http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071015-00000014-sph-soci
(この記事は、ヤフーニュースのブログ一覧に掲載されていません。10/15 11:45現在)
沢尻エリカさんの舞台挨拶を巡る騒動に続き、今度は亀田大毅選手の試合中の反則行為はじめセコンドの父親や兄が反則指示をしたとして批判を呼んでいる。更に批判の矛先は亀田寄りの実況をしたTBSにまで波及している。
これらの騒動を見ていると、既に世論の中に批判的な意識が最初からあって、それが何か決定的な出来事をきっかけとして批判の声が爆発しているものと感じられる。実際、沢尻にしても悪評が高かったらしいし、亀田家にしてもそれは同じだった。
だが、ここで注目したいのは、幾ら批判される本人達に問題があったにせよ、これだけ一気に批判を爆発させる世論にも、様々な日頃のストレスなどが鬱積しているのではないかということだ。
景気は良くなっているなどと報道はされても、物の値段は上がり、生活は決して安定しているとは言えない。格差社会は広がる一方で、女性や子供など特定の者達には恩恵が更に拡大される。そんな不合理な実情を訴えようにも、手当たり次第に周囲に当り散らすわけにはいかない。
そんな時、今回のような批判出来る標的が現れると、待ってましたとばかりに批判を次々と浴びせていく、それで満足出来るのならまだいい。しかしほとんどの人達は批判したからといって現状の自分の環境が改善されるというわけではない。つまりほんの一時しのぎに過ぎないわけだ。
何らかの失態をした者を批判するのは簡単であるし、また敢えてそうした者を批判しないのも変な話ではある。しかし世論が本当に批判したい相手というのは、批判したくても批判の糸口が見つけられないために批判出来ない相手ではないだろうか。
道徳的には明らかに悪いにもかかわらず、それが新しい時代の流れだからとか、これが自分のスタイルだからなどといって正当化する。人に迷惑を掛けているにもかかわらず、公的に制裁されるわけでもなく、自分は何も悪くないと開き直れる。そうした連中こそ、沢尻や亀田などとは比較にならないほど悪質卑劣と言えるのではないだろうか。
今後も様々な形で誰かが批判の矢面に立たされることがあるだろう。しかしそうした時、何の批判も受けることなく堂々としていられる真の悪者が別に存在するということも常に考える必要があるのだと思う。
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そして、誰か「こいつは今叩いても大丈夫」と思えるターゲットが見つかると、一斉にそちらに向かっている感じを私も持ちます。
意見を言うのと、人格攻撃は別物のはずですが、今はもう全てが悪い、叩けるものは何でも使って叩いてしまえ、と言う感じで怖いものを感じます。
学校、職場でもいると思います。
人の心や体を傷つけても、それが目に見えない形であれば、罪にも問えない。
それこそ、人の目に触れる悪事を働いた者と同じく、陰湿さにおいてはそれ以上の、悪者だと思います。
必殺仕事人は世の中にはいませんが、天罰は下されるでしょうね。
この世だけがすべてでは無いと思いますから。
当時、批判的な意見を世に示すことができる手段を持っていたのはマスコミと、大規模な集会を開ける組織くらいでしたから、昔と比べると今は皆が意見を発信できる環境になっているので、不満持ちが増えたように思えるのだと、私は考えます。