ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

おーい!!結婚せえへんか。

2005年10月19日 | 地域の話題
 最近、私もそれなりの中年になったこともあって、近所で知り合いにあう度に、息子、娘たちの独身状態を知ることが多くなったのである。

 今日も自分の議会報告を地元の住宅街に一軒、一軒ポスティングしながら歩いていると、顔見知りの地元のお母さんに二人出会ったし、その後昔子ども時代に一緒に遊んでいた女の子にも出会ったのである。

 私は25年前にこの町に引っ越して来て、12年間はプレイスクールという子どもたちの遊び場活動団体で、地元の幼児や小学生を中心に遊ぶことを仕事としていたため、いまだ一緒に当時遊んだ子どもたちのことが話題になるのである。

 「○○クンはどうしてますか?」「××ちゃんは今何処に?」などとやっぱり聞いてしまうことになり、お母さんたちの口からは「まだ家にいるんですよ」とか「もう30過ぎてんのに結婚する気がないんです」などと言う現状が語られて、「どうにかしてくださいよ」とまで言われることもあるのである。

 ある日の夕刻に、とある家庭にちょっとした要件があってお邪魔した時のことである。その家には子ども時代に遊んだ女三姉妹がおり、今は三人とも家から通勤している立派な勤労者となっておられるのである。

 しばらくお母さんと話していると、当然娘さんたちの話になり、「何とかなりませんかね」と本音を漏らしておられるところへ、長女のお姉ちゃんが帰宅して、僕の顔を見るなり、「また例の話やね」と苦笑いなのである。

 夕飯時なので私も帰ろうとした時、今帰宅したばかりの彼女が玄関に出てきて、「ガリバー心配せんでもええよ。私ずっとここにいるから....」と言葉をかけられ、微笑を送られたのである。

 二の句を告げることができない様な冗談ではあるが、私は「それが問題なんやわ」と苦笑いしながらしか返答できなかったのである。

 多くの少年少女時代の子どもたちが、当たり前ではあるが立派に成長して、いまや皆んな社会人である。年齢も重ねて25,6から35,6に迄なっているのである。

 「おーい!!結婚せえへんか??」と皆に語って回ろうかと思うほど、私の実感では五人に一人くらいしか結婚していないのである。そういう話を立ち話で今日会った女の子にしていたら、別れ際にやっぱり「私も五人のうちの四人の仲間やわ」と言われたのである。

 みんないい娘であり、いい男の子なのになあ。俺が誰と誰かを結びつけることが出来るなら、お手伝いをしてもいいかなと思ったりもするが、今日の若者の価値観、思いで思いっきりアクティブに出会いを求めて生活してほしいものである。

 「出逢い」はいいものだよ。ぜひ積極的に経済力や容姿や学歴、背の高さなんかではない、人間的な出逢いを経験して、いい人見つけて結婚してくださいな。

 中年のおじさんになったガリバーからのお願いです。喜怒哀楽、いろんなトラブルもあるかもしれないが、夫婦でけんかしながらでも乗り越えて行く人生。きっと多くの恵みを、せっかくの与えられた命をより輝かせるためにも、よき伴侶を見つけてくださいな。老婆心ながらのお願いです。祈るしかありませんがね。

 
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不思議な喫茶店K!!!

2005年10月18日 | とんでもない!
数日前、友人の誘いに従って京都市内のとある喫茶店に行ったのである。四条駅から歩いて五分、その店は木屋町繁華街のど真ん中にあった。

 ここでは屋号をKとしておこう。ある出会いから流れで友人の話の中に出てきた「不思議な喫茶店」に四人で向かったのである。

 夜八時半頃に我々は店のドアを開けたのである。先客の女性三人組と共に、もう一組の客が居た。私たちが店に入った時、その店の主人である高齢の小柄な女性の姿は見えず、店は古いインテリアの素朴な室内空間であり、全部客で埋まったとしても20人ほどでいっぱいの広さであった。

 しばらくして腰の曲がった小柄な顔をくしゃくしゃにした老女が、注文を聞きにやってきた。私たちは友人の勧めで二人がアイスコーヒーを頼み、二人はミックスジュースをオーダーしたのである。

 友人の説明によると彼が20歳の時にこの喫茶店と出会い、それから18年の付き合いであり、毎回違った友人たちと来るらしいのだが、いつもオーダーしてから飲み物がテーブルに運ばれるまで長時間かかるというのである。

 長時間の間、老女はカウンターの中で、珈琲の場合は50種類以上の豆を何度も何度も丁寧にミックスしてい入れているらしく、カウンターの中から数度湯気があがるというのである。

 私たち四人は、この不思議な喫茶店の一角で、「ボレロが聴きたい」というタイトルで講演された第二次世界大戦の戦争体験者である、本田立太郎さんの「召集令状」を受けてから、どうしても伝えたかった喫茶店の憧れの彼女の話とかを延々と話したり、彼のこの喫茶店への想いを聴いたりしながら時の経過を愉しむように過ごした。

 そのうち誰とはなしに、何時頃我々の注文した飲み物が出てくるだろうかと、賭けというか、お互いの予想時刻を言い合ったりしたが、私は、いくら遅いと言っても限度があるので、九時半頃と予想したのだが一番遅く予想した友人は十時頃だろうと言って笑っていたのである。

 そのうちカチャカチャと珈琲カップをお盆に載せる音が聞こえ、そろそろかと思ったのだが、私たちの注文はアイスコーヒーであるので、よその客の注文がやっとできたのだと悟った次第である。

 我々の横を三つの珈琲カップをお盆に載せて通られた店の主人の手元はぶるぶると振るっていたのを私は見逃しはしなかった。

 その帰りに主人は私たちのテーブルに立ち寄って、こう問うたのである。
「お客さん、注文はホットでしたね。」「いや違います、アイスコーヒーです」
「それじゃ、甘さはどういたしましょうか」「ミルクはお入れしましょうか」

 この店の主人がオーダーを我々に確認したのは、入店後一時間をゆうに過ぎていたのである。

 それから再び彼女の姿はカウンターの中に消え、時折室内に流れる音楽が途切れてしばらく経って、カセットテープの入れ替えにカウンターの外のデッキの前に出てこられるのであった。

 そして、いよいよ何と入店から二時間余が経った、十時三十分を過ぎた頃、すなわち注文して二時間後に、やっと我々のアイスコーヒーが席に届けられたのである。

 聞きしに勝る遅さというか、「事実は小説より奇なり」であった。

 アイスコーヒーは待った甲斐があって、大変おいしかったのだが、あと二人の注文したミックスジュースは、それから後何分経ったら出てくるのか全く不明の中で、私たちの帰る終電車の時間が迫っていたので、友人たちに別れを告げて、この不思議な喫茶店を後にしたのである。

 聞きしに勝る「奇妙な空間の喫茶店」に我々は圧倒された思いを胸に家路へと足早に帰ったのである。

 あの主人は何と六十年、京都のど真ん中の繁華街の中で、この「不思議な喫茶店」をやり続けて来られていたが、来年でお役目を引退されるというのである。

 この不思議な喫茶店Kは果たして三代目に受け継がれるのだろうか。興味津々である。
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シュタイナー学校の秋祭り

2005年10月17日 | 地域の話題
 昨日の日曜日は、朝から市内で秋にちなんだ多様な行事やイベントが行われた。

 近くの中学校では住民の避難訓練を主にした「防災訓練」が早朝から催されたのだが、私は第20回目になる「市民音楽祭」に混声合唱団として出演するためとスタッフとして、早朝より会場の同志社女子大学の新島記念講堂へ向かったため、防災訓練には参加できなかった。

 京田辺市興戸地区の、同志社女子大の学生に不評の「田辺坂」の同女大の正門前を少し北に下ったところに、「京田辺シュタイナー学校」があり、昨日「2005年秋祭り&バザー」が開催されたので、「市民音楽祭」のリハーサルの時間に、ちょっとお邪魔した。

 10時からの祭りの開宴を待って、招待客や地元の人々、学校に通う子どもたちのご家族、友人、知人が列を作って校庭の見える狭い道に多数並んでおられた。

 私は幸い招待券で、すぐに会場に入ることができ、オープンセレモニーのシュタイナー学校の六年生たちによる「和太鼓」演奏をゆっくり聴くことができた。
 みんなきびきびした練習の成果を自信を持って演奏していた姿は美しくもあった。

 この秋祭りは「にじいろの種/こどもの心とからだにやさしいもの」という副タイトルがついており、保護者、児童、生徒、先生たちの日頃の学習の様子や作品等を交え、地域の方々や友人、知人、関係者に知ってもらうための工夫が随所にされている展示が盛りだくさんあった。

 校庭は所狭しと数多くの食べ物の店が出ており、お餅つき、手作りぜんざい,スープ、チャパティ、水餃子、中華煮卵、穀物惣菜弁当、ハーブティーなど多彩かつ、ユニークなお店が保護者を中心に準備されていた。

 学校の木造二階建ての教室は、ほとんど全て開放されていて、子どもたちの作品展示を中心にクラフトや木工品、手作り品、羊毛製品などが即売もされていた。シュタイナー学校独特の教育の中で使用される教育素材や絵本、教材も紹介されていた。

 現代の公教育の行き詰まりとでも言う状況の中で、10数年前より自主的な子どもたちを思う親たちの「土曜クラス」と称した「シュタイナー学校設立準備会」から多くの努力と苦労を乗り越えて、NPO法人「京田辺シュタイナー学校」が設立されて五年が経ったのである。

 なかなか一般的には理解されにくい「シュタイナー学校」ではあるが、全世界には多数校存在しており、独特のエポック教育を展開しており、「芸術教育」とも言われる様な、子どもたちの音楽や絵画、表現活動を大切にした教育内容の授業を楽しく、専任の先生方と共に展開しているのである。

 日本では全国でまだシュタイナー学校は少ないが、我が町京田辺に設立された「シュタイナー学校」の運営と教育理念を見守りながら、公教育に欠けているのではないかと思われる「教育の視点」や「想像と創造」の活動にエールを送りたいと思っている。
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子どもをやたら叱るな。

2005年10月14日 | とんでもない!
 

 私はかつて子どもたちの遊び場活動でプレイリーダーと称される「子どもたちの遊びに関わる大人」を仕事としていた。

 現在は週末の金曜、土曜日に軽ワゴン車に「有機農産物と無添加食品」を満載して、お客さん宅の玄関口までお邪魔して、店開きして販売する移動八百屋をしているだが、いくつかの場所で子どもたちが出てくるのである。

 母親であるお客さんは、大抵は「邪魔やからウロウロせんといて」ってな感じで、子どもたちの動きを排除しようとする場合があるのだが、何人かは私と子どもが慣れたためもあって、メモ用紙に書かれた必要な食品を、子どもたちが買い物する場合もある。
 
 そんな中で、今晩もこんなことがあったのである。

 若い母親は日頃やんちゃで元気すぎる5才の男の子に手を焼いている様子で、私と遊ぶ子どもを見守りながらも、無茶をしないようにと注意を払っているのである。

 サイドドアを子どもが開けた瞬間に、私が予約のパンをビニール袋に入れておいたのが、車の移動で下に落ちてきていたらしく、車外に包まれたパンが落ちたのである。

 すると母親は、とっさに「あんなが投げたのか」と息子に向かって叱ったのである。子どもは何を叱られたのかピントこないうちに、条件反射的に逃げていったのである。

 しかしである。私は事実を知っていたので、おかぁさんに言ったのである。NAOクンは何もしていないよ、車のサイドドアを開けただけだよ。なのに落ちたパンは自分の息子が投げたのだろうと思い込んで、母親は即座に叱ったのである。

 濡れ衣もいいところで、彼も「僕とちゃうで」と言えばいいものを、因果関係と関係なく、叱られたので現場から条件反射で逃げてしまったのである。

 私は母親に笑いながら言ったのである。「彼は何も悪いことはしていない」なのにいつも何かいたずらや具合の悪いことが起きたら、まず最初に犯人扱いされるのは、彼にとってはええ迷惑なのである。

 過去にも何度も何度も悪さを彼自身がして叱られたことが度重なるほどあったんだろうと推察できるのだが、たまに彼の仕業でない場合も、間違っていても叱られてしまうのである。

 世のお母さんたち、お父さんたちに言いたい。彼のことを思うと私自身の幼き頃とダブってしまうほど、よく分かるのだが、いつもいたずら好きの子どもだったとしても、何かが起きれば、まずその子の性にしないでほしいものである。

 よーくおきた事実を確認した上で、その因果をしっかり見極めた上で、犯人探しというか、原因を作った存在を見つけて、確信が持てれば「叱る」様にしてもらいたいものである。

 世の大人たちよ、軽はずみに「またお前か」と決め付けて、わが子を叱らない様にしてもらいたいものである。

 NAO君よ、いつも叱られる存在に慣れてしまわないで、違う場合は正々堂々と「抗議」して「僕とちゃうで」とはっきりと言おうではないか。

 どうしようもない社会的にも大人になっても困る様なことをしでかした場合を除いて、「子どもをやたら叱るな」と私は言いたい。

 ちいさな子どもたちの心に、間違っても叱られた記憶とトラウマは、ずつと残っていて、成長過程で決してプラスにならない場合があるので、十分注意してもらいたいと思うのである。
 
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ニートがニート対策要望?

2005年10月13日 | 日本の課題
先の総選挙が自民党の大勝利で終わって1ヶ月が早くも経ち、小泉チルドレンといわれる新議員たちのエピソードと女性刺客たちの話題を主に、テレビ報道がされる中で、郵政民営化法案は何と200票以上の大差で可決した。

 神奈川県の衆議院補選では、元外務大臣だった川口よりこ候補と民主党および共産党の女性新人候補が、各々二人の子持ち主婦としての女性同士の選挙戦を戦っている様である。

 この選挙戦では各候補が少子化対策や子育て支援策を、女性の立場から強調され、どうも選挙民には違いが見えにくい選挙となっているみたいだが、自民、民主、共産党の各党首たちも応援にかけつけ、女性の政治参加を進めるモデル選挙の様子を呈しているようである。

 九月の総選挙は郵政民営化の必要性を強調した自民党小泉旋風に、民主党のマニフェスト選挙等は圧倒され、どうも外交、年金、小さな政府などの多様な政策が見えにくいままに、選挙結果が出てしまった感が強いようである。

 私は投票日が近づいた、ある夜のテレビ報道番組の中で若い男性が、政治家に何を望むかというインタビューに答えているのを見たのである。

 彼は何のためらいもなく、「私たちニートに対する対策を要望する」と言っているのである。たしかニートとは、仕事も学校にも行く意欲がなく、ぶらぶらしている状態の若者の総称だと理解しているのだが、彼が求める対策とは何なのだろうか。

 Not in Education,Employment or Trainig の略としてのニートとは、イギリスで生まれた言葉だが、日本では18歳から34歳までの仕事や学業への意欲のない、職業訓練も受けない、自信喪失の若者たちとしている。

 厚生労働省の2004年度調べでは、約52万人とされているが、フリーターと称されるアルバイター生活者や、パラサイトシングルといわれる結婚しない若者などを加えると、相当数の少数弱者となっているのである。

 現代社会では、いろんなジャンルで「勝ち組」「負け組」と種別する傾向が出てきているが、全く人生には「勝ち」や「負け」があるのではなく、人生を如何に生きるか、どのような価値観を持って生きるかが重要なはずである。

 しかし、このニートと称されてしまう若者たちは、自らを「負け組」の様に称して、「助けてくれ」とでも言いたい感じで、「ニート対策を要望する」と言っているのである。

 「ニート対策」は社会的状況としての認識を持って、可能性や選択肢を情報として広く知らせたりする必要はあると思われるが、一番は若者自身が自分の歩むべき道や選択肢を探し、その可能性へチャレンジしたり努力したりすること以外にはないのである。

 ニートと呼ばれる諸君よ。生きることは楽しいよ、人と出会い、いろんなにことを知ることはうれしいことなのだよ。一歩前進、二歩後退しても前へ向かって歩み出そうじゃないか。
 
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「お」の付く言葉には「文化」がある。

2005年10月11日 | とんでもない!
 いつも皆さんも、何の気なしに使っている「日本語」だが、「お」の付く言葉には「文化」があることに気づいていましたか。

 例えば、日本人として日常的な生活に必要な「衣食住」においては、「食」について、「食文化」と言われるだけあって、たくさんの「お」の付く、文化を感じる食材や食べ物があることに、まず気づくのではないだろうか。

 「お米」「お酒」「お菓子」「お塩」「お砂糖」「お味噌」「おしょうゆ」「「お肉」「お野菜」「お魚」などと切りがないが、日本文化として考えた場合、「おビール」や「おソース」は可笑しいし、決して日本文化ではないので、「お」をつけると可笑しいのである。

 「衣」や「住」についてはどうだろうか。「お着物」「お洋服」「おズボン?」「お帽子」などと無理やりも含めて称するが、「お靴下」や「お下着」「おスカート」は可笑しい。

 「住」では、「お家」「お住まい」とは言うが、「おアパート」や「おマンション」とは言わないだろう。ただ「お畳」「お障子」「お襖」とも言わないね。

 「お」の付く表現に「文化」があると断定すれば、「ご」の付く言葉は、もっと重要かつ大切な〔文化]が含まれている場合が多いのではないだろうか。

 「ご挨拶」「ご馳走」「ご葬儀」「ご結婚」「ご臨終」「ご苦労」など、ちょっとこじ付け的な「言葉」もあるが、その様に考えれば、事象、名称、状態など、いろんな「言葉」に深い意味や歴史、文化が感じられるものである。

 私は、特に[食文化]に纏わる、「お」の付く言葉に注目したいと思っている。

 前述した、食材、調味料、飲み物などに加えて、「お漬物」や「お茶」なども面白いし、また果物でも「おリンゴ」「おミカン」は分かるが、「おバナナ」や「おパイン」など外来の果物には〔お」がつかないし、付けたら可笑しいのは、その食材が〔日本の文化」ではないためだと理解できる。

 「お米」「お酒」「お味噌」「お塩」「お砂糖」等は、日本の食文化に、とっても重要であり、古代からの文化として歴史的変遷を辿ることができるのだが、「コショウ」や「マヨネーズ」「ソース」などの外来調味料は、やはり「お」を付けないし、日本食としての文化や伝統、歴史は乏しいのである。

 私達日本人の「食」や「食育」を考える時、この「お」の付く食材、食事にひとつの価値観、文化を見出して、大切にしたり、継承したりしていくことも、ひとつの基準になるのではないかと考えているのである。

 「ご家族」揃っての「お食事」は、[お米」の「ご飯」を主食に、[お味噌][お砂糖][お塩][おしょうゆ」などの調味料で、[お野菜][お魚][お肉]を料理して、[お漬物」[お吸い物」などと共に、[お酒」も嗜んで、飲食すると、きっと[ご馳走」となるのだろう。

 この「お」や「ご」の付く[日本語]の研究?だけでも、じっくり考察すれば、論文が充分書ける気がするのだが、私は、ひとり楽しんでみようと思っている。



 
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かぐや姫・竹フェスタ!

2005年10月10日 | 地域の話題
 私たちの町、京田辺市は市制施行九年目の新しい町であるが、19年前に同志社大学がキャンパスを開校して以来、大学のある町として歩んできた。

 しかし、なかなか市民と学生の交流や協働イベントなどが生まれず、大学を活かす町への転換を期して、今春やっと、「京田辺同志社包括協定」という名の、パートナーシップに基づく、お互いの協力、協働の各種事業を展開して行こうという協定を締結したのである。

 私は、この町に住んで25年、縁あって同志社大学に学んで40年近くになるので、15年前に町議会議員になった、第一声から「同志社を活かすまちづくり」を提案し、主張してきた立場から、やっと実際の交流が始まったと喜んでいる。

 そのひとつの形がNPO法人「きゅうたなべ倶楽部」という学生と市民がつくる協働プロジェクトであり、その団体の企画提唱と、地元の商店街の人たち、商工会の人たちなどで「かぐや姫・竹フェスタ」がイベント化して実施されたのである。

 今回で三年目、ようやく地元の人々にとっても、住民、学生にとっても徐々に周知されつつあり、小雨が時々降る中で、竹灯篭コンテスト、ステージ、フリマ、学生たちの出店、軽食などの屋台などが出て、地域の人々や子どもたちが集まってきて、愉しんで行き来するようになっていた。

 昨年、一昨年と、市内南部の三山木地域の伝承的ロマンでもある、「かぐや姫」伝説にちなんだ「かぐや姫コンテストを実施してきたが、限られた人しか参加できないとの反省から、竹の有効利用と藪の伐採もかねて、一昨日には「竹をつないだギネスに挑戦、流しそうめん」も実施し、昨夜から本日まで「手作りの竹灯篭」コンテストを実施したのである。

 一週間前に「手作り竹灯篭」の手作り教室も初めて実施して、この日の参加を募ったのだが、初めてのためもあって出品は30点ほどに留まったが、毎年回を重ねる毎に、多種多様な竹灯篭が出展されることになると期待しているのである。

 大学のある町から、大学を活かし、大学と共に歩む町へと発展する第一歩を、確実に歩みだした2005年だと確信している。

 「かぐや姫の里」としての、京都府南部の成長都市である京田辺市を覚えてくださいね。

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森の幼稚園の運動会

2005年10月09日 | 地域の話題
 明日は「体育の日」。九月の半ばから中学校、小学校、保育園と地域の運動会が目白押しの季節であったが、私の地域の公立幼稚園の運動会が昨日予定されていたのが、雨天のために延期されたところもあり、もう少し運動会シーズンが続く。

 今日は、近くにある私がかつて仕事をしていた私立の幼稚園であるが、「森の幼稚園」で運動会があった。

 立派な近代建築の粋を集めたような、ユニークなコンクリートの打ちっ放しを基本とした外観の幼稚園だが、住宅街から少し山のほうに入った場所にあるため、なかなか「知る人ぞ知る」私立の名高き幼稚園なのである。

 周辺が「森の幼稚園」にふさわしい緑の木々に囲まれていて、小さな園庭のまわりに多くの保護者、家族の応援、見物席ができる木漏れ陽は受けても、直射日光のあたらない場所で見れる、すばらしいロケーションの運動会である。

 昨日の雨天とはうって変わった好天に恵まれた運動会日和になったが、所々には新しい砂が入れられて、「待ちに待った運動会」を行う準備が整っていた。

 子どもたちが一生懸命に描いたと思われる「万国旗」が狭い園庭を横切るように園舎と周辺の木々に結び付けてあり、青い空を背景に運動会のムードを演出していた。

 開会は「リボン体操」に始まり、早々に「かけっこ」があった。狭い園庭のため観客席からは見えにくい細長い園舎の奥の方から、子どもたちはスタートして園庭の中央をぐるっと回るコースで走るのである。

 三歳児から五歳児までは、体力と共に「走る」モチベーションも全く違うので、距離も年長児の方が長くしてあり、園内ではお姉ちゃん、お兄ちゃんとなる五歳児の真剣かつ意欲的な想いが表情から読み取れる雰囲気があった。

 森の幼稚園の運動会の特徴は、「森を守るの だぁれ」というテーマで全園児が夏休みにお母さんたちと作った「お面」を顔や頭につけての「大きな竜の頭」を先頭にしての行進は、お父さんの太鼓の音に合わせ練り歩く賑やかで愉しむパフォーマンスであった。

 続けてのプログラムは、全園児から、小学生、お母さん、お父さんと四つのグループに分かれての「綱引き」であり一番盛り上がりを見せていた。

 最近の運動会では、この「綱引き」や「玉入れ」「騎馬戦」「棒倒し」「パン食い競争」「障害物リレー」「借り物競争」など、懐かしい出し物がなくなったりしていて、見る側、参加する運動会としては、物足りなさを感じる場合がある。

 小さな園庭いっぱいに伸ばされた「綱」を白、赤のグループに分かれ手引っ張る戦いが短時間激突する「綱引き」は、見ている観客をも興奮させるプログラムであり、やはり運動会では不可欠ではないだろうか。

 最近の運動会は、勝負を明確にしないメニューを心がけたりして、「リレー」や「かけっこ」まで順位をあまり公表したり表彰したりしないケースが増えているが、おかしな平等意識の台頭で、面白さに欠ける場合もある。

 やっぱり運動会は、体格、年齢、性格、能力などの違いはあるが、楽しく競い合い、勝負や順位がつくものであってもいいのではないだろうか。

 秋の半日、のんびりとした緑に囲まれた小さな「森の幼稚園」の運動会を愉しんだのである。

 
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産学協同っていいことなの?

2005年10月07日 | 日本の課題
あるセミナーには、現役の高校や小中学校の先生たちが多く参加されていた。

 国際理解教育をテーマにしたセミナーだったが、小グループに分かれてのワークショップ方式でのコミュニケーションと問題提起の手法が用いられていた。

 私が属したグループに中年の男性高校教師がいた。学校の先生らしい他の方は、全て女性だった。自己紹介を含めたペーパーに、いろいろと書き込んだものを基に話し合いが始まったのである。

 その高校教師は、なんとなく落ち着かない様子で、「私は今、家族、学校との関係で悩んでいる。」「たとえば、私が学生時代は産学協同は問題だと言われていたのに、今は産学協同を進めるのが当然となっている。どう理解したらいいのか迷っている。」と言うのである。

 私は、彼が「国際理解教育」の担当に指名されて、「国際理解」とはを学ぶために、このセミナーにやってきて勉強したいとの意思と共に、自分自身のアイデンティティが揺らいでいることに驚きと、こんな先生に不可解さを感じた。

 私は彼よりも少し上の世代、世に言われる「団塊の世代」の一人なのだが、彼の揺らぎのひとつの例である、「産学協同」については、さもありなんと同感の部分もあるので、ゆっくりと話すことにしたのである。

 「産学」すなわち、「産業界」と「学校」、この場合は大学、大学院が主な対象だと思われるのだが、はじめから産業、企業のための学問などがあっていいものだろうか。

 学問、研究の結果やプロセスが産業界の利益に寄与することはあってもいいが、利益を求める研究、学問であってはならないのではないだろうか。

 現代社会は、あまりにも経済優先、利益を生まない事業や産業は評価されないことが多くなってしまっているが、決して「世の中に役立つ研究」というのは、「金儲けに繋がる研究」だけではないはずである。

 人間社会の「豊かさ」「住みよさ」「便利さ」「生きがい」「効率性」など多くの要素を、学問研究者や学生は多種多様な疑問や不思議をきっかけに、研究し学びつつ、究極的な真理というか事実や因果関係に気づくことが大切なのではないだろうか。

 「真理の追究」と多くの大学や大学院の創立の理念や、目指すべき目的として記されているわりには、最近の社会的要望や期待としての「商売になる研究、学問の結果」が求められることに答えようとするために、じっくり真理を究めることよりも、打算的と言われかねない「産学」の連携や共同が結びついてしまっているのである。

 あの彼が悩み、自分自身の存在根拠まで揺らいでしまった、ひとつの例としての「産学協同」を、現代社会も、もう一度じっくり見直す必要があるのではないだろうか。

 「産学協同」が先にありきと言った「大学」の研究、学問のあり方は、今一度見直されなければならない時期にきているのではないか。

 私の学生時代には「産学協同」に反対の意味での大学移転の反対闘争があったが、現在はその移転先の町に縁あって住み、その大学と地元企業や産業界とのジョイントベンチャーやインキュベーション施設設置を、行政課題としている真っ只中にいるのである.

 素直に、もう一度「産学協同」っていいことなの?って問うてみようと思う。

 
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人事案の同意は難しい。

2005年10月06日 | ちょっと可笑しいよ
 

 市議会定例議会では、様々な人事案件の同意、承認が求められる。
 9月議会は、助役の再任、教育委員の選任、公平委員会委員の選任などがあった。

 市役所の市長を補佐する特別職として「助役」が置かれ、私達の市では助役が2人選任されている。一人は市役所職員として永年勤務した人で、一旦退職して市長の推薦で選任された人。も一人は府職員として永年地方自治の仕事を通して、市町村行政を指導、監督してきた人で隣の市に居住する人である。

 助役二人制は、前町長の時代からの継続的施策で、現市長の意思で続けられていて、庁内では監督、指導専門所管が分かれているのである。

 市長は市役所のトップであり、行政職員の長でもあるが、市民、有権者によって選ばれた政治家でもあるが、助役は市長が選任し議会の同意を得られれば着任する特別職としての公務員にすぎなく、市長の補佐を勤める仕事である。

 助役は、政治家でもある市長にも仕える立場なので、純然たる行政職に留まらず政治的判断なども市長の許しを得て、しなければならない場合も生じるから、政治家的視点から判断する必要もある。

 次に教育委員は教育委員会の行政職トップである教育長を含む5人であり、多くは学校教育現場を経験した元校長や地域の教育的活動の経験のある学識経験者と呼ばれる人たちが主なのだが、幼稚園から中学校までの公立学校施設と教育内容についても議論をする委員会メンバーとして、実際に子どもを現在学校に通学させている若い親の世代からも、また女性や教育を幅広い見識から見て活動的に関われる人も必要である。

 また公平委員会委員は、公務員の団体交渉権やスト権が認められていない中で、市職員などの労働条件や多種多様な待遇、処分などについて、第三者的視点から「公平に」に判断を下す委員として、行政の一独立機関の立場で、地味だがしっかりとした社会的見地からの意見や対応を判断できる人でないといけない。

 助役、教育委員、公平委員の3人の市長推薦による候補者、推薦された人たちを、私達議員は責任ある住民の代表者として、的確かどうかと共に他の構成メンバーも含めた、総合的見地から判断をしなければならないのである。

 私達の市域は45平方キロほどだが、やはり昔の町村合併で昭和26年に6ヶ町が合併した経緯もあるので、出身地域も考慮が必要な場合もあり、性別、年齢、そして過去の経験なども検討要素として大切である。

 しかし一番大切なのは候補者となっている市長が推薦した方の人格とモノの考え方や指導力、決断力、見識などであるはずである。

 だが同意を求める方の資料としては、住所、生年月日に公務としての前歴が羅列されているに過ぎない場合が多く、推薦する市長も「同意案」として提出する時の説明でも、「適任者と思い推薦する」としか言われない場合が大半なのである。

 私達は、全ての候補者の「人となり」や「考え方」「価値観」「主張」を事前に知っているはずもなく、この人は「どんな人?ですか」と聞くこともままならず、少ない情報と、それまでの公職や前歴での評判、評価などを手立てに判断せざるを得ないのである。

 今回、私は「助役」の再任には、政治家としての価値観、対応策などで問題があるとの見解で、不同意としたが賛成多数で「同意」され選任された。

 同意案が通った本会議終了後、助役に再任されたご本人が挨拶に見え、「いろいろ事情はあるでしょうが、よろしくお願いします」と言葉されたのである。

 私は、当然ご本人の人間性や性格等を否定したわけではないのだけれど、不同意とした事実に、彼は決して心地よいわけではないと思われる中で、挨拶されていたことを思うと、複雑な思いもよぎったのである。

 つまり人が他人を適職かどうか判断して、是否を明確に打ち出すという形になる事案件の同意、不同意は、本会議場では形の上では当事者本人は除斥となり席をはずされるのだが、民主主義の決定機関として賛否は明確に記録されるし、その理由も質疑、討論をすれば残るのである。

 人が他人を判断することの難しさは大変であり、公的な職で選挙によらない、推薦もしくは候補者を認めるか、的確な人事かどうかを決めることも大きな議員の仕事の一つである。

 馴れ合いや事なかれ主義、通過儀礼で終わらせない人事の決定を、住民の代表としての冷静かつしっかりとした判断で行いたいと思っている。



 
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