まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

元号・・? 07 6/2 あの頃

2018-11-15 11:05:41 | Weblog


■元号に祈りを込めて

 明治以降は天皇陛下のご逝去によって新元号の制定がなされるようになったが、それ以前は一世一元ではなく、天災飢饉が起きると天皇の在位中、何度も改元している。
 それは忌まわしい現象が起きる世の中の新規復活、あるいは改新の意味を含めて天皇は新しい元号を制定して祈りを込めていた。
 

元号は国家のスローガンでもあり、時々の現象を向上、自制の意を含めてつくられ、その意味も中国の古典を引用した五穀豊穣や民生の安定といった農業社会にある、「天地に祈る」契約の意も含んだ言霊を司る姿であった。

 近代日本といわれる明治、大正、昭和、平成も、時々の国情や歴史の行く末を深く観察して、ときには警鐘として、また或るときは希望を込めて起草されていることが分かる。
 いまから十五年前にさかのぼるが、あの小渕元総理(当時、官房長官)が平成と書かれたパネルを掲げ元号を発表している。
 誰が起草したのかと騒がしい推論が横行したが、竹下総理は退任後しばらくたってから、先生を偲ぶ懇意な会合で「安岡先生に起草を依頼したものだ」と述べている。

 竹下氏の明かした安岡先生とは、いまでも多くの著作が書店の棚に並ぶ安岡正篤氏である。政財界の指南役、陽明学者など呼称されるが、いずれも真を得たものではない。
 昭和も終わろうとした頃、氏は筆者に「へいせい…」とつぶやいたことがある。
 今となっては「平成」を意味するものなのか、あるいは「平静」、もしくは悪政を意味する「弊政」なのかは判明しないが、どれも時世を観察したものであった。

 

      

       香港

 

 それは義父の碑文監修をお願いしたときのことであった。
 先生は三度精読し、丁寧な添削を終えた後こう述べている。
文章は上手、下手を問うものではない。また世情の流行ごとに迎合するものでもない。とくに頌徳文(徳を称える文)は、五十年、百年経っても起草するものの意思が、心ある人々の精神に唱えるものではなければならない。国は独りによって興き、独りによって滅びるものだ」

 天皇ご逝去の後、平成の意味として二通り出典が説かれた。
『地、平らかに天成る』『内、平らかに外成る』いずれも中国の古典である。
 前記は、天と地という絶えず調和して対(つい)となっている「絶対」離れることのないものが、地上に生息するものと自然界との不調和によって天災(現代風には大気汚染、オゾン現象)が必然的に起きるという「警鐘」とみることができる。

 後記は、家庭や内政、あるいは己の力量など「内」を養わず、外部の虚飾によって価値を測る事への自省の促しであり、民衆の嘆息をよそに外交にその評価を求めるような、歴史が説く、衰亡する国家に現われる為政者の象徴的な姿に、警鐘を与えたものと推察する。

 まさに『平成』への改元は、国家の安寧を祈り、歴史を直視して将来をも推考した安岡氏ならではの起草でもある。

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