まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「人間考学」 聞くか、聞かんかは、我が知るところなし 2022再

2024-08-31 07:57:15 | Weblog

 

要は、口は軽くても、重くても問題ではない、信と実の忠恕の気概がなくては詭弁でしかない。

写真は関連サイトより転載
2011  再掲載

筆者は御懇嘱をいただく諸分野での講話で、「やりたい事より、やるべきこと」と伝えます。

それは70数億人の地球人が存在する中で、2人として同じ特徴(特質)はないが、多くは他人と異なることを恐れ、情報なるものに翻弄され己の特徴を埋没させている。

成長は特徴を自身で発見して伸ばす、もしグランドが狭ければ、たとえ孤独でも広い世界に進出して天与の特徴を伸ばす、それが、為すべきこと、やるべきことだと一考拙意を伝える。

ときに「狂」の境地と他は嘲るが、内心を探れば似たものと勝手に察している。

それゆえ小楠のように、ハナシではなく語る。(吾を言う)

また先師に倣って駄賃は遠慮する。懐中ねじ込まれれば依頼人の呑みシロか学生ならコンパなるもので消える。

いくら小楠や海舟が来るから駄賃持って聞きに来いと言われても、いくら少しは利口になるといっても、バナナ売りの口上の方が気分は舞う。

金など差し出そうものなら腕は切られても文句は言えまい。つまり了見違いだが、それが「狂」なる小楠の矜持でもあろう。

☆ 「狂」は陽明学のある行き着く境地。アップルのジョブス氏もその気概を述べている。

 

智将 秋山真之氏も戦後、戦勝に浮かれた将軍達からは、おかしくなったと言われた。兄は故郷松山の小学校の校長、真之は孫文の辛亥革命を俠助  地位名誉に囚われない。

世間はこの生き方を変わり者という。言い募った群れは昭和20年の結果を招いた。

 

 

標記は、勝海舟が怖い人物の一人としてあげた横井小南の言葉を、天皇の側近であった元田永孚が聞き書きしたものである。海舟のいう恐ろしい人物のもう一人は西郷である。

「私は誠意を尽くし、道理を明らかにして言うべきことを言うだけである。相手が聞かないだろう(分からないだろう)とおもっていては、その人(人物、機会)を失ってしまう。だが、聞きたくないというのを無理に強いると、言うことが無駄になってしまう。相手が聴こうと聞くまいと、我は言うべきことを言うまでである」

「将来を考えるにあたっては、成功するかしないかは、ただ言動を正直にして、世の中に阿(おもね)ないことだ。道理さえ立てていれば将来の子孫にも志操は遺る(のこる)ものだ。そのほかに言うことは無い」    ・・・阿る(迎合)

安岡正篤氏はその小楠の姿勢を至誠への「道」として度々論じている。
ここで大切なのは、「誠意」とか「道理」とか「正直」、「志操」、「将来」、という文字をどう考えるかということだ。加えてその関係性や実効性と養い方の問題である。

教えを請う総理たちにも論語をひいてこう訓導している。
温、良、恭、倹、譲、これを以って施政をおこなうことが肝要

※ 各文字は漢辞典の参照を請う

あの福田総理には「任怨分謗」(怨みは吾身で受け、謗り(そしり、非難)は他に転嫁しない)を伝え、宰相のあるべき姿を説いている。

これらは、いくら試験勉強をしたり、暗記術に長けていても、もともと官制学カリキュラムにもなく、遭遇といってよいほどの機会がなければ知ることも、その必要もない教養である。

ましてや漢字を知っていても読めたとしても、習慣化、肉体化するためには別の修練と、覚悟の目標を立てる機会が必要となってくる。あるいは、それ以前に宿命感に堕してしまうと理解の淵にも届かない。

だが、その機会の遭遇はいたるところにある。浮俗の生活や、仲間、師の縁からも吸収できるものだが、往々にして部分検証のみを論の根拠としたり、観察座標の定まらない己との観照(本質を見る)は、歴史の俯瞰、将来の先見、己の身の置き所さえ難しくさせている。

小楠は己の潜在する能力を探り、確証と覚悟を言論の座標として名利褒賞を敢えて忌避した。その人格の矜持は言論の背景として人々を驚嘆させ、あの海舟をもって畏怖の念を抱かせた。それは、西郷隆盛、吉田松陰らの共感と、それに連なる志士達にも伝播して行動を喚起している。



                  
                言うべきことは、云う  後藤田正晴


 
人を得ないのか、機会を逃しているのか、あるいは感応しないのか、それは頭と手足が連動していないのかと不思議なおもいに駆られる。

聞くか、聞かんかは、我知ることなし


あの当時は意見出版もなければ、著作に権利もなかった。良ければみなで活かして欲しいと願っていた。商売人が挨拶代わりに使うこともなかった。何よりも小楠の意志を理解する人々の教養が今より高かった。

当世では「解らん、意味ない!」と言われるような言辞だが、無学で古臭い筆者にとっては、多くの示唆を与えてくれる一章でもある。

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