ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「お」の付く言葉には「文化」がある。

2005年10月11日 | とんでもない!
 いつも皆さんも、何の気なしに使っている「日本語」だが、「お」の付く言葉には「文化」があることに気づいていましたか。

 例えば、日本人として日常的な生活に必要な「衣食住」においては、「食」について、「食文化」と言われるだけあって、たくさんの「お」の付く、文化を感じる食材や食べ物があることに、まず気づくのではないだろうか。

 「お米」「お酒」「お菓子」「お塩」「お砂糖」「お味噌」「おしょうゆ」「「お肉」「お野菜」「お魚」などと切りがないが、日本文化として考えた場合、「おビール」や「おソース」は可笑しいし、決して日本文化ではないので、「お」をつけると可笑しいのである。

 「衣」や「住」についてはどうだろうか。「お着物」「お洋服」「おズボン?」「お帽子」などと無理やりも含めて称するが、「お靴下」や「お下着」「おスカート」は可笑しい。

 「住」では、「お家」「お住まい」とは言うが、「おアパート」や「おマンション」とは言わないだろう。ただ「お畳」「お障子」「お襖」とも言わないね。

 「お」の付く表現に「文化」があると断定すれば、「ご」の付く言葉は、もっと重要かつ大切な〔文化]が含まれている場合が多いのではないだろうか。

 「ご挨拶」「ご馳走」「ご葬儀」「ご結婚」「ご臨終」「ご苦労」など、ちょっとこじ付け的な「言葉」もあるが、その様に考えれば、事象、名称、状態など、いろんな「言葉」に深い意味や歴史、文化が感じられるものである。

 私は、特に[食文化]に纏わる、「お」の付く言葉に注目したいと思っている。

 前述した、食材、調味料、飲み物などに加えて、「お漬物」や「お茶」なども面白いし、また果物でも「おリンゴ」「おミカン」は分かるが、「おバナナ」や「おパイン」など外来の果物には〔お」がつかないし、付けたら可笑しいのは、その食材が〔日本の文化」ではないためだと理解できる。

 「お米」「お酒」「お味噌」「お塩」「お砂糖」等は、日本の食文化に、とっても重要であり、古代からの文化として歴史的変遷を辿ることができるのだが、「コショウ」や「マヨネーズ」「ソース」などの外来調味料は、やはり「お」を付けないし、日本食としての文化や伝統、歴史は乏しいのである。

 私達日本人の「食」や「食育」を考える時、この「お」の付く食材、食事にひとつの価値観、文化を見出して、大切にしたり、継承したりしていくことも、ひとつの基準になるのではないかと考えているのである。

 「ご家族」揃っての「お食事」は、[お米」の「ご飯」を主食に、[お味噌][お砂糖][お塩][おしょうゆ」などの調味料で、[お野菜][お魚][お肉]を料理して、[お漬物」[お吸い物」などと共に、[お酒」も嗜んで、飲食すると、きっと[ご馳走」となるのだろう。

 この「お」や「ご」の付く[日本語]の研究?だけでも、じっくり考察すれば、論文が充分書ける気がするのだが、私は、ひとり楽しんでみようと思っている。



 
コメント (1)
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