将来、フェミニズムに少しでも批判的な論調の記事は法的規制により掲載されなくなるのか。そうした言論統制の危険性がある法律が近い将来出来上がるかも知れない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070621-00000065-zdn_n-sci
総務省のある研究会がこのほど、ネットコンテンツが放送に近い影響力を持ち始めていることを踏まえ、放送関連と通信関連の法律を一本化した「情報通信法」(仮)の制定を提言している。
この報告では、規制対象を個人Webサイトや掲示板、ブログなどにも拡大する。表現の自由に配慮しつつ、違法・有害コンテンツを排除するのが狙いのようだ。
だが、表現の自由と言っても、どこまでが自由なのか、違法、有害と言っても何が違法なのか、或いは有害なのか、曖昧な点は多い。
例えば、本ブログの本流であるフェミニズム排除の概念も、フェミ側から見れば有害と断定するだろうし、それを違法とする法整備をしてしまえば、たちまち本ブログも強制的に排除されるだろう。
こうした議論は、国民投票法を取り上げた論考でも申し上げたと思うが、全て諸刃の剣なのだ。何を規制して何を自由とするかは全て権力者側の判断にかかってくるのだ。つまり権力を握っている集団が悪質であればあるほど、言論弾圧は卑劣なものとなるであろう。
しかしながら、今のテレビ、新聞などの「表のメディア」が発信する情報は殆ど全てがフェミニズム応援三昧の内容であることは言うまでもないであろう。報道番組からドラマ、そしてバラエティーに至るまでその害毒は著しい。またネット上でも、大手のポータルサイトの発信する情報など公共性の高いものは既にフェミ寄りのものになっている。フェミ批判系のコンテンツはブログや掲示板など個人サイトだけと言っても過言ではない。
またネット上では、不確定ながらも様々な話を聞く。あるフェミ批判系の掲示板が検索エンジンでヒットしなかったとか、トラックバックが上手くいかなかった、或いは削除されたとか、承認を要する掲示板でフェミ支持の意見ばかり掲載されフェミ批判の意見は掲載されないとか、他にも事例は幾らでも出てくるだろう。
つまり、規制が整備されていない今の状態でさえ「厳しい規制」が行われている状態なのだ。もしも今回検討されている法規制が実施されたら、報道のあり方は一体どうなってしまうのだろう。
も検索しても出てこなかったな。
ポルノ規制もそれでやられてきましたから。
ミートホープの表示偽装問題へ、殆ど唐突に大きくすり替えられてしまった事などは、
全く報道規制もいいところですよね。
あれだけの大惨事を起こしたにも関わらず、
ほとぼりが冷めるまで報道を最低限に抑え、
このまま経営陣の刑事責任も追求されぬように、終わらせようというつもりなのでしょうか!?
よくフェミ批判掲示板などで言われていますが、
3人の犠牲者を出した事よりも、表示を誤魔化した事の方が悪いとでもいうのでしょうか?
そういった国民に真実を伝える最後の砦であるインターネットまでをも、
フェミどもはが弾圧してくるようならば、
心底この国は腐りきってますね…
報道規制そのものが悪いと言ってしまうと、フェミを批判して排除しようという行為も一つの規制ですから、規制そのものに異議を唱えることは得策ではないと思います。
大切なのは、そもそもフェミニズムが手前勝手な理屈であり社会全体には害毒であるということ、そしてフェミ批判はその害毒を伝え、取り払おうというもの、よってフェミ批判を規制しようという姿勢は誤りである、という主張をすることだと思います。
毒キノコをあたかも栄養満点の美味しいキノコだと言って宣伝するのがフェミ、キノコの毒性を伝えるのがフェミ批判、ということです。従って美味しいキノコだと言う報道は規制して当然、しかしキノコの毒性を伝える報道を規制してはいけない、ということです。
明らかに現在の社会状況は反フェミですから。
福井の図書館のこととか思い出してくださいよ。
公共の図書館が率先して規制してますからねえ。
その図書室にある上野千鶴子著作の書籍をはじめとする一部の書籍を開架から閉架へ移動させたことにフェミが文句を言って、元へ戻させたというものでした。
この他にも、過去には西船橋図書館の焚書(ふんしょ)事件という、反フェミ関連の書籍を司書が勝手に捨ててしまうという事件がありました。
http://kiyotani.at.webry.info/200511/article_53.html
規制をしているのはフェミの方であるのは明らかですね。
勿論規制そのものが一概に悪いとは言いません。
毒キノコを常に店頭に置くように強制し、毒キノコの毒性を解説する情報を破棄しているのがフェミですね。