ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

産学協同っていいことなの?

2005年10月07日 | 日本の課題
あるセミナーには、現役の高校や小中学校の先生たちが多く参加されていた。

 国際理解教育をテーマにしたセミナーだったが、小グループに分かれてのワークショップ方式でのコミュニケーションと問題提起の手法が用いられていた。

 私が属したグループに中年の男性高校教師がいた。学校の先生らしい他の方は、全て女性だった。自己紹介を含めたペーパーに、いろいろと書き込んだものを基に話し合いが始まったのである。

 その高校教師は、なんとなく落ち着かない様子で、「私は今、家族、学校との関係で悩んでいる。」「たとえば、私が学生時代は産学協同は問題だと言われていたのに、今は産学協同を進めるのが当然となっている。どう理解したらいいのか迷っている。」と言うのである。

 私は、彼が「国際理解教育」の担当に指名されて、「国際理解」とはを学ぶために、このセミナーにやってきて勉強したいとの意思と共に、自分自身のアイデンティティが揺らいでいることに驚きと、こんな先生に不可解さを感じた。

 私は彼よりも少し上の世代、世に言われる「団塊の世代」の一人なのだが、彼の揺らぎのひとつの例である、「産学協同」については、さもありなんと同感の部分もあるので、ゆっくりと話すことにしたのである。

 「産学」すなわち、「産業界」と「学校」、この場合は大学、大学院が主な対象だと思われるのだが、はじめから産業、企業のための学問などがあっていいものだろうか。

 学問、研究の結果やプロセスが産業界の利益に寄与することはあってもいいが、利益を求める研究、学問であってはならないのではないだろうか。

 現代社会は、あまりにも経済優先、利益を生まない事業や産業は評価されないことが多くなってしまっているが、決して「世の中に役立つ研究」というのは、「金儲けに繋がる研究」だけではないはずである。

 人間社会の「豊かさ」「住みよさ」「便利さ」「生きがい」「効率性」など多くの要素を、学問研究者や学生は多種多様な疑問や不思議をきっかけに、研究し学びつつ、究極的な真理というか事実や因果関係に気づくことが大切なのではないだろうか。

 「真理の追究」と多くの大学や大学院の創立の理念や、目指すべき目的として記されているわりには、最近の社会的要望や期待としての「商売になる研究、学問の結果」が求められることに答えようとするために、じっくり真理を究めることよりも、打算的と言われかねない「産学」の連携や共同が結びついてしまっているのである。

 あの彼が悩み、自分自身の存在根拠まで揺らいでしまった、ひとつの例としての「産学協同」を、現代社会も、もう一度じっくり見直す必要があるのではないだろうか。

 「産学協同」が先にありきと言った「大学」の研究、学問のあり方は、今一度見直されなければならない時期にきているのではないか。

 私の学生時代には「産学協同」に反対の意味での大学移転の反対闘争があったが、現在はその移転先の町に縁あって住み、その大学と地元企業や産業界とのジョイントベンチャーやインキュベーション施設設置を、行政課題としている真っ只中にいるのである.

 素直に、もう一度「産学協同」っていいことなの?って問うてみようと思う。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする