まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

新聞配達と小泉進次郎

2013-09-04 16:09:53 | Weblog


横須賀の小泉邸のすぐそばに朝日新聞の販売店がある。小泉進次郎氏は中学校のころ二年間新聞配達をしていた。いまは75歳の当時の同僚だった配達員の想い出話しだ。

居酒屋でなじみになったオヤジさんだが、やせ形で歌が大好きで一晩で二十曲はこなす。明るくて軽妙、好きなことはパチンコとビールと歌、店でも人気者だ。昨日のこと横須賀の話題がでた。
筆者も好きで月に一回は八景の野島や北条氏の菩提寺称名寺の裏山を散策するが、今の季節は大きな亀と鯉が仲良く季を満喫している。水仙や彼岸花、桜が四季を彩り、敷地続きには金沢文庫がある。野島は伊藤博文の別邸があり、産卵期にはフグやイカが大挙して押し寄せたも網でもとれるくらいに海岸一面を覆う。昔ながらの浜なので年に三回、自然にアサリが湧く。これも絶品だ。

ときおり追浜や横須賀まで足を伸ばす。酒が呑みたいために近くのプリンスホテルや観音崎まで宿をとるが、夜半までは通称どぶ板通りでアメリカ風のバーで水兵とダーツを打ったりもした。
近ごろでは近隣諸国との関係や第七艦隊の管轄範囲である中東問題でどぶ板も閑散としているが、東京広尾の米軍施設ホテルニューサンノ―も若い兵士は少ない。










そんな話をしていると、そのオジサンは「シンジくんは大したものだ」と呟く。
オジサンは進次郎をシンジくんという。
「あの小泉・・」
「そうだ、親父が厚生大臣で子供は新聞配達、しかも中学生の頃だ」
聞くと、親父がいい体験だからと自分に勧めたという。

「いまでもワシらは午前二時に起きて新聞の到着を待って広告を折り込み、雨が降ればビニール袋に入れ、自転車の前後に満載して配達している。いくら体験でも中学生が二年間も休まずそれを続けることなど・・・。俺たちはいつもシンジくんに感心していた」

「親父の純一郎さんの頃はスカジャン(パラシュート地に虎などの刺繍を付けた横須賀ジャンパー)をはおってチョイ悪もしていた年代だ。いろいろ失敗もあったろうが息子には厳しいですね。しかもそんな体験などは売り物にはならないと考えるところが好い」

「いろいろ想いではあるが、みな彼を見ていた。シンジくんに会っては見たいが、この歳で元気に新聞配達をしているのをみると驚くだろうなぁ・・。つい最近も携帯で話しながらバイクに乗っていたら自転車にぶつかり免停。久しぶりに自転車で配達だが、六階でエレベーターがないところは難儀だね・・・。それといつ行っても集金できない○○という人がいて困っちまう。」

「まだ若い子はいるのですか」
「奨学金が出るし大学まで行っている子もいる。シンジンくんの時と変わってはいない」
「ところで、強圧勧誘や押し紙(本社が部数以上を押しつける)があるが、大変ですね」









「昔からだが、それよりシンジくんも議員になっていろいろと書かれたりしているが、その方がもっと大変だよ。アノ苦労を知らない記者や重役連中も、いちど朝刊配達をしたらいい。人が寝ているころに起きて雪や雨や横須賀の海風に晒されたら幾らか変わるだろう。それを体験したシンジくんの言葉や涙は本物だ。それを知っているから腹の底から笑えないんだ。アノ児はみんなが腹の底から笑える時が来るまで本当の笑いはない。いい男になった。その意味では親父とは別の意味でモノが違う。一緒に働いていた大人たちがそれを知っているよ」

はたして、あのシンジくんの心根をわかる同寮は何人いるだろうか。いやそんな世間の願望を気にせぬ気概が頼もしい。
松陰は「他と異なることを恐れない」と学問の根本を諭している。
あの孤高を貫く冷徹な目は己の、゛まほろぱの地゛を目指している。

昨今、彼の所属政党は先祖帰りをすると称して権力を謳歌する群れとなった。
また父のように「自民党をぶち壊す」と訴える日がくるような気配だ。
その時、いまはもったいなくて語れない、「俺の学びはあの体験だった」、と叫べばいい。
日本及び日本人は、その雄の児を待っている



写真は関係サイトより転載
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