降でき、しかも運転手さんが心得ておられるので、乗降だけでなく座席への着席などを確認しての「安全運行」であった。

 座席数は14ほどで、つり革やつかまり棒が至るところにあって、「福祉バス」と言ってもいい感じの車内であり、乗り降りに時間を要する場合もあるが、ゆっくりと運行されていて、やはり主に高齢者、障害者の方々の利用が多かった。

 大阪市の場合は70歳以上の市民は大阪市交通局の地下鉄、バスなどの「無料パス」があるため、降車の際に料金として100円を支払っている人は三人に一人もいない様子であった。

 区役所から私の実家までは直線距離では2キロほどなので、歩いて行くと私の早足だと20分ほどしかかからないのだが、この「赤バス」のルートは、区内の住宅地を出来るだけくまなく回るコースが設定されていたので、約30分はかかった。

 でも、間違いなく住民の頼れる足、貴重なアクセスとなっていることが、改めて自分が乗ってみて確認できたことと、乗降の際の高齢者や障害者への運転手さんだけではなく、利用客全員の気配りなどが感じられて、とっても気持ちよく利用できたのである。

 やはり行政施策は、社会的弱者への気配りと思いやりを大切にしたきめの細かいサービスが不可欠な時代となっていると実感したのである。

 
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女性交流ルームの開設

2006年10月11日 | ちょっと可笑しいよ
 昨今の地方自治体の行政施策は、女性と子育て支援などの少子化対策と高齢者や障害者の支援策が大きなテーマであり、きめ細かい行政サービスが望まれているのである。

 市制十周年を迎える我が市は多くの行政課題が山積しているが、ここ数年女性議員を中心に設置が要望されていた「女性センター」や「女性会館」までは行かないが、女性ルームの開設が、この9月に駅前の大型スーパーの隅っこのスペースを借りて実現したのである。

 女性のDV相談を初めとする各種相談は、数年前から月に何度か専門のウイメンズカウンセラーが対応して行われていたが、女性を中心としたグループやサークルの活動拠点ともなり、ミィーティングや相談、印刷、資料や情報提供も可能な専用スペースを伴う除雪専用コーナーが、やっとオープンしたのである。

 政令指定都市や中核市などでは、女性を中心とした男女共同参画を目指す意味での会館やセンターが建設されたり、民間の建物を借用して各種事業も盛んに行われたりしているが、人口6万余の地方自治体では何処まで事業化が可能なのか、また女性の視点からの事業や情報提供の必要性は分かるがどの程度の形が望ましいかは難しくもある。

 開設された小さなスペースは主に情報や関係書籍図書の書棚と相談などの受付でいっぱいだが、奥の部屋は個人相談が可能な仕切りスペースと印刷、コピーが出来たり、ビデオやテレビも視聴できるミィーティングルームがあり、女性団体やグループが利用できる情報ロッカーなども設置されていた。

 こうした女性交流コーナーが、誰もがよく利用する民間の商業施設の中に誕生したことは、一歩前進したことには違わないが、果たして施設やコーナーの利用が促進されることが望ましい前進なのかどうかは議論が分かれるところでもある。

 つまり、女性特有のトラブルや相談事が増えたり、そのための女性を中心とするグループ活動が多種多様に増加すること事態を問題とは思わないが、男女共同参画という目標からすると、女性だけの専門性だけではなく男性もより女性を理解した上での共同での諸問題への対応や活動が望ましいのではないだろうか。

 開設された女性交流コーナー「ポケット」の受付の掲示にも、小さく「男性も利用できます」とは書かれてはいるが、主たるネーミングが「女性交流ルーム」とある限り、男性の利用や関わりは非常に困難と感じるところであった。

 真の「女性問題」は、特に男性の配偶者や恋人、彼氏などからのDVと呼ばれる、各種暴力などを初めとして男性との関わりがあり、相談時や発覚時には既に異常を来たしている場合や話し合いなどで解決できない泥沼化したケースが大半であり、市職員などでは対応しきれない場合もあると思う。

 時代の要請だとの認識は間違いなくあるが、果たして全うな相談や対応が可能かどうかは甚だ疑問が山積している中での、見切り発車での開設と言えよう。
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中日やっとこさ優勝!

2006年10月10日 | プロスポーツ
中日ドラゴンズの今シーズンの優勝がやっと決まった。おめでとう!落合中日。

 マジック1となって東京ドームの巨人最終戦に望んだ、中日ドラゴンズが、ウッズの46号3ランで先行快勝かと思いきや、巨人の意地の、二岡、高橋、小久保のホームランで同点にされ、何と延長12回まで戦い、やっとワンアウト満塁から首位打者福留孝介のタイムリーで勝ち越し、タイロン・ウッズの47号満塁本塁打で巨人を突き放して、四時間を超える戦いで9-3で勝ち優勝を決めた。

 川上憲伸、山本昌を中心とする防御率一位の投手陣と、荒木、井端、福留、ウッズを中心とする攻撃陣が、うまく噛み合った「中日ドラゴンズ」のセリーグ制覇は、阪神タイガースファンとしても、あっぱれと言うしかない見事な優勝であった。

 2003年阪神、2004年中日、2005年阪神、そして2006年は中日と、ここ四年間セリーグの優勝を中日、阪神が交互に分かち合ったのだが、一方の王者巨人の黄金時代が終焉を迎えたとの印象の強いシーズンでもあった。

 今年のペナントレースは、「原辰徳・巨人」が幸先のいい滑り出しで勝ち進み、今年は久々の巨人かなと思わせたが、中日が地力を発揮して首位に踊り出てからは、巨人の体たらくが目立つシーズンとなり、我が阪神は八月の死のロードが終わった8月27日の戦いでの藤川球児の涙のヒーローインタビュー後の驚異的追い上げで中日を猛追したが、本日ここに中日の優勝が決定した。

 今夜の戦いぶりが今年の中日ドラゴンズの戦いを象徴していたが、四番ウッズの七打点と福留の決勝打という形での勝利だっただけに、ウッズのホームラン王と打点王の二冠王と福留の首位打者が、優勝への間違いない立役者だと証明された。

 昨年からのナゴヤ中部圏での話題と経済的効果を伝えるニュースとして、愛知万博、中部国際空港、トヨタの出資の名古屋駅周辺の超高層ビルに加えて、「中日ドラゴンズ」の優勝が続いた。

 中部地方での経済効果や人々の活気は再び大きく跳ね上がり、「どえりゃーことになるでやー」と名古屋人は大喜びだと思うが、日本の中央部の元気さが日本中の起爆剤になる可能性もあるので歓迎ということにしておこう。

 今朝のスポーツ新聞には、いつも冷静沈着な落合監督とは対照的に昨夜の勝利をダッグアウトの真上のスタンドで抱き合って喜ぶ落合夫人と息子の姿が、監督とスリーショット写真で掲載されていたが落合ファミリーの勝利でもある。

 あっぱれ中日ドラゴンズ!。日本シリーズの相手はソフトバンクか日ハムか知れぬが、セリーグの覇者としてカッコよく戦ってほしい。

 一方同日、寂しいことだが我が阪神タイガースの片岡篤史選手の引退が発表された。
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秋のすすきが原

2006年10月09日 | 季節の話題
 今日は体育の日。すてきな行楽日和になったので、久しぶりにドライブして、奈良県中東部の「曽爾村」に「すすき」を観に出かけた。

 名阪国道の針インターを降りて、約30キロの日本の原風景的な田舎の国道を走ると、めるべの里、曽爾村に着いた。

 曽爾村のハイキングマップによれば、高原大好きコース、絶景展望登山コース、山の空気満喫コース、ぬるべ山巡りコース、健脚奇岩めぐりコースの5つのコースが紹介されており、曽爾村に入るや国道沿いにも中高年のハイキング客がちらほらと見受けられた。

 私達は、まず目指した曽爾高原ファームガーデンへと向かったのだが、午前11時過ぎではあったが、もう既に多くの観光客が自動車で押し寄せていて、レストラン、米粉のパンや、カレーショップなどがある周辺の駐車場や道路はいっぱいであった。

 まずは、曽爾高原のススキを見ようと、曽爾高原バス停付近から国立曽爾高原少年自然の家周辺へと車で上りだしたのだが、渋滞の様子がひどいようだったので、諦めて東海自然歩道沿いの道幅の広い道路に車を駐車させて、歩くこととした。

 10月中旬の昼下がりだが、陽が照れば結構汗ばむ気候の今日だったが、山間の地道の自然歩道に入ると、心地よい風と空気が、とっても感じられて嬉しくなった。

 ところどころ、止むを得ずに車道や駐車場を横切るように歩かなければならないところもあったが、しばらくして曽爾高原キャンプ場の脇から、お亀池と呼ばれる曽爾高原への入り口に着いた。

 そこの茶店では、山の冷水に浸したラムネや飲料水が飛ぶように一本200円でで売れていたし、おでんやうどんも500円でたくさん売れていた様子で、少し山に入っただけで、地元のおばちゃんや売店の人たちは嬉しそうに商売をしていた。

 このお亀池から上を見渡すと、一面のすすきが原であり、よーく見るとたくさんの観光客が既に高原への整備された小路を、まるで働き蟻の如く登っている光景が見受けられた。

 少し歩いて、このススキが原に入ると、夜間の照明のための電気ではあるが灯龍が設備されていて、さぞかし日の入り時期から月や星の出る時間のススキが原も素晴らしいロケーションになるものと思われた。

 若いカップルのデイトコースとしても、家族団欒のハイキングコースとしても、中高年の軽登山としても、素晴らしい曽爾高原のススキが原は、昼夜を通して観光客が集まる、隠れたスポットであった。

 季節は秋。まったけ、みかん、柿、きのこと、秋の旬の食べ物も多いのに、レストランではハンバーグやスパゲッティ、土産物やは烏賊や蛸の塩辛や明太子など、
どう考えても場違いな雰囲気で、もっと地方色豊かな素朴な食や土産物があったらなと思った。

 汗した体を帰りに亀の湯温泉で洗い流して、眠い眼を堪えて家路に着いた。
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主人、家内、旦那、嫁

2006年10月08日 | 感じたこと
 結婚生活で夫婦がお互いを他人に、どの様に呼称し紹介したり表現するかは、各々いつのまにか決まっているようである。

 しかし、じっくりと考えると、主人や旦那と言う妻が呼ぶ呼称も、家内や嫁と夫が呼ぶ呼称も何か可笑しいとも思えるし、違った言い方がないものかとも思うのである。

 私の場合、自分の妻のことを長らく外では「うちの奥さん」と呼称していた様に記憶しているが、文語調で記述する場合は最近は「家人」と書くようになっている。

 いずれにせよ、妻が聞いたり見たりしたら、必ず「私は家の奥にいる存在なの」とか「家にいる人なの」とか呼称の仕方に文句というか、疑義がでるのである。

 それでは妻の場合はどうなのだろうか。たぶん「うちの主人は」と言っているように感じるのだが、まさか「うちの宿六」とか「うちのあの人」とかとは言っていないと思うのだが定かではなく確証はない。

 テレビや外出先のレストランや喫茶店で、見ず知らずの他人の話し声や言葉の中で気になるのが、最近やたらと若い男性達がテレビの影響だと思うのだが、「うちの嫁」とその人の妻のことを称していることである。

 この「嫁」とは、お姑さんが自分の息子の妻のことを呼ぶ呼称だと思うのだが、つまり年上のものが自分の子どもの連れ合いを「家」に嫁いできた「嫁」と称するのは止むを得ないと思うのだが、若い芸人たちが、どうしてか「自分の嫁」と称して、どうも自分が所有しているが如き存在として妻を語っている様に聞こえるのである。

 逆に、この「嫁」に対して、女性が男性のパートナーを表現するのに、若い人たちはよく「うちの旦那」と呼ぶことが多いのである。

 この旦那というのは、家のあるじ、主人を尊敬語として称する言葉でもあり、現代の若い夫婦の友達関係の様な関わりからすると、やはり少し違和感を感じる時があるのである。

 いずれにせよ、家庭の中心である夫と妻の存在感を、呼称の「言葉」だけで語ることは出来ないのだが、お互いの尊敬と信頼の関係の中で、一番適したお互いが納得いく表現が見つかればいいのである。

 昔からの日本社会では伝統的な夫婦関係や家、家族、親族などとの関係を重んじていたので呼称もその形として伝わっているが、現代の新しい人間関係を模索しつつ、お互いの人権、個性を尊重する中での、他人への表現の仕方に少しは思いを巡らせて考える必要がある。

 決して主人に隷属する関係でなく、また逆に嫁を自分流に隷属させる関係にならないためにも、たかが言葉ではあるが、されど言葉であるが故に、大切ではないだろうかと、秋の夜長に思いを巡らせている。

 一番いい呼び方は、ずばりお互いの「名前」なのだが、なかなか他人に対して、日本人は、自分の妻や夫を名前で紹介する習慣がないので、難しいものである。

 たぶん欧米諸国では、常に「my wife is Mary」とか「My husband is Jhon」とか名前を呼ぶのだが、さて日本人は照れずに出来るだろうか。
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昨夜は十五夜、今夜が満月

2006年10月07日 | 季節の話題
 「中秋の名月」がきれいに天空に輝いていた。しかし低気圧の影響で、たくさんの雲が相当早く流れていて、どうも「せっかちな月」の如く、昨夜の月、十五夜のお月さんを観た多くの人は感じたのではないだろうか。

 昨夜は夜空になった6時、7時頃は、夕方までの雨の影響で暗雲が立ち込めていたため、月が姿を出しても、すぐに隠れてしまうような有様で、ほんとうに忙しない感じで、月は地上から見つめる人たちに、舞台に出たり入ったりと忙しい役者のようであった。

 私は毎週金曜日の夕方から有機八百屋の宅配、移動販売のために、市内から隣り町まで走るのだが、昨夜はずっと「月」と語り、「月」を愛でながら走ったのである。

 夜9時前頃には隣り町のお客さんと共に、「月」を見上げて「月」に纏わる話をたわいなくしていたのだが、キレイな十五夜のお月さんを、まるで気づかないかの様に、たくさんの雲たちが通り過ぎて行く様が、まるで多忙な現代人が、肝心要の「美しさ」や「価値」を見ないで、ただ早くと走っている様に思えたのである。

 一方、月のすぐ傍に纏わりつくように随行している様な白い雲が、ひとつ、ふたつ見受けられ、この雲たちは、ゆったりと「月」に寄り添うように「美しさ」や「風情」を感じて喜ぶように歩んでいる様に見えたのである。

 何とも奇妙な不思議な天体の空間に、人間の愚かさや賢さが重なって見えたのは幸いであり、できればモノの風情や美しさを愛でる心を大切にしたいものである。

 せっかく「十五夜お月さん」と人間達から絶賛される機会を得た、「中秋の名月」であることを知ってか知らずか、月自身は、たんたんといつもの様に煌々と輝き、ゆったりといるのだが、庶民とでも言おうか、地球上の人々は日常の生活リズムで、この月の美しさを愛でる暇もない人もいるのである。

 幼い幼稚園児は、眠る前のひとときの忙しそうな月を観て、「うさぎさんが見えない」と言っていたそうだが、9時近くの大空に浮かんだ十五夜お月さんには、間違いなく「うさぎさん」も存在していた様に見えた。

 しかし「うさぎ」が「餅つき」をしていたのか、飛び跳ねていたのかは定かではない。

 今日、出会った人々に「昨夜のお月さん観ましたか?」と尋ねてみたら、半数の人は雨だと思って観なかったと言い、見た人も雲の流れが早くて、ちょっと観ただけだと言うのである。

 80過ぎのおじいちゃんに同様に尋ねたら、彼は「早よう寝てしもたから観てへん!」、でもキレイでしたよと告げると、「もう何度も昔見たからな」と言われるので、今夜が本当の満月ですから、ご覧になったらと話すと、「テレビに映るやろ」とおっしゃって、実際の夜空を見るつもりはない。

 ともかく一年に何度も夜空を見上げることがない日本の現代人だと思うが、「月観る月は、この月の月」と言われる「中秋の名月」であるので、小林一茶の俳句に「とってくれよと泣く子ども」とあるが、この美しい満月を愛でる気持ちで眺めてほしいと思うのである。
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