まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「天皇たちの和歌」への投稿 再

2021-08-11 00:46:03 | Weblog


時々の気の置くところを豊かな感性で詠む素晴らしさが拝観される。時節観は過去と将来の間としての現在観を、大自然には感謝と祷りを本として沿い随うべき心を、それは大自然の一粒としての自覚と下座観による万象への透徹した観察にある。

それが習慣化された人格の投影として詠み歌がある。それらはアカデミックな分類や科学的考証などのすべが怒涛ように押し寄せた時代に対して、詠み歌によって座標の蘇りを映す意志がある。

あの、帝大巡視のおり、元田侍従に諭した「聖諭記」にみる専門部分の学究に分化した教育の仕組みに、「相」となる人物の養成を妨げる欠陥を指摘した慧眼にみることができる。

それは何を座標として自然や人物を観るべきなのか、また座標の狂いが数値評価やそれを具とした立身出世主義という、人格とは何ら関係のない附属性価値の装飾に堕すような不良な習慣性の行く末を烈しく諭していることでも、特別な位置での、特別な観点と重い責任を感じさせる。

未だその習慣性と塵ともおもえる風潮が国家の暗雲として漂っているが、国家、国民と呼称が始まった明治創成期の起点を改めて想起させてくれる陛下の忠恕である。

はたして、人の織り成す社会は、政治は、人の成功価値観は、そして日本人の性癖は、あれからどのように転化したのだろうか。

貴書から読み取れるのは、事績を学ぶより、人物から倣うことを教えてくれる。

つねに帯同すべき良書である。



筆者投稿レビューより

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