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社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

子供への愛情さえ犯罪とされる時代 --児童ポルノ法改正、マイケル・ジャクソン--

2009-06-27 22:18:28 | ネット媒体

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090627-00000778-yom-int

 全世界が深い悲しみに包まれたといっても過言ではないだろう。マイケル・ジャクソンさんの死去を受けて、一部のテレビ局では急遽特別番組を放送した。今後もテレビ、ラジオなどで彼の追悼番組が放送されることだろう。またレコード店にも彼の特別コーナーが設けられるなど対応しているようだ。しかし一部には在庫が少なく即売切れという事態も起きている。更にネット通販では彼の作品の注文が殺到し、売上ベストテンを独占するほどの勢いだという。それだけ彼の社会的影響力は絶大なものだったということだ。

 しかし、マイケルには理解し難い奇行もしばしば見られた。窓から赤ん坊を宙吊りにして観衆に見せたり、男児に対する性的虐待容疑がかけられるなど、晩年の彼の評判は決して良いものではなかった。だが一方で、彼は非常に子煩悩であったということも言われている。ネバーランドという子供向けの施設を発案したのも、彼なりの子供に対する深い愛情の表れではなかったろうか。性的虐待容疑も、フェミニズムが蔓延する先進国共通の偏見によるこじ付けによるものだったのではないだろうか。因みにこの件については彼は無罪となっている。

 ところで、世間がマイケル・ジャクソンさん死去のニュースに驚いている間に、国会では児童買春ポルノ法の改正論議が開始された。子供を愛するマイケルの死と重なったのは何かの因縁なのだろうか。

 今回の改正の柱は、単純所持の罰則性だ。この日の審議では、日本ユニセフ協会大使であるアグネス・チャンさんら規制派ばかりが参考人として招かれた。だが日本ユニセフ協会の実態や、アグネスと創価学会との関係など、この審議が既に公明党主導で行われているとしか思えない。

 更に、単純所持を規制した国で性犯罪が減少したのかという実績については審議にも出てくる気配がない。また冤罪の危険性や、更には特定の人物を陥れるために法が悪用される可能性もある。これらについては以下のリンクに解説があるので参照して欲しい。

・本質的議論が置き去りにされている児童ポルノ問題。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52275193.html

 こうした問題点があるにも拘らず、マスコミ報道では問題点を一切封殺して、規制するのが当然であるかのような論調のものばかりだ。特に強調されるのが、単純所持規制がないのは主要国(G8)では日本とロシアだけという誘導的論調だ。これについては、G8以外の国では単純所持規制どころか、児童ポルノに該当する法律自体ない国も少なくない。また先述の通り、単純所持規制がある国々では性犯罪発生率は日本やロシアより高いことは上記のリンクでも指摘されている。

・【主張】児童ポルノ 根絶へ所持規制は不可欠 2009/06/27 08:37
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/271210/

 自分は児童ポルノなど一つも所持していないから大丈夫などと思っていたら大間違いだ。メール等で送りつけられた場合や、ワンクリック詐欺のように児童ポルノサイトへ誘導されたり、また新手のウィルスも登場するだろう。

 更に、自分の子供と風呂に入っているところの写真でさえ児童ポルノと判断される。決して対岸の火事ではないということを認識して欲しい。

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マスコミ批判は麻生首相の大きな功績 --国会予算委での新聞批判--

2009-02-28 22:01:52 | ネット媒体

 「偏っている新聞記事は多いと思っているので、それを鵜呑み(うのみ)にしちゃいかんと自戒している」。内閣支持率が低迷する中での首相のマスコミ批判とも取れるこの言葉は国民にどう響くだろうか。

・「偏っている記事多い」=予算委で新聞批判-麻生首相
2月27日12時19分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090227-00000084-jij-pol
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date2&k=2009022700444
 
・首相「署名記事読む」 新聞読まない公言で 2009/02/27 19:19更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/226570/

 麻生首相のこの言葉は、27日の衆院予算委員会で、「新聞を読まない」と公言している首相に関して、民主党の逢坂誠二氏が「一国のリーダーが『新聞を読まない』と公言することはあっていいのか」という質問に対して答えたものだ。

 また首相は、「責任者の名前が載っている記事は名前を見て読むようにしている」、更に署名のない記事に関しては「見出しを眺めるぐらいはするが、自分のことが書いてあるとだいたい違うので読まない」とも語った。

 この報道を受けて、ネット世論では麻生首相の発言を評価するコメントが主流だ。それらの多くは首相が新聞をあまり読まないことに対するコメントというより、専ら(もっぱら)マスコミ批判となっている。

 マスコミ批判に関しては、本ブログの過去の論考でも西川京子議員のコメントを紹介した通りだが、まだ多くの庶民はマスコミの欺瞞には気付いていないと思う。だが、今回現職の首相が、しかも国会内でマスコミ批判をしたというのは非常に大きな意味があるのではないだろうか。

 今後、マスコミがどんな報道姿勢を貫くのかも注目だが、ネット利用者もネットから離れている人達などに対してマスコミの実態を知らせるのに丁度良い機会なのかも知れない。これまでにもマスコミを批判したいと思っていた大臣は多かっただろうが、それはいわばコロンブスの卵の如く最初に行うのは難しいことだった。しかし今回を機に議員などから次々とマスコミ批判が噴出すると面白いのではないだろうか。

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真の敵はメディアか、報道姿勢の中立性を問う --西川京子議員のメディア批判--

2009-02-11 17:35:06 | ネット媒体

 今のメディアの報道姿勢は明らかにおかしい、西川京子自民党衆議院議員が一石を投じた。安倍内閣叩きを遥かに超える麻生内閣叩きの報道姿勢、果たしてメディアの存在意義とは何だろうか。

 以下にリンクと共に内容の全文を紹介するが、やはり文章を読むよりは聴いた方が良いと思う。文面を見ながら聴くのもいいだろう。

・西川京子議員が語る 真実の報道をしない今のメディア(超人大陸2009年2月2号より)
http://www.choujintairiku.com/nishikawa/
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6033114
http://www.youtube.com/watch?v=kmDCWEBZPxo
(どのリンクも内容は全て同じ)

 皆さんこんにちは。衆議院議員の西川京子です。今、国会は、予算の、補正予算、第二次補正予算と、本予算の審議の真っ最中です。

 毎日、テレビメディアを賑わしている様々なワイドショーで、わが国の総理大臣を中心とする内閣が明けても暮れてもバッシングをされています。私は、内閣が発足して最初に、まあ、色んなあの漢字の読み方だ何だっていうミスがあったのかも、それは事実なんでしょう。しかしその一事を以って明けても暮れても・・、駄目だと、自分の国の一国の総理大臣に対して尊敬の欠片(かけら)もないような失礼な言い方のマスメディアの毎日の報道振り、これはやっぱり明らかに異常だと思います。

 いわば、マスメディアというのはその時の権力をチェックする、そういう仕事が一番の仕事であることは事実です。しかしそれと共に公正な報道をするというのも大切な役目だと思います。特にテレビという公器、公の器械を使って国民に発する時には少なくとも最低限、公正だという姿勢が大事ですが、今のテレビマスコミの所謂(いわゆる)報道と言われる番組で、それは全く無視されてます。やや、スタンスを、野党寄りにするなんてものではなく、全くの野党応援団として、伝えるべきものは伝えず、伝えなく、本来、真実ではないものを作りあげて、伝えている。私はこの今のこのマスコミの報道は明らかにおかしいと思います。

 昔、テレビ朝日の椿事件というのがありました。その民主党政権を作るためにこういう報道をすると。大変問題になりましたが、今やそれをどこのテレビ局も全員がやっていますけど、何の問題にもなりません。これだけもう国民が、そういうテレビというのが、そういうスタンスでやっているということ自体にも気付かずに、毎日垂れ流している報道に汚染されている現実があると思います。私は与党の人間だから申し上げているのではありません。明らかに一市民として見ていてこれは異常だと思います。

 少なくとも政権が発足して100日、1年、アメリカのマスメディアはハネムーンといってお手並み拝見をする、それが1つの節度だと思うんですね。そういうスタンスが全くない。それも尊敬の欠片もない。何の立場で何の権利があってあんな失礼な言葉遣いを使いながら毎日毎日、独断を、独断と偏見を垂れ流していいんでしょうか。私は猛省を促したいと思います。その中で、その原因は何か、私はやはりマスメディアの中枢にいる人達が、昔のまあ、学生運動、全共闘世代、その人達が多く、まあ中枢に入っている。それも1つの大きな要素かも知れません。

 それと戦後のアメリカ軍の占領政策、いわば日本人の自分の誇り、自分の国に対する思い、そういうものを打ち砕くことが戦後のアメリカの占領政策の中枢でした。その尖兵が日教組だった訳ですけれども、教育、戦後の教育がいわば自虐史観に満ち満ちていた中で、知識人というのは、自分の国の欠点を論う(あげつらう)、或いは時の政府をただただ攻撃する、それが実は知性と勘違いしている。そういう1つの方向がもう身に付いてしまったんではないでしょうか。

 私は堂々とやっぱりこの日本という国を愛し、日本という国がどういういい所があり、どういう悪い所があり、それをもう少し冷静に報道して欲しい。1つのいい例が、日本の方が優れている場合に、外国と比較して日本はこういう所がいいですという報道は全く皆無ですね。外国と報道して日本はこれだけ劣ってますという時に、必ず外国の例を出します。本当におかしな話で、実はBBCの、あの全世界調査、約3万人の全世界の人に対して、英国のBBC放送が調査した、「世界に一番貢献しているいい国はどこですか?」、という調査、日本は3年連続1位ですトップです。こんなことはどこのメディアも報道してない。日本国民が本当に勇気付き、そしてそれが戦後の日本という国の政治が培ってきた結果だと思うんですが、そういう報道は全くない。私は明らかに、今の日本のメディアの姿勢というのはおかしいと思います。是非、反省して頂きたい。そういう思いで私は国会議員の活動をしています。

 その中で今、あの、米国のサブプライムローンの破綻による中での、世界のいわばアングロサクソンによる金融による世界制覇、これが完全に間違っていると、その認識が世界中に今定着したわけです。みんな日本人の多くの人達が、ああいう金融のゲームのようなその中で利益を多くの人が得ていく経済活動が、本当に正しいのかという疑問を持っていらしたと思うんですね。それがやっぱり違うんだということがはっきり判りました。大変厳しい不況という嵐が吹いていますが、ある意味では世界の人達がやっと気付いた。これで良かったと私はそう思ってます。

 その時にまさに日本は今、チャンスです。日本人の考え方、誠実で真面目で働き者できちんとしたものを作って、自信を持って提供して適正な利益を得る、そういう物作り、会社経営、会社は株主だけのものではなくて、社員のものでもあり、地域のものでもある。そういう日本型の会社経営の仕方、そして考え方、そしてある意味では、理念の方では、日本は自然と共にある、まあまさに自然のあらゆる所に神を感じて、自分たちも自然の一部で生かされている。そういう考え方が、日本人の考え方が、これから世界をリードしていくと、私はそう思ってます。

 世界に冠たる環境技術、物作りの技術、日本はトップランナーです。この素晴らしい物作りの技術、そして日本人の、地球を、本当に自然と共にある自然を愛する、そういう日本人の謙虚な考え方、こういうものを1つの理念として掲げて(かかげて)、日本は世界のトップリーダーの国としてこれから大きく大きな位置を占められる。そう思っております。それにはやはり外交という面で、やや、あの日本の外交下手という所がありますから、戦略を持って、それも自信を持ってこれから世界に発信していく。その一番のチャンスがこの環境の分野でのリーダーとしての地位を占めることだと思います。

 麻生内閣が、日本版のグリーンニューディールを引っ提げてこれから大いに世界で活躍してもらうことを私は願っております。どうも有難うございました。
(以上)

 この中には明確なフェミニズム批判は表れて来ない。このあたりは他の女性議員や女性団体などフェミ勢力からの圧力を恐れているのかも知れないが、弁論中の「日本は自然と共にある、自然のあらゆる所に神を感じて、自分たちも自然の一部で生かされている。」このあたりが、生命体の自然の摂理に照合すれば、結婚や子育てを放棄するフェミニズムの反自然性を批判しているという解釈も出来る。

 ともあれ、果たしてメディアが報道姿勢を改めることはあるのだろうか。

<参考>
・『椿事件』現麻生内閣に当てはめてみる
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5558690

・総理、それはないでしょう!(ジローのおしゃべりサロン)
http://blogonojiro.blog22.fc2.com/blog-entry-49.html

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女優自殺に見る韓国女性の繊細さと日本女性との比較

2008-10-07 21:37:08 | ネット媒体

 韓国女性のネット批判による相次ぐ自殺、これはネット社会の問題なのか、それとも韓国女性の繊細な神経を意味するのか。日本とは何か違う雰囲気が感じられる。

 韓国の人気女優、崔真実(チェ・ジンシル)さん(39)の自殺を受けて韓国警察庁は、インターネット上での悪質な書込の取り締まりを始めた。崔さんはネット上での人格攻撃が引き金で自殺したことから、韓国政府はサイバー侮辱罪の早期成立も目指しているという。

 韓国では、ネットの書込が原因で自殺するケースは少なくないという。正確な統計はないものの、これまで芸能人を含む20~30人がネット上の悪質な書き込みが原因で自殺したとの指摘もある。

・女優自殺でネットの悪質書き込み集中取り締まり 韓国警察庁 20/10/06 19:20更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/184679/

 但し、リンク先のニュースにもあるように、規制法律のあり方には政府による事実上のネット監視や不当な言論制限になるのではないかという疑問の声もある。これは我が国でも通信傍受法の成立時や、いつ再燃するかわからない人権擁護法でも指摘されていることと同様である。勿論あらゆる誹謗中傷を野放しにしても良いとは思わないが、人権保護と言う名の言論弾圧が行われては法律の目的が根本的に変わってしまう。

 法律というのはそれが目的とする本音を探ることが必要だ。男女共同参画社会基本法でも、その目的は女権拡大であって男女平等ではない。DV防止法も目的は家族解体であって被害者救済ではない。フェミニズムが作成する法律は全て女権拡大に結びつく。つまり法成立を求める者達の体質を見極めることが重要なのだ。

 ところで、韓国の女性というのは非常に繊細な神経を持っているのだろうかとふと思うことがある。今回の崔真実さんの自殺はじめ、昨年と3年前にも女性タレントが相次いで自殺している。一方、日本でも有名人の自殺はこれまでにもあったが、ネットでの批判を苦に自殺するというケースは聞いたことがない。それどころか、批判意見に反論したり、一切無視して平然と芸能活動を続けるなど、日本女性は強気の姿勢の者が多い印象だ。

 勿論、自殺の件だけで日本と韓国の女性像を比較するのは少々強引ではあるかも知れないが、例えば結婚まで貞操を守るという「掟(おきて)」は今の韓国社会でも根強くあるという話を聞いたことがある。ところが日本の場合は貞操などと口にしようものなら時代遅れだの男の幻想に過ぎないなどと女性は一蹴してしまうだろう。これもフェミニズムの影響度の両国の違いなのだろうか。

 ネット上での批判をどう受け止めるか、批判を真摯に受け止めるのは相手に対する敬意の表れでもある。しかし余りに深刻に受け止め過ぎると悩んでしまい、自信喪失や自殺のような悲劇となったりする。従ってこうした人達には心のケアが必要だ。逆に批判を全く意に介さないのは相手に対する軽蔑心の表れでもある。傲慢な性格の者にこういう傾向がある。まさにフェミニズムに侵された今の日本女性の姿ではないだろうか。

 しかし、一口に批判と言っても、批判する側が教養に欠けていれば、その批判内容も愚劣なものとなり、相手にする必要はない。だがそれらをどう判断するかは非常に難しく、繊細さと傲慢さは紙一重と言えるのかも知れない。

 何れにせよ、謙虚さと繊細さは人に必要不可欠な要素である。謙虚過ぎる人に対して意見を言えるように促すことは出来る。しかし謙虚さもなく人の意見など聞こうとしない人に何を言っても通用せず、その人を更正させることは出来ない。従って、フェミニズムに侵された女性に対して、韓国女性に見られる繊細さを少しは学べと言っても無理かも知れない。日本女性にあるべき大和撫子の心が、実は隣国の女性にしかないとしたら、何とも皮肉な話ではないだろうか。またそうした大切にされるべき女性が自ら命を絶ってしまい、どうでもいい女性ばかりが生き残ってしまう、実に悪循環な社会である。

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都合のいい甘えた女性ばかりを養成することにならないか --「発言小町」の是非--

2008-08-19 17:37:16 | ネット媒体

 読売新聞サイト内の女性向け掲示板「発言小町」が最近各所で取り上げられている。開設以来徐々に人気が高まっているということだが、この掲示板は事前にスタッフの検閲があるため、特定の意見だけを優先的に掲載したり、或いは排除することも可能だ。この掲示板の狙いとは何だろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080819-00000043-zdn_n-sci

 わざわざ読売とは違うメディアでも取り上げるくらいだから、これを機に更に閲覧数を増やそうと言う戦略があるのは間違いない。ではその発言小町の雰囲気とはどういうものなのだろうか。

 引用のニュース記事にはこうある。「女性ユーザーが集まったこと、匿名で投稿できること、書き込みの事前チェックが入るから、ネットで“叩かれる”ことを恐れる人でも安心して投稿できること――などが、人気の背景にあると編集部ではみている。」

 だが、ネットで叩かれることを恐れていたらそもそも投稿は出来ないではないだろうか。発言には責任が伴うのは当然で、批判も受け止めるべきだ。自由な発言はしたいが批判はされたくない。そんな甘い考えが通用するはずがない。しかし発言小町はそれを実現してくれるようだ。だがそんな女性だけが集まって、女性に甘い意見だけで盛り上がっているだけでは、何の成長もない。

 それどころか、こうした温室環境に浸っていると人は我侭になりがちだ。ネット上で自分勝手ないい気分に浸って、それをそのまま実社会に持ち込まれては、周囲の人間は迷惑千万である。発言小町が単なる身勝手女の養成所になってしまっては、その存在意義が問われる。

 これは、かつてこのブログの開設当初に取り上げたミクシィの話題の時にも言及したが、同じ仲間同士で語り合って居心地の良さを求めているだけでは人として絶対に成長しないばかりか、逆に有害な存在になるということだ。かつて発言小町を風刺した「発小町」というサイトもあったそうだが、著作権を盾に読売が潰してしまった。しかし意見には批判が必ずつきまとう、それを知ってもらうためには、発小町のようなサイトは必要だったはずだ。

 発言小町では、読者が不快な思いをする投稿や誹謗中傷に当たる投稿は掲載しないという。しかしその判断は何を基準にするのか。発狂小町が閉鎖された経緯が、ある投稿者の意見が発狂小町内で批判されたからという理由では、まるで北朝鮮の言論弾圧と同じではないか。著作権の侵害というのは単なる建前だ。それが証拠に、「発言小町を応援するようなまとめサイトなら、話し合いの末、共存共栄できたと思う」と読売の担当者は話している。つまり発言小町に対する賛同意見は許すが批判意見は許さないと言っているようなものだ。

 更に、この発言小町は、投稿検閲がフェミニズムに即したものになっているであろうということだ。またフェミニストによる投稿などは優先的に掲載されるだろうし、特定の女性団体などが組織的に意見投稿をしている可能性も十分考えられる。これでは発言小町は井戸端会議の場というより、むしろ健康セミナーと称して健康に関わる講演の後で高価な商品を売りつける霊感商法と似たような洗脳効果を兼ね備えてしまう。

 閲覧者が増えれば増えるほど、洗脳する方も楽である。しかし読者が正義感を持った正しい目を持っていれば洗脳もされない。結局は読者の意識にかかっているのだ。

 これまでに発言小町に投稿したことのある人もいると思うが、今後はどんな内容の投稿が掲載され、或いはボツにされたかそれを比較するようなデータベースを作っても面白いと思う。それで発言小町の思想傾向が少しは掴めるのではないだろうか。

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転んでもただでは起きない毎日新聞社の体質 --英語版サイト低俗記事問題--

2008-07-01 12:03:58 | ネット媒体

 毎日新聞社の英語版サイトで低俗な内容を5年間にもわたって掲載していたとして騒動になっている。これを受け、同社は該当のサイトを閉鎖し、責任者の処分を行ったが、処分と無関係な複数の女性記者、社員個人の人格を著しく誹謗中傷する映像や書き込みが相次いでいるとして、法的措置を検討していることを明らかにしている。

・「2ちゃんねるなどで社員中傷、法的措置を検討」毎日新聞社 英文サイト問題 06/30 13:06更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/157307/
・毎日新聞、英文記事問題で記者や役員ら処分 「社員への中傷には法的手段」 2008年06月30日08時49分
http://news.livedoor.com/article/detail/3706722/

 この問題は、毎日新聞社の英語版サイト「Mainichi Daily News」の中にある「WaiWai」と呼ばれるコーナーの掲載内容が低俗であるとして、2chなどのネット上で批判をされたことに端を発する。

・毎日新聞英語版サイト 「変態ニュース」を世界発信 2008/6/20
http://www.j-cast.com/2008/06/20022225.html
(記載内容の詳細についてもこのリンク先で紹介されています。)

 一連の掲載内容を見ればわかるように、明らかに日本人の間違った印象を世界に発信してしまった毎日新聞社の責任は大きいし、関係者が処分されるのは当然のことだろう。勿論その処分が軽いか重いかという議論もあるだろうが、それは今後の同社への評判となって跳ね返ってくることになるだろう。

 しかし、処分と無関係な複数の女性記者への誹謗中傷には法的措置を検討するという同社の対応には全く同意できない。いうなれば、転んでもただでは起きないという姑息さしか感じられないと私は思うがどうだろうか。

 誹謗中傷と同社が主張する実際の内容を全て把握しているわけではないのだが、元々が毎日新聞社全体に対する批判から始まっているのだから、同時にその従業員である記者への批判も付随して発生するのは当然のことであり、むしろそうした批判も真摯に受け止めるのが今後の同社の印象回復につながるのではないだろうか。

 それに、法的措置の対象が女性記者というのも引っかかる。だいたいマスコミに従事する女性はフェミニストが多い。批判された女性記者もフェミニストではないだろうか。だとすると過去にフェミニズムに汚染された記事を沢山発信していたことが今回の便乗批判につながったと考えることもできる。だがそれを誹謗中傷だからといって批判を許さないという態度はまさに独裁的な言論封鎖と言えるだろう。批判されない記者もいるということを忘れてはいけない。

 更に、仮に女性記者がフェミニストとは余り関係がなかったとしても、女性を批判すると訴えられるぞというある種の脅迫的な印象を大衆に植え付けようという狙いが感じられる。女性は何でも好き勝手に批判できるが、女性に対する批判は絶対させない。これではまさにフェミニズムの独裁政権をますます暴走させることにしかならない。

 今後どういう動きを毎日新聞社はするのだろうか。マスコミとしての使命を果たすべく良識ある姿勢を見せて欲しいものだ。そして国民は毎日に限らずマスコミ全体が信頼性を失いつつあるという現状を再認識して欲しい。

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問題点満載の日本社会、一体何が変るのか --安倍首相辞任から次期総裁選へ--

2007-09-14 11:23:53 | ネット媒体

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070914-00000014-mai-pol

 突然の辞任劇、安倍首相の決断に日本列島は騒然とした。何故今なのか、無責任であるなど、批判の声は絶えない。しかし一方で、悩み苦しんでいたのだろう、周囲の取り巻きが悪い、或いは体調悪化も影響しているなど、同情論も多い。

 話題は既に次期総裁選びに移っている。当初大本命と言われていた麻生太郎幹事長も、福田康夫氏の出馬意向を受け状況が厳しくなってきた。誰が出馬するのか、しないのか、まだまだ流動的だ。

 ところで、首相が交代となると必ず気になるのが男女共同参画行政の行方である。安倍氏の首相就任時には、山谷えり子氏や高市早苗氏を要職に起用するなど保守系の人達からは歓喜の声が上がったものの、結局は何も変えることが出来ずに終ってしまった。次期首相の政権下では、果たして男女共同参画行政にメスを入れることが出来るだろうか。

 前回の論考でも指摘したDV冤罪など、男女共同参画、フェミニズムの問題点は実に多い。しかしそうした問題点がマスコミに取り上げられることは全くと言っていいほど存在せず、女性管理職、女性医師、女性弁護士などの増加作戦や男性の育児休業取得増加作戦など、勤労女性だけを賛美する姿勢は全く変っていない。

 また、不祥事などの報道においても男女格差が著しい、政治とカネの問題にしても、対象者が女性の場合は報道も控え目だが、男性の場合だと何度も繰り返し報道して印象操作を行っているかのようだ。

 更に先日発覚した男子大学生による鳥取砂丘への絵描きが自然保護法などに触れるとして大きく報道された一方で、少し前にあるグループ歌手の女性メンバーが海外旅行先で岩に落書きをしたことはマスコミでもほとんど取り上げられていないなど、男女の報道格差を感じずにはいられない。学生と社会人、しかも有名人という立場の違いを考えれば、後者の方を深刻に捉えるべきではなかったのか。だが鳥取砂丘の件では、2chなどのネット上の至る所で、深刻さを強調して温情的な言論を封殺する工作活動が行われているなど、不審点は尽きない。

 今朝の新聞にも、新司法試験の合格者が掲載されていた。政府は弁護士などの司法関係の有資格者を増やす方針を打ち出しているが、ここにも例えば女性受験者には有利な取り計らいがあるのではないかといった疑いが残る。将来この中で、妻の嘘のDVでも離婚裁判として成立させてしまう弁護士が続々誕生してしまうのかと思うと非常に憂鬱である。

 これらの不信感を一掃するためにも、次期内閣では男女共同参画行政にメスを入れて欲しいと思う。

(この記事は、ヤフーニュースのブログ一覧に一旦掲載されましたが、削除されたようです。)

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アダルトサイト氾濫の背景にフェミニズムの存在

2007-07-27 11:27:02 | ネット媒体

 このブログにも様々なトラックバックがやって来る。中でも多いのはアダルト系のサイトだ。多い時は1つの記事で5つぐらい立て続けにやって来たこともある。

 これらアダルト系のサイトは詐欺サイトに誘導されることもあるので注意が必要だ。またヤフーニュースと連携するブログ一覧でも利用者に注意を促す文言が掲載されている。だが不適切なサイトを完全に排除するまでには至っておらず、アクセスはあくまで自己責任だ。

 では、何故ここまでアダルト系のサイトが多数存在するのかということだが、それは需要と供給のバランスの如く、需要がそれだけあるからということなのだろう。それだけ今の世の中には、性が不足しているということになる。

 では性が不足している理由は何か。それはフェミの影響で女性だけが性の権限を独り占めしているからだ。結婚するもしないも女性の権利、女性の意に反する性は全てセクハラとして排除してしまう。しかしその一方でミニスカートやノースリーブなど露出度の高い服装の女性が平然と街を歩けるのは、女性の都合だけで性が支配されているからに他ならない。

 性欲は決して悪ではないし、男性も性を主張できるはずだ。つまり性には男女互いの協力が必要なのだ。従って現状の女性支配の姿はあるべき姿ではない。女性だけの意識を優先させる現状では、性欲を享受出来ない男性が溢れかえるのは当然だ。すると女性は益々性欲の対象という目でしか見られなくなり、性犯罪や援助交際などが増えていくのは簡単に想像がつく。

 つまり、適齢期に誰もが結婚して家庭を持つということは、それだけでも大きな社会貢献をしているということになるはずだ。決して給料を稼いで税金を納めることだけが社会貢献ではないのだ。無収入でも結婚して家庭を営んでいる主婦と、高給取りだが独身という女性と比べて、どちらが社会貢献としていると言えるだろうか。

 このように、ネット上の数ある現象1つに注目しても、そこにどんな社会背景が潜んでいるか考えていくと、意外と諸悪の根源は全部フェミに結びつきそうな印象すら感じてしまう。


報道統制の時代が本格的に動き出すのか? --個人サイトも規制対象に--

2007-06-25 17:11:41 | ネット媒体

 将来、フェミニズムに少しでも批判的な論調の記事は法的規制により掲載されなくなるのか。そうした言論統制の危険性がある法律が近い将来出来上がるかも知れない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070621-00000065-zdn_n-sci

 総務省のある研究会がこのほど、ネットコンテンツが放送に近い影響力を持ち始めていることを踏まえ、放送関連と通信関連の法律を一本化した「情報通信法」(仮)の制定を提言している。

 この報告では、規制対象を個人Webサイトや掲示板、ブログなどにも拡大する。表現の自由に配慮しつつ、違法・有害コンテンツを排除するのが狙いのようだ。

 だが、表現の自由と言っても、どこまでが自由なのか、違法、有害と言っても何が違法なのか、或いは有害なのか、曖昧な点は多い。

 例えば、本ブログの本流であるフェミニズム排除の概念も、フェミ側から見れば有害と断定するだろうし、それを違法とする法整備をしてしまえば、たちまち本ブログも強制的に排除されるだろう。

 こうした議論は、国民投票法を取り上げた論考でも申し上げたと思うが、全て諸刃の剣なのだ。何を規制して何を自由とするかは全て権力者側の判断にかかってくるのだ。つまり権力を握っている集団が悪質であればあるほど、言論弾圧は卑劣なものとなるであろう。

 しかしながら、今のテレビ、新聞などの「表のメディア」が発信する情報は殆ど全てがフェミニズム応援三昧の内容であることは言うまでもないであろう。報道番組からドラマ、そしてバラエティーに至るまでその害毒は著しい。またネット上でも、大手のポータルサイトの発信する情報など公共性の高いものは既にフェミ寄りのものになっている。フェミ批判系のコンテンツはブログや掲示板など個人サイトだけと言っても過言ではない。

 またネット上では、不確定ながらも様々な話を聞く。あるフェミ批判系の掲示板が検索エンジンでヒットしなかったとか、トラックバックが上手くいかなかった、或いは削除されたとか、承認を要する掲示板でフェミ支持の意見ばかり掲載されフェミ批判の意見は掲載されないとか、他にも事例は幾らでも出てくるだろう。

 つまり、規制が整備されていない今の状態でさえ「厳しい規制」が行われている状態なのだ。もしも今回検討されている法規制が実施されたら、報道のあり方は一体どうなってしまうのだろう。


一番悪いのは独女通信の背景に根ざすフェミニズム --車内レイプ事件を巡る論争--

2007-06-22 17:05:19 | ネット媒体

 以前、特急列車内での強姦事件というのがあった。それに関しある市民記者が書いた記事で「女性が悪い」としたことに対し、「独女通信」(以下、独通と略)が反論の記事を掲載し、議論を呼んでいる。

車内レイプ「女性がワルい」 市民記者記事に非難轟々
http://news.livedoor.com/article/detail/3206529/

 確かに、この市民記者が言うように声を上げない女性が悪いという意見は決して適切とは言い難いだろう。だがそれに対する独女通信の批評が的を得ているかというと、決してそうも言えないと私は思う。言うなれば、「目糞鼻糞を笑う」という程度のものにしか感じられない。

【独女通信】独女通信がPJ記者に物申す
http://news.livedoor.com/article/detail/3202655/

 例えば、独通記事第4項の「派手な服装が痴漢を誘発する、という主張は思い込み」という独通の論理は、「女性はどんな格好をしても自由、でも痴漢はきちんと取り締まって女性の安全を守れ」という身勝手を主張しているに過ぎない。記事では派手な格好の女性より地味で大人しそうな格好の女性が狙われやすいことを理由としているが、派手な服装が性欲をそそるのは当然のことで、しかしその性欲が直接派手な女性に向けられるのではなく、地味な女性に向けられるというだけの話なのだ。従って、「派手な服装が痴漢を誘発する」というのは思い込みでも何でもない事実そのものなのだ。

 これは、ケーキは別腹と言われるような女性の目の前で大好物のケーキを美味しそうに男性が食べている光景を想定してみるといいだろう。勿論その男性は女性がケーキ好きだと知った上でわざとそうしているのだ。誰でも食べたいと思うだろう。よりによって何でアタシの前で、と嫌悪感を覚える者もいるだろう。派手な服装でも同じことだ。

 この、「派手な服装が痴漢を誘発する」という事実は、男性のみならず主に年配の既婚女性などからもその意見はよく聞かれ、新聞の投書欄などにも時折掲載される。しかし、その後必ずといっていいほど独身と思われる女性からの反論投稿が掲載され、いかにもその意見が正論であるかのように幕引きをする。

 しかし、良く考えて欲しい。この手の論争で「誘発派」と「無関係派」との2つに分けた場合、女性の中での意見の分かれ方が既婚と独身で顕著であることがわかる。その違いは何だろうか。

 誘発派に多い既婚女性は、結婚入籍し、初夜を迎え、子供を設け、家事育児に追われながらも夫の優しさや子供の元気な姿に支えられ、家庭を営んできた人生の経験者である。夫婦生活を通じて、男の気持ち、女の気持ちを互いに理解しながら人徳を積んできた女性の言葉には、重みと説得力があるのではないだろうか。

 これに対し、無関係派に多い独身女性は、自己中心的で男女交際においても常に自分がお姫様であるかのように振舞い、結婚もせず男性を使い捨てするような生活を送ってきた。働く女性は立派であるといって憚らず、専業主婦は無収入でパラサイトなどと主張する。結婚は束縛されるから嫌と言って、結婚を求める男性の意識を無視して独身を貫く。そんな女性の言葉に説得力を見出すことがそもそも不可能ではないだろうか。

 独通記事の不審点はこれだけではない。第2項の「見知らぬ人に本音は言わない」という論理は、PJ全体への批判と信頼性低下になりかねない。記事では、「見知らぬ男に『ネットジャーナリストです』といきなり話しかけられて、若い女性が本音を言うだろうか?」としているが、もしそうならば過去のPJ記事は全て嘘の取材内容に基づく記事ということになってしまうではないか。それではPJ記事の存在意義自体がなくなってしまう。

 それに、「『ジャーナリストだ』と自己申告していても、本当のところはわからない。」と言うのであれば、例えば運営するライブドア社がPJ認定証たるものを発行し、それを記者に携帯させインタビュー時には必ず提示するように義務付けるとか、PJとしての信頼を得やすい運用をすべきではないだろうか。PJと信用してもらえないのは、ライブドア社の不備ということにもつながる。

 ところで、今回の一件は強姦被害を被害者側にあるとしたことに対する批判が発端となっているのだが、では本質的にそうした性犯罪をなくすためには何が必要だろうか。

 PJ記事では、一番悪いのは被害女性としているが、対極的に独通記事では、一番悪いのは犯人、ということなのだろう。しかし、事件に関わった当事者だけについて論じても、決して解決策は得られないと思う。ジャーナリズムの大切さは、事件や事故から国民が学び取る教訓というものがあって初めて有効といえるのではないだろうか。

 犯罪というのはそもそも社会不安の裏側で発生するものだ。本ブログの過去の論考で、児童ポルノ規制の是非(*1)について言及した際にも述べたが、性道徳の乱れの根本には、男性の性生活が社会全体として不安定であるという実情がある。

(以下引用)
 一昔前は適齢期が来れば誰もが結婚して家庭を築いていた。しかし現在ではフェミニズムの影響で女性の社会進出やそれに伴う晩婚化や非婚化、更には離婚が蔓延し、安定した結婚生活が出来ない男性が増えている。
(引用終り)

 家庭が安定している男性なら痴漢もしない、強姦もしない、小さい女の子の誘拐もしない。安定家族を増やすことが根本的な安全社会へつながるのではないか。街路灯もろくにない時代に女性が1人で夜道を歩いても別に危険視されなかった。女の子が遊びから夕方帰ってくるのが1人でも別に危険視されなかった。そういう時代を破壊した犯人は一体誰だ?

 つまり、本を正せば性犯罪の真因はフェミニズムであり、具体的にはそれを盾にして男性に対し支配的に振舞う独身女達や、フェミニズムを支援する腹黒い男達などの責任なのだ。

 当然、独通にも責任の一端はあるだろう。独通では過去にも婚姻制度を廃止すべきであるとか、家族生活の大切さを根底から否定するような記事が掲載されている。今回の記事でも、いじめ問題と照らし合わせ、強者の論理がいじめを誘発するといった分析をしているが、男女共同参画という法権力を武器として、強者の論理で男性いじめを行い、家庭を破壊しているのは何より独通を含むフェミニズム勢力ではないのかと言いたい。

 都合のいい時には男女平等を主張し、都合の悪い時には女性は弱者といって逃げる。そういう女のご都合主義社会が蔓延していることが女性に対する信頼性を失わせているのだろう。清楚で、素直で、優しい性格の女性ばかりであれば、何も派手な格好だから悪いとか、ましてや声を上げないから悪いなどとは言われないだろう。今こそ女性全体が社会を直視し、男性と苦楽を共にするように目覚めるべく心構えをすべき時に来ているのではないか。真面目な男性や女性こそ迷惑しているのだ。

(*1)健全な家庭生活こそ安全性向上の最短距離 --児童ポルノ規制の是非--
http://blog.goo.ne.jp/grk39587/e/a196a2289646f1aebf3622dd26ebf1aa

*** お知らせ ***
第4回世界家族会議報告・シンポジウムのご案内

日時:平成19年6月23日(土)
   午後2時10分~3時20分

場所:セシオン杉並(視聴覚室)
   (杉並区梅里1-22-32/電話03-3317-6611)
   (最寄り駅:東京メトロ丸の内線「新高円寺駅」または「東高円寺駅」)

パネリスト:
コーディネーター・杉並区議会議員  松浦芳子
パネリスト    日野市議会議員  渡辺眞
          伊勢崎市議会議員 伊藤純子
         日野市議会議員  古賀壮志
         ジャーナリスト  岡本明子

参加費:無料

情報元
http://www.azaq-net.com/bbs/bbs.cgi?tani6010
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